2021/07/25

このような時のため!

 


ジル・ブリスコー  Jill Briscoe 




Just Between Us誌 2021夏号より



夫のスチュアートは90歳、私は86歳になりました。私たち夫婦は長年、教会や宣教のために世界中を旅する恵みに預かりました。

現在はコロナ禍の中にありますが、それでも出かけ、旅を続けています…違った方法で。テクノロジーを通して、家にいながら旅をして、近くや遠くの方々に届くことができています。

このような時のために、神様はご自身に仕え大宣教命令に向かうための方法を私たちにくださっていたのです。


ところで、外出を制限された中でどのように近所や人々に救い主イエス・キリストの愛を届けることができるでしょうか。

神様は、私たちに他の人々を愛するように命じておられます。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(Ⅰヨハネ4:19)。

他の人を愛しイエス様を指し示す最善の方法の一つは、祈ることだと知っています。だって、私たちは皆、どこにいてもひざまずくことができるのですから。

昨年(2020年)の4月、私たちは皆、世界のどこにいてもひざまずくことができる、という事実を実感しました。それは、イギリスにいる義弟からの電話を取った時でした。彼は悲しい知らせがあると言いました。私のただ一人の姉、大好きな姉がコロナウイルスに感染したと話しました。

ショックでした。姉は80代、当時はパンデミックが始まったところで、私がアメリカから姉のところに駆け付ける方法はありませんでした。姉に再び会うことも、会って別れを言うこともできないと思うと、私の心は張り裂けそうでした。絶望し、落胆していた時でした。そうだ、私は祈りによって遠くからでも姉のすぐそばにいることができるのだ、ということを思い出しました。


主は祈った時の会話を思い出させてくださいました。主は「あなたの会話の題名は何ですか」と私に問われました。

「あ、そうですね」と私は答えました。「『ひざまずけば、どこにでも行ける』という題です。」

「ジル、そうだよ」という静かな小さい声を私は聞きました。主は言われました。「では行きなさい。そして覚えておきなさい。あなたはいつでも、どこに行ってもひざまずくことができるのだ」と。


それで、私はそうすることにしました。父なる神様の御手にゆだね、彼女を励まし地上の人生の終わりに近づく時に神様の愛で包んでくださいと祈ることによって、私は姉を愛することができました。人々のために祈ることは神様の愛を示す特別な方法です。


第1コリント13章で、愛について使徒パウロが描写し定義しています。愛の一つの特徴は「すべてを耐える」(Ⅰコリ13:7)ことです。「耐える」とは、コートや上着のようなものです。着る人を包み、覆い、温める、大きな暖かいコートのことです。

愛はちょうど大きな天の毛布のようなものです。私たちの疲れ傷ついた世界が投げ出した、愛を必要とする人を包む毛布です。

私は姉を祈りという愛の毛布で包むことで愛を表すことができました。

姉が召されたのはそれから約1か月後でした。毎日私は電話で愛する姉と話しました。そして毎回、「すぐまた会いましょう、お姉ちゃん、すぐまた会いましょう」と言いました。ええ、本当にすぐまた会えるのです。

皆さん、覚えていてください。私たちはひざまずいて祈ることで、どこにでも行けるのですよ。

愛をこめて、ジル

2021/07/23

女性 タビタに学ぶ

 



シェリル M. スミス  Cheryl M. Smith 


Just Between Us誌 2021夏号より


タビタの記事はごく短くまとめられていて、読み飛ばしてしまいそうです。

使徒の働き9:36-42では、タビタという女性について書かれています。彼女はヤッファ(ヨッパ)の町で、貧しい人や未亡人を助けていました。彼女の親切とあわれみの心で人々はおおいに助けられていました。

悲しいことに、彼女は病気になり死んでしまいました。彼女が息を引き取ったとき、未亡人や貧しい人々は涙ながらにペテロの元に集まって来て、タビタが心をこめて繕い縫ってくれた服を見せました。タビタは未亡人に尊敬を持って接し、神の福音そのものの生き方を示しました。彼女がいなければ、どうなってしまうでしょうか。

ペテロは皆に部屋から出るように言いました。そしてひざまずいて祈りました。するとタビタは生き返ったのです。この奇蹟がとても素晴らしかったので、ヤッファの町ではリバイバルが起こりました。この記事から何を学ぶことができるでしょうか。


・タビタはイエス様の弟子であった。

使徒の働き9:36を見ると、タビタはイエスの弟子だと記録されています。原語のギリシア語では、「弟子」の女性形です。これは新約聖書でここにだけ使われています。

タビタは真の弟子でした。タビタに会ったら、イエス・キリストへの信仰に貫かれた人物だとわかったでしょう。彼女の態度、生き方、言葉にはそれが表れていました。また、彼女は自分の宣教のフィールドがヤッフォの貧しい人々や未亡人であることを自覚していました。


・タビタは人生を100パーセント生きた。

夫を亡くした人たちは、タビタの生きた社会では多く見られました。初代教会には、だれにも養ってもらえずにいた女性たちを助けるという責任がありました。タビタの働きはベビーシット(子守り)、心の痛みに耳を傾けること、服を縫うことでした。彼女は自分の人生をそうした必要を最も持つ人たちの日常に注ぎました。

豊かな人生を生きるとは、自分自身をささげることだとタビタは知っていました。


・タビタは賢く投資した。

タビタは、自分が神ほど多くのものを与えられないことを知っていました。イエス様は「わたしの弟子だからとうことで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」(マタイ10:41-42)とおっしゃいました。

上着を繕ったり継ぎ布を当てたりすることが、神の国にどんな意味があるのでしょう。こんな些細なことに何か意味があるでしょうか。

もちろん、あります。誰のためになっているのかあなたは知らないかもしれませんが、神様は知っておられます。こうした小さくも気前のよい働きは、傷ついた世界で神の恵みの香りとなるのです。

私たちの中でペテロのようになる人は多くありません。おそらく、奇蹟的に病人をいやしたり死人を生き返らせたりすることはないかもしれません。しかし、ささやかな恵みを表す働きも、同じように価値があり力があるのです。裁縫をしたり食事を作ったり、ハガキを送ったり、励ましの電話1本をかけたりすることでも、あなたはイエス様の弟子であり、目的のある人生を送っており、神の国のために投資しているのです。

タビタは私たち全てが見習うべき、美しい姿を残してくれています。

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(5)

5 ふりかえり、 再評価し、 選ぶ。 主とともに歩みながら、目標を設定し、毎日のよい習慣を実践してください。 途中で立ち止まり、熟考し、再評価し、選択することです。 Intentional living は、大陸横断紀行によく似ています。 走行中に車を停め、燃料を補給する必要があ...