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2017/12/22

聖書を読むのはつまらない?!(3)

~神のことばを再び読みたくなる秘訣





Sandy Mayle



←その(1)    ←その(2)

(続き)

私は、前の月に選んだ聖句を用いても祈り続けます。
なぜなら、たとえば自分の舌の用い方について教えられたことや、イエス様が人々と関わっていかれた例といった、示されたことを忘れたくないからです。
1年の終わりには、各月に学んだ聖句や祈りのポイントを記した小さなカード集が完成していることを期待します。
そうすれば、この年に学んだ事柄の「選り抜きバージョン」を常に持ち歩くことができるでしょう。

もしみことばに対する新たな愛がほしいと祈るなら、神様のあなたに対する答えは私とは全く違うかもしれません。
神様はあなたの必要と、あなたに対するご自身の計画に特別の道に導かれるでしょう。

一番大切で心にとめるべきことは、神様がみことばを開く時に私たちに喜びを与え、聖霊が導かれて、神の子どもたちがみことばから隠された宝を探し出し、かけがえのない富んだ鉱脈を見出すことです。
神様は私たちに必要なものをそこに備え、私たちを導きたいと願っておられます。

また、神様は、私たちがただじっと自分のポケットに宝を入れたままでいてほしくないのだと確信します。
神様は私たちを通して働きたいとも願っておられ、新たに見出した富を他の人々と分かち合ってほしいと思っておられます。
神が語られる中には個人的な必要や益になる「秘密」もいくつかあるでしょうが、多くは与えられた交わりや贈り物や宣教のわざを通して流し出していくべきものです。
驚くことに、流し出していく時に、私たちはさらに豊かさが増すのです。
聖霊の導きに従い、神のことばに信頼して飛び込むのはなんと素晴らしいことでしょうか。

新たな情熱は強くなったり弱くなったりします。
私自身も確信のある聖句を与えられなかったり、何を聞く必要があるのかわからなかったりします。
ですから、先に書いた3つの祈りを絶えず祈り、神様にみことばへの情熱をくださるよう求めます。
みことばへの情熱は神が与えてくださるもので、私はそれを大切にし育てていきたいのです。
みこころなら、もう二度と聖書に飽きることがありませんように。


←その(1)    ←その(2)

*Sandy Mayle:フリーランスライター。Discipleship Journal や Pray!誌他様々な記事がある。夫と共にペンシルベニア州エリ―在住。3人の成人した子供と3人の孫がある。

聖書を読むのはつまらない?!(2)

~神のことばを再び読みたくなる秘訣





Sandy Mayle



←その(1)


(続き)
当初は、じっくりと、12の月ごとの主題をリストアップし、年間計画をたてたいと思いました。
しかし、神様は違う方法で進めるようにと願っておられるようでした。

次月の聖書研究をどうするかは、神様がご自身のタイミングで与えてくださるように感じ、そうしました。
時々、月の終わりが近づくのに、次は何をするのかまだわからないこともありましたが、聖霊様がいつも適切な時に私を導いてくださいました。

現在まで、それはわくわくする信仰の旅路となっています。
昨年(2017年)の月ごとの主題をいくつか挙げましょう。

・1月:舌(ことば)について(私には限度が必要)。主に箴言からの学びで、日々祈りに用いることのできる大切な節が与えられました。

・2月:何かをやりすぎることについて(私の人生でずっと問題である)。ガラテヤ書と、「Go Small(少しずつ進もう)」(Graig Gross, Adam Palmer共著)という本から学びました。

・3月:主にある年齢の重ね方(私は老いていませんが、やがて老いていきます)。聖書の登場人物、バルジライ、カレブ、シメオン、アンナについて学びました。また詩篇の中のいくつかの節とビリー・グラハムの「Nearing Home(天国に近づいて)」という本も読みました。先輩の信仰者から得たものは、長いリストになるほどたくさんあります。

・4月:人々と関わることについて(私は人付き合いがよくありませんが、神様は私の努力が必要だと知っておられます)。マルコの福音書から、イエス様が3年の公生涯で人と関わっておられることを学びました。私が身に付けるべき勇気とあわれみの表し方を見ました。

・5月:私のうちにおられる神様について(なんとすばらしい事実でしょうか)。これを書きながら、イエス様が文字通り私たちのうちにおられることがどれほど素晴らしいかと驚いています。同時に私自身がさらに「神ご自身の満ち満ちたさまにまで、満たされますように」(エペ3:19)とチャレンジを受けます。

一つの箇所から次の参照箇所に移り、これらのトピックについて聖書がなんと言っているかを見出し、注解書や聖霊に導かれて選んだ信仰書を読み、明らかになった真理が私の霊を癒し整えてくださるようにと祈り、心を新しくし、生活が変えられるのは、まるで宝探しをしているようです。

聖書箇所を読み、聖霊様が明らかにされることをジャーナリング(記録)していると、しばしば主題を貫くいくつかの大切な聖句に至ります。
それらの聖句がその月の私にとっての中心箇所となります。
私が一日を通してどう祈り、思いをどこに集中すればよいのかを示してくれます。
月の終わりまでに、私はその月の初めとは違った人物になっています。

(続く)

聖書を読むのはつまらない?!(1)

~神のことばを再び読みたくなる秘訣





Sandy Mayle



文字が読めるようになって以来、私は聖書を読んできました。
様々な訳(英欽定訳、新英欽定訳、新世界訳、リビングバイブル、ニュー・リビング訳、メッセージバイブル、等々)を用いてきました。
幾度となく聖句を読み、多くの書を掘り下げて学び、聖書の人物について研究し、主題別の学びをし、様々なことに関して聖書がどう言っているのかを学ぶクラスにも出席してきました。

さて、自慢ではなく、恥ずかしいことを告白します。
時々、私は聖書に飽きてしまうのでした。
みことばは絶対だと信じ、また私に語られていることは必要なことだと知っている一方で、もし聖書を新鮮な視点で読み、新しくわくわくする事柄を何か見出し、みことばがいきいきする方法を再び見つけられたらいいのに、と思ってきました。

私はそういう思いで近年葛藤を覚え、何ヶ月もすごしました。
毎日1節を取り上げて読んでいく、通年のデボーションの本を使っていました。
それもよかったのですが、年があけてしばらくすると、聖書そのものをもっと深く愛せるようになりたいという思いが強くなり、聖書そのものをもう一度読んで味わい、学ぼうとしました。
確かに、神様は私にみことばを愛するよう願っておられるのです!

私は自分のマンネリと神様への願いを告白し、短い祈りを書きました。
「どうか、あなたのことばに対して目が開かれますように」と。
すると、聖霊様は詩篇119篇を読むよう導いてくださいました。
この詩篇こそ、神のことばを愛し、176節にわたって詩人がそのことを告白した詩です!
詩人は私が望んでいるような、みことばへの情熱と渇きを持っていました。

そこで、私は3つの聖句を祈りの項目に加えて、毎日祈り始めました。

1.「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください」(詩篇119:18)。
2.「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました」(エレ15:16)。
3.「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」(詩篇119:97)。

これらの言葉が真の思いとなるよう、私は繰り返し求めました。
一晩では何も起こりませんでした。

しばらく経って、新年が近づいた時、あるアイデアが明確になりました。
2017年は毎月、さまざまな聖書の書、人物、トピックから聖書の学びをする、と。
そして、主がみことばから語って下さったこと、教えてくださったこととを記していくようにとも導かれました。
注解書などの参考書も読み、主が言われることは何でも行動に移し、学び、変わり、12の違った方法で2017年は成長しようと思いました。

聖書研究を新たな視点と方法でするという思いに伴って、みことばに対する新しい愛と探求したいという興味がわいてきました。
聖書をどのように読むか、と読む意欲とは、まさに祈ってきたことへの答えでした。

では、その聖書研究プランは、どのようなものだったかというと・・・
(続く)

その(2)→    その(3)→


2016/07/27

きちんとできなくても ~その2~


最も大切なことを優先する(続き)

Vicki Courtney

その1はこちらから


私の祈りの生活は、日ごとのある決まった時間というよりは、一日を通しての神様との会話に近いものです。
一日の中で神様の多くの恵みに気づいたときに、神様をほめたたえます。
また、神様のみわざに気づいたときに、時間をとってそれを味わいます。
時には大好きな賛美のプレイリストを再生して、賛美曲のすばらしさに涙を流します。
神様の前に静まる時間がどのくらいかはわかりません。
なぜなら、一日を通じて絶えず神様の前に出ているからです。

ついに私は、このやり方(決まったやり方のない)が最も自分に適していることがわかりました。
そして、何か規則に従うというよりは、神様との関係を築くことに焦点を合わせています。


あなたが日々忠実に時間を守っておられるでしょうが、それが喜びからというよりはむしろ義務になっているかもしれません。
神と共に過ごす時間が、私にとって必要な時間、というよりは単なる「なすべきこと」になっているかもしれません。
もしそうなると、デボーションの足跡はあなたの熱心さを示すだけで、信仰は弱ってしまいます。

行いによる善は、神様との誠実で豊かな関係に導くことはほぼありません。
マリアはイエス様の足元に座りました。
それは、彼女がその時間を絶対に必要であると考えたからでした。
単なるTo-doリストの一つにチェックを入れるためではありませんでした。

神様と定期的に欠かさず過ごそうとするあまり、その過程で神様が不在になってしまうことがあります。
言い換えれば、そこに登録されてはいるものの、神様の声を聞く時にはいないかもしれないのです。
もし神様と過ごす時間がこうでなければ、という方式にこだわると、その時間は特権にあずかる時ではなく、いやいやながらの義務になります。

質問をします。

もし神様との時間を過ごさなかったら、神様と交わらなかったことが気になりますか?それとも、一日抜けてしまったという事実が気になりますか?


あなたの答えが、あなたのデボーションの動機が何かを知るよい目安になります。
神様と過ごすことについて、今まで持っていた動機を捨てたらどうなりますか?
神様と過ごすことについて、どうしたらデボーションを習慣化するかについて今まで持っていたイメージを捨て、新たな思いで始めたらどうでしょうか?
神様と過ごす方法は、他人の方法があてはまるとは限らないのです。


もし継続して神様と交わることができなければ、神がどのようなお方であり、どれほど私達を愛しておられるのかを、た易く忘れてしまいます。
失望、怒り、告白されない罪、答えられない祈り、応じられない期待、そのほか様々な邪魔で、私たちは神様から遠い気持ちになり、神様を避けるように誘惑されるのです。
神様を避けても、魂には不安がつのるばかりです。
私達は神様にあって真の安息を得るように造られているのですから。

もし神様を避けてきたなら、「あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(へブル4:16、新改訳第三版)」。

神の御座に近づいて、心を注ぎ出しましょう。
もし祈りが答えられなくて心が辛いなら、神様にそのまま伝えましょう。
もしからみつく罪にとらわれているなら、神様のところに行って告白しましょう。
過去の重荷を背負っているなら、神様の恵みを思い出して解放されるように願いましょう。

上の節で使われている「大胆に」はギリシャ語で「parrhesia(パルヘシア)」です。
「はっきり言うこと、率直さ、単刀直入に」という意味があります。
神様は受け止めてくださいます。
あなたが、神様は受け止めてくださらないのでは、と想像しているだけなのです。
今がその関係を修復する時です。
もし罪のなわめに苦しんでいるなら、一晩での修復は難しいかもしれませんが、神様に近づこうとする思いから回復は始まります。
放蕩息子の帰りを待っていた父親のように、神様はあなたを待っておられます(ルカ15:20)。

神様はあなたのことを怒ってはおられません。
また、あなたの反抗を罰しようと御座に座っている方でもありません。
あなたは限られた恵みのおこぼれをもらおうとして、疲れ果てることはないのです。

神様は、あなたの罪を覆うために恵みを惜しまない方です。
何度でも繰り返し言います。
神様は、あなたのどんな理由にもかかわらず、そばに来なかったことを責めることはなさいません。
あなたが必要な時に恵みとまことを施したい、と願い待っておられるのです。

神様との関係を妨げているものが何であっても、あなたの魂は神を必要としており、神様に立ち返って初めて安息を得るのです。
少し立ち止まってみましょう。

全地の神があなたを罪から救ってくださっただけでなく、あなたを知りたい、そしてあなたにもご自身を知ってほしいと願っておられるという、素晴らしい奥義について考えてください。

この驚くべき事実を知るなら、私達はひざをかがめて感謝と礼拝をささげたいのではありませんか。
神様は私達の人生に無理に入ってこようとはなさいません。
私達が選ぶ自由意志を与えておられます。
私達の多くは疲れ果て、混沌と混乱と義務でいっぱいの生活以外見えなくなっています。
けれども、私達にはもう一つの選択肢があります。
それはより良いもので、混乱した魂に安息をもたらすのです。

あなたはその良い方を選んでいますか?
そうでないなら、もうためらうことはありません。



Just Between Us 誌 2016 夏号より翻訳   Original title: "Quiet-Time Flunkie"  
Copyright 2016 Vicki Courtney. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

きちんとできなくても ~その1~



最も大切なことを優先する






Vicki Courtney





「デボーション」という言葉を見聞きした時、あなたはどのように感じますか。
信仰生活の中で、それほど負担でないものの、私はある程度罪悪感を感じてきました。
それは、どんなに努力しても、クリスチャンの多くの先輩たちが指導してくれるようなデボーションの時をきちんと決めてとることができなかったからです。

私はデボーションの記録をつけようと思って日記帳を何冊も持っていますが、未使用か初めの数ページ使っただけになっています。
聖句を覚えようとして買ったカードや蛍光ペンも未開封のままです。
各種の聖書通読表や週ごとの祈りの表も、ずっとそのままになっています。


「完璧な」デボーションの習慣についてのセミナーに参加するたび、勧められたものをそろえ、目覚まし時計をセットしてきました(なぜなら、「よいクリスチャン」は朝にデボーションを持つのがよい、とされていますから)。
今度こそ、と決意を新たにしてその都度チャレンジするのですが、一週間が過ぎるころには遅れをとり、強い決意も半分くらいになってしまうのでした。

ほどなく、目覚ましは解除され、何も書かれていない日記帳と暗記カードが、これまでの未使用のグッズの数々とともに部屋の棚に並んで収められる、という状態になるのです。
私はいわばデボーションの失敗者でした。
聖書を読むこと、祈ることがきらいなのではありませんが、他のクリスチャンが普通にできるという決まったデボーションのやり方を続けることができなかったのです。


一方、私の夫は整った日々のデボーションを続けるという点では見本のような人物です。
(冗談ですが)もし「デボーション」を辞書で引くなら、聖書を抱え、黄色の蛍光ペンを手に持ち、神様のご人格について書かれた古いプリント(神に喜ばれる者となるため、月ごとにそれぞれのご人格について学ぶための資料)を持って微笑んでいる夫が出てくるでしょう。
夫はそのような人です。
もし私がデボーションの失敗者なら、夫はデボーションに成功しすぎた人といえるでしょう。

夫と私は性質がずいぶん異なります。
夫はなんでもきちんとしたい性格ですが、私はそうでもありません。
長年の間、私はデボーションのやり方を守れないことで劣等感を感じてきました。
さらに、私は神の御座に近づこうとする時、神様が腕時計の文字盤を指でたたきながら、頭を横にふっている姿を想像していたのです。
「おお、またあなたですか(深いため息)。もう時間なのに。
洗濯機が故障したり携帯電話が鳴ったりしても、これが電車の時刻だと思って、乗り遅れないように10分で対処できるか、試してみましょう。」

もし神様を、義務を課す恐い方だと考え、私達の心よりも行いを重視される方だとおもうなら、
神様に会うことは関係を持つというよりも、ただ規則を守ることのようになってしまいます。

しかし、デボーションのやり方に失敗したと思うのをやめ、神様がある決まったやり方しか受け付けないという思い込みを捨てた時、罪悪感からではなく、純粋に心から神様をしたい求める思いがやってきました。
ある人に適した方法が、他の人にも適しているとは限りません。
私にはOne-Year Bible(新旧約、詩篇、箴言が1日ごとに分かれていて、365日で聖書全体を通読できるもの)が一番合っています。
もし1日(かそれ以上)読み忘れても、前の日に戻って読むことができますし、時にはそれを飛ばして当日の箇所を読みます。
また、聖書のソフトウェアを購入してコンピューターに入れ、時間の許すときにはその日の聖書箇所とは別に、先の箇所を読むこともあります。
ある聖句や箇所の意味をよく理解するために、ギリシャ語やへブル語の原語の意味や主要な概念を調べたり、いくつかの注解書にあたったりしようとも思います。
手元の聖書は3,4日開かないで、ある1節に1,2時間心を集中して調べる夜もあります。
それは私に、より深い洞察を与えてくれます。


(その2に続く)


Just Between Us 誌 2016 夏号より翻訳   Original title: "Quiet-Time Flunkie"  
Copyright 2016 Vicki Courtney. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 


2013/06/04

身の回りの不用品を整理する!

Eileen Koff, CPO




夏がきました。ゆったりと過ごせる季節です。

・・・が、子どもたちは家の中ではしゃぎ回り、洗濯物は山積みになっています。経済的にも前ほどゆとりがありません。気付かないうちに、顔には新しいしわができています。

イエス様は「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:30)と言われました。

確かにそうです。
イエス様のことばのとおり、夏場は普段の生活のペースを落として、じっくり考えることができます。
 夏休み中の子どもたちと、外出できる時でもあります。

もっとも、家の中の散らかり具合はどうしようもありません。


でも心配しないでください・・・神様はあなたと共におられます。プロのオーガナイザーが実践しているコツをお教えしますから、夏の暮らしをもっと楽しんでくださいね。

まず今日一日のことだけを考えてください。
この先の人生すべてにわたって「いつもきちんと整理しなきゃ」と思わないように。
以下を心にとめてください。




1 計画する。

整理を始める前に計画をたてましょう。まず、何が不要なのか見極めましょう。

家じゅうを見渡して、不用品を整理すべき所をリスト化しましょう。
ベッドの下や薬の引き出しなど、すぐには見渡せないところも含めてください。
必要なら、整理の大変さに応じて「大変」「まあまあ」「容易」にランク分けしてもよいでしょう。
子どもたちにも手伝ってもらって、楽しくやりましょう。


2 モノを定位置にもどす。

「この24時間は、モノを出しっぱなしにせず、元あった位置に戻す」と決めます。

忙しくてそんな暇はない、と思いますか?
行方不明になったモノを探す時間は、モノを元あった位置に戻すよりも常に長くかかるのです。
それぞれのモノに定位置を与えましょう。

神様があなたの生活に与えてくださったものを、持ち物を含めて大事にし、感謝してください。
家族でゲームのようにしながら進めると、家族全員がモノをどこにしまえばよいのかわかります。


3 部屋の一箇所ずつ片付ける。

やることが多すぎる、と感じるでしょうか?どこから手をつけてよいのかわからないのかもしれません。
キッチンタイマーを15分にセットして、部屋の中の一部分に集中して片付けましょう。
毎日これを続ければ、1週間で2時間弱も、片付けのために時間をとることができます。


4 モノを減らす。

「いつか使うかも」ととってあるモノを使うか、冷静に考えてみましょう。
そうしたモノは処分し、同じようなモノをとっておかないようにしましょう。

「いつか」は永遠にやってきません。そのためにとってあるモノは、家の貴重なスペースを占領しているのです。


5 予備は適正な量にする。

予備のモノは、それを最も使う場所で保管しておきましょう。オーガナイザーたちはこれを「使用する場所に置く」システムと呼びます。

たとえば、キッチンのごちゃごちゃの引き出しに電池が入っているのを想像してください。
キッチンの貴重なスペースを電池入れにするのではなく、電池はたとえば玄関ホールのように、家の中央付近にしまっておきましょう。
家の中央にあれば、ペンやクレヨンや紙でごちゃごちゃしている引き出しから探し出すよりも簡単に見つけることができます。


6 ラベルを活用する。

ラベルをつければ、何がどこにあるのか一目瞭然です。頭の中に記憶しなくても大丈夫です。


7 一つずつ家事を完了させる。

洗濯は、衣類をたたみしまったときに完了します。洗濯機のコーススイッチが切れた時ではありません。
それぞれの家事を完了させる習慣を身につけましょう。
未完了の家事はストレスの元になります。顔のしわが増えますよ!


8 買う時はよく考える。

買う前に、本当にそれが必要なのかよく考えましょう。
これからのあなたの生活に継続的に役立つモノか、自問してください。


9 身の回りを整理することは、内面を整理することである。

あなたの暮らす環境は、あなたの内面の心の様子を表しています。
身の回りを整理するにつれて、内面もすっきりと整理されてくるでしょう。
私が家から50ポンドの不用品を処分した時には、実際に体重もいくらか落ちました。


10 不用品は「決心の先延ばし」でしかない。

身の回りをすっきりさせ、整理をすると、今日決意し約束してください。

夏はゆったり生活する季節で、体力を温存し平安の中で静まる時でもあります。
数時間、メールや携帯電話に反応しないことにすると、生活の中でバランスを取り戻すための貴重な時間を確保することができます。
夏場は日が長いので、少し予定を立てておけば、片付けをしてからでもビーチに遊びにいくことができますよ。


 私たちの神は秩序の神です。秩序とは、愛の表れです。夏、秋、冬、春の順番もそうですね。

子どもたちにもすすんで手伝ってもらいましょう。
子どもたちも、大切な生活スキルを学ぶと同時に、親子で共に取り組む楽しい時間を過ごせることでしょう。
終わったら、アイスクリームを食べるとか自転車に乗るとか約束をすれば、家の片付けをやりきった喜びもひとしおですよ!




2013/02/23

ジャーナル入門(Journal 101)



ジャーナル(日記、日誌)で、あなたの霊的生活が変わります。




 
by Elisabeth K. Corcoran



私は高校生のころからジャーナルをつけています。
それらは全て、今も手元にあります。お気に入りの棚にしまってあって、時々取り出しては眺めています。
自分が若くて未熟だったことに笑える時もあれば、涙が出てくることもあります。
自分がかつてどんな少女であったか、そして今のような成人の女性にどのように成長したのかということに驚きます。
読み返すと、現在の自分はその当時からは想像できない状況にあります。

けれども、どのページをめくっても、そこには同一人物の自分がいるのです。



始め方

・自分のためにすてきなノートを手に入れ、お気に入りのペンか鉛筆を見つけましょう。あるいは、パソコンのワードを利用しましょう。
どちらにしても、自分の一番気に入ったやり方でするのがうまくいきます。

・少し時間があれば、特別な演出をしましょう。キャンドルを灯したり、静かな音楽をかけたり、コーヒーや紅茶を自分のために入れたりしてみましょう。




何を書くのか

・神様への手紙。なんでも、どんなことでも伝えてみましょう。

・子どもへの手紙。私は2人の子どもそれぞれにあてたジャーナルを書いています。成長したらそれを渡そうと思っています(実際には、以前の方が今よりも頻繁に書いていましたが…)。

・忘れたくない子どもの面白い言葉

・聖句を書き、自分の生活にどのように適用するか神様に尋ねる。

・創造的なアイデアや計画を心にある大きな問題への解決法を思いつくまま書き出す。

・人間関係のトラブルにおいて、自分の立場を明らかにする。

・腹の立つ人に宛てて手紙を書く。怒りを発散するために。でも、それを実際に送ることはしない。

・祈りの課題や答え。ジャーナルは神様の御手が人生にどう働いたかを記録する美しい方法です。

・好きな引用句。

・読んでいる本の一節。

・教会のメッセージの一節。

・目標とそれに至る過程について、実現のために書く。そして、実現した後、どのようになったかも書く。

・メリット・デメリットを書き出して意思決定をする。

・家族の歴史。



覚えておきたいこと

・ジャーナルは非公開のものです。正直になって、心にあることをそのまま書きましょう。自分を偽らないこと。あなたと神様のためのものですから、他人が見る必要はありません。神様はどんなことでもご存知ですから、ジャーナルは自分のありのままを出せる場所なのです。

・集中するのが難しいことがあります。立ち上がって気になること(例えば「サラが靴下がほしいと言っていたけれど、あるかどうか確認しなくちゃ…」といったこと)をする代わりに、その日のジャーナルのページの上の余白にメモして、後で終わってからTo-doリストに加えます。

・私は、年末に1年分のジャーナルを読み返すのが好きです。(1年間、毎日きちんとジャーナルをつけると、読み返すのに9時間くらいかかります。読み終わるまでに疲れるほどの量です。)

それでも私がこのことを興味深くしている理由は、かつて1日単位では見えてこなかった、生活の疲れの原因となっているものを見つけることができたからです。
ジャーナルを読み返すことで、私は仕事をやめてフリーランスになり、執筆や講演活動に力を入
れるという決断をすることができました。
ジャーナルを読み返すことがなければ、私にこの決断ができたかどうかわかりません。




ジャーナルは重荷にならないことが望ましいです。最終目標は、単に毎年いっぱい書かれたたくさんのノートを所有ことではないのです。
人生の訓練はすべて、そのノートでおさまるわけではありません。

一般的に言って、きちんと続ける人は、それがとても楽しいから続けているわけではありません。
けれども、自分の思いを文章にすることはとても報いのあることです。劇的に報いがあることです。

ページの終わり、段落の区切り、あるいは文の終わりに来る時、書き出して見るまでは気づかなかった、自分のあることへの本当の気持ちに初めて気づきます。

それはまるで、自分の本当の気持ちを別の自分が傍受しているかのようです。パーカー・パーマーは「あなたの人生が話すことを聞け」と言いました。

ジャーナルから何かを得るまで、書くことを楽しみなさいというつもりはありません。
少しずつ始めて、あなたのやり方に合うか確かめてください。
それから、人生の苦しい時期、幸せな瞬間、そしてその間のすべてのことについて、心と魂の気づきを味わってください。



バランスのとれた人生とは Balancing Act 

JBU誌の編集スタッフが語る、 人生の季節をよく生きること 聞き手 Ann M. Cook 私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。 家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。 たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。 JB...