2010/09/14

孤独ですか?~よい友情を築くために~

Are you lonely?
Are you lonely?  
 私が何ヶ月も心の奥深くで感じていた感情をついに口にすることができたのは、宣教旅行の最中でした。それは「孤独」でした。孤独であっても、その思いに支配されて何もできないというわけではありませんでした。

 夫と私は神学校を出ると最初の教会に赴任し、やがて子供が与えられました。6ヶ月になる娘の世話をしながら、大学のチャプレンとしてパートタイムで働き、夫とともに教会の青年会を導き、家の用事もすべて完璧にしようとしました。何かが欠けているとは感じましたが、それが何であるかを考える暇もないほど日々忙しくしていました。学生達が一日の学びを終え、互いの交わりと冗談を楽しんでいるのを見た時、私はようやく自分に欠けているものが何かがわかったのでした。私には友人が必要だったのです。

 思い返せば、なぜこんなに長い間、そのことに気づかなかったのでしょうか。理由の一つは様々なことで忙しかったからですが、別の一つは私の霊的プライドの高さゆえでした。プライドの高さゆえ、自分自身の必要に気づかないことがあります。

 けれども、私は今日では「友」と呼べる人々に恵まれています。神様は私の祈りに応えてくださり、共に笑ったり泣いたりできる友を与えてくださいました。その友人たちとは勝利を祝ったり、試練の時に支えとなったりできます。また、共に互いの働きや信仰の歩みについて点検しあったりもします。神様は私の必要を豊かに満たしてくださいました。と同時に、私が変わるべき点もその過程で示してくださいました。

期待との折り合いをつける
 今の小さな町に引っ越してきて、私は友人ができることをとても期待していました。誰か私のような人で~つまり若い母親で、幸せな結婚をしていて、パートタイムの仕事をしているか専業主婦で、教会に通っている人。けれども、そういう人は見つかりませんでした。

 その代わり、神様は違うタイプの友人を与えてくださいました。独身の教師、孫がいる70歳の女性、退職したエネルギッシュな人。私が当初期待していたような人は一人もいませんが、神様はもっと大切な友人の条件があると知っておられました。それは秘密を守ること、宣教への思い、人生の経験から得た知恵、祈りへの情熱などでした。神様は私以上に必要なものをご存知だったのです。

スケジュールを簡素化する
 私はかつて、友情を培う代わりに活動し続けることで穴を埋めようとしていました。スーパーウーマンになろうと必死だったので、真に大切なものを優先することができませんでした。伝道の働きに関わっていたにもかかわらず、デボーションも満足にできませんでした。友情を培うなど、もっと難しいことでした。霊的・精神的・肉体的健康のために、私はいくつかのことをあきらめなければなりませんでした。カレンダーに余白ができるようになって初めて、友情を築くためのゆとりを持つことができました。

自分から働きかける
 我が家を訪れて友達になろうと言ってくれる人が一人もいなかったことに、ある日私は気づきました。いつもの所に行き、いつもの人と会い、いつもの人と話すのは容易です。しかし、初めての人と会って関係を築くためには、時には私達の習慣を変えなければなりません。

 私は自分が特別外向的だとは思いません。でも、毎週教会では様々な人と話すように心がけました。公園では、母親たちと話す機会をねらいました。親しくなりたいと思う人をランチに誘い、さまざまな地域活動やサークルに参加しました。効果のあったものもそうでないものもありましたが、その中で私は新しい人間関係や伝道のチャンスを得ました。

新しいことに挑戦する
 私はスクラップブッキングにチャレンジしました。別に珍しいことではありませんし、初めてその集まりに参加した時には、ステップフォード・ワイフ(訳注:米映画。主人公一家が引っ越した町の女性は、貞淑で完璧な妻たちばかりだった)のワンシーンが浮かびました。
 けれども、その集まりはとても楽しく、現在の一番の親友である女性とも出会ったのです。今やそのグループは、自分たちが共に集まる場でもあり、同時に新しい人を招いて親しくなるリラックスした場でもあります。

自分の弱さを表す
 私は生来一人でいるのが好きな人間です。そして、公の場やリーダーの立場にある時に、個人的な葛藤を口にすることはできません 。率直に言いましょう。妊娠中の牧師夫人に向かって、教会の中心的メンバーが笑いながらとっても太って見えるわと言ったとき、「それはどうも、あなたもね!」と言いたくても、それをまさか集会の中でしたいとは思わないでしょう。

 私達は正直に葛藤を分かち合える人を必要としています。重荷を互いに下ろしあい、祈りで支えてくれる人が必要なのです。このように弱さを表すことが、純粋な交わり、すなわち神が聖徒たちに望まれる心と心の結びつき、コイノニアなのです。

 友人の中でも、どの程度分かち合うかは人によります。ある人には、「神様は私にある罪を示されたので苦しいの。祈ってね」とだけ伝えるでしょう。別の人にはもっと詳しく話すでしょう。詳しく話すためには親しい友情を培っておかねばなりません。

 自分の思いを周囲の人に明らかにすることは、ある程度の危険を伴います。でも、その正直さがなければ、神様が語られる一つの方法である、キリストのからだを通して語っていただくという方法を逃してしまいます。

 時折、リーダーや働き人たちは誰も必要でないという考えのわなにはまってしまいます。神様さえいれば十分ではないか、と。でも、神様は他の人を必要とする存在として私達を造られました。友人の必要を認めるのは弱さではなく、むしろ強さです。

 私達は全ての必要、友情という必要までも満たしてくださる神に仕えています。私達が姿勢を改めたり危険を冒したりしなければならないこともありますが、深い友情を築くことは可能です。神にとって難しすぎることは何もないのです。 


レイ・アン・パワーズ(Leigh Ann Powers)はテキサス州ルンゲ在住。日曜学校で教えるほか、フリーランスのライターでもある。2人の子供の母親で、料理とスクラップブッキング、読書が趣味。


Copyright 2009 Leigh Ann Powers. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045.

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