2013/08/21

荒野を通る経験③

~砂漠でしか学べないこととは~(続き)

 
 
Liz Rhodebeck
 
 
 
 
 
 


 砂漠は、厳しさの中で忍耐する場所だ

北極気候の中で耐え抜くのと同じように、砂漠で耐え抜くには身体を絶えず保護していなければなりません。
日焼け、熱風、脱水は、凍傷や裸と同じくらい危険です。
装備を一瞬でも怠ると、身体は衰弱してしまいます。

しかし、砂漠気候に備えてきちんと準備し、薄い色の衣服を身につけ、帽子をかぶり、目を保護し、十分な水分を摂取するようにすれば、砂漠でも生きていくことができます。

地上での人生も霊的な危険に満ちています。
この世界で生きるとは、モラルの腐敗や多くの誘惑という気候の中で生きていくようなものです。
けれども、その中で神のみこころにかなった人として生きていくことは可能です。
適切なものを「身につけ」、祈りとみことばという栄養をとり、私たちを導いてくださる神様に信頼をおきつつ、正しいモラルに沿って一歩ずつ忍耐強く歩むという日々の努力によって、それは可能なのです。



砂漠は、生き抜くために一日のリズムに従うことが要求される場所だ。

ある写真家が砂漠の自然を撮影したいと思いました。
岩の下にいたヘビを引っぱってきて、撮影のために日なたの木につるしました。
撮影のために機材を準備したわずか10分ほどの間に、そのヘビは死んでしまいました。
その写真家は、午後の太陽の照りつけるところでヘビが生息できず、文字通り熱で「調理」され死んでしまうことを考えなかったのでした。
ヘビは涼しい日陰の岩陰に生息する性質があったのですが、愚かな写真家はヘビのいのちを守る環境を奪ってしまったのです。

砂漠には気温の上昇・下降の一日のリズムがあります。野生の生物はそれに適応して暮らしています。
もっとも暑い時間帯には、ほとんどすべての生物が何かの陰に隠れて休みます。
肌寒い夜になると、砂漠の動物たちは活動を始め、隠れ場から出てきて食物を探します。
もし午後の暑い日ざしの中で食物を探すなら、それは自殺行為といえるのです。

砂漠を旅する賢い旅行者も、同じようにします。
午後の暑いときには休息し、気候の穏やかな時間帯に移動をします。
砂漠の一日の気候サイクルを無視すれば、自分自身を危険にさらすことになります。
こうして制限のある環境下で過ごすことを学ぶのです。

同じように、神様も私たちがある環境の中で過ごすようにという範囲を与えておられます。
神様のみこころを無視するなら、快適さはなくなり困難の中に入ってしまうことになります。
砂漠のリズムに従うように、みこころのリズムに従うことで、私たちは平安に生きていくのです。

神様が私たちと交わりを求め、モラルのあり方を定めてくださったのは、私たちから何かをとりあげようとするためではなく、私たちが霊的な砂漠を安全に歩み、神様のそばを歩むためなのです。


砂漠への旅に出る。

私たちの多くは、実際の砂漠への旅はできないでしょうし、また砂漠で学べることを実際に体験して学ぶ必要もありません。
けれども、霊的あるいは心の中で砂漠への旅をすることはできます。
砂漠に行くようにただ一人になって離れ、神様と顔と顔を合わせることを求めるのは可能です。
それは自分自身の内面を静め、静かな砂漠で神様の声を聞く時間なのです。

どのようにしてそこへ行きますか?
何か決まったやり方を示すことはできません。
それは単なる願いだけではなく、ある種の「準備ができている」状態が必要です。

ちょうど成長したいと願う人が「オーケー、今日成長するから」と言うところを考えてください。
 成長には時間が必要ですから、そんなに簡単にはいかないでしょう。

砂漠に行くには、時があり、そして願いがあってのことです。
適切な時ならば、聖霊様が内面における砂漠に導いてくださるのです。
霊的な生活において快適さを求める以上の純粋な願いがあり、暑さに耐えるだけの忍耐があるなら、行くことができるでしょう。
砂漠で一定の期間を過ごしたならば、ヨハネやパウロが見出したような一つの目的を見出すでしょう。神様をより深く知り、自分自身をもより深く知ることができるのです。

砂漠に行って、そこで学んでください。


荒野を通る経験②



~砂漠でしか学べないこととは~(続き)

Liz Rhodebeck
砂漠は、隠された驚きと潜在的な力に満ちた場所だ。
ある古いロックの歌に「海はその底にいのちを秘めた砂漠だ」という歌詞がありました。
海面を見ているだけではわからない、海の豊かな生命について、つまり表面には隠された事柄について述べているのです。
海と同様に、砂漠も一見すると何もなく、生き物が存在しないように思えます。
しかし、ぱっと見ただけではわからないことがあるものです。
驚いたことに、砂漠にはその気候に適した動物たちが生息しているのです。
多くの種類の昆虫、鳥、爬虫類、哺乳動物たちがよく見ると砂漠には満ちています。
穴や岩の洞窟などに隠れてはいますが、そこには確かに生態系が存在しています。
私たちも、一人ひとりが隠された能力を持っています。
普段は、限られた側面からしか人生や霊的状態を見たり判断したりしていません。
そのため、常識では測れない、隠された宝を見逃してしまっています。
神様は、時に私たちが「自分はこの程度だ」と思いこんでいる以上のことをする機会を与えてくださいます。
砂漠で自分を観察することは、隠されていた新しい生き方と賜物を見つけることになります。
砂漠は、耐えがたい気温になる場所だ。
ほとんどの人は、砂漠とは乾燥した、高温の気候であると思っています。
たしかに40度を越えるような高温になりますが、夜にはとても寒くなることをご存知でしょうか?
昼と夜の気温差は50度以上にもなるのです。
この日々の大きな変化にはどんな人でも気付くでしょう。
変化に対応するためには適切な服装や防備が必要になります。
快適な気温になるのは一日のうちわずかな時間です。
その他の時間は暑すぎるか寒すぎるかのどちらかです。
神様の前で改めて自分自身を静かに見る時、私たちにはよい性質も悪い性質も極端である、ということを示されます。
私たちには長所があるかもしれませんが、弱さがあるのだと正直に認めるところから成長が始まります。
人間の性質はさまざまですが、多くの人は短所や誘惑にきわめて弱い部分を見ないでおこうとします。
平凡な性質をもったところだけを見て、直面すると痛みを感じるような自分自身の現実には向かおうとしません。けれども、それが霊的に成長するためには必要なのです。
肯定的にいえば、砂漠とは新たな使命をいただき、心にあるビジョンが明らかになり、それらを成し遂げるために必要な神様の助けに信頼することができるようになる場所です。
(続く)

JBU2013 夏号より    Copyright 2013 Liz Rhodebeck. . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045


荒野を通る経験①

                              ~砂漠でしか学べないこととは~

Liz Rhodebeck


 砂漠で休暇を楽しむのが理想的だ、という人はおそらくいないでしょう。
もっとも砂漠といっても、人工的に作られたラスベガスのような場所に遊びに行くとか、仕事があるというなら、行く人がいるでしょうが・・・。
一般的にはゆっくりとリラックスできるグランドキャニオンや森林とは違い、風景やキャンプを楽しむために砂漠に行く人はいません。
しかしながら、聖書的な視点から言うと、砂漠で過ごすことには意味があるのです。

いくつかの例をあげましょう。バプテスマのヨハネは成人期をユダヤの荒野でメッセージを語って過ごしました(マタ3:1-6、ルカ1:80、3:1-6、マコ1:1-6)。
イエスはバプテスマを受けてから、ひと月以上荒野におられました(マコ1:12-13、ルカ4:1-2、マタ4:1-2)。
使徒パウロは改心後、アラビヤの砂漠で3年間を過ごしました(ガラ1:17-18)。
神の民は世代が入れ替わるまで、荒野をさまよいました(出エジプト記)。

なぜ砂漠なのでしょう?
その目的はなんだったのでしょうか。


砂漠とは、他者と切り離されて孤独になり、神と顔と顔を合わせて向き合う場所です。
聖書学者の中には、パウロは荒野で神ご自身から福音理解を与えられた、と考える人もいます。
他の弟子が教えたというよりは、使徒の務めに必要な資質は主と向き合うことで備わった、というのです。

イエスは公生涯に入る前に、砂漠で試みを受けました。これは準備の時であり、ここで父なる神のみこころをよりはっきりと確信するに至ったのでしょう。天使が来て仕えたとはいっても、イエスはサタンの誘惑に人間としても立ち向かわねばなりませんでした。


では今日、私たちが砂漠に行くのにはどんな意味があるのでしょうか。
砂漠に行くことは、日々のデボーションや毎週の集会に行く以上の意味を持ちます。
1日1章を読む、とか、セミナーに参加する以上のことなのです。
それは神の前に、私たちの人生がどうであるかを詳しく点検する時です。
邪魔や雑用、クリスチャンはこうあるべきという思い込みから離れる時なのです。
それは緑に囲まれた静かですてきな場所に行く以上のことなのです。


それでは、砂漠でしか学べないこととは何でしょうか?(続く)






JBU2013 夏号より    Copyright 2013 Liz Rhodebeck. . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(5)

5 ふりかえり、 再評価し、 選ぶ。 主とともに歩みながら、目標を設定し、毎日のよい習慣を実践してください。 途中で立ち止まり、熟考し、再評価し、選択することです。 Intentional living は、大陸横断紀行によく似ています。 走行中に車を停め、燃料を補給する必要があ...