Jill Briscoe
ジル・ブリスコー
「ねえ、行かないで。お願い」と、息子は何度も頼みました。
「ママがいないなら、ここにいたくない。
だって思っていたような場所じゃないんだもの。
ここで待つのはいやだ。僕もママと一緒に連れて行って。」
「ペート、それはできないわ。だってあなたはビザ(査証)も持っていないんだもの。
それに、もし持っていたとしても、あなたを連れて行くことはできないの。
ここにとどまることもできないわ。
ママは行かなければならないの」と私は答えたのでした。
私はちょうど、出エジプト記を読んでいました。
昼は雲の柱が、夜は火の柱がイスラエルの民を導く、という箇所でした。
家族連れは、そんな中をどう感じながら暮らしていたのだろう、と考えたものでした。
おそらく、雲の動きにかなりうんざりしていたのではないか、と想像します。
なぜなら、家族全員がやっと寝袋を並べ、テントを張った時に、
雲の柱が再び動き出す、ということがあったと思うのです。
父親の「あれまあ、また移動だ!」という声が聞こえるようです。
母親は「せっかく子どもたちを寝かせたところなのに」と言ったかもしれません。
「さあ、子どもたちを起こして着替えさせるんだ」と父親が声をかけたでしょう。
雲や火の柱は、イスラエルの人々に「従順」を学ばせたに違いありません。
自分の聖書のその箇所の余白に、「子どもたちへの祝福は、親に従順であることからくる」と私は書き込んでいました。
それも、ちょうどペートが部屋に入ってくる直前に。
だから、この場合何が最優先であるか、私にはわかっていました。
南アフリカへ宣教に行くことです。
しかもその聖書箇所だけでなく、さまざまな状況からも確信がありました。
そうすることが正しいとわかっていました。
でも、それがいかに辛いことだったか、わかっていただけるでしょうか?
ペートがどのような状態で過ごすだろうかということが脳裏を横切りました。
ペートは乗りきれるだろうか。
親に見捨てられたと思うだろうか。
神様はひどい、と腹を立てるだろうか。
(続く)
Just Between Us 誌 2015 秋号より Copyright 2015 Jll Briscoe. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
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