2012/09/11

召しに満足していますか?~その1






召しに満足していますか? ~その1

Kelley Searcy







 先日、親しい友人とショッピングに出かけました。マーシーズ(デパート)で靴を見ている時に、その友人は知り合いを見つけ、駆け寄って私のことを紹介してくれました。

「この人は牧師夫人のケリーさんよ」と。

普通なら、友人のことをいきなり「銀行員の奥さん」とか「お医者さんの奥さん」と紹介することはないと思いますが、どうして宣教の働きに召されている場合だけが特別なのでしょうか。

自分はこの立場でも構わないと思うだけでなく、光栄な召しだと心から受け取ることができるにはどうしたらよいでしょうか。
宣教の働きにおいて自身の役割に満足する助けとなる鍵をいくつかあげてみましょう。



自分は一人ぼっちではない、と知ること。

率直なところ、私は宣教の働きの上で非常に孤独だと感じることがあります。
神様がすべてを支配しておられるのが救いですが、女性の友人たちともっと親しくなれたらいいのにと心から思います。

私の尊敬するメンターはかつて友情には3種類あるのだということを教えてくれました。
すなわち、遊び友達、仲間、そして親密な友達です。


遊び友達とは、一緒に何か楽しいことができる友達です。
つまり、土曜の午後に一緒にペディキュアを楽しんだり、夜のパーティーに参加したりする友達です。
こうした友達と過ごすために、特別なプログラムは必要ありません。あくまでも、日々の生活を共に楽しめる間柄です。


仲間とは、互いに同じ環境、境遇にある友人のことです。
宣教の働きに関わっている人にとっては、他の牧師夫人、伝道師夫人でしょう。宣教における恵みと苦労、辛い面を分かち合い、同じ経験を通っている者として理解しあえるような間柄です。

すでに教団の中でそうした集まりがもたれているかもしれません。
もしそうした機会がないなら、どうぞあなたから始めてみてください。
互いの共通点が多くあり、新たな視点を得ることができるのに驚くでしょう。


親密な友達とは、見つけるのが最も難しい間柄です。
実際に、私自身も今なお葛藤しています。
私のメンターによれば、何でも話せる相手で、あなたの秘密を守るだけでなく、たとえあなたが病気になってもそれを決して漏らさないでいてくれる相手だということです。
宣教でリーダー的な立場にある者として、本当に信頼でき、ずっとその信頼に値し続ける人物を見つけるのはなかなか難しい面があります。


(つづく)


JBU2012秋号より
Copyright 2012 Kelley Searcy. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

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