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2020/05/11

孤独な日々は神様に近づく時


ウイルス | 無料のベクター画像、写真、PSDファイルをダウンロード




リサ・エリオット(Lisa Elliott)


皆さん、お変わりありませんか…ソーシャルディスタンス(社会的距離)はうまく保てていますか?
孤独を感じていませんか?

オンラインなどで私が連絡をとった人たちからは、悲喜こもごもの声があがっています。
ある人は、何年も手付かずになっていたことをようやくできる、と喜んでいます。
一方で、ある人は何をしていいか全くわからないと言っています。
必死に計画やできることを見つけようとしている人もいれば、休息の時だと歓迎する人もいます。
できる限りのあらゆるSNSを利用しようとする人もいれば、独りで静まる時を持つ人もいます。

私自身は、この一連の経験を通して、10年余り前のことを思い出しています。
18歳だった息子のベンが白血病と闘っていた時、私は自主的に隔離された生活をしていました。
彼の免疫力が下がっているとのことで、私は外界との接触を制限しました。
これまでの生活は一変しました。
社会的なつながりはタブーでした。
ブッフェやサラダバーの食事は避けるべきという制限が課されました。
病院で息子のベッドのそばに付き添う時は、入室前に消毒をし、マスク、手袋、ガウンを身に着けました。
自宅まわりは、ばい菌が繁殖しないようできる限りすべてを清潔に保ったことは言うまでもありません。
玄関には、訪問するすべての人が使えるよう消毒液さえ設置しました。
「普通の」生活は突然なくなり、家族と私は「新しい普通」に入りました。
最悪の事態に備えるため、最善の希望を持つことを学びました。

共通点があるなあ、と思われますか?
コロナウイルスの感染防止のために過ごす最近の日々と似ているのです。
あなたは以下のような経験をしているでしょうか。
   
  • 命を脅かし、健康を脅かし、思考に影響を及ぼし、活動を調整させ、関係を断つものに対しすでに知っていると考えて、実際に見ていない状況を何とかしようとしている。
  • 全然いつも通りではないとわかりながらも、落ち着いていつものように仕事をしようとしている。
  • 内心は不確実、無知、不安と恐れがわきあがっていても、外見は平静にしている。
  • 目に見える限界とだんだん増えていく制限があっても、なるべく自由に過ごそうとしている。 
  • 自分の世界の何かがおかしくなってしまったという感覚を覚えつつ、先行きが見えずぼうっとした虚無感の中で日々過ごしている。
  • 本当はほとんど何もコントロールできないと知りつつも、コントロールできるかのようにふるまっている。
  • 本当に目的があるのかな、と思いながら、目的をもって生活することを選んでいる。
  • 書き物をするペンを鉛筆に持ち替え、手にはいつも消しゴムを持っている。
  • 目まぐるしく変わる生活に絶えず順応しようとしている。
昨今は、ヤコブ書のことばを実感することでしょう:
「『今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう』と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです」(ヤコブ4:13~15)。

もし、この想像もしなかった不安と混乱の時が、私たちが目を覚まして本当に大切なことに心を向けるように、と神様が意図されたものだとしたらどうでしょうか。
おそらく、神様はこの歴史上特異な時期を用いて、私たちがこれまで思い込んでいた生活を再調整させてくださっているのかもしれません。
もしかすると、このパンデミックは「私たちが自分自身に頼らず、神に頼る者となるため」(第二コリント1:9)なのかもしれません。
現在の社会的孤独は、私たちがもっと深い次元で神様とつながる特別な機会として与えられていると言いうるのかもしれません。

一つ、確かに言えることは、先行きの見えないこの状況にあって、私たちは離れていても決してひとりぼっちではないということです。
神様は決して私たちを離れたり捨てたりすることはないと約束しておられます(申命記31:6、ヘブル13:5)。
私たちが神様につながり錨を下ろしているなら、神のことばは私たちの不安定な日々にも揺るがない希望を与えてくれるのです。

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)。

2019/10/29

夫に腹が立った時の対処法

   


Pam Farrel


世界中のどこに行っても、結婚生活には同じような悩みがあります。
例えば、共通する話題の一つに「相手の最も好きだった所が、最もイライラする所になった」があります。
それはコインの裏表のようです。
コインをひっくり返して「そうだ、この人を好きになったのはここだった」と思い出す必要がありますね。

夫のビルはコーヒーが大好きです。
しかし、同時にとても困った癖があります-飲んだ後、マグカップをシンクに持ってこないということです。
ガレージ、車内、クローゼット、庭の小道、玄関やポーチ、書斎、階段、洗面所…、思いつく限りのあらゆる所で飲んだ後のマグカップが放置されています。
旅に行くごとにマグカップを買い集めておいてよかったです。全てのカップに出番があるのですから!

マグカップを片付けてくれないのをどうしたらよいでしょうか。
私自身はあまりコーヒーを飲まないので、余計に気になります(もっとも、コーヒーを飲むと私は動悸が激しくなります。ビルだけが私の心拍数を早くするものであってほしいいですね!)。
ビルによれば、私は神様によってカフェインを取ったのと同じ状態にされているそうで、私の動きに合わせるためにはコーヒー3杯が必要だというのです。
ともかく、彼はコーヒーを飲まねばならないのですね!

たとえ腹立たしい所があっても、夫を愛し共に生活するためのアドバイスは以下の通りです。

違いを感謝する
コーヒーはもはやビルの一部です。
引っ越しの準備をしていたある日のことです。最後の洗い物をしていて、私はそれが全てコーヒーマグであることに気付きました。なんと47個もの!
「イエス様、どうしてこんなにすてきで信仰深く有能な人が、カップをシンクにもってくることができないのでしょう?」と腹立たしく思いました。
マグカップの問題が夫婦喧嘩のベースにあることがわかっていましたから、どうにかして解決したいと思いました。
でも、何を言ってもビルには改善の兆しが見られませんでした。
それで、ひょっとして私の側から歩み寄らねばならないのかもしれないと思い、祈りました。
すると、神様は私の心にささやいて答えてくださいました。
「なぜビルはコーヒーが大好きなのだろうか」
「主よ、ビルは働き者なのです。だからカフェインが必要なのです」
と私は心で答えました。

神様は再びささやかれました。
「よく働く男性と結婚したのは、恵みではないのか」
今度は、私は心から「はい!」と答えました。

以来、置きっぱなしのマグを見かけるたび、私はビルのために祈ることにしました。
やがて祝福も合わせて祈ることにし、コーヒーマグを見るたびに彼の祝福を覚えて祈り始めました。

コーヒーマグを見ながら「愛は多くの罪をおおう(1ペテロ4:8)」の原則を当てはめて祈りました。
(もちろんコーヒー自体は罪ではありませんが、ビルがカップをシンクまで持ってこようとしないことは彼の欠点だと言えます…少なくとも私にとっては。)
今日まで、私は長年汚れたコーヒーマグを片付けています。
そのたびにカフェインが必要な程ビルは働き者であること、彼が素晴らしい働きをし、私を含む多くの人々に祝福をもたらしていることを思い出しています。


違いを祝う
ビルの50歳の誕生日に、私たちはコーヒー畑に行きました。
ビルは豆を選びローストしてもらって、自分だけのブレンドを作りました。
畑を訪れ、豆を選び、絶妙にローストし、ラベルを選ぶのに午後の半日まるまるかかりました。
でも、彼が座り、特製コーヒー(Farrel家のマウンテン・サンダー・ウィーンローストコーヒー)の香りをかぐのを見て、よい外出だったと確信しました。
そのコーヒーを一口味わい、カフェインが入ったこともありますが、彼の顔はとても嬉しそうに輝きました。
その顔を見て私まで嬉しくなったのです。

違いを組み合わせる
私は、特製のコーヒーブレンドの豆を切らさないよう気を付けています。
特製のコーヒーを飲むたび、ビルは私への愛情を新たにしてくれるのですーちょうど、私が空のマグを思いがけない所で見つけた時のように。

マグを見つけるたびビルの為に祈るというのは、いまや私の生活のリズムになっています。
夫の腹立たしい所があったら祈りに変えましょう。お祝いに変えましょう。あるいは、彼を驚かせるデートに変えましょう!

2018/11/21

借り物の心配 Secondhand Worry






他人の問題を心配していませんか?
  バーブ・ルーズ 



他の人の問題を、あなたはつい心配してしまいますか?

ある日、友人のレアがもう限界だと言って電話をしてきました。
しかし、それは彼女自身の悩みではなく、成人したレアの子どもの問題のためでした。
息子の罰金を彼女が払っており、息子が刑務所に入れられるのではと恐れていたのでした。
レアは、同じく成人した独身の娘が思いがけない妊娠をし、経済的に不安定であることで夜も眠れなくなっていました。
両方の子どもの状況に、レアは感情的にも経済的にもほとほと疲れていました。

子どもたちの問題についてのレアの心配は「借り物の心配(secondhand worry)」として知られています。
他者の煙による受動喫煙のように、借り物の心配をする人は他人の問題を心配しイライラするか、あるいは自分が肉体的・感情的に影響を受けるかしてしまいます。


あなたにはこれらに心当たりがあるでしょうか。
  • 息子が理科の宿題を終わらせないので、落第して次学期に影響が出るのではないかとイライラし困っている。
  • 30歳の妹は自由を満喫しているが、健康保険にも入らず金の無心をしてくるので心配している。

私たちが借り物の心配から解放されないと、どうなるでしょうか。
他人の責任を自分が負うことになります。
さらに悪いことに、その人たちが自ら学ばねばならない人間関係・経済的・霊的な人生の過程を、気づかないうちに奪ってしまうのです。
(回復の原則をご存知ですか。借り物の心配は共依存関係を生じさせ、助長させうるものです。)


ヨシュア記9章には、イスラエル人が約束の地に入ってきたこと、エリコとアイの戦いに勝利したことを、カナンの地に住んでいたギブオンの住民が聞いたという記事があります。
ギブオン人は殺されるのではないかと恐れ、「彼らもまた計略をめぐらし、変装を企て」ました(ヨシュア9:4)。

ギブオン人は使者をヨシュアと族長たちのところに送りました。
自分たちは平和の盟約を結ぶために遠い国から来たのだ、とイスラエル人に言いました。
ヨシュアが旅人を調べると、古びた服装をし古びたぶどう酒の皮袋を持っていました。
族長たちは再度使者を疑い、すぐそばに住んでいるのではないかと尋ねました。
神が、カナンに住む民とは盟約を結んではならないと禁じられていたからです。
しかし、ギブオン人はとても遠くから来たと言って、イスラエル人にうそをつきました。
彼らの話は恐れと心配に満ちた、長く詳細なものでした。


私たちは自分と関係のある人が個人的な責任で悩んでいるとき、その悲しい話を額面どおりに受け取りがちです。
気の毒に思い、助けたくなります。
しかし、話の細かい部分に関心を持ち過ぎると、事実を見失ってしまいます。
これまで出会った失業中の人が、今回の失業は自分のせいではないと長々と話すのを何度となく聞いたのではないでしょうか。
10代の子どもが宿題を忘れた言い訳をし、自分に対する教師の不公平な扱いに長々と文句を言うのを何度も聞いたことがあるのではないでしょうか。


ヨシュアとイスラエルのリーダーたちはギブオンの住民の話をうのみにし、信じたことによって重大なミスをしてしまいました。
ヨシュア記9:14には「そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示をあおがなかった」とあります。

その結果、イスラエルはギブオン人と盟約を結びました。
間もなく、ヨシュアと族長たちはだまされたことに気づきました。
イスラエルの人々はリーダーたちにとても腹を立てました。なぜなら、不従順がどれほどの災いをもたらすかを知っていたからです。
ともかく、恐れと心配からイスラエル人をあざむいた人々を生かしておき、将来まで面倒を見ることになりました。
借り物の心配をすることは短期的にも長期的にも関係者全てが犠牲を払うことになります。


あなたが借り物の心配によって振り回されるかもしれない、4つの兆候

  1. いつも無責任な態度を取る人の行動、経済問題、未熟さのために、あなたがストレスを感じたり、夜眠れなかったりする。
  2. ある人の代わりに言い訳をしたり、金銭を与えたり貸したりしてその人を助けている。
  3. 何かを失ったり将来の機会を逃したりするのではないかと心配なので、ある人が困難や失敗を経験することを恐れている。
  4. その人ががっかりしてあきらめてしまったらどうしようかと心配で、本人の葛藤を見たくない。


借り物の心配から解放されるためにはどうしたらよいでしょうか。

子どもの一人のことで心配していた時、この「借り物の心配」で私の心はいっぱいになりました。
彼女は医者の下した診断に関して葛藤を覚えていました。
それまでにも大きな戦いがあっただけに、私は彼女の今後の人生が順調にいくようにしてやりたかったのです。
しかし、彼女の人生について悩み心配することで私はへとへとになりました。
そこで助けを求めてクリスチャンカウンセラーの元に行きました。
ティムというカウンセラーの唯一の問題は、私を全く慰めてくれなかったことでした。
彼はその代わりに、問題を正そうとして娘の人生に神の役割を果たそううとすることをやめるようにと言いました。
彼は、借り物の心配の解決法だと思える知恵をもって私に挑戦してくれました。
「私たちは、その人たちが神が必要だということに気づくようにしてあげなければなりません。」

ティムの助言に従えるかは、娘が高校3年生の時に試されました。
娘は突然宿題をしなくなり、高校の卒業が危ぶまれたのです。
その時、親である私たちは彼女の未来についての心配をゆだね、彼女に関して神に信頼しなければなりませんでした。
夫と私は一歩引いて、娘と先生のやりとり、そして娘自身の決断を見守りました。

素晴らしい結果になりました!
高校卒業後の進路は変更しなければなりませんでしたが、人生を軌道に乗せるために娘は一生懸命に努力しました。
私たちが一歩引くことで、彼女は神に従って人生を歩むことができました。
4年後、彼女は自分の大好きな仕事をし、いきいきと成長して歩んでいます。

もし、あなたが誰かの人生で神の役割を果たそうとして働きすぎ、本人がひざまずいて神様に呼び求めることを妨げているとしたらどうでしょうか?

あなたが配偶者、子ども、友人たちの人生で神の役割をしている限り、彼らは自分の必要がわからないし、プレッシャーを感じることもないでしょう。
しかし、請求書を未払いのままにし、車が担保にとられるままにするなら、無責任から生じる当然の結果に彼ら自身が向き合い、彼らが自分の愚かな選択に伴う痛みを扱うことになるのです。

落第したり留置所で数日間過ごしたりすることは、愛する人が神様に叫び求め、無責任な人生の歩みをやめる転換点となるかもしれません。
もちろん、その人たちが無責任な行動のせいで苦しむのを見ることは辛いことです。が、そのあやまちから学ばず何度も何度も苦しむことの方がもっと悲劇的です。

さあ、神様が必要だとその人が気づくために、あなたが手放すべき人は誰でしょうか。



Barb Roose:女性どうしがつながること、女性と神様とがつながることに重荷を持つ講演者、執筆者。女性たちがキリストにあって強められ建て上げられ、勝利の人生を送るようになることを願っている。国内外の聖会や集会で女性たちを教え励ますことが喜びである。近著に Winning the Worry Battle:Life Lessons from the Book of Joshua(「心配という戦いに勝つ:ヨシュア記から学ぶ人生のレッスン」、バイブルスタディーも同時発刊)。


Just Between Us 誌 2018秋号より翻訳     


Copyright 2018 Barb Roose. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045


Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です!
英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利のミニストリーです。英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2016/03/01

感情的に健康であるとは~専門家が答える

Q:否定的な感情を、どう扱ったらよいのでしょうか。


                    


答える人:ジェニー・ヘックマン
(国家認定カウンセラー、MS, LPC, NCC)


感情のない人生がどんなものだと思いますか?

この世界に造られた美しいものを見ても感動せず、
不正がはびこっても怒りを感じず、
大切な人を失っても悲しまず、
友人と笑う楽しさもなく、
苦しんでいる人を見ても何の同情も感じない・・・

様々な場面での豊かさがなくなり、平板で何の変化もない人生になってしまうでしょう。




感情的に健康であるとは、次の3つの側面があります。

  • 私たちが内面で経験する感情を正確にとらえることができる。
  • 他者に尊敬を払いつつ、その感情を分かち合うことができる。
  • 他者の感情を理解することができる。
また、自分の不完全さや傷、これまでの経験が、感情を過度に抑えたり、逆に噴出させたりすることがあるというのをわきまえていることです。

思春期の頃、私は肯定的な感情以外は感じないことにしよう、と決心したことがあります。
子どもの頃から不安症、心配症だったので、内面はできるだけ平静でいようとしたのでした。
否定的な感情をどう扱うかについて、家庭でもそのように教えられてきました。





ところが、うまくいきませんでした。
「傷つく心の力(The Power of Vulnerability、TEDはこちら)」のブレネー・ブラウンによれば、
自分の意志で特定の感情だけを麻痺させることはできないのです。
否定的な感情が抑圧されたら、肯定的な感情も同時に抑圧されるのです。

これを知ってから、私は神様がデザインされた人間の感情の豊かさをきちんと理解し、味わおうと思いました。
そうするようになって、以前ほど恐れを感じなくなりました。
また、感情が豊かになりました。
他の人にも自分の思いを出すようになりました
そして、周りの人々に対しての共感力が高まりました。

これは感情的に健康であることの第一の側面がいかに大切か、ということです。
第一の側面は、第二・第三の側面に直接影響を及ぼします。

あなたは、自分の感情をとらえ、受け入れることが難しいですか?
以下は、その原因になりうるいくつかです。



・ 恐れ

怒りや悲しみを感じると、その感情に飲み込まれてしまうか、あるいは感情がずっと続くのではないか、と恐れてしまうことです。

George Bonannoの「悲しみのもう一つの側面」という本で、感情そのものは一時的であると述べられています。
ある原因によって感情は現れますが、目的を果たしたら消えていくのです。
もちろん再び同じ感情が現れることがありますが、
私たちが感情がなぜ生まれたか、その目的を正しく理解するなら、
ひたすら耐えるだけではなく、
その感情を通して自分が成長し、決断し、人間関係を築き守っていくことができるのです。

素晴らしいですね。



・ 恥意識

恥意識は、その人の弱いところや、霊的な欠けの部分を示唆することがあります。
特定の分野である感情が引き起こされると、恥意識がその感情に伴って、直ちに現れます。

恥意識によって本来の感情が抑えられてしまうのです。
私たちは家族、共同体、文化などによって形作られてきましたが、
それらは私たちの感情や信念に非常に強い影響を与えます。

でも、恥意識は正しく直面すれば解決できます。
そうして、感情も神様に造られた姿へと自由で柔軟な現れ方をするようになります。



・医療が必要なケース

気分障害や人格障害が影響している場合もあります。
脳内物質や神経系が「楽しいこと」を伝達しない時、あるいはずっと「張り切りすぎ」た時、
感情は上向きになるか下向きになるかのどちらかです。

気分障害の場合や、遺伝子レベルでの傾向がある場合、あるいは特定のストレスによる場合もあります。

医療の助けも神様の恵みのうちにありますから、薬で脳内物質や神経系統が改善されれば、
感情が正しく働くようになります。

中には、ボーダーライン(境界性)人格障害、ヒステリー、自己愛性人格障害に代表されるような場合もあります。
その際はより専門的な治療が安心できる環境でなされる必要があります。




次の機会には、感情を理解する具体的な方法をお伝えしたいと思っています。

2012/08/28

落ち込んだ時、神に聞く

        ジル・ブリスコー

何カ月もの間、ずっとプレッシャーにさらされたことがありますか?
私たちは、重大な霊的問題や人生の危機にそれほどしばしば直面するわけではありません。
けれどもそれは同時に、自分がどうして落ち込んでいるのか、原因に私たちが気づいていないともいえるのです。

少しの間、今あなたが生活のどういう分野で葛藤を覚えているか考えてみてください。
項目を挙げて、イエス様と一緒にながめてみてください。
不定愁訴、信仰から離れている子供のこと、困難な結婚生活などに直面しているところかもしれませんね。あるいは仕事が見つからなかったり、慈善寄付を無理に頼まれていたりするかもしれません。

私たち夫婦は主に仕えてきましたが、夫は奉仕で留守がちでした。
それでも、日常の仕事は全て普段どおりにこなさなければなりませんでした。
私たちの定期収入は生活していくのに不十分だったので、よく他の人からの献金や寄付に頼らなければならないことがありました。
私は自分がどれほど葛藤を感じているかを自覚していませんでした。

ある日私は青年伝道のためにピアノの献品を募りました。
電話が鳴りました。面識のある、非常に裕福な女性からでした。

「ジル、ピアノが必要だという広告を見ましたよ。」
私はわくわくして、ピアノがもらえる!と思いました。

ところが、その女性は続けて、
「うちでは最近新品のスタインウェイピアノを買いましたの。ですから、これまで使っていた古いピアノをそちらにどうかと思いまして」と言ったのです。
長年使った、古い安物のピアノをくれるというのです。
私はすかさず、「いいえ、結構です」と答えました。
「あなたのその新品ならください!」

沈黙の後、冷たくそっけない返事で電話は切れました。
受話器を握りしめながら、私は何ということをしたのかと思いました。
当然、どちらのピアノも手に入りませんでした。

思い返すと、当時のストレスと人々に頼らなければならないという状況が私にそうした反応をさせたのだと思います。
限界に達するところで、私は燃え尽き寸前だったのです。

日々のストレスの中で肉体的にも霊的にも落ち込んだ時、どのようにして霊性を維持することができるのでしょうか。


睡眠をとる。

時には、質の良い睡眠をとることさえできれば落ち込みが解決することがあります。
休息し、疲れを回復させる時間を持つ必要があります。

リラックスすることは私にとって仕事と同じです。時には文字通りカレンダーに
「木曜4:30、楽しいことをする」
と書いておかなければならないほどです。


神に聞く時を持つ。

私たちは神様の声に耳を傾けなければなりません。
神様の細い御声を聞くことのできる場所に身を置く必要があります。
私たちには独りになれる場所が必要なのです。
あなたにはそのような場所がありますか?

もし物理的に独りになることが難しければ、心の中でそうした場所へ行ってください。
騒音や人の喧騒から離れた場所です。
苦しい状況にああっても、私たちは神に聞くことを学ばなければなりません。


”日々の試練の中でも、いつも私に必要な日々の恵みがある
疲れの中で神様がかぐわしい方法で養ってくださる
緑の牧場と聖霊の流れの川で

日々の試練の中で、自分には関係のない祝福を運んでいると感じる
面白くない働きに疲れ、奴隷のように感じる

もし目をあげて神のくださる杯を飲めば、
神の与えたこれらのことがどれほどいやで辛くても
神は私の態度を変える力を持っておられる

その時私はこの困難こそ神からの贈り物だとわかる
もしこれほど低くされなかったら、どうして今より高くなることができようか”



イエス様を思う。

主イエスは私たちのリビングと同じくらいか、それより狭い家に滞在されました。
だから荒野や丘や美しい園に定期的に出て行かれました。多くの場合群衆に囲まれていたのでどこかに「退かれる」しか選択肢がありませんでした。

 私たちが覚えておくべき一つのことは、私たちは人々に仕えているのでも、会社や組織に仕えているのでもないということです。すなわち、私たちは神様に仕えているのです。
このことを忘れずにいるなら、神様は私たちに力を与えてくださり、日々のトラブルや葛藤をご自身の栄光のために用いてくださるのです。



2010/12/30

燃え尽きからの回復 Beating Burnout

燃え尽き(バーナウト)に陥らないために:働きすぎず、休息をとることを学ぶ
 Athlee Bowman

左の耳に犬のクーン、クーンという鳴き声が聞こえ、私は夢の世界から目覚めました。片目を開けたものの、もう一度目を閉じ、私はうーんとうなりました。もう夜は明けていましたが、起きる気になれませんでした。ただ、犬が茶色い目で訴え、外に出たがって鳴いているらしいということを除いては。

毎日がこのように始まりました。身体が重くてたまりませんでした。でもしなければならないことがあります。私は洋服をつかみ、よろよろと階下に下りていき、犬を外に出してやり、浴室まで足を引きずって行きました。
私は燃え尽きていました。私の心の内側は、恐ろしい妖怪にやられてしまったようでした。幸せが感じられず、不安が恐れへ、悲しみが落胆へとなり、とんでもない時に怒りがわきあがり、常にひどい疲れを覚えていました。

何が起こっているのかわかりませんでしたが、とにかく自分が働き過ぎだということはわかっていました。けれども日本で働く宣教師としては、働きすぎは珍しいことではありませんでした。分刻みのスケジュールで動く、この社会に適応しなければなりませんでした。第一、私がしなければ他に誰がするのでしょうか?家事をこなし、子ども達の勉強を見てやり、教会で奏楽をし、英語クラスで教え、特別集会を計画し・・・。すべきことは無限にありました。そしてそれらは全て、私がしなければならないことだったのです。

ある蒸し暑い日曜の午後、それは起こりました。クローゼットのように狭いキッチンで、献身的な姉妹と私とは持ち寄りパーティーの料理を準備していました。目を開けたままシンクにもたれて休んでいると、5歳の息子が私を後ろから押しました。彼は手伝おうとしたのですが、実際にはシンクのはるか下で泡を飛ばしているだけでした。「あっちに行きなさい!!」彼をキッチンから追い出しながら、私は叫んでいました。家に帰る時も感情が高ぶってどうしようもありませんでした。

私は恐れを感じました。もはや些細なことでさえ、コントロールできなくなっていました。何もかもやめて、まる1年くらい眠り続けたい気持ちでした。

やがて神様は恵みをもってこの状態に介入してくださいました。私が崖っぷちにぶらさがっているような状態であることを、神様は知っておられました。そして主のタイミングは完全でした。私たちの属する団体が心理学者の「ダン博士」を招き、彼は春の集まりで燃え尽きについて話してくれたのです。私たちには仕事の限界を設定することと、休息の時を持つことが必要だと、彼は語ってくれました。多くの参加者が「休暇については?」「一人で働いている場合はどうしたらいいのか?」と質問をし、自分たちが抱え続けなければいけない仕事の数々を数え上げました。

ダン博士は腕を組み、質問する人たちの目をじっと見て、忍耐と情熱をもって静かに聞き続けてくれました。ところが彼の答えは短いものでした。「あなたがたには選ぶ権利があります。ストレスは燃え尽きにつながり、燃え尽きると鬱になっていきます。それでは、次の質問の方。」

それを聞いて私は「選ぶ権利ですって?私には本当にそんなものがあるのかしら」と疑問に思いました。その日、私は神様に助けを求めました。

神様の答えであるもののそれに反対する思いで混乱し続けました。「誰かがその仕事をしなければならないのに。自分が休んでもいいの?それでも、神様の仕事をしていると言えるのかしら?」
夫は私のジレンマを理解してくれました。そして「君はノーと言えるようにならなければ」と何度も言ってくれました。
「でも、他の人たちはどう思うかしら。」自分の思いを探っていくうちに、人々を喜ばせなければという思いが私の問題なのだと気づきました。

神様からの答えを求めていると、4つの主要な問題が浮かびました。


1.神の御心をゆがめて受け取ること。

私は神様の御心に焦点をあて、それ以外に「ノー」という必要がありました。もちろん私はキリストの仕える姿勢(ピリ2:5-7)にならいたかったのですが、自分の姿勢との違いを見落としていました。イエス様は全てについて謙遜に父なる神様の御心に従われたのです。私はすべての人々の必要に答えようとしていたのですが、イエス様はあわれみを示される時、人の要求に左右されませんでした(ヨハ6:14-15)。
神様の御心に従うためには、今している奉仕よりも神様ご自身をいつも見つめていなければなりません。つまり、人々を喜ばせるのではなく、神様を喜ばせる者になることです。ローマ12:2は「この世の行いや慣わしを真似るのでなく、神によって新しい人に変えていただきなさい(NLT訳)」と述べています。


2.  他の人からの大きな期待。

私は自分の心の底を探る必要がありました。そして、他人からの大きな期待と、それによって生じた私の隠れた怒りとを捨てました。うつにつながる燃え尽きの主な原因は、抑圧された怒りだと学びました。ミナース&メイヤー共著「『うつ』をやめれば、楽になる(原題Happiness is a Choice)」によれば、「したくない思いを持ちながら行動することが、うつの大部分をもたらす」ということです。

「でも、私は違います。私は怒っていません・・・ああ、でも・・・もしかしたら怒っているかもしれません」痛みと怒りが頭の中でぶつかり葛藤しました。「他の人たちは私にいろいろと頼みながら、自分たちは何もしていないでいることに怒っています。」私の怒りは、私自身の高い期待によるものでした。どんな人でも期待は持っていますが、多くの人たちはそれに気づかずに宣教の働きに入ります。私も例外ではありませんでした。周りの人たちがスーパーマンのようなクリスチャンになってほしいと期待し、それが裏切られては人々を責める思いになっていたのです。私は未解決の抑圧された怒りをリストアップし、神様に他の人々を許せるよう助けてくださいと願いました。不可能に思えましたが、祈りと思いをコントロールすることによって、私の怒りは徐々に消えていきました。


3.人間関係におけるバウンダリー(境界線)があいまいなこと。

「境界線(バウンダリーズ)」という本で、ヘンリ・クラウドとジョン・タウンゼントは「明確なバウンダリーを設定することが、健全でバランスのとれたライフスタイルには不可欠です。バウンダリーとは私たちが何について責任を持つのかを決定する個人の所有権の境界線です」と述べています。

私には他の人との間にあいまいなバウンダリー(境界線)しかありませんでした。ですから、生活のどこかである境界線を引くことが必要でした。「心を尽くして、あなたの神である主を愛せよ・・・あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ(マタイ22:37-38)」という2つの黄金律を思い出すことが、私のバウンダリー設定の基準となりました。
私は神様の思いを第一にして神様を愛します。そして人々を愛しますが、それは人の期待に応えるのでなく、その人にとっての最善を考えて愛します。バウンダリーを設定することにより、自分自身を愛し、肉体的・精神的にまいってしまうことを防ぐのです。

4.  人生における喪失を悲しむ時を持つ。

私には悲しむ時間が必要でした。母とは死別し、娘は私が燃え尽きるのと同じ年に進学のため家を離れました。私は悲しみを紛らわすために以前よりも忙しくしました。窮地に陥った時、私はその悲しみを別の方法で乗り越えなければならないとわかりました。働けば、家族との死別や離別で開いた穴が埋まると思っていました。けれどもそうではなかったのです。嘆き悲しみ、神様の腕の中で憩う時を持つことが心の喪失を癒してくれるものだったのです。


ダン博士のストレス講座と私の平安探しが始まってから6ヶ月がたちました。太陽が再び昇りました。私の精神的な暗闇は遠くに消え、燃え尽きは過ぎ去りました。「希望」という名の喜びが思いの中に再び戻ってきました。その朝夫は私の変化に気づき、私を抱いて「お帰り」とだけ言ってくれました。
燃え尽きからの回復はたやすいものではありませんでした。時々それは暗いトンネルの中のぬかるんだ道のようでした。けれども、神様はいつも私のそばにいて、私を教え、私を引き上げ、そして微笑みながら道を照らし、希望を与えてくださったのです。

2010/09/14

二重の生活~笑顔の陰の真実~  

           

              ジェニファー・ピーターソン  



 その晴れた12月の朝は日曜日で、からっとした天気のよい夜明けを迎えました。でも、トイレのドアを閉めた向こうで、私の心は嵐のようでした。吐き気とめまいで倒れるのではないかと思いながら、目の奥からのひどい頭痛を覚えていました。

 「無理だ、ひどいことだ。だれもわかってくれないだろう。がっかりするだろう」

何とか教会に行く準備をしようとしていると、頭の中でその声がこだましました。着替えて化粧をし、ヘアスタイルをととのえると同時に、2人の子供に食事をさせ、顔をふいてやり、服を着せ、礼拝に間に合うように家を出なければなりませんでした。「何を考えていたんだい。気でも狂ったのか。おまえにはできない、できない・・・。」

 何とか床から立ち上がろうとすると、その朝3度目でしたが、吐き気のためにまたしゃがみこみ、心臓が激しく音をたてていました。私は「サタンよ、退け。私がしようとすることを、お前はとどめることができない。主よ、助けてください!」と叫びました。

 夫はいつものように、日の出前にすでに教会に行っていました。子供を連れて教会に時間どおりに行くのは私の責任でした。しかし、これはいつもどおりの日曜の朝ではなかったのです。この日の礼拝で、夫が8年間ユースパスターとして仕えた会衆の前に立ち、私たち夫婦はそこを離れることを告げようとしていました。また同時に、私たちの生活についての辛く、情けない事実について話そうと考えていました。

 私は悪魔がこれをやめさせようと直接攻撃してきているのだということを十分理解していました。正直に言うと、ベッドに戻って布団をかぶって隠れていたいというのは私の思いの一部でもありました。でも、サタンは勝利しませんでした。イエス・キリストはこの12月の朝に勝利をとってくださったのでした。

 私が自分の仮面をはずし、笑顔の影に隠していた真実を明かす時だったのです。私の生活はうつとアルコール依存という危険な悪循環を繰り返していました。

 ごく数人の親しい友人でさえ部分的にしか知りませんでしたが、私は二重の生活をしていました。私の秘密はアルコールとの闘い、心配とうつとの葛藤、時々死んでしまいたいと思うほどの暗い気持ちでした。この日曜に先立つ何週間か、私は浴びるようにお酒を飲み、拘置所で一晩を過ごし、運転免許を取り消されてしまいました。絶望的な状況だったといえるかもしれません。

 頭がはっきりしている少しの時間の中で、神様はこの状況を回復させるための第一歩となるご計画を私に示してくださいました。それは、私が会衆の前で自分の罪を告白しなければならないということでした。夫婦として、私達は教会の家族からのサポートと祈りが必要だと認めなければなりませんでした。夫は若者へのミニストリーをやめ、第一の最も重要な召し、つまり自分の家族への牧会をする必要があったのです。

 私達夫婦は、自分達の生活が全くバランスを欠いており、コントロールできていないということがわかりました。夫については、家族との大切な時間を犠牲にして、若者への宣教に没頭していました。私はだんだんと孤独を感じ、彼に捨てられたような気持ちを慰めるため、アルコールに走りました。学生を牧会するために彼が夜や週末に出かけると、私は自己憐憫と孤独をワインで慰めました。時間がたつにつれ、アルコールが夫に対して感じ初めていた苦い思いや憤りの感情をまひさせてくれるので、それにますます依存していくのがわかりました。「彼にとっては教会が一番、子供や私はその次だわ」というのが私の呪文のようになりました。

 同時に、私は「全てが順調だ」というふりをして日曜の朝や水曜の夜教会に行っていました。聖歌隊で賛美しました。別の時には、青年たちを支えるために手助けをしました。家にいる母親たちのためにスモールグループまで始め、5年間も定期的に続けました。外での生活と家の中での生活のギャップはだんだんと大きくなり、私は内面から引き裂かれるようでした。

 この偽善的な生き方を思うと、罪意識、恥意識、嫌悪感が洪水のように押し寄せてきました。二重の生活をし続けるのは、肉体的にも情緒的にも、そして霊的にも疲れ果てることでした。そこで、人生の困難をアルコールで処理するのを必死にやめようと思いました。自分が罪の中に生きており、アルコールが人生の偶像になっているとわかりました。この罪はイエス様が私と親しい関係を築くための妨げになるとわかっていました。やがて、これは死と滅びへと続くものだとわかっていました。でも、この悪の要塞が自分を誘惑し巻き込むのを許し続けていました(ヤコブ1:14-15)。

 私はこの葛藤の一部を自分のスモールグループにいる何人かの女性に分かち合いました。でも「恐ろしい」詳細についてはいつも伏せていました。私はあまりにも多くの秘密を持っており、それらは精神的な苦痛と中毒という傷をもたらしました。ずっと前にどこかで「あなたは自分の秘密と同じ大きさで病んでいる」というのを読んだことがあります。まさに真実です。私の秘密はもうすぐ明らかにされようとしていました・・・。



私はその朝、自分の身体的・精神的な弱さと格闘しました。神様はこの惨めな有様を終わりにする方法を、少なくとも今の状態を正す方法を備えてくださるとわかっていました。私は12月のその朝、家を出て教会に行きました。サタンは負けそうになっても別の手段を持っていました。闘いを挑まずにやめることはありませんでした。しかし、私は自分の中のある部分で詩篇8:6にあるサタンを私の足の下に置くという約束にしがみついていました。

 私はキリストにあって受け継いだもの、愛する神の子としての油注ぎをしっかり握っていました。私はその会衆の前に立たなければなりませんでした。神様は暗闇の中から私を呼び出してくださっていました。私は光の中にふみこまねばなりませんでした。

 その日曜の朝、私たち夫婦が仕えるよう召された人々の前に、私は心を注ぎだしました。口から言葉が出るときに、私は超自然的なきよめが心の中で起こっているのを感じることができました。開いた傷口のように、痛み、ひりひり燃えるようでしたが、私はさらに深く話し続けました。自分の依存症や、誤った判断のために法律上のトラブルを起こしたことも告白しました。苦み、怒り、うつに陥った霊的な状態も明らかにしました。

 夫はいつも自分がミニストリーの目標を追い求め、家族を犠牲にしていたことを認めました。彼はユースパスターとしての役割を一時的に退き、家族を正しく導きたいと述べました。私達が話し終えると、会堂には重い沈黙が流れました。

 主任牧師が立ち上がり、だれでも私達夫婦の上に手を置いて祈りたい人は前に出てくるようにと言いました。まもなく、人々が私達に手を置いて祈るために前にやってきました。私達夫婦は頭を垂れて座っていましたが、周りで祈りが始まり、多くの手が私達にふれているという重みと暖かさを感じることができました。老若男女を問わず、私達のためにそれぞれが祈りました。後で聞きましたが、誰も自分の座席にいなかったということです。教会にその日いた全員が前に出てきて輪になり、それぞれが手を置いてくれました。私達はその手に触れられ、聖霊の力を受けることができました。



 4年がたちましたが、私はその朝のことを心にとめています。あの経験を通して、私は人々の集まり、告白、回復について重要なことを学びました。第一に、私達は人々の集まりの中で、他の人々と共に生きるように造られているということです。孤独は危険であり、人生から喜びを奪ってしまいます。第二に、告白は人々の集まりの中で必要なものだということです。危険が伴いますし、痛みもありますが、癒しの過程に入るのに必要です(ヤコブ5:16)。

 時には、真実で本物のコミュニティーを生み出すために、ある人の最も深く暗い部分が明らかにされなければならないことがあります。どんな人にもストーリーがあります。最後に、神様は力あるお方で、どんな人生や罪深い状況でも回復させたいと願っておられるということです。私の回復の恵みは、私がいたコミュニティーを大切にし、告白という訓練を実践したときに初めて受け取れました。その時にのみ、私は自分の人生において、真実で持続的な癒しの始まりを手にしたのです。



どのようにして仮面をとりますか?



 この胸を打つ記事を書いた人のことが理解できますか?心の痛みを隠すことをやめたいという思いは、神様が与えてくださるものです。多くの人にとっては、どのように隠していたものを明らかにすればよいのかが課題でしょう。以下に示すいくつかのステップと情報は、その過程を始める助けになるでしょう。



  1. 神様に自分の痛みがどれだけかを言い表してください。あなたの秘密を神様に打ち明けてください。もし声に出して祈るのが難しいなら、書き出してみてください。神様は全てをご存知で、あなたを心から愛しておられます。神様に秘密を打ち明けることは、信頼と礼拝の行為です。このステップをふむことは、自分自身を理解し、他の人に痛みを打ち明けるための助けとなるでしょう。
  2. だれか一人にあなたの痛みと葛藤を打ち明けてください。祈りつつ、誰に打ち明けるのが最も適当かを考えてください。愛があり、共感力があり、秘密を守り、あれこれ指示することのない人が適当です。 もしそのような人がいない場合は、外部に助けを求めることを考えてください。配慮や共感を持って聞いてくれるような他の教会やキリスト教団体がありますか。もしあれば、電話をしてどうすればよいか問い合わせてください。
  3. もし住んでいる地域に助けがない場合、後述の団体に相談してください(アメリカ国内の団体)。

 会衆や教会のリーダーシップの状態により、時には、全ての会衆の前で告白する必要がない場合、むしろ適切でない場合があることを覚えておいてください。まずあなたが最初に打ち明ける人が、最善の方法を考えてくれでしょうから、もし必要があれば、さらに多くの人の前で告するとよいでしょう。不必要になされたり、告白を受け止めることのできない人々の前で「告白」という名でなされたことは、大きなダメージを与えます。

 このプロセスの間、癒しのために神様があなたの前においてくださった方法を受け入れられる心でいてください。専門家のセラピー、医療、休養、そして深い霊的な友情はあなたが自由になるために相互に働き作用しあうのです。



連絡先(アメリカ国内の場合)

American Association of Christian Counselors (AACC) ? www.aacc.net

Open Hearts Ministry ? openhearts.gospelcom.net/

Celebrate Recovery ? www.celebraterecovery.com



by ジェニー・ヘックマン M.S. in Marriage and Family Counseling



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ジェニファー・ピーターソン(Jenifer Peterson)は夫とともにミシガン州ホーランドで学生伝道に携わっている。また、牧会ケアの専門家でもある。結婚16年で、2人の子供がいる。



Copyright 2008 Jenifer Peterson. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045.

バランスのとれた人生とは Balancing Act 

JBU誌の編集スタッフが語る、 人生の季節をよく生きること 聞き手 Ann M. Cook 私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。 家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。 たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。 JB...