シェリル M. スミス Cheryl M. Smith
Just Between Us誌 2021夏号より
タビタの記事はごく短くまとめられていて、読み飛ばしてしまいそうです。
使徒の働き9:36-42では、タビタという女性について書かれています。彼女はヤッファ(ヨッパ)の町で、貧しい人や未亡人を助けていました。彼女の親切とあわれみの心で人々はおおいに助けられていました。
悲しいことに、彼女は病気になり死んでしまいました。彼女が息を引き取ったとき、未亡人や貧しい人々は涙ながらにペテロの元に集まって来て、タビタが心をこめて繕い縫ってくれた服を見せました。タビタは未亡人に尊敬を持って接し、神の福音そのものの生き方を示しました。彼女がいなければ、どうなってしまうでしょうか。
ペテロは皆に部屋から出るように言いました。そしてひざまずいて祈りました。するとタビタは生き返ったのです。この奇蹟がとても素晴らしかったので、ヤッファの町ではリバイバルが起こりました。この記事から何を学ぶことができるでしょうか。
・タビタはイエス様の弟子であった。
使徒の働き9:36を見ると、タビタはイエスの弟子だと記録されています。原語のギリシア語では、「弟子」の女性形です。これは新約聖書でここにだけ使われています。
タビタは真の弟子でした。タビタに会ったら、イエス・キリストへの信仰に貫かれた人物だとわかったでしょう。彼女の態度、生き方、言葉にはそれが表れていました。また、彼女は自分の宣教のフィールドがヤッフォの貧しい人々や未亡人であることを自覚していました。
・タビタは人生を100パーセント生きた。
夫を亡くした人たちは、タビタの生きた社会では多く見られました。初代教会には、だれにも養ってもらえずにいた女性たちを助けるという責任がありました。タビタの働きはベビーシット(子守り)、心の痛みに耳を傾けること、服を縫うことでした。彼女は自分の人生をそうした必要を最も持つ人たちの日常に注ぎました。
豊かな人生を生きるとは、自分自身をささげることだとタビタは知っていました。
・タビタは賢く投資した。
タビタは、自分が神ほど多くのものを与えられないことを知っていました。イエス様は「わたしの弟子だからとうことで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」(マタイ10:41-42)とおっしゃいました。
上着を繕ったり継ぎ布を当てたりすることが、神の国にどんな意味があるのでしょう。こんな些細なことに何か意味があるでしょうか。
もちろん、あります。誰のためになっているのかあなたは知らないかもしれませんが、神様は知っておられます。こうした小さくも気前のよい働きは、傷ついた世界で神の恵みの香りとなるのです。
私たちの中でペテロのようになる人は多くありません。おそらく、奇蹟的に病人をいやしたり死人を生き返らせたりすることはないかもしれません。しかし、ささやかな恵みを表す働きも、同じように価値があり力があるのです。裁縫をしたり食事を作ったり、ハガキを送ったり、励ましの電話1本をかけたりすることでも、あなたはイエス様の弟子であり、目的のある人生を送っており、神の国のために投資しているのです。
タビタは私たち全てが見習うべき、美しい姿を残してくれています。
Cheryl M. Smith:執筆、サイクリング、ソーイングを楽しむ。Under His Wings キルティングサークル主催、洋裁士、2冊の本の著者。彼女と夫スコットは36年間伝道に携わり、2人の子どもと1人の孫がいる。
Copyright 2021 The Lesson of Tabiha, Cheryl M. Smith. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
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