2012/06/19

母親の母親になるとき~介護



Role Reversal 

Angela M. Shupe





「こんにちは。お母さんは多分お部屋にいらっしゃると思いますよ」
受付で声をかけられ、私は今や母にとっての「我が家」に続く、重く暗いドアを開けようとしていました。暖炉の炎が私を照らし、顔と手とを暖めてくれました。

ここが母の現在の「我が家」だとは信じがたいことです。
子どもの頃、我が家とは快適で安全とぬくもりのある場所でした。「我が家」と呼べるのは母が自然にあふれる愛を注いでくれたからでした。我が家がなくなるなんて、あり得るのでしょうか。現実にあったものがなくなってしまうなんて。母がいなければ、そこはもはや我が家ではありません。

私は母に会う心の準備をしながら、悲しくて涙がこぼれそうになるのをこらえました。自分の母を、まるで母親のように介護しなければならないという新たな現実は、すぐには受け入れられません。
二人の子どもの母親として、私にとって母親業は初めてのことではありません。
でも、それとは異なったものです。不自然で、葛藤が伴います。

私は暖炉のそばを離れ、母の部屋に向かいました。ここが子どもの頃訪れた記憶のある老人ホームと似ていないことにほっとしました。ここには暖かさがありました。


母が診断を受けて8年が経ちました。
介護生活に足を踏み入れてから、私たちの役割は逆転し始めました。
恐れていたとおり、神経科の医師は「残念ですが、アルツハイマーです」と言いました。
私は母の娘であった当時を覚えていますが、今となっては私を生み育ててくれたその人の世話をするようになったのでした。
かつて快活で頼りになった母は、もはや子どものように無邪気になってしまいました。

部屋の前に着き、私はそうっとドアを押しました。母はベッドの上に座っていて、差し込む日差しでできた影が伸びていました。

「お母さん、私よ、アンジーよ」私は静かに言いました。
「アンジー。」母は元気に足を伸ばそうとしましたが、年齢のためにゆっくりとしかできませんでした。(それでも、まだ私のことがわかっているのでほっとしました。)

「アンジー、来てくれてうれしいわ。寂しかったのよ。ずいぶん顔を見なかったじゃない。」
私たちは肩を抱き合いました。
「お母さん、私もよ。顔を見られてうれしいわ。」

私は母が思い出せないとわかっていたので、2日前に来たことにはふれずにそう言いました。
「座って話しましょう、お母さん。」
「そうね」

母が足を滑らせて転ばないように注意しながら、私たちはゆっくりとベッドの方に戻りました。
ベッドの上にひざ掛けを広げ、会話を始めました。

「体の調子はどう、お母さん」
「ええ、大丈夫よ」母は早口でいうと、私がどうしていたかを聞きたがりました。

「アンジー、あなたはどうしていたの。心配していたのよ。えーっと、あなたの・・・なんていう名前だっけ。どうして思い出せないのかしら。」がっかりした口調で母は言いました。

「ジェラードのことね。孫の。」
「そう、ジェラードだったわ。元気にしてる?」
「元気よ、そしてもう一人の孫のソフィアも元気よ。あっという間に大きくなるけれど」

母が孫のことを本当に覚えているのか疑問に思いながら、私は言いました。

「お父さんには会った?ニューヨークにいるのかしら」母が尋ねました。

「ニューヨークですって?」私は言葉を失いました。変なことを言うものだと思いました。
父はニューヨークに住んだことはなく、結婚以来ずっとミシガンで仕事も家庭生活も送ってきたからです。

「お父さんには会っていないけど、電話で話したら元気だと言っていたわよ。確か昨日ここに来たと思うのだけど」
「え、そうだったかしら?忘れちゃったみたい。彼に会いたいわ」

私の訪問も、母の記憶からはすぐに忘れ去られてしまうのだと思うと寂しくなり、私の心は沈みました。

「あなたはお父さんに会ったの?」母がまた尋ねました。
「ううん、会ってはいないけど、元気にしているのは知っているわ」私は再び答えました。

「ジェラードはどうしているの」
「とっても元気よ。ちょうど8歳になって、3年生よ。」
「まあ、3年生ですって!」母は心の底から驚いたようでした。

何度も何度も同じ質問の繰り返しでした。そのたび、私は優しく答えました。

私は自分の生活についてできるだけわかりやすく話しはじめました。「時々息子とどう接したらよいかわからなくなるのよ」
母からは笑顔の他にどんな知恵ももらえないと知りながら、私は話を終えました。


母は顔を上げ、私の目をじっと見つめました。「アンジー、あなたは素晴らしい母親よ。彼は変わっていくのだから、じっと見守っていたらよいの。成長には少し時間が必要だけど、心配しなくても大丈夫よ。」はっきりと自信のある口調で母は言いました。


私ははっとしました。
子どもの頃励ましの言葉をかけてくれたのと同じ女性が、私の前にいました。そして母親としてのまなざしで私に話してくれていました。


・・・私の心の目には、老いた母の顔は消え、玄関の入り口に座ったずっと若い女性が見えました。しわがなく、オリーブ色のなめらかな肌と茶色の目をしていることが、彼女がフィリピン系とイタリア系の血をひく女性であることを示していました。ペイズリーのロングスカートとクリーム色のブラウスを着て、一連のパールのネックレスをしていました。

「アンジー、何があったか話してごらん」10歳のやせた少女だった私に彼女は言いました。
その直前、家の中で私はきつい口調で話していました。彼女は私の言葉の背後に何かがあると察し、真実を聞き出そうとしました。
その日は学校で特にいやなことがありました。私に向かって発せられた言葉は相手に有利となり、不公平な結果に私の幼い心は傷ついたのでした。

彼女は静かに私の話を聴き、涙をぬぐってくれ、私とよく似た境遇で、戦争のため家も国も失った女の子の話を始めました。

それは、戦争で占領された地に、私と同じような問題に直面した少女がいた、というものでした。クラスメートが何気なく言った言葉が、戦争の混乱の中でさえも少女の心を傷つけたのでした。

彼女の話は初耳でした。これまで聞いたことがありませんでした。でも言いたいことは明らかでした。大変な困難の中にあっても、脱出できる。やり遂げられるのだ、ということでした。

彼女が話を始める前から私は反省していました。そして泣きながら謝りました。私のひどい言葉にもかかわらず、彼女は私を無条件で愛してくれていました。

「アンジー、たとえあなたがひどいことをしても、決してあなたを嫌いになることはないわ。だって、私はあなたのお母さんなんだし、いつもあなたを愛しているのだから。」
彼女は話を終え、私を抱き寄せてくれました。・・・



現実の母の目を見て、私は何も言えなくなりました。ずっと老いた女性である母の言葉を聞いて、私は長年の介護生活で初めて深い話ができたことに感動しました。そして改めて、母が私をありのままを見ていてくれるということに嬉しさを覚えました。何も言いませんでしたが、代わりに母に向かってほほえみました。

「お母さん、散歩しましょう」私は母の上着のボタンを留め、彼女を慎重に立たせました。私たちは並んで廊下からサンルームに歩いて行きました。窓の外には大きな楓の木があり、色づいていました。
「お母さん見て、とってもきれいな葉の色ね。」
母は私の手を握り、私を支えにしていました。母の愛は真実だとわかって私は心強い思いでした。きっとできるわ、と私は思いました。母の母親代わりになってあげられる。母を愛しているのですから。

「お父さんも一緒だったらよかったのに。お父さんに会った?」
母はまた尋ねました。私たちは日差しの中、散歩を続けました。


JBU2012夏号より
Copyright 2012 Angela Shupe. Translated 
from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

Angela Shupe:フリーライター。Women's Adventure Magazine、Radiant Magazine、他の記事を執筆する。夫、2人の子どもとミシガン州ミルフォード在住。













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