ラベル ライフスタイル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ライフスタイル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025/02/11

バランスのとれた人生とは Balancing Act 


JBU誌の編集スタッフが語る、
人生の季節をよく生きること

聞き手 Ann M. Cook


私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。
家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。
たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。
JBU 誌のアーカイブ記事の中に、2002 年夏号(この記事の21年前)「バランスのとれた人生」というインタビューがありました。
このテーマは、当時と同じく今日の女性にも当てはまります。
JBU誌 のスタッフである メアリー(Mary Perso)、スーザン(Suzan Braun)、シェリー(Shelly Esser) が、人生のさまざまな時期を通じてどのようにバランスをとり続けているか、以下に最新のディスカッションをお楽しみください。


JBU: あなたにとって「バランス」とは何でしょう。あなたの人生ではどんな感じですか?

メアリー: 秩序の感覚だと思います。
バランスがとれているとは、必ずしも忙しさがないというわけではなく、深い所に平安があることです。
バランスの取り方は人生の時期によって異なります。
イエスの人生、特に公生涯は、私たちがバランスと考える生活にはまったく当てはまりません。イエスは父の声を聞き、それに従うと決意していました。彼は過激でした!

スーザン: バランスが取れるのは私にとって不可能だと感じることが多いです。
他の人の生き方を見ると、よく「本当にうまくやっているなあ...私には絶対に無理だ」と思います。
私は比較の罠に陥らないよう気を付ける必要があります。なぜなら、他の人は私よりもずっとうまくやっていると思う傾向があるからです。

シェリー: バランスを取ろうとして、間違ったことに集中しすぎてしまうことがよくあります。
クリスチャン生活にあたって、神が私たちに望まれることを個人的に求めることが大切なのですが、それに対して、この社会は手っ取り早く簡単にできる方法を求めるように私たちを訓練してきました。
バランスそのものを求めることによってではなく、私たちの人生に対する神のみこころを求めることによって、よいバランスを見出せると思います。

マタイ6:33は、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられます」と述べています。
私たちに必要な「これらのもの」とは、まず神を求めるときに与えられます。そしてそれには何をすべきかも含まれます。

人生を通して、神が私に焦点を合わせるように願われることは絶えず変化してきました。
昨年私が焦点を合わせたことは、今日私がしていることとは異なります。
だからこそ、私たちの人生に対する神のみこころを日々求めることがとても重要なのです。
伝道者の書 3:1 は、「すべての事に時がある」ということを思い出させてくれます。
人生のある時点でうまくいくことが、別の時期にはうまくいかないこともあります。


JBU: 奉仕、家族、その他の要求のバランスを取る上で、何を学びましたか?

メアリー: 母親であり祖母であることは大きな喜びです。どちらも崇高な使命です。
夫と私は、宣教に献身していると感じており、常にお互いを尊重しようとしています。
夫は、私が神の召しを行えるように、多くのことを諦めました。
一方、夫が教会の役員になるよう頼まれたとき、私は多くのことを手放し、彼が神から召されたことに集中できるようにしました。
もっともこれらはよく考えねばならないことです。なぜなら、ついつい献身「しすぎて」しまうからです。

今は子育てが終わり、新たな人生の時期を迎えています。
私は Just Between Us編集部でフルタイムの責任を持ち、夫はこれまで以上に地域活動に携わることができます。
息子たちはそれぞれ素敵な家庭を持ちました。高齢の両親の世話をする時期も過ぎました。私たちの健康は守られています。
どれだけ続くかわかりませんが、私たちは人生のこの時期を心から楽しんでいます!

スーザン: 夫と私は分担しながらやっています。
私たちはどちらも離婚した家庭で育ったので、家族を優先することは常に重要でした。
子供を育て、祖父母となり、年老いた両親の面倒を見る中で、私たちはしばしば「完璧ではない」と互いに言い聞かせなければなりませんでした。
さまざまな方向に気持ちが向くことが多いので、現実的な期待にとどめるのを助けてくれます。

もう70歳間近なので、仕事、ミニストリー、家族への役割がさらに重くなっています。
5人の孫と共にいるのは、へとへとになる位素晴らしいことです。
彼らの人生に影響を与える機会を大切にしています。
「私が年老いて白髪になっても、私の神よ、私を捨てないでください。あなたの力を次の世代に、あなたの大いなるみわざを来るべきすべての者に告げるまで」(詩篇71:18)。


シェリー: 一度にすべてを手に入れることはできません。神がある活動を延期するようにと望まれていることに気づかず、ある時期にすべてを詰め込もうとすると問題が発生します。
延期しても私たちがそれらのことを二度とできないというわけではなく、それが今はできないという意味です。
この真理は、私の 2 番目の娘が幼稚園に通っていたときに、心に深く覚えました。

私は、やりがいのある奉仕を断るのに苦労していました。でもイエスと言い続けたら、娘たちにとって神が望まれるすべてをこなせません。
車で家に帰り、また母親としての義務的な日常を果たしているように思えたとき、娘が言いました。「ママ、どうやってクリスチャンになるの?」
その夜、彼女は寝る用意をしているとき、イエスを心に受け入れました。
神は、私が探していた「すべて」をその瞬間に示されました。
人生の別の時期にすることを急いでしていたら、娘との永遠の瞬間を逃していたでしょう。
毎日、神のみこころを求めることが全てです。


JBU: 家族のバランスを保つために、どんなことを実践してきましたか?

メアリー: 子どもたちがまだ家にいた頃は、十分ではありませんが彼らを巻き込んでいました。
外で働くということは、私がすべてをこなすことができないということでした。
そこで、息子たちは交代で洗濯物を仕分け、やがて自分で洗濯をすることを学びました。
また、夕食を作るのを交代で手伝ってくれました。(今では、二人の息子は料理上手です。)
家事当番表を作るのも役立ちました。
子どもたちを家族の責任に巻き込むことは、負担を減らすだけでなく、子どもたちの成長と成熟のためにも重要です。

スーザン: 子どもたちには好きなことを何でもしなさいと言っていますが、やりたいことをすべてできるわけではありません。
ノーと言うのは大変ですが、誰にとっても必要なことです。
祖母がかつて「1 つのことにイエスと言うなら、他のことにノーと言うのだ」と言っていました。私は子どもたちによくそのことを言います。

シェリー: 4 人の娘が生まれるたび、その時はできない活動を神の前に手放しました。
子ども1 人のときと、2 人以上のときではできることが違いました。
新生児がいる 1 年間は、なるべく外の活動を控えました。
といっても、子どもの成長期もずっと、私はミニストリーを続けてきました。
できる奉仕の量は常に変化していましたが。

家族の用事が多いと、配偶者をないがしろにしがちです。
敵は、子育ての忙しさに乗じて夫婦関係を弱めようとしてきます。
特に子どもが生まれてからは、夫と少なくとも年に 1 回は 2 人きりで過ごす週末を持つようにしました。
また、子どもが小さく経済も限られていたときは、家具の修理を始めました。
子どもが寝た後、地下室に行って家具を修理しました。
どの夫婦も、一緒に楽しめることを見つける必要があります。


JBU: バランスが崩れていることに気づくのはいつですか。どう修正しますか。

メアリー: バランスが崩れているのは家にいるとわかります。イライラしたり、神経質になったり、いらいらしたりします。そうしたら、何がバランスを崩しているのかを突き止めなければなりません。

子どもたちが小さかったときは、みんなで協力して 15 分間、1階の部屋を掃除し整頓するだけで本当に助かりました。今も同じです。
今は、成人した子どもたち夫婦、孫など、みんなが家に集まり、混乱で圧倒されそうになったとき、協力して家事ををすることで同じ効果が得られます。
家族の予定がいっぱいになってストレスがたまったら、予定をキャンセルします。

スーザン: 家族の当たりがきつくなったとき、バランスを崩しているのがわかります。
家族は私の安全な避け所であり、最もはけ口になりえます!
私は独りになるようにもしています。
また、普段は習慣となっている仕事や責任が、重すぎると感じることがあります。
この 2 つが起こり始めたら、自分に優しくし、助けを求める必要があることを認め、主とともに賛美と礼拝の時間をとるようにしています。
この習慣は、心の緊急事態を静めるのに役立ちます。


JBU: 単なる忙しさでなく、バランスを保つにはどうすればいいでしょうか?

メアリー: 今までに受けた最高のアドバイスは、イエスがすべてをやり終えずに死なれたことに気づかせてくれた、牧師からのものでした。
癒されずに残された人々、貧しいままだった人々、イエスを知らないまま残された人々がいました。
イエスが、多くのやり残しがあったにもかかわらず、自分の仕事は終わったと言われるのならば、私たちも同じようにできます。
それは私にとっての転機であり、決して忘れないでしょう。

忙しすぎるサインの 1 つは、忙しさに伴う不毛感です。
喜びがなくなり、むなしい気持ちになることがあります。
主との交わりの感覚が失われ、他の人との関係がぎすぎすすることがよくありました。
年をとってよかったことの1 つは、神が私に与えてくださった賜物がわかることです。もう「ノー」と言うのに苦労しなくなりました!

スーザン: 年齢を重ね、経験を積むにつれて、常にすべての人を幸せにしておくことはできないと気づきました。
人を喜ばせようとする私は、自分の決断や選択が家族を含め他の人をがっかりさせることがあっても、物事を手放すことを学ばなければなりませんでした。

シェリー: ミリー・ディーナート(Millie Dienert)はかつてこう言いました。
「聖霊に導かれていない活動は、ただの多忙に過ぎません。」
忙しさには細心の注意を払わなければなりません。
忙しさは、人生を喜んだり最も重要なことをしたりする妨げになるからです。
私は常に自分のすることを主の前に持っていき評価するようにしています。そうして、主に導いいただきます。
主は私に何が運べて、何を運べないかをご存知です。


JBU: 重荷を下ろして休息するにはどうすればいいでしょうか?

メアリー: 何が喜びを与えてくれるのか、何が自分を元気にしてくれるのかを知ることが重要です。
子どもたちが小さい頃、彼らの感情のタンクを満タンにしておくことが大切だという話を聞いたことがあります。
これは子どもだけでなく、すべての人にとって大切です!
自分が疲れ果てていたら、他の人に与えることはできません。
リフレッシュし、元気を取り戻す時間が必要です。
マタイ11:28-30 を黙想し、降ろすべき重荷を列挙するとよいでしょう。
それらは私たちが背負うべき重荷ではないことを思い出させてくれます。
イエスは、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いと言われました。

スーザン: 時折リフレッシュが必要だと感じます。どこにも行けないときは、今通っていることを主に継続的に話すようにしています。
聖書や慰めの詩篇を読むこともあります。
多くの場合、その後数時間、数日間は、環境は少しも変わっていなくても、神様が私に平安を与えてくださることに驚きます。
不安を神様に話すだけで、安らぎとリラックスへと導く平安が得られます。

シェリー:平安というのは、心配ごとをキリストに委ねるときに得られます(1ぺテロ5:7)。
神様のおかげで、4つの大きなプロジェクトの締切が同時に迫っていても平安でいられますし、電話が鳴り、子供たちが泣き叫ぶ中でも、ある種の静けさを楽しむことができます。
心配事が迫ってくると感じるたびに、それを神様にお返しするようにしています。
ある日は、ずっと心配事が続くかもしれません。
でも、定期的にみことばに頼り、力を得、正直に祈る時間を過ごして神様に心を向け続けると、平安ががやってきます。
もちろん、身体の休息も必要です。
ストレス解消に自転車に乗ったり、賛美歌を聴いたり、ジャーナリングをしたりと、楽しんで心身を休められる短い「休憩」を生活の中に取り入れるようにしています。


JBU: 2002 年の夏以来、バランスについて何を学びましたか?

メアリー: 年を取ることには多くの利点があります。
主と共に長年歩んできました。これまでの歩みがこれからの歩みより長かったので、本当に重要なことに焦点を合わせることになります。
より積極的になり、悪循環に陥らないようになりました。

スーザン: 子どもが育ち祖父母になったら、人生はもっとリラックスできるだろうと以前は信じていました。
そうではありませんでした。
どの季節も忙しいものですが、満足感を得るための鍵の 1 つは、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリストイエスの日までにそれを完成させてくださいます」(ピリピ 1:6) です。

神は今でも私の人生に目的を持っておられ、神をペースメーカーとして信頼し続ける限り、これからの日々や年月を笑顔で迎えることができます!

シェリー: バランスを取るためにセルフケアを含めるのはよいことです。
娘たちが結婚し、母親になり、年を重ねる歩みを見ていると、私が気づかなかったことに気づいています。
彼女たちは、楽しみや休憩、ネイルサロンへの旅行さえ、うまく取り入れています。私がそんな時間があるとは思ってもいなかった、あるいはしてよいとも思っていなかったことです。
慢性疾患を患う子どもと夫や他の家族の世話をしながら、定期的に自分の世話をしないで何十年も生きてきたため、私は何年も消耗し、とうとう燃え尽き、喜びを失い、再び自分を取り戻すための助けを必要としていました。
(イエスとカウンセラーの両方を必要としても大丈夫です!)

私の回復は、セルフケアをすることを神が望んでおられると理解したことに始まりました。
私たちは空っぽのまま、人生のすべてをケアすることはできません。

セルフケアをすることは聖書にも書かれています。
神は安息日という休息日を創造し、私たちが週のリズムの一部として元気を取り戻せるようにされました。
イエスはそれに従われました。
よく山に退き、エネルギーを補給し、神とつながりました。
セルフケアは、生活のあらゆる部分を適切に管理することです。
なぜなら、神から与えられた目的を果たすためには、絶えずエネルギーを補給する必要があるからです。
私は毎週、友人に電話をかけたり、森の中を散歩したり、聖書の学び以外の良い本を読んだりするなど、なにか楽しいことをするようにしています。
セルフケアは、神に栄光を帰す、よりバランスのとれた生活につながるのです。

女性として、私たちは自分のニーズよりも他の人のニーズを優先するようにできています。
自分のために時間を取るのは霊的ではないと考え、罪悪感を感じることがよくあります。
しかし、神が私たちに与えてくださった目的を生きるのであれば、自分をケアすることは贅沢ではなく、必要不可欠なことです。
バランスは私たち一人一人にとって異なりますが、神は私たちが人生のあらゆる時期を祝福のうちに過ごすことを望んでおられます。

2025/02/08

意図的な休息、その恵み


人生を回復し、新たな力を得、魂を整える。


Catriona Futter



「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
 
イエス様はこう言われました。私たちの多くにとって、とても馴染み深いことばです。
しかし、もう少し詳しく知りたいと思うことがあります。
「イエス様、それは一体どういう意味ですか?私には効かないんです。疲れ果てています。」

私は精神的、感情的なエネルギーがいる人生の時期にいます。
2人の娘はどちらも遊学中です。
ここ数年は、娘たちが卒業試験を通過し、アートポートフォリオや大学の願書をまとめ、課題と共に家を出るのを手伝うのに忙しくしていました。
私はこれらの変化がよいことだと十分理解しており、感謝しています。

しかし同時に、自分が疲れ果てていることも知っています!
睡眠は休息をもたらすと知っていますが、なかなか心が落ち着かないときは、寝るのが難しいことがあります。
またぐっすり眠れたとしても、それで心、魂、精神を回復させることはできません。

私は、疲れの感じ方がいろいろあるのと同じように、休息の形もいろいろあるということに気づきました。

サンドラ・ダルトン・スミス博士は、7 つの異なる休息の型を提唱した医師です。
彼女の著書「聖なる休息(Sacred Rest)」を読み、彼女の Web サイトを紹介してもらって、これまでの人生で得られなかった多くの疑問の答えを解き明かす鍵を手に入れたような気がしました。


7種類の休息

私たちはしばしば、「休息」を身体的な休息や長めの睡眠を取ることととらえがちです。
しかし、この狭い「休息」の概念は、的外れなことがあります。
それは私たちの身体、心、魂の疲れに対する万能の解決策ではありません。

7 種類の休息の多様な概念を理解することで、疲れた魂に自由と希望がもたらされ、意識的な休息に満ちた生活を送ることができるようになります。


ダルトン・スミスによって定義された7種類の休息(www.dradaltonsmith.com/resources) は、以下の通りです。

1 肉体的な休息。

これは、よく知られている休息です。
身体を休めるということは、体を回復のためにリラックスさせ、緊張を和らげ、睡眠の質を高めることです。
私たちの体は驚くべきものです。
当たり前のように捉えがちですが、身体を休めるということは、断片化された私たちの体を、積極的で前向きな方法で再統合するように意図的に用いることです。

私は、自分の体が何を欲しているかに注意を払う習慣がありませんでした。
しかし、すぐれたピラティスのインストラクターが、体の緊張している部位を意識し呼吸や姿勢を変えることを、ストレッチによって意識的に行うよう指導してくれました。
まだまだ練習中ですが、とてもよいことです。


2 精神的な休息。

私たちの脳は、To-do リスト、細心の注意が必要な仕事、考えすぎる習慣、自己批判、終わりのない計画などで、常に負荷がかかりすぎています。
この精神的なノイズが私たちを疲れさせ、集中力を低下させます。

精神的な休息とは、その雑音を止め、心にかかり過ぎた負荷を取り除くことです。
特に画面を見る作業では定期的に短い休憩を取ることと、一日の終わりに頭の中にあることを紙に書き出すことが役に立ちます。

沈黙も、休息のための素晴らしい方法です。数分間座って、神様のことだけを集中して考え、完全に沈黙してみてください。どれほど難しいかがわかるでしょう!
これは、精神的な休息のための一例にすぎませんが、効果的な方法です。
呼吸と身体と聖書を結びつけて聖書の一節を黙想し、静まりへと導く「呼吸の祈り」を実践しましょう。
これは私にとって非常に役に立ちました。


3 五感の休息。

これは、意図的に感覚への入力を止めるものです。
電子機器の電源を切り、音楽を止め、雑音をシャットアウトし、会話をやめます。
現代社会にあふれる視覚への刺激から目を休めます。

これは、自分に必要であると気づいていなかった休息です。
静けさの中で美しいものを見ることがいかに大切なことかを発見しています。
それまでは五感が過敏で、緊張して常に警戒中の状態でした。
毎日数分間、静かに座って窓の外の木を眺めたり、川沿いを散歩して鳥のさえずりを聞いたりすることが、意識的な訓練になりました。
単純なことですが、雑音をシャットアウトすることが鍵でした。


4 創造的な休息。

この休息は、美しく感動的で、魂を解放してくれるものに触れることで得られます。
最も長時間いる環境を考えてみてください。
味気なく、機能優先、画面だらけの職場や、雑然とした家庭環境では、私たちがインスピレーションを得ることは難しいでしょう。
私たちには美しいものが必要です。
素晴らしい音楽、華やかなテキスタイル、香りのよいキャンドル、感動的な芸術作品などです。

人は素晴らしく恐れ多い、創造主である神の似姿で作られています。
だから創造的なことに注意を払うのは当然です。
自分を甘やかしているのではとも思えるので、この休息は取りにくいと思います。
しかし、美しさや創造性は、どのようなものであれ内側に反応を与え、畏敬の念を再び呼び覚まします。
これは、視点を創造主ご自身と、必要のすべてを満たしてくださる主の、その栄光の豊かさ (エペソ3:16) に向けさせてくれます。
驚き、畏敬の念を持つことができるなら何でもしてください。
それは創造的な休息をもたらします。


5 霊的な休息。

自分よりも大きな存在とつながると、目的、意味、帰属意識が生まれます。
神は、私が視点を変えるのを、ここでも優しく助けてくださいました。

私は、愛する人たちや周囲の世界の必要をすべて持っていくことはやめませんが、律法的に神との時間を持つことはしていません。
しかし、この時期に、主の翼の下に身を避け、神の前にただ座っているだけで十分だということを神様は教えてくださいました (詩篇 91篇)。
私は何か言う必要も尋ねる必要もなく、何かを読んだり書いたりする必要もありません。
神はただ、静まるように私を招いておられます。
それが、今のところ、私が必要としている霊的な休息です。


6 感情の休息。

いつも周囲の全ての人を喜ばせようとしていますか?
失望したり、拒絶されたり、批判されたりするのを恐れて、自分の本当の気持ちを表現できないと感じていますか?
おそらくあなたは、皆から頼りにされる人なのでしょう。

感情の休息とは、批判されることなく自分の気持ちを十分かつ誠実に表現できる安全な場所にいることです。
これはもう一つの大きな視点の変化でした。
私は生来がむしゃらに取り組むタイプで、力いっぱい取り組み、強くて独立心があり、計画的に進める人間です。
私にとって感情の休息とは、自分にも欠けたところがあり、自分の能力に限界があることを学ぶことです。
夫に自分が必要としていることを伝えること、もっとノーと言うこと、そして自分や親しい友人に正直にありのままを伝えることを学んでいます。
この自己開示は私にとってだけでなく、周囲にも励ましになっています。


7 社会的な休息。

自分らしくいるためには、積極的な支えとなり、力を与えてくれる人たちが周りに必要です。
競争したり、強く見せたりする必要のない人たちです。
一緒にいると消耗する人、否定的な人、有害な人とは、接する時間を制限する必要があります。
人間関係で与える側になることが多い場合には、社会的な休息が必要です。
私たちが充足していなければ、与え続けることはできません。

周りの人々に疲れ果ててしまったら、いくら眠っても、傷つき疲れた心と魂は回復しません。
周りの人たちと交流を持つのが間違っているわけではありません。友人を消耗させてしまった経験は誰でもあるでしょう。
しかし、疲れの原因が人間関係だとわかれば、生涯にわたり励まし力を与えてくれる前向きな友人を積極的に探せます。


あなたはいかがですか?

7 種類の休息について知ることは、身体、精神、心、霊に不足している活動を意図的に計画し、回復させるための有効な枠組みを与えてくれます。

週の初めに、7 つの領域すべてで自分がどう感じているか、簡単に確認してみましょう。
創造的、感覚的、社会的に休息が必要だと気づいたかもしれません。
その必要を満たすための時間がいつとれるかを探します。
近所の公園や美術館で、親しい友と散歩に出かけたり、一日の初めに 10 分間静かな場所落ち着いて座り、聖書の一節を黙想したりしてください。

7 つの領域すべてにおいて、休息のニーズを満たすものは何か、立ち止まり理解する時間を取ってください。
そうすれば、いくつかの方法が適用できるでしょう。
イエス様からのすてきな招きを受け取りましょう。
あなたの体、精神、感覚、創造力、感情、心、霊をもって、イエス様が備えてくださるすべてを受け取ってください。

 

2024/04/03

Intentional Living :神の計画を意図的に生きる(1)



Katy Boykin


人生が自分のために起こっているのではなく、自分に対立するように、うまくいかないと感じたことはありますか?
自己満足が忍び込むと、無力感を感じたり、圧倒されたり、人生のさまざまな面で立ち往生したりする可能性があることを私はよく知っています。
では、人生がうまくいかないと感じたとき、どうやってバランスを見つけるのでしょうか?
答えは、神が計画された方法で意図的に生きることを実践することです。

意図的に生きる方法を教えてくれる専門家はたくさんいますが、ほとんどは霊性を無視した世界観に基づいています。
しかし、私は、神の文脈から離れては、私たちの存在は意味をなさないと主張したいと思います。

コロサイ1:16は次のように述べています。
「なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、
王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子に会って造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。」

したがって、それを念頭に置いて、意図的にライブを行う方法について聖書が何と述べているかを見てみましょう。


Intentional Livingとは?

Intentional Living とは、意図的に生きること、または目的や計画を持って意図的に生きることを意味します。
それは、自分が信じていることに立ち、その信念を尊重する人生を歩むことです。
自動操縦で惰性で進むのではなく、自分の人生のリーダーシップをとることです。
それには、自分は被害者であり、人生は自分の状況の寄せ集めであるという考えを手放すことが必要です。
私のお気に入りの定義は、「Intentional Living (意図的に生きる) とは、自分自身と世界に最大限の貢献をするために、自分の人生を宇宙の創造主(神)と共同で行うことである」です。

 (3) 
  (4)  

2023/03/27

スチュアート・ブリスコー師の生涯を覚えて


女性を励まし続けた素晴らしい人物、
スチュアート
シェリー・エッサー


私たちJust Between Usにとっては、スチュアート・ブリスコーがいなくなって心に大きな穴が空いたようです。
このミニストリーの創始者ジル・ブリスコーの夫だっただけでなく、スチュアートは私たち自身、このミニストリーにとっても家族の一部のようでした。
実際、私たち女性のミニストリーの中で、彼は唯一の男性でした!
30年以上にわたって、彼は私たち編集部と世界中の女性たちを絶えず励まし、応援してくれました。

かつてスチュアートは「牧師、夫、父として、私は誰の賜物も土に埋めてしまいたくない。特に女性の賜物は」と言いました。
「真実を繰り返すが、私は女性が賜物を用いる自由を否定しないようにと注意している。
それだけでなく、私が出会う女性たちには、神の召しと賜物に従って歩めるよう、全力で励まさねばならないと感じている。
男性としての私の人生の大部分は、賜物のある女性のケアをし、育て、励まし、成長を助けるために用いなければならない。
なぜなら、やがて申し開きをしなければならないのは彼女たちだけでなく、私も彼女たちの賜物について説明を求められるであろうからだ。
私は賜物を埋めたというのでなく、励まし続けたと申し開きをしたいのだ。
賜物は決して無駄にすることができないのだ。」

妻のジルが、働き人の妻たちによい情報を提供したいと最初に思い描いた時、スチュアートは全面的に賛成し、ジルが書く賜物を用いるのを一番に応援しました。
当初から彼は女性たちー妻ジル、娘ジュディー、JBUミニストリーチームのスタッフやボランティアもーの賜物を尊重し励ましました。
私たちが神の御国の働きには大切だと感じさせてくれ、私たちはそれに向かうことができました。

彼が時おり編集部に姿を見せ、いつも働きがどのようかと尋ね耳を傾けてくれたのをとても懐かしく思います。そして、ウィンクしながら、次に自分が何を書けばよいのか尋ねてくれた姿も。
彼がJBU誌に書いてくれた記事を数えてみたら、66もありました(ウェブサイトのみの投稿を除く)。
91歳で召される年まで、彼は書き続けてくれました。
以前スチュアートに、読者にとって難解な信仰や文化のトピックについて、神学的な見解を書いてくれないかと頼んだことがありました。
彼は即決し、「締切はいつだい?」と言いました。

私は編集部で、ああでもない、こうでもない、と執筆や編集についておしゃべりするのが大好きでした。
彼の知恵、霊的深さ、誠実さ、聖書理解と伝え方の技術は、何十年にもわたって力強く神に用いられ、私たち皆に恵みを与えてくれました。
それだけでなく、彼はみことばやイエス・キリストご自身を私たちに指し示す以外のこともしてくれました。
いつも、彼と会う時にも彼の記事にも素晴らしい英国ユーモアがあふれており、私たちはそのユーモアが大好きで心待ちにしていました。吹き出すような冗談や愉快な話の思い出が残っています。
私たちは皆、親しみをこめて彼のことをスチュアートと呼びました。彼との楽しい時間が大好きでした。
彼のユニークで茶目っ気のある少年のようなやり方で、私たちも同じようにするのを助けてくれました。


彼の人生のモットーは「僕はどんなひどい困難にもあわない」でした。そして、その通りでした。
私たちがこの働きで難しい時期にあった時、彼の前向きなものの見方に助けられました。
恐れて落胆している子どもを励ます父親のように、彼の牧者としての存在は、神様がこの小さな働きと私たち自身をを持ち運んでくださるのだという励ましでした。
彼は正しかったのです。
彼の楽天主義はいつも私たちを励ましました。それだけでなく、彼が私たちを大切にし信頼してくれたことも私たちにとっては励ましでした。
私たちは表に出ない経験、取るに足りないものである経験を、幾度となくしてきました。
しかしスチュアートは私たちを見ていてくれたのでした。

スチュアートが女性、私たちを人生への贈り物と考えてくれたことに感謝します。
彼は情熱と誠実さをもって女性を励まそうとしてくれ、私たちはその受け手となってきました。
彼が編集部を去るときにはいつも、私たちの賜物と召しが受け入れられていると感じました。
スチュアートならではの素晴らしいやり方で、彼は私たちが神の国の働きを続けられるように励ましてくれました。
彼は、この働きに大きな助けを与え続けてくれました。

ありがとうスチュアート。
あなたは私たちの賜物を埋めておかず、常にそれを喜び励ましてくれました。
そして、あなたが愛し、話し言葉・書き言葉の両方を持って深く仕えたイエス様に目を向けるようにしてくれました。
これからも、あなたの遺してくれたものは、私たち皆のうちに実を結ぶでしょう。


スチュワート語録:

「結婚生活の秘訣は'ABC’、すなわち『誓いを土台にした調整(Adjustments Based on Commitment)』ですね。」
(2018年春号)
「この世界は混乱していますが、それがすべてではありません。神が働いておられ、神のご計画が果たされていくのです。私たちは一人がひとつずつ、神のなさっていることに参加するよう召されています。」(2016年秋号)

「人生で変化を通り成長する度に、多くの素晴らしい経験とそれほどでもない経験を通るでしょう。
しかし覚えておくべきは『静まりそれを背負うこと』です。
なぜか?それは、あなたが支配しているのではなく、あなたはやってくることのすべてをコントロールすることができないからです。
でも、神にはできます。そして、神は約束された通り、それらを支配してくださるのです!」
(2019年秋号)

「生まれた時のことを覚えていますか?恐らく答えは『いいえ』でしょう。
今生きているから、ああ生まれていたんだなとわかるのです。
同じように、もしキリストがあなたのうちに生まれているなら、彼の人生があなたの人生に反映するようになります。次第にはっきりとしてきます。
あなたが通る経験の中で、イエス・キリストにさらに似た者となっていくはずです。」
(2013 年冬号)

ほっこりしよう!~心のヒュッゲ~



あなたの心はヒュッゲですか。ほっこりしていますか。

Sandy Mayle


毎年、私は冬が待ち遠しいです。
それは、エリー湖(アメリカ北部の五大湖の一つ)で氷釣りをするためではありません。
湖が凍り、その影響でこの地域が時々大雪になるのが楽しみなのでもありません。
極寒のエリー湖に飛び込む毎年の行事(ブルブル、説明するだけでも寒い)のためでも、あるいは氷点下のプレスクアイルでの慈善ゴルフのためでも、もちろんありません。

そうではなくて、長く暗い夜に、暖かい小さな家にこもって、薪ストーブをあかあかと燃やし、アップルシナモンの香りのするキャンドルをともし、柔らかいひざかけにくるまって、時にホットチョコレートを用意するのが楽しみなのです。

オランダっぽいかもしれません。それはちょうどヒュッゲの光景だからです。

ヒュッゲ(元の発音はヒュッガhoo-gah)はオランダ語です。
英語ではぴったりする訳語がありませんが(日本語もですね、訳者)、マイク・ヴァイキングという人が著書「ヒュッゲ365日『シンプルな幸せ』のつくり方 」 で説明を試みています。

「ヒュッゲとは...心が整っている状態を言い...ヒュッゲは空気感や体験に関することばで...愛する人々と共にいることです。家庭にいるという安らぎ。世の荒波から守られていて、私たちが鎧を脱ぎ捨てることができる安心感です。」

オランダの人々は世界一幸福な国民として長くランクインしてきました。
彼らはヒュッゲを生活のあらゆる面で取り入れています。
長く暗くて寒い冬の土地柄で、一面のキャンドルや暖かいストール、ふかふかの靴下、柔らかいひざかけ、ホットコーヒー、ケーキ、チョコレートを、仲良しや家族と共に楽しむことで、ヒュッゲを実践しています。
生活をシンプルにし、小さな幸せを喜ぶこともです。

ルイーザ・トムゼン・ブライツは「ヒュッゲの本(The Book of Hygge: The Danish Art of Contentment, Comfort, and Connection)」の著者であり、ヒュッゲを「現実の生活の中心に聖所を据える実際的な方法」だと考えています。

聖所を据える
オランダの人々は、実際にしばしば文字通りの小さな聖所を据えます。
それは個人的なヒュッゲの場所(Hoogah-crow)あるいは「心を整える居場所」で、ふかふかした毛布(もちろんそばにキャンドルも)、そして理想的には暖かい飲み物とお気に入りの本または自然の景色が見える場所のことです。
それを読んで、自分はそうしたヒュッゲの場所があるだろうかと考え、そしてすでに一つあるとわかりました。
それは私の書斎の肘掛け椅子、柔らかいひざかけとサイドテーブルのある場所です。テーブルには聖書や本、ペン、カード、明かりと紅茶の保温ポットをおいています。

霊的なヒュッゲを経験する
毎朝、聖書と心を神の前に開き、私は霊的なヒュッゲを経験しています。
それはきれいな靴下やぱちぱちと燃える暖炉やコーヒーにも勝るものです。
大好きな人々と共にいるのにも勝ります。
そして理想的な夜の、一時的な満足よりずっと勝っています。
私は父のそばにいる暖かさに包まれ、父なる神の輝くことばを読み、父の霊の甘い飲み物をのみ、父なる神との長い会話を楽しみます。

しかし、そんな快適な毎朝の父との居場所を越える、さらに優れたヒュッゲの場所があります。
私の霊は毎日24時間、神ご自身のうちにヒュッゲの状態にあります。神様は私の「現実の生活の中心にある聖所」です。

外側には暗闇があふれているかもしれません。
嵐が吹き荒れているかもしれません。
争いが起こるかもしれません。
子供たちが反抗するかもしれません。
健康が脅かされるかもしれません。
しかし、そうした嵐が外側で激しくなればなるほど、内面は神の元でより深く憩うことができるのです。

避け所と力を見いだす
神が私の本当のヒュッゲの場所です。魂がシェルターに守られます。
神は、私の「避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け(詩篇46:1)」です。
神は、私の「避け所の岩であり、いつでもそこに入って休むことができます(詳訳 詩編71:3)」。
昼夜いつでも、何が周囲で起こっても、内面は神の所に実を避け、世のすべての重荷を彼の上におき、臨在に包まれ安らぐことを知るのです。

親密さを見いだす
神が私のヒュッゲの場所であり、私は神との親密さを楽しみます。
神こそが文字通り私を囲み満たしてくださるのです。
「だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています(1ヨハネ4:15)」。
私の内面は優しい真理の光に照らされており、聖霊の炎に暖められており、すぐそばにおられる神に抱かれています。
私が心を神に注ぎ出すと、神は私にみこころを小さな声で語ってくださいます。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださったーーーそれを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました(1コリント2:9-10)」。

神のわざを覚える
神が私のヒュッゲの場所です。
私は「主の数々の恵みを見極め(詩篇107:43)」、神は私を知っていてくださいます。
「神よ、あなたの私への御思いはなんと尊いことでしょう。それは数えることができません(NLT訳、詩篇139:17)」!
神と私はお互いの存在を深く喜んでいるとわかります。
私は彼のうちにいることを喜び、神は私を喜んでおおっていてくださいます。
私だけでなく、神に身を寄せる人はみな同じです。
「どうか あなたに身を避ける者がみな喜び とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり 御名を愛する者たちが あなたを誇りますように。主よ まことにあなたは 正しい者を祝福し 大盾のように いつくしみでおおってくださいます(詩篇5:11-12)」。

そして、私の霊的なヒュッゲの最高の場所は、そこから決して外に出る必要がないのです!
時々恐れて、私は逃げ出してしまいます。
迷いや不注意から、あるいはわがままからそうします。
それでも、神は忍耐強く、私を彼のところに呼び戻してくださいます。
心のまことの家にまた帰り、休むことができるのは、なんと言う幸いでしょうか。

あなたには避け所、聖所が必要でしょうか。
魂のヒュッゲの場所が必要でしょうか。
柔らかくて暖かい、快適で安全な場所が必要でしょうか。

もしまだそんな場所がないと思うなら、神様に罪の赦しを願い始めてください。
イエス様はすでに十字架で代価を支払ってくださったのですから。
あなた自身とあなたの人生を、神にまったくささげてください。

もしすでにそうされているにもかかわらず、人生の現在の季節が冷たく暗いなら、
改めて神の前に降伏し従順になってください。
神があなたの心の本当の家、明かり、炎、慰め、魂の友であると告白してください。
そうするなら、神様は両腕を広げてあなたをご自身の元に迎えてくださいます。

そして、神こそがあなたのヒュッゲの場所となります。


*Sandy Mayle:フリーランスライター。教会では音楽、祈り、女性のミニストリーにも仕える。夫のデイブと共にペンシルバニア州エリー在住。


Sandy Mayle, Copyright 2023 . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

 Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。 女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、 そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です! 英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。 記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利の活動です。 
 英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2023/01/03

感謝の心を育てる、シンプルな方法

Ginger Harrington

日々、以下の中から一つを選んで試してみては:

  • 祈りながら、難しい状況がきても心が準備できているようにする
  • 一日の初めと終わりに、感謝することにする
  • 否定的なことを言うのをやめて、かわりに感謝することを選びとる
  • 「~すべき」と言うかわりに「~したい」と言う
  • 自分自身と他人とがともに不完全、不十分な者だと認め、神に信頼する
  • 結論を急がない。最悪を想像しない
  • 神から受けたゆるしと恵みを他の人にも与える
  • 自分がしてほしいように他の人にする
  • 人生への過度な期待を手放す
  • できていないことよりも、できていることを見つける
  • 自分に批判的な人との間に境界線(バウンダリー)をひく
  • 感謝を思い出させてくれる聖書箇所を暗記する
  • 「感謝」という聖なる習慣を身につけられるよう、聖霊の助けに信頼する
(著書 "Holy in the Moment" より)



Ginger Harrington, Copyright 2023. 
Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

2022/09/19

握っているものを手放す


~降伏するとき、自由を見いだす~

 ジル・ブリスコー



ここ数年のパンデミックで、読者の誰もが喪失体験をしたことでしょう。
私は英国在住の家族を失いましたが、ある喪失はそのように見えるものではないでしょう。

ここ数ヵ月をふりかえると、教会で集まれなかったことや旅行できなかったことも喪失体験でした。
隔離の必要も、共に行うという慣れ親しんだやり方を手放さねばならないということでした。
でも、助けはーー聖書にあると知っています!

長年私は毎日聖書を読むように訓練されてきました。
私をキリストに導いてくれた友人のジェニーが、「聖書を読んで眠気が来てから、枕に頭を乗せるのよ」というのがいまだに聞こえます。
私はベッド脇のテーブルに聖書を置いて、一日の最初と最後に聖書を手にとることにしてきました。
最近、インド人の友人が「聖書を読む前には、スマホを手にとらない」という決心をしました。まあ、私はベッド脇にスマホを置いていないので、聖書を一番に手にすることができるのですが。

導きや助けが必要な時には、みことばが自分の魂に語りかけるまで聖書を読むようにと教えられました。
例えば、英国からアメリカに移住することは、私たちの人生にとって最大の変化の一つでした。
夫は「家具を全部売ろう。そして他の物も全て」と言いました。
「教会のリーダーたちが、向こうで住む所を備えてくれているから大丈夫さ。」

初めは簡単に思えましたーー全てをただ売るだけなら。でもそうではありませんでした。ある物を処分するのは簡単でしたが、すべてがそうではありませんでした。
結婚式にもらったプレゼント、特別に大事にしていた思い出の品、子供のおもちゃや人形。
私たちは一人あたり2つのスーツケースの携行が許されており、一つは衣類、もう一つには所持品を入れました。
自分でも恐ろしくなりましたが、私の手はすでに処分しようとしたり譲ってしまったりした物をしっかりと握りしめていたのです。
「主よ、私の手を開かせてください。握りしめないように助けてください」と祈りました。

神様は、私がそうできるよう助けてくださいました。そしてそれ以降も変わらず。神様はピリピ2:5~11から語ってくださいました。


キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。

キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、 

ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 
人間と同じようになられました。
 人としての姿をもって現れ、

自らを低くして、死にまで、 
それも十字架の死にまで従われました。 

それゆえ神は、この方を高く上げて、 
すべての名にまさる名を与えられました。
 
それは、イエスの名によって、
天にあるもの、地にあるもの、 
地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、 

すべての舌が
「イエス・キリストは主です」と告白して、
 父なる神に栄光を帰するためです。

イエス様は私たちが想像できるだけのものを手放し、この世にこられ、私たちの代わりに十字架にかかってくださいました。
イエス様がそうされたことを心から喜び、彼が私に全てを与えてくださったのだから私は彼の元に全てを置きたいのです。


ーーーーーーーーーーー
ジル・ブリスコーは英国リヴァプール生まれ。60年以上夫婦で歩んできた(訳者注:夫のスチュアートは2022年主の御元に召される)。Just Between Usの創設者であり、ウィスコンシン州南東部に在住。


Jill Briscoe, Copyright 2022 . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 


 Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。 女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、 そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です! 英語版では季刊誌が発行されています。
日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。 記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利の活動です。 
英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2022/06/30

「余白」をつくる

健康的なバウンダリー(境界線)を引くには


Chrissy  Callahan





「ノー」と言うのは、どうしてこれほど難しいのでしょう。
私は困っている人を見ると助けたくて、ついやり過ぎてしまいがちです。
でもいつも「イエス」とばかり言うと、動機は素晴らしくても逆の結果を生んでしまいます。

女性として、私たちは時間やエネルギーの使い方にバウンダリー(境界線)を引くのに葛藤を覚えます。
いつも人々から頼りにされているなら、何も考えず「イエス」と答えているかもしれません。
時には自分が「ノー」と言ってもよいということさえ、意識していないかもしれません。

しかし幸いなことに、私たちは健康的な「余白」を作ることを学べるのです。
始め方は以下の通りです:


・断るべきことを断ることで、私たちはすべきことをよりよく行うことができる。

すべてをこなしたいと思う(時にはそうしないといけないというプレッシャーを感じる)反面、現実にはすべてに「イエス」というと燃え尽きる危険性があります。
そして、燃え尽きを経験すると、失敗したような思いになり、余計に敗北感を味わいます。
もともと現実的でないことに、なぜ自分をうち叩いて向かわせ、失敗してしまうのでしょうか。

もちろん、自分の責任を放棄しろと言っているわけではありません。
必要なことがありますし、神様はそれをする力を与えてくださいます。
しかし、しばしば私たちは自分が負わなくてよいことまで負ってしまうのです。

使徒6章の教訓が私は好きです。ここにひとつの実例があります。
ギリシア語を使うユダヤ人のやもめたちが、毎日の食事の配給でなおざりにされているという苦情が出ました。
十二弟子は看過できない問題だと気づきました。
けれども、彼らの返答に注目してください。

「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します(使徒6:2b~4、強調筆者)」。

未亡人たちに食事を配給するのは必要な価値ある仕事でしたか。もちろん。
けれども、十二弟子がすべき仕事でしたか。いいえ。
それをしたら、弟子たちは神様が彼らにしてほしいと思われた仕事ができなくなったでしょう。
そして、福音を効果的に人々に届けることができなくなったでしょう。

必要かつよい事柄に「ノー」というのは難しいですね。
でも、弟子たちが「余白」をつくると決断したことによって、隠された宝に気づくことができたのです。


・「ノー」と言うなら、他の人が「イエス」と言う機会を与える。

十二弟子自身がやもめたちへの食事配給をしなかったことで、他の人がその仕事に「イエス」という機会が与えられました。
これにより、いくつか素晴らしいことが生じました。

1. 弟子たちは、押し寄せる全ての良いことをこなすことと、神が特に彼らにしてほしいと思われることをすることとの違いを知りました。

2.やもめたちへの食事配給のために選ばれた7人は、新しい奉仕への機会が与えられました。

私の好きな聖書箇所の一つは第一コリント12章です。
パウロがキリストのからだの各部分がどれほど大切かを語っています。
「もし、からだ全体が目であったとしたら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。(1コリント12:17~18)」

このように質問してみてはどうでしょう。
もしすべてが一人(あるいは限られた人だけ)で行われたら、からだの強みや多様性はどこにあるでしょうか。
もしすべてを私たち自身でやってしまったら、共同体として成長する機会はどこにあるでしょうか。

やもめたちに食事を届けるという責任は、弟子たちにとってもちろん真剣に取り組む課題でした。
ですから、誰か他人に託して終わり、とはしませんでした。
そして、その責任を不平をもらした人に託すこともしませんでした。
それどころか、力と神の知恵と誠実さをもってその必要に適切に対応するため、7人の信頼できる人たちにその役割を託したのでした。

選ばれた7人の一人ステパノは、後に信仰ゆえに尋問され、石打ちにされました。
この結果がどんな違いを生んだか想像してみてください。
弟子たちは全部を自らこなそうとして働きを限定し狭めてしまうこともできましたが、
そうではなく、自分に与えられた召しにとどまりました。やもめたちは信仰ゆえに死も恐れず、しっかり勇敢に立った人物によって必要が満たされたのでした。


・「ノー」と言うことを学ぶと、他者のバウンダリー(境界線)を尊重し励ますことができる。

あなたの周りに、同じように「余白」をつくろうとしている人がいますか。
共に歩むなら、その旅はさらに楽しく、互いに恵みと励ましを与え合うものとなります。

奇妙なことに、私たちは他者から「ノー」と言われると、それが良い理由からであっても拒絶されたように感じたり、フラストレーションを覚えたりします。
けれども、健康的なバウンダリーを実践することで、私たちは他の人たちが持つ健康的なバウンダリーを尊重し励ますことも学ぶのです。

共同体として強められよく成長するには、私たちがお互いを必要とするというのは美しい事実です。
自分自身を訓練することはできますが、時には状況により頼む必要もあります。
理想的なのは、共に成長していくことですが。
そうすれば互いにアカウンタビリティーが果たせますし、そして自分自身ですべてやってしまうよりも共同体がより深く根を張り成長することができるでしょう。

おそらく、あなたはこの新しい1年に起こるすばらしい計画を持っているでしょう。でもそれは絡まったスパゲッティーのようにごちゃごちゃしていると思えるかもしれません。
健康的なバウンダリーをつくり過ごすために必要なのは、その一歩を踏み出すことだけです。
完璧ではないかもしれませんが、それでよいのです。
徐々にふさわしいバウンダリーがつくれるようになります。

私たちの訓練は自分に対してだけにとどまりません。
共に学ぶように召されているのですから、その知恵を続く人にも伝えてください。
すでに自分の生活の中に「余白」をつくることを身に付けたありのままの女性たちこそ、私に同じようにすることを教えてくれた人でした。
彼女たちは完璧にそれをしていたわけではありませんでしたが、たえず成長しており、難しさについても喜んで正直であろうとしました。

何を選びとるか、より意識的に判断することを学ぶにつれて、キリストのからだ全体は、それぞれの部分が召されていることについてより集中できるようになります。
そして私たちがともによく生きられるようにさせてくれます。

今日、どんな「余白」をつくりますか?



2021/10/05

同時多発テロで息子を失って

~ トッド・ビーマーの母、この20年を振り返る

Greg Asimakoupoulos


2001年9月11日以前、「911」といえば緊急電話番号でした。けれども、世界貿易センタービルにハイジャックされた2機が突っ込んでからは、その3桁の数字は意味が全く異なってしまいました。

--------------------------------

20年前(2021年8月現在)に、9・11は全く違う意味になりました。そして、9・11の出来事に関連して、決して忘れられない悲劇として覚えられる語も生まれました。「ツイン・タワー」「グラウンド・ゼロ」「ユナイテッド・93便」、そして「レッツ・ロール!」。

「レッツ・ロール(Let's  Roll)!」とは、ユナイテッド93便に乗っていた33歳のクリスチャン、トッド・ビーマーが言った言葉でした。ビジネスマンだった彼は、他の乗客と共に、コックピットのテロリストに向かって行動を起こしたのでした。

93便は首都に向かうためにニューアーク空港を離陸した後、テロリストによってパイロットが殺害され、操縦が乗っ取られ、本来の目的地から外れて飛行しました。

トッドと乗客たちの勇気ある行動によって、テロリストの攻撃の狙いは外れました。93便はペンシルベニア州シャンクスビル郊外の農場に墜落し、乗客乗員全員が死亡しました。

トッドの母ペギーはメリーランド州ポトマックの一主婦でした。

雑用で車に乗っていたとき、ラジオで世界貿易センタービルとペンタゴンへのテロのニュースを耳にしました。もう用事はどうでもよくなりました。家に戻る途中、4機目がペンシルベニアの田舎で墜落したことを知りました。

「まさかトッドがそのうちの1機にのっているとは思いませんでした」ペギーは回顧します。「だって、私の知る限り、息子夫婦は会社から与えられたイタリア休暇を楽しんでいるはずだったからです。」


トッドは予定の前日妻のリサとともに帰宅し、テロ当日はカリフォルニアに移動することにしていました。それを母親には連絡していませんでした。テロの後リサからの電話を受けて、ペギーはそのことを知りました。9月11日の出来事は個人的にも、また永遠にも彼女の人生を変えました。

息子が93便に搭乗し死亡したと正式に連絡があった後のことです。ペギーは息子トッドが最期の時に信仰を働かせた様子を知りました。それは彼女と夫のディビッドが彼に見本を示してきた信仰でした。

トッドは43人の乗客と共に死に向かっていた時、妻に電話をしようとしました。ところが繋がらず、電話オペレーターと話しました。彼女が後にその会話と彼の言葉をリサに知らせてくれたのでした。

トッドはオペレーターに主の祈りを祈ってほしいと言ったそうです。彼と妻リサは、聖書研究の小さなグループでちょうど主の祈りを学んでいるところでした。

キリストが模範を示されたその祈りは、トッドにとって初めてではありませんでした。母親の膝で、トッドは聖なる神が愛の父なる方であることを学び、日々の必要や赦しを祈っていたのでした。

筆者はこの20年間、チャプレンとしてビーマー一家と親しくしてきました。インタビューを通して、若い夫・父・そして信仰者だった人物の遺産が、母からの愛に根ざしていたとわかるでしょう。

------------

トッドの死から20年間、あなたの信仰の歩みには何か変化がありましたか。

ペギー:神様をさらに近く感じるようになり、神様に信頼できることをより感謝するようになりました。

私たちも多くのアメリカ人が感じたように、息子の生き様に励まされました。息子は正しいことを正しい時にする、という見本を残してくれました。デイビッドも私も自分の信仰や、キリストにある希望について励ましを分かち合う機会を多く頂きました。


読者に向けて、国のためにどう祈ればよいと思われますか。

ペギー:9・11から何年も過ぎるに連れ、思い起こす機会がだんだん少なくなっています。月日の経過と社会の変化でそうなるのでしょう。忘れ去られてしまうのかしら、と少し心配になります。夫も私も、この国が神様のご計画に反する国とならないでほしいと願っています。米国は眠った状態でした。9・11で揺り起こされました。しかしまた眠っているようにも感じるのです。神様が私たちを居眠りから覚めさせてくださいと祈る必要があります。

国として、私たちは文化だけでなく神も遠ざけたがっています。選挙で選ばれた人たちが、行動も法制定も神様の真理に従ってできるようにと、私たちは毎朝祈ります。また、神様とみことばにもっと信頼し、神の真理を人生の道しるべとできるようにとも祈ります。


あなた方ご夫婦は、トッドの足跡が風化しないように何かなさっていますか。

ペギー:トッドは、家のそばにあったミッションスクールのウィートン・クリスチャン・グラマースクール、ウィートン・アカデミーに通いました。毎年、母校のウィートン・アカデミーではトッド・ビーマー・ゴルフトーナメントを開催して学校の資金集めをしています。現在私たちは離れたオハイオ州に住んでいますが、夫はよく参加します。

保護者会にも多くの友人がおり、トーナメントの折には会って近況を分かち合います。

もちろん、トッド自身の子どもたちとも思い出の数々を話しますよ。


トッドの奥さんのリサとお子さんたちはどうされていますか。

ペギー:皆元気にしています。リサは母親として立派に子どもたちを育てました。

リサとトッドはウィートン大学で出会いました。学校の方針が彼らの信仰に根ざした価値観を育み、結婚に導いてくれました。素晴らしいキリスト教主義の学校には、孫たちの教育でもお世話になりました。3人の孫は両親と同じようにウィートン大学に進みました。

祖母だからほめるわけではありませんが、孫とリサはとてもよい人物です。彼女たちがいてくれることでとても祝福されています。


20年目の節目の年、9月11日をどのように過ごされますか。

ペギー:これまでの9月11日は家族で過ごし、メディアや大きなイベントへの参加は控えてきました。今年は例外です。私たち夫婦はシアトルに行き、息子の名にちなんだ校名がつけられた公立の学校で話をします。そのトッド・ビーマー高校での講演後はワシントン州カシミアに移動し、20周年の式典に出席します。夫デイビッドはそこでも講演します。


トッドの人生と信仰で、特に記憶に残してほしいことは何ですか。

ペギー:トッドは信仰の人、神に信頼した人、そして正しいことをいつもベストを尽くして行う人でした。ほとんどは日常の小さなことでしたが、家族や友人にとっては大切なことでした。いつも最後まであきらめませんでした。多くの人の記憶に残る、あの人生最後の日にも、祈って正しい、大切な行動をしました。

トッドの好きだった聖書のことばの一つはミカ6章8節、「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか」でした。


もし、人生で最悪の出来事に直面している人がいるなら、その人への希望と励ましの言葉がありますか。

ペギー:神が考えてくださっていると信じて、と言いたいです。神が与えた自由意志を濫用して、人間は完全な被造物から堕落してしまいました。この世界に罪が入ったため、時には良い人に悪いことが起こります。私にとっての最悪な日の9・11とその後、私は日々力と慰めが与えられるようにと祈りました。

イザヤ書26章3節の祝福は本当です。

「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」

どんなに困難な状況に直面しても、真実なる神様を見続けてください。神様はあなたのことを心配し、日々助けを与えて下さる方です。


グレッグ(Greg Asimakoupoulos):シアトル郊外の退職者クリスチャングループ、カバナント・リビング Covenant Living at the Shoresのフルタイムチャプレン。「恵みに憩うSheltering in Grace」「不確実な時代の希望Hopeful Insights for Uncertain Times」などの著書12冊がある。妻ウェンディとワシントン州マーサーアイランド在住。

Copyright 2021  Greg Asimakoupoulos, She Lost Her Only Son on 9/11.  Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045



Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です!
英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利のミニストリーです。英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2021/07/23

女性 タビタに学ぶ

 



シェリル M. スミス  Cheryl M. Smith 


Just Between Us誌 2021夏号より


タビタの記事はごく短くまとめられていて、読み飛ばしてしまいそうです。

使徒の働き9:36-42では、タビタという女性について書かれています。彼女はヤッファ(ヨッパ)の町で、貧しい人や未亡人を助けていました。彼女の親切とあわれみの心で人々はおおいに助けられていました。

悲しいことに、彼女は病気になり死んでしまいました。彼女が息を引き取ったとき、未亡人や貧しい人々は涙ながらにペテロの元に集まって来て、タビタが心をこめて繕い縫ってくれた服を見せました。タビタは未亡人に尊敬を持って接し、神の福音そのものの生き方を示しました。彼女がいなければ、どうなってしまうでしょうか。

ペテロは皆に部屋から出るように言いました。そしてひざまずいて祈りました。するとタビタは生き返ったのです。この奇蹟がとても素晴らしかったので、ヤッファの町ではリバイバルが起こりました。この記事から何を学ぶことができるでしょうか。


・タビタはイエス様の弟子であった。

使徒の働き9:36を見ると、タビタはイエスの弟子だと記録されています。原語のギリシア語では、「弟子」の女性形です。これは新約聖書でここにだけ使われています。

タビタは真の弟子でした。タビタに会ったら、イエス・キリストへの信仰に貫かれた人物だとわかったでしょう。彼女の態度、生き方、言葉にはそれが表れていました。また、彼女は自分の宣教のフィールドがヤッフォの貧しい人々や未亡人であることを自覚していました。


・タビタは人生を100パーセント生きた。

夫を亡くした人たちは、タビタの生きた社会では多く見られました。初代教会には、だれにも養ってもらえずにいた女性たちを助けるという責任がありました。タビタの働きはベビーシット(子守り)、心の痛みに耳を傾けること、服を縫うことでした。彼女は自分の人生をそうした必要を最も持つ人たちの日常に注ぎました。

豊かな人生を生きるとは、自分自身をささげることだとタビタは知っていました。


・タビタは賢く投資した。

タビタは、自分が神ほど多くのものを与えられないことを知っていました。イエス様は「わたしの弟子だからとうことで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」(マタイ10:41-42)とおっしゃいました。

上着を繕ったり継ぎ布を当てたりすることが、神の国にどんな意味があるのでしょう。こんな些細なことに何か意味があるでしょうか。

もちろん、あります。誰のためになっているのかあなたは知らないかもしれませんが、神様は知っておられます。こうした小さくも気前のよい働きは、傷ついた世界で神の恵みの香りとなるのです。

私たちの中でペテロのようになる人は多くありません。おそらく、奇蹟的に病人をいやしたり死人を生き返らせたりすることはないかもしれません。しかし、ささやかな恵みを表す働きも、同じように価値があり力があるのです。裁縫をしたり食事を作ったり、ハガキを送ったり、励ましの電話1本をかけたりすることでも、あなたはイエス様の弟子であり、目的のある人生を送っており、神の国のために投資しているのです。

タビタは私たち全てが見習うべき、美しい姿を残してくれています。

2021/05/25

バイブル・スタディー「若葉の季節」 

** 今回はJBU誌の中から聖書の学びの翻訳をお届けします。**



15分のバイブル・スタディー「若葉の季節」 

Dorie Etrheim 

Just Between Us誌 2021年春号

 

詩篇92:13「彼らは主の家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。」

 

春は芽吹きの季節です。みずみずしい緑の新芽が枯れた木に現れ、花が咲きます。砂漠でも、野草が咲き色とりどりの花が見られます。春は冬の後に力強く現れます。

私の住んでいるところでは冬は寒くて辛い季節でした。冬が早く過ぎ去るようにとよく思いました。あなたは「早く過ぎ去るように」と感じた人生の季節がありますか。落胆し、混乱し、孤独だった季節がありますか。どんな状況にあっても、私たちが野草のように新芽を出すにはどうしたらよいのでしょうか。

 

詩篇1:1-3「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」

 

詩篇92:12-15「正しい者はなつめ椰子の木のように萌え出で レバノンの杉のように育ちます。彼らは主の家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。彼らは年老いてもなお実を実らせ 青々と生い茂ります。こうして告げます。『主は正しい方。わが岩。主には偽りがありません。』」

 

エレミヤ17:5-8「主はこう言われる。『人間に信頼する者はのろわれよ。肉なる者を自分の腕とし、心が主から離れている者は。そのような者は荒れ地の灌木。幸せが訪れても出会うことはなく、焼けついた荒野、住む者のいない塩地に住む。主に信頼する者に祝福があるように。その人は主を頼みとする。その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来て主暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。』」

 

l  祝福を受ける正しい人は、どのように描写されていますか。

 

 

l  聖句の中で、心にとまった部分はどこですか。

 

 

l  人に信頼する人と神に信頼する人を比較してみましょう(エレ17:5-8)。

 

 

 

自分のことを、まるで荒れ果てた土地に生えた低木のようだと感じたことがありますか。私はあります。辛かった時期を思い出すと、自分と周囲の人に頼って生きていました。恐れ、心配、不安、自己満足という土壌に根ざしていました。決してそこから栄養を得ることはできませんでした。霊的にしぼんで弱っていると感じました。あなたは、自分の根がどんなところに生えていると思いますか。

 

さらに深く・・・

主の家に植えられるなら、私たちは川のほとりに植わった木のように強く成長します。その根は生ける水に深く根ざし、恐れも心配もなく、いつもみずみずしく葉を茂らせます。

 

エペソ3:14-21「神のご計画の深さと広さを思う時、私はひざをかがめて、天上と地上の家族の父である方に祈ります。どうか、父なる神が、その栄光に満ちた無限の富の中から、御霊を通して人を内面から強くする力を、あなたがたに与えてくださいますように。こうしてキリストが、信じるあなたがたの心に住んでくださいますように。 そして、神の愛がどれほど広く、どれほど高く、どれほど深いかを理解することができますように。さらに、あなたがたがキリストの無限の愛を知って、キリストの愛といのちに満たされますように。どうか、私たちの祈り、願い、考え、望みをはるかに超えたすばらしいことを、その偉大な力でなされる神に、栄光がありますように。どうか、キリスト・イエスによって、教会に救いの計画をもたらしてくださった神に、栄光が永遠にありますように。アーメン。」

 

コロサイ2:6-7 「すでにキリストの救いを信じたあなたがたは、日常の問題についてもキリストに信頼し、キリストと共に生きなさい。キリストに根を深く下ろし、そこから養分を吸収しなさい。主にあって成長し続け、真理に立って、強くたくましくありなさい。すべてに感謝し、喜びにあふれて生活しなさい。」

 

l  パウロは私たちの根についてどう言っていますか。

 

  

青々と茂る木のように、深く根を張るにはどうしたらよいでしょうか。それは、信頼することから始まります。心から、主に信頼しましょう。主の変わらない愛に信頼しましょう。約束に信頼しましょう。神の愛に頼り、力と平安を頂きましょう。まず神を求めましょう。今日、どんな事柄で神に信頼できるでしょうか。

 神のことばを黙想することで栄養を得ましょう。「黙想する」とは、継続的に神のことばを声に出したり、考えたり、生活に適用したりするという意味があります。みことばを自分自身や友人に語り、祈りで主に述べましょう。あなたは昼夜何を考えていますか。恐れでしょうか、それとも信仰でしょうか。平安でしょうか、それとも問題でしょうか。

 日々神の愛を受け取りましょう。少し時間を取って、気がかりなことをイエスの足元に置きましょう。イエスに近づき、その御腕に憩い、あなたへの変わらない愛を受け取りましょう。イエス様はあなたの心のどの場所におられますか。

 

l  あなたが主に「しっかりつかまる」方法を一つ挙げてみましょう。

 

 

l  記録のために: 今日イエス様と過ごす時間を見つけましょう。エペソ3:14-21を書き写し、「主にあってたくましく」なりましょう。この聖句を昼も夜も黙想してみましょう。あなたの若葉の季節です!


2020/05/11

孤独な日々は神様に近づく時


ウイルス | 無料のベクター画像、写真、PSDファイルをダウンロード




リサ・エリオット(Lisa Elliott)


皆さん、お変わりありませんか…ソーシャルディスタンス(社会的距離)はうまく保てていますか?
孤独を感じていませんか?

オンラインなどで私が連絡をとった人たちからは、悲喜こもごもの声があがっています。
ある人は、何年も手付かずになっていたことをようやくできる、と喜んでいます。
一方で、ある人は何をしていいか全くわからないと言っています。
必死に計画やできることを見つけようとしている人もいれば、休息の時だと歓迎する人もいます。
できる限りのあらゆるSNSを利用しようとする人もいれば、独りで静まる時を持つ人もいます。

私自身は、この一連の経験を通して、10年余り前のことを思い出しています。
18歳だった息子のベンが白血病と闘っていた時、私は自主的に隔離された生活をしていました。
彼の免疫力が下がっているとのことで、私は外界との接触を制限しました。
これまでの生活は一変しました。
社会的なつながりはタブーでした。
ブッフェやサラダバーの食事は避けるべきという制限が課されました。
病院で息子のベッドのそばに付き添う時は、入室前に消毒をし、マスク、手袋、ガウンを身に着けました。
自宅まわりは、ばい菌が繁殖しないようできる限りすべてを清潔に保ったことは言うまでもありません。
玄関には、訪問するすべての人が使えるよう消毒液さえ設置しました。
「普通の」生活は突然なくなり、家族と私は「新しい普通」に入りました。
最悪の事態に備えるため、最善の希望を持つことを学びました。

共通点があるなあ、と思われますか?
コロナウイルスの感染防止のために過ごす最近の日々と似ているのです。
あなたは以下のような経験をしているでしょうか。
   
  • 命を脅かし、健康を脅かし、思考に影響を及ぼし、活動を調整させ、関係を断つものに対しすでに知っていると考えて、実際に見ていない状況を何とかしようとしている。
  • 全然いつも通りではないとわかりながらも、落ち着いていつものように仕事をしようとしている。
  • 内心は不確実、無知、不安と恐れがわきあがっていても、外見は平静にしている。
  • 目に見える限界とだんだん増えていく制限があっても、なるべく自由に過ごそうとしている。 
  • 自分の世界の何かがおかしくなってしまったという感覚を覚えつつ、先行きが見えずぼうっとした虚無感の中で日々過ごしている。
  • 本当はほとんど何もコントロールできないと知りつつも、コントロールできるかのようにふるまっている。
  • 本当に目的があるのかな、と思いながら、目的をもって生活することを選んでいる。
  • 書き物をするペンを鉛筆に持ち替え、手にはいつも消しゴムを持っている。
  • 目まぐるしく変わる生活に絶えず順応しようとしている。
昨今は、ヤコブ書のことばを実感することでしょう:
「『今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう』と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです」(ヤコブ4:13~15)。

もし、この想像もしなかった不安と混乱の時が、私たちが目を覚まして本当に大切なことに心を向けるように、と神様が意図されたものだとしたらどうでしょうか。
おそらく、神様はこの歴史上特異な時期を用いて、私たちがこれまで思い込んでいた生活を再調整させてくださっているのかもしれません。
もしかすると、このパンデミックは「私たちが自分自身に頼らず、神に頼る者となるため」(第二コリント1:9)なのかもしれません。
現在の社会的孤独は、私たちがもっと深い次元で神様とつながる特別な機会として与えられていると言いうるのかもしれません。

一つ、確かに言えることは、先行きの見えないこの状況にあって、私たちは離れていても決してひとりぼっちではないということです。
神様は決して私たちを離れたり捨てたりすることはないと約束しておられます(申命記31:6、ヘブル13:5)。
私たちが神様につながり錨を下ろしているなら、神のことばは私たちの不安定な日々にも揺るがない希望を与えてくれるのです。

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)。

2018/08/08

卒業シーズンの嘆きと恵み Graduation, Grief and Grace

~障がい児を持つ親へ、クリスチャンとしてのアドバイス







ダイアン・キム Diane Dokko Kim








「おめでとう!これからどうするの?」
「大学はどこに行くの?」
「どの会社に就職するの?」
「結婚したら、新婚旅行はどちらへ?」


アメリカでは6月は喜びの季節です。毎年、喜びとうれし涙の卒業と結婚、プロム(訳注:卒業のダンスパーティー)とパーティー、贈り物と正装の年度末があわただしく終わります。

しかし、重い障がいを持つ子どもの親にとっては、この時期は悲しみに襲われる季節でもあります。
もし障がいがなければ、私たちの子どももこうだったかしらと、心がまたうずくのです。

私の息子のような子どもたちにとっては、時と機会は違った流れ方をします。
私の16歳になる息子は自閉症、ADHDなどの障がいを持って生きています。
比べたり羨ましく思ったりしながら、私のような親たちは、普通は親として味わう記念行事の喜びを味わえないことをしばしば嘆きます。子どもの名前が書かれた卒業証書、結婚式に親子で踊るダンス、孫の誕生などです。
毎年6月になると、自分たちが経験することのない行事を耳にし目にしては、私たちが払う隠れた犠牲(機会費用)を考えるのです。

他の人の式典やお祝いに出席する時、あるいは誰かのプロムの写真をソーシャルメディアで見る時にはいつも、私たちは礼儀正しくにっこり微笑みます。
けれども心の中では、静かに悲しみます。
うちの子は違うもの。将来はどうなるのかしら。彼の人生の意味は何かしら、と。

また、この時期は私の信仰がゆらぎ、神観が問われる時です。
毎年、私は自分自身に福音を語って思い出させなければなりません。
神様の国では、この世界の価値観とは異なる基準、つまり神の国の貨幣価値で祝福と達成とがはかられるのだ、と。



罪の贖いに価値をおく

2000年前、天が開け、聖なる全く特別な方の誕生を告げる神の声が聞こえました。
その方は祝典と冠を受けるに最もふさわしい方でした。
神の愛するひとり子、神の喜ぶ子であり、洗礼を受け、若くしての死に従われた方でした。
無名で生まれ、身分の低い大工の子として育ちました。ご自身が結婚することはないと十分に知りつつも婚礼の席では喜びを表し、決して親になることはなくても喜んで子どもたちの病気を癒されました。祭りの祝宴では、決して離れないと約束した直後に自分を見捨てることになる友と、パンを裂いて分けられました。

与えられないものを嘆くかわりに、イエスはご自身に与えられた特別な召し、他の誰にも理解できなかったまさにユニークな重荷を背負うという召しに向かい続けられました。 
救いを与えるために来られたその世によって、裸で、誤解され、卑しめられて死にました。

この世的な成功から見れば、イエスは「失敗した」と見えるかもしれません。それでも、その誕生によって歴史を紀元前と紀元後に分けたような人物はいません。死からよみがえった人物も他にはいません。天に上り神の右の御座に座った方もいません。永遠の救いを全ての人に保証するのもこの方以外にはありません。他に救い主はいないのです。

神の御子はこれらすべてを、学位、キャリア、結婚、家族、優れた友人を持つことなく成し遂げられました。彼の功績はほとんど歓迎されませんでした。評判も、壮麗さも、境遇も伴わないご自身の召しを実行されたのです。



神の願いとは

「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか(ミカ6:8)。」

何が神の望まれる最低限で最上のことか、それはただ神の子どもたちが公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、神と共に歩むことではないか、とあります。社会の価値観にふりまわされず、イエス様はただ神様の目的を達することだけを望まれました。
心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして主を愛されました。そして隣人を自分自身のように愛されました。それだけが神がとられる基準です。
このようにして、イエス様は他に並ぶ者がいない、成功した人生を歩まれました。

対照的に、この世界での成功のバロメーターは学業や仕事の業績、強さ、力、美しさ、繁栄、地位などです。
こうした基準に照らすと、我が子のような障がい児は劣っているとみなされます。不十分で欠けがあるとみなされるのです。


「うちの子はどうなるの?将来は?この子の価値は何かしら?」


本当に愛されている子どもは、自分の価値を何かをすることによってわかってもらう必要はありません。何かを会得したり成し遂げたりする以前に、愛されているから価値があるのです。
我が子が生まれた瞬間から、その子が最も無力で依存的で、何も与えることなく、かえって私たちの持つ力を全て奪う存在であっても、私たちは決して壊れない愛を持って子どもを愛します。
それはただ、我が子だからだという理由で愛するからなのです。

私たちが子どもに注ぐ思いは、神様の犠牲的な愛のあらわれです。
私たちがまだ罪人であったときに、キリストは私たちのために死なれました(ローマ5:8)。キリストは私たちが最も価値のなかったときに、私たちを愛し、大切に思い、犠牲を払ってくださったのです。それはただ、私たちが神の子どもだという理由によるのです。

技能、業績、能力に関係なく、すべての神の子どもは、等しく尊い存在で神にあってそれぞれの目的を持っています。
主がご自身の子どもを「恐ろしいほど奇しく(詩篇139:14)」造られたのですから、神様の評価を疑わないでください。


悲しみが与えてくれるもの 

この人生の変化と移動を祝う驚くべき季節にほとんどの家族は喜びますが、中には悲しむ家族もあります。
典型的な親は子どもたちが家を出て大人になっていくことに喜びと悲しみの入り混じった複雑な思いを抱くのです。

一方で、障がい児を持つ家庭は、我が子が成長し自立する日が決して来ないことを嘆きます。
でも逆に、悲しみの気持ちは期待しなかった贈り物ももたらします。失ったもの、欠けたものを認識することで、私たちの最も大きな栄誉はこの地上で語られるものではないということを強く思わされるのです。

著名なクリスチャンの作家、C.S.ルイスはこう述べました。「もし、われわれの願望がこの世界では満たすことができないことに気づくなら、それはわれわれが別の世界のために造られたからだ、というのが最も妥当な説明である。」

私たちの究極の変化とは、別の場所で栄光に入れられることです。
「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます(ピリピ3:20)。」

その時まで、神の子どもなら誰でも成績や学歴に関係なく、心、いのち、思いを尽くして主を愛することができます。また、隣人を自分自身のように愛することができます。
何を成しとげ行ったかではなく、神の子どもであるがゆえに、能力にかかわらず私たちはかけがえのない存在なのです。
私たちへの神の無条件の愛は成績証明書の点数ではなく、恵みのはかりではかられるのです。

「ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません(Ⅱコリント5:16)。」


英語オリジナル記事は Graduation, Grief and Grace   (https://justbetweenus.org/relationships/parenting-challenges/christian-advice-for-parents-of-children-with-disabilities/)
Copyright 2018 Diane Dokko Kim.  Translated from Graduation, Grief and Grace

Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です!
英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利のミニストリーです。英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2018/06/19

変化をもたらす:インタビュー メルヴァ・ハンダーソン(4)


JBU: 今あなたのように辛い時期を通っている女性に言葉をかけるとしたら。

メルヴァ: 神様が父親であるということを忘れないでください。神様のような父親はおられません。
その信仰が私を支えてくれています。神様は決してあなたを見捨てません。


JBU:  断食は、どのように神様への飢え渇きを深めてくれるのでしょうか。

メルヴァ: 毎週火曜日が私の安息日です。世の中から離れ、家族と過ごすことを最優先する休息の日です。FacebookもSNSも見ません。メールなどにも返信をしません。
なぜなら、私には時に物事が早いペースで押し寄せ、十分に考えることができないからです。
私は賢い選択をしたいと思っています。
成熟し、よく考えて人生を送ることができるようにと願いますので、霊的訓練としてテクノロジーを断つことはぜひとも必要だと思います。

神様は安息され、働きを休む1日をとられました。私たちは神より優れた者ではありません。
ですから、スイッチを切り、心騒がせず、テクノロジーや食物を断つ日が必要です。
それは健康を維持し、心を休ませる素晴らしい方法です。
今日、それは肉体に安静を命じる時であり、特に神様に聞くことができる時です。
神様に聞き、意図的にスイッチを切ることには訓練が必要です。

繰り返しになりますが、テクノロジー、食物、つきあい、何を断つかにかかわらず、それらから距離を置くことで、神様に近づくのです。
私は、神様のところに行くという目的でそれをしています。そうすれば、私は神様の前に自分の人生を保つことができ、この世のそれ以外のものから静まることができます。
私のたましいと、全人的な存在に必要なものを取り戻すことができるのです。


JBU: 女性はこの世界に変化をもたらすため、与えられた賜物をどう用いることができるでしょうか。

メルヴァ: 第一に、みことばを生きることです。そして、神の前に賜物を差し出し、神に絶えず訓練していただき、人々のために用いることができるようにして頂くのです。
賜物を用いようと願い、置かれている場所から始めてください。まずエルサレムで、そしてユダヤとサマリヤで、やがて全世界で。

ある人にとっては、エルサレムとはあなたの子どもかもしれません。神様が呼ばれ召されるところならどこででも始めるのです。
大統領の母親は、まさか自分が未来の大統領を育てているとは夢にも思いません。でも、事実はそうなのです。
あなたが何をしているのかにかかわらず、神様はあなたを国を変えるのに必要な器として整えておられます。あなたの国とは、私の祖母がそうだったように、あなたの足元かもしれません。
どこにいようと、背景がどうであろうと、人種や社会経済的背景がどうであろうと、あなたは人々の人生に触れることのできるものを持っているのだと知ってください。
どこにいるかにかかわらず、変化をもたらすことのできるものをあなたが持っているので、神様はあなたをそこに置かれているのです。


JBU: 今日の女性について気になることはありますか。

メルヴァ: 神様との親しさが欠けていることです。
私たちは絶えずこの世のものと距離を置き、神様を人生の中心にする必要があります。
人生をかけて神様を愛してください。
1ペテロ1:16には「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」
と書かれています。私たちは聖さについて妥協することはできません。

もう一つは分派です。皆の関心が「私は」「私の」にあり、「私たち」に十分関心が払われていないように思います。
私たちは自分より前に他者のことを考えなければなりません。私はそのことを祈ってきました。
祖母が大変賢明に教えてくれたように、私たちは愛し、愛し、愛しぬかねばなりません。
神様の愛のうちを歩むように求められているのです。
それはあなた自身についてではなく、あなたが仕えるよう召されている人々に対してです。


JBU: 私たちへの励ましがあれば、お願いします。

メルヴァ: 自分を信じてください。神様が召してくださったと信じてください。内に聖霊が住んでおられると信じてください。罪赦されたことを信じてください。全て癒されるのだと信じてください。神様が信頼できる方だと信じてください。神様があなたの人生を御手に抱き、あなたが呼び求めるなら答えて下さる方だと信じてください。
神は平安の神です。悪いことが起こらないという意味ではありません。私たちは堕落し傷ついた世に、堕落し傷ついた人々と生きているのですから。
けれども神様は良い方で、何があろうともあなたのことを気にかけていてくださるのです。



変化をもたらす:インタビュー メルヴァ・ハンダーソン(3)


JBU:聖書のことばをそこまで愛するようになられた経緯を教えてください。

メルヴァ: 神学校の学生時代、ヨハネ15:7の「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます」というイエス様の言葉が目にとまりました。
その前の部分では、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です」とあります。ここでは、イエス様のうちにとどまることが語られています。そして、イエス様とそのことばとが同義のものとされています。
もし満たされたいなら、みことばに親しまなければなりません。

また、イエス様はヨハネ14:23で、わたしのところに来るなら、父とわたしはその人のところに来て、その人とともに住むと言われました。
「どうやって?」と思いましたが、それはみことばを通してでなければなりません。
私は父なる神様とともに住みたいですし、子なる神様とともに住みたいです。
ですから、みことばに親しむと決心したのです。
人生の回答を与えるのは、神のことばそのものです。


JBU: どうしたら生涯聖書に親しむ習慣を持てるでしょう。

メルヴァ: 文字通り、訓練です。この社会、テクノロジー、電話、iPadなどは私たちの時間と注意を引こうとします。ですから、神のことばがまず第一である、と優先順位をつける決意をしなければなりません。
私の祖母はいつも「生活の中で神様をまず第一にすると決意しなさい」と言っていました。
ですから、毎日神様を見上げます。たとえ、そうする気にならなかったとしても、です。
それをパウロは1コリント9:27で「私は自分のからだを打ちたたいて服従させます」、別の訳では「自分のからだを打ちつけます」と述べています。
言い換えれば、私は強いて身体を従わせ、すべきことをするのです。それはすべきこと、訓練です。

30年前から、早朝に祈るために起きるようにしています。それも訓練ですね。毎朝、私は起きて、神様と話す準備をします。初めに聖書を読み、そして祈ります。


JBU: 聖書の読み方について教えてください。

メルヴァ: 初めに、31章まである箴言から1章を読みます。
次に、毎朝パウロの祈りを読みます(エペソ1:14-23、3:17-21、コロサイ1:9、ピリピ1:9)。

まずエペソの「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか(見えますように)」で始めます。
それから、エペソ3:18にあるように、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つことができるように、と祈ります。
もし神様の愛が私のうちにあることに気づくなら、何が起ころうとも、何をされても、人々を愛することのできる心が与えられます。

ピリピ書からは、神様の働きができるよう、御霊のくださる賜物を受け取ります。
もし人生で何か起こり、心がざわざわしても、それらのみことばを見上げて助けをいただきます。心がみことばで満たされたら、祈りに移り、答えを求めます。


JBU: 聖書のことばを明確に体験された、特別な経験がおありですか。

メルヴァ: 2年前に祖母が召された時です(90歳でした)。彼女の死ほど私の人生に影響を及ぼした出来事はありません。
彼女がいないという心の穴を埋めるのに、2年かかりました。
私は実の父母に育てられていないので、祖母が私の家族そのものでした。
しばらくの間、自分が自分でないようで、ただ息をしているだけの状態でした。
落胆し、ひどい混乱と恐れと不安がやってきました。
けれども、長年神様がみことばを通して語ってくださったことが自分を支えてくれたのだと信じています。

悲しみに沈んでいたある日、主ご自身が私の父親となる、と明確に語ってくださいました。
詩篇68:5に、神は「みなしごの父」とあります。その言葉が、私を穴から引き上げてくれました。神が私の父となって下さり、私は独りぼっちではないと知ることで私に変化が起こりました。

また、イエス様が私の悲しみを悲しみを背負ってくださることもわかりました。
マタイ5:4「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」という励ましが与えられました。
だから、私は悲しんでよいのだ、と知りました。そのことが私をおおいに支え、神様が私の父となってくださると信じる決意が全てを変えました。  (続く)


バランスのとれた人生とは Balancing Act 

JBU誌の編集スタッフが語る、 人生の季節をよく生きること 聞き手 Ann M. Cook 私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。 家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。 たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。 JB...