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2025/02/08

意図的な休息、その恵み


人生を回復し、新たな力を得、魂を整える。


Catriona Futter



「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
 
イエス様はこう言われました。私たちの多くにとって、とても馴染み深いことばです。
しかし、もう少し詳しく知りたいと思うことがあります。
「イエス様、それは一体どういう意味ですか?私には効かないんです。疲れ果てています。」

私は精神的、感情的なエネルギーがいる人生の時期にいます。
2人の娘はどちらも遊学中です。
ここ数年は、娘たちが卒業試験を通過し、アートポートフォリオや大学の願書をまとめ、課題と共に家を出るのを手伝うのに忙しくしていました。
私はこれらの変化がよいことだと十分理解しており、感謝しています。

しかし同時に、自分が疲れ果てていることも知っています!
睡眠は休息をもたらすと知っていますが、なかなか心が落ち着かないときは、寝るのが難しいことがあります。
またぐっすり眠れたとしても、それで心、魂、精神を回復させることはできません。

私は、疲れの感じ方がいろいろあるのと同じように、休息の形もいろいろあるということに気づきました。

サンドラ・ダルトン・スミス博士は、7 つの異なる休息の型を提唱した医師です。
彼女の著書「聖なる休息(Sacred Rest)」を読み、彼女の Web サイトを紹介してもらって、これまでの人生で得られなかった多くの疑問の答えを解き明かす鍵を手に入れたような気がしました。


7種類の休息

私たちはしばしば、「休息」を身体的な休息や長めの睡眠を取ることととらえがちです。
しかし、この狭い「休息」の概念は、的外れなことがあります。
それは私たちの身体、心、魂の疲れに対する万能の解決策ではありません。

7 種類の休息の多様な概念を理解することで、疲れた魂に自由と希望がもたらされ、意識的な休息に満ちた生活を送ることができるようになります。


ダルトン・スミスによって定義された7種類の休息(www.dradaltonsmith.com/resources) は、以下の通りです。

1 肉体的な休息。

これは、よく知られている休息です。
身体を休めるということは、体を回復のためにリラックスさせ、緊張を和らげ、睡眠の質を高めることです。
私たちの体は驚くべきものです。
当たり前のように捉えがちですが、身体を休めるということは、断片化された私たちの体を、積極的で前向きな方法で再統合するように意図的に用いることです。

私は、自分の体が何を欲しているかに注意を払う習慣がありませんでした。
しかし、すぐれたピラティスのインストラクターが、体の緊張している部位を意識し呼吸や姿勢を変えることを、ストレッチによって意識的に行うよう指導してくれました。
まだまだ練習中ですが、とてもよいことです。


2 精神的な休息。

私たちの脳は、To-do リスト、細心の注意が必要な仕事、考えすぎる習慣、自己批判、終わりのない計画などで、常に負荷がかかりすぎています。
この精神的なノイズが私たちを疲れさせ、集中力を低下させます。

精神的な休息とは、その雑音を止め、心にかかり過ぎた負荷を取り除くことです。
特に画面を見る作業では定期的に短い休憩を取ることと、一日の終わりに頭の中にあることを紙に書き出すことが役に立ちます。

沈黙も、休息のための素晴らしい方法です。数分間座って、神様のことだけを集中して考え、完全に沈黙してみてください。どれほど難しいかがわかるでしょう!
これは、精神的な休息のための一例にすぎませんが、効果的な方法です。
呼吸と身体と聖書を結びつけて聖書の一節を黙想し、静まりへと導く「呼吸の祈り」を実践しましょう。
これは私にとって非常に役に立ちました。


3 五感の休息。

これは、意図的に感覚への入力を止めるものです。
電子機器の電源を切り、音楽を止め、雑音をシャットアウトし、会話をやめます。
現代社会にあふれる視覚への刺激から目を休めます。

これは、自分に必要であると気づいていなかった休息です。
静けさの中で美しいものを見ることがいかに大切なことかを発見しています。
それまでは五感が過敏で、緊張して常に警戒中の状態でした。
毎日数分間、静かに座って窓の外の木を眺めたり、川沿いを散歩して鳥のさえずりを聞いたりすることが、意識的な訓練になりました。
単純なことですが、雑音をシャットアウトすることが鍵でした。


4 創造的な休息。

この休息は、美しく感動的で、魂を解放してくれるものに触れることで得られます。
最も長時間いる環境を考えてみてください。
味気なく、機能優先、画面だらけの職場や、雑然とした家庭環境では、私たちがインスピレーションを得ることは難しいでしょう。
私たちには美しいものが必要です。
素晴らしい音楽、華やかなテキスタイル、香りのよいキャンドル、感動的な芸術作品などです。

人は素晴らしく恐れ多い、創造主である神の似姿で作られています。
だから創造的なことに注意を払うのは当然です。
自分を甘やかしているのではとも思えるので、この休息は取りにくいと思います。
しかし、美しさや創造性は、どのようなものであれ内側に反応を与え、畏敬の念を再び呼び覚まします。
これは、視点を創造主ご自身と、必要のすべてを満たしてくださる主の、その栄光の豊かさ (エペソ3:16) に向けさせてくれます。
驚き、畏敬の念を持つことができるなら何でもしてください。
それは創造的な休息をもたらします。


5 霊的な休息。

自分よりも大きな存在とつながると、目的、意味、帰属意識が生まれます。
神は、私が視点を変えるのを、ここでも優しく助けてくださいました。

私は、愛する人たちや周囲の世界の必要をすべて持っていくことはやめませんが、律法的に神との時間を持つことはしていません。
しかし、この時期に、主の翼の下に身を避け、神の前にただ座っているだけで十分だということを神様は教えてくださいました (詩篇 91篇)。
私は何か言う必要も尋ねる必要もなく、何かを読んだり書いたりする必要もありません。
神はただ、静まるように私を招いておられます。
それが、今のところ、私が必要としている霊的な休息です。


6 感情の休息。

いつも周囲の全ての人を喜ばせようとしていますか?
失望したり、拒絶されたり、批判されたりするのを恐れて、自分の本当の気持ちを表現できないと感じていますか?
おそらくあなたは、皆から頼りにされる人なのでしょう。

感情の休息とは、批判されることなく自分の気持ちを十分かつ誠実に表現できる安全な場所にいることです。
これはもう一つの大きな視点の変化でした。
私は生来がむしゃらに取り組むタイプで、力いっぱい取り組み、強くて独立心があり、計画的に進める人間です。
私にとって感情の休息とは、自分にも欠けたところがあり、自分の能力に限界があることを学ぶことです。
夫に自分が必要としていることを伝えること、もっとノーと言うこと、そして自分や親しい友人に正直にありのままを伝えることを学んでいます。
この自己開示は私にとってだけでなく、周囲にも励ましになっています。


7 社会的な休息。

自分らしくいるためには、積極的な支えとなり、力を与えてくれる人たちが周りに必要です。
競争したり、強く見せたりする必要のない人たちです。
一緒にいると消耗する人、否定的な人、有害な人とは、接する時間を制限する必要があります。
人間関係で与える側になることが多い場合には、社会的な休息が必要です。
私たちが充足していなければ、与え続けることはできません。

周りの人々に疲れ果ててしまったら、いくら眠っても、傷つき疲れた心と魂は回復しません。
周りの人たちと交流を持つのが間違っているわけではありません。友人を消耗させてしまった経験は誰でもあるでしょう。
しかし、疲れの原因が人間関係だとわかれば、生涯にわたり励まし力を与えてくれる前向きな友人を積極的に探せます。


あなたはいかがですか?

7 種類の休息について知ることは、身体、精神、心、霊に不足している活動を意図的に計画し、回復させるための有効な枠組みを与えてくれます。

週の初めに、7 つの領域すべてで自分がどう感じているか、簡単に確認してみましょう。
創造的、感覚的、社会的に休息が必要だと気づいたかもしれません。
その必要を満たすための時間がいつとれるかを探します。
近所の公園や美術館で、親しい友と散歩に出かけたり、一日の初めに 10 分間静かな場所落ち着いて座り、聖書の一節を黙想したりしてください。

7 つの領域すべてにおいて、休息のニーズを満たすものは何か、立ち止まり理解する時間を取ってください。
そうすれば、いくつかの方法が適用できるでしょう。
イエス様からのすてきな招きを受け取りましょう。
あなたの体、精神、感覚、創造力、感情、心、霊をもって、イエス様が備えてくださるすべてを受け取ってください。

 

2023/03/27

ほっこりしよう!~心のヒュッゲ~



あなたの心はヒュッゲですか。ほっこりしていますか。

Sandy Mayle


毎年、私は冬が待ち遠しいです。
それは、エリー湖(アメリカ北部の五大湖の一つ)で氷釣りをするためではありません。
湖が凍り、その影響でこの地域が時々大雪になるのが楽しみなのでもありません。
極寒のエリー湖に飛び込む毎年の行事(ブルブル、説明するだけでも寒い)のためでも、あるいは氷点下のプレスクアイルでの慈善ゴルフのためでも、もちろんありません。

そうではなくて、長く暗い夜に、暖かい小さな家にこもって、薪ストーブをあかあかと燃やし、アップルシナモンの香りのするキャンドルをともし、柔らかいひざかけにくるまって、時にホットチョコレートを用意するのが楽しみなのです。

オランダっぽいかもしれません。それはちょうどヒュッゲの光景だからです。

ヒュッゲ(元の発音はヒュッガhoo-gah)はオランダ語です。
英語ではぴったりする訳語がありませんが(日本語もですね、訳者)、マイク・ヴァイキングという人が著書「ヒュッゲ365日『シンプルな幸せ』のつくり方 」 で説明を試みています。

「ヒュッゲとは...心が整っている状態を言い...ヒュッゲは空気感や体験に関することばで...愛する人々と共にいることです。家庭にいるという安らぎ。世の荒波から守られていて、私たちが鎧を脱ぎ捨てることができる安心感です。」

オランダの人々は世界一幸福な国民として長くランクインしてきました。
彼らはヒュッゲを生活のあらゆる面で取り入れています。
長く暗くて寒い冬の土地柄で、一面のキャンドルや暖かいストール、ふかふかの靴下、柔らかいひざかけ、ホットコーヒー、ケーキ、チョコレートを、仲良しや家族と共に楽しむことで、ヒュッゲを実践しています。
生活をシンプルにし、小さな幸せを喜ぶこともです。

ルイーザ・トムゼン・ブライツは「ヒュッゲの本(The Book of Hygge: The Danish Art of Contentment, Comfort, and Connection)」の著者であり、ヒュッゲを「現実の生活の中心に聖所を据える実際的な方法」だと考えています。

聖所を据える
オランダの人々は、実際にしばしば文字通りの小さな聖所を据えます。
それは個人的なヒュッゲの場所(Hoogah-crow)あるいは「心を整える居場所」で、ふかふかした毛布(もちろんそばにキャンドルも)、そして理想的には暖かい飲み物とお気に入りの本または自然の景色が見える場所のことです。
それを読んで、自分はそうしたヒュッゲの場所があるだろうかと考え、そしてすでに一つあるとわかりました。
それは私の書斎の肘掛け椅子、柔らかいひざかけとサイドテーブルのある場所です。テーブルには聖書や本、ペン、カード、明かりと紅茶の保温ポットをおいています。

霊的なヒュッゲを経験する
毎朝、聖書と心を神の前に開き、私は霊的なヒュッゲを経験しています。
それはきれいな靴下やぱちぱちと燃える暖炉やコーヒーにも勝るものです。
大好きな人々と共にいるのにも勝ります。
そして理想的な夜の、一時的な満足よりずっと勝っています。
私は父のそばにいる暖かさに包まれ、父なる神の輝くことばを読み、父の霊の甘い飲み物をのみ、父なる神との長い会話を楽しみます。

しかし、そんな快適な毎朝の父との居場所を越える、さらに優れたヒュッゲの場所があります。
私の霊は毎日24時間、神ご自身のうちにヒュッゲの状態にあります。神様は私の「現実の生活の中心にある聖所」です。

外側には暗闇があふれているかもしれません。
嵐が吹き荒れているかもしれません。
争いが起こるかもしれません。
子供たちが反抗するかもしれません。
健康が脅かされるかもしれません。
しかし、そうした嵐が外側で激しくなればなるほど、内面は神の元でより深く憩うことができるのです。

避け所と力を見いだす
神が私の本当のヒュッゲの場所です。魂がシェルターに守られます。
神は、私の「避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け(詩篇46:1)」です。
神は、私の「避け所の岩であり、いつでもそこに入って休むことができます(詳訳 詩編71:3)」。
昼夜いつでも、何が周囲で起こっても、内面は神の所に実を避け、世のすべての重荷を彼の上におき、臨在に包まれ安らぐことを知るのです。

親密さを見いだす
神が私のヒュッゲの場所であり、私は神との親密さを楽しみます。
神こそが文字通り私を囲み満たしてくださるのです。
「だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています(1ヨハネ4:15)」。
私の内面は優しい真理の光に照らされており、聖霊の炎に暖められており、すぐそばにおられる神に抱かれています。
私が心を神に注ぎ出すと、神は私にみこころを小さな声で語ってくださいます。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださったーーーそれを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました(1コリント2:9-10)」。

神のわざを覚える
神が私のヒュッゲの場所です。
私は「主の数々の恵みを見極め(詩篇107:43)」、神は私を知っていてくださいます。
「神よ、あなたの私への御思いはなんと尊いことでしょう。それは数えることができません(NLT訳、詩篇139:17)」!
神と私はお互いの存在を深く喜んでいるとわかります。
私は彼のうちにいることを喜び、神は私を喜んでおおっていてくださいます。
私だけでなく、神に身を寄せる人はみな同じです。
「どうか あなたに身を避ける者がみな喜び とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり 御名を愛する者たちが あなたを誇りますように。主よ まことにあなたは 正しい者を祝福し 大盾のように いつくしみでおおってくださいます(詩篇5:11-12)」。

そして、私の霊的なヒュッゲの最高の場所は、そこから決して外に出る必要がないのです!
時々恐れて、私は逃げ出してしまいます。
迷いや不注意から、あるいはわがままからそうします。
それでも、神は忍耐強く、私を彼のところに呼び戻してくださいます。
心のまことの家にまた帰り、休むことができるのは、なんと言う幸いでしょうか。

あなたには避け所、聖所が必要でしょうか。
魂のヒュッゲの場所が必要でしょうか。
柔らかくて暖かい、快適で安全な場所が必要でしょうか。

もしまだそんな場所がないと思うなら、神様に罪の赦しを願い始めてください。
イエス様はすでに十字架で代価を支払ってくださったのですから。
あなた自身とあなたの人生を、神にまったくささげてください。

もしすでにそうされているにもかかわらず、人生の現在の季節が冷たく暗いなら、
改めて神の前に降伏し従順になってください。
神があなたの心の本当の家、明かり、炎、慰め、魂の友であると告白してください。
そうするなら、神様は両腕を広げてあなたをご自身の元に迎えてくださいます。

そして、神こそがあなたのヒュッゲの場所となります。


*Sandy Mayle:フリーランスライター。教会では音楽、祈り、女性のミニストリーにも仕える。夫のデイブと共にペンシルバニア州エリー在住。


Sandy Mayle, Copyright 2023 . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

 Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。 女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、 そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です! 英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。 記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利の活動です。 
 英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2022/06/30

「余白」をつくる

健康的なバウンダリー(境界線)を引くには


Chrissy  Callahan





「ノー」と言うのは、どうしてこれほど難しいのでしょう。
私は困っている人を見ると助けたくて、ついやり過ぎてしまいがちです。
でもいつも「イエス」とばかり言うと、動機は素晴らしくても逆の結果を生んでしまいます。

女性として、私たちは時間やエネルギーの使い方にバウンダリー(境界線)を引くのに葛藤を覚えます。
いつも人々から頼りにされているなら、何も考えず「イエス」と答えているかもしれません。
時には自分が「ノー」と言ってもよいということさえ、意識していないかもしれません。

しかし幸いなことに、私たちは健康的な「余白」を作ることを学べるのです。
始め方は以下の通りです:


・断るべきことを断ることで、私たちはすべきことをよりよく行うことができる。

すべてをこなしたいと思う(時にはそうしないといけないというプレッシャーを感じる)反面、現実にはすべてに「イエス」というと燃え尽きる危険性があります。
そして、燃え尽きを経験すると、失敗したような思いになり、余計に敗北感を味わいます。
もともと現実的でないことに、なぜ自分をうち叩いて向かわせ、失敗してしまうのでしょうか。

もちろん、自分の責任を放棄しろと言っているわけではありません。
必要なことがありますし、神様はそれをする力を与えてくださいます。
しかし、しばしば私たちは自分が負わなくてよいことまで負ってしまうのです。

使徒6章の教訓が私は好きです。ここにひとつの実例があります。
ギリシア語を使うユダヤ人のやもめたちが、毎日の食事の配給でなおざりにされているという苦情が出ました。
十二弟子は看過できない問題だと気づきました。
けれども、彼らの返答に注目してください。

「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します(使徒6:2b~4、強調筆者)」。

未亡人たちに食事を配給するのは必要な価値ある仕事でしたか。もちろん。
けれども、十二弟子がすべき仕事でしたか。いいえ。
それをしたら、弟子たちは神様が彼らにしてほしいと思われた仕事ができなくなったでしょう。
そして、福音を効果的に人々に届けることができなくなったでしょう。

必要かつよい事柄に「ノー」というのは難しいですね。
でも、弟子たちが「余白」をつくると決断したことによって、隠された宝に気づくことができたのです。


・「ノー」と言うなら、他の人が「イエス」と言う機会を与える。

十二弟子自身がやもめたちへの食事配給をしなかったことで、他の人がその仕事に「イエス」という機会が与えられました。
これにより、いくつか素晴らしいことが生じました。

1. 弟子たちは、押し寄せる全ての良いことをこなすことと、神が特に彼らにしてほしいと思われることをすることとの違いを知りました。

2.やもめたちへの食事配給のために選ばれた7人は、新しい奉仕への機会が与えられました。

私の好きな聖書箇所の一つは第一コリント12章です。
パウロがキリストのからだの各部分がどれほど大切かを語っています。
「もし、からだ全体が目であったとしたら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。(1コリント12:17~18)」

このように質問してみてはどうでしょう。
もしすべてが一人(あるいは限られた人だけ)で行われたら、からだの強みや多様性はどこにあるでしょうか。
もしすべてを私たち自身でやってしまったら、共同体として成長する機会はどこにあるでしょうか。

やもめたちに食事を届けるという責任は、弟子たちにとってもちろん真剣に取り組む課題でした。
ですから、誰か他人に託して終わり、とはしませんでした。
そして、その責任を不平をもらした人に託すこともしませんでした。
それどころか、力と神の知恵と誠実さをもってその必要に適切に対応するため、7人の信頼できる人たちにその役割を託したのでした。

選ばれた7人の一人ステパノは、後に信仰ゆえに尋問され、石打ちにされました。
この結果がどんな違いを生んだか想像してみてください。
弟子たちは全部を自らこなそうとして働きを限定し狭めてしまうこともできましたが、
そうではなく、自分に与えられた召しにとどまりました。やもめたちは信仰ゆえに死も恐れず、しっかり勇敢に立った人物によって必要が満たされたのでした。


・「ノー」と言うことを学ぶと、他者のバウンダリー(境界線)を尊重し励ますことができる。

あなたの周りに、同じように「余白」をつくろうとしている人がいますか。
共に歩むなら、その旅はさらに楽しく、互いに恵みと励ましを与え合うものとなります。

奇妙なことに、私たちは他者から「ノー」と言われると、それが良い理由からであっても拒絶されたように感じたり、フラストレーションを覚えたりします。
けれども、健康的なバウンダリーを実践することで、私たちは他の人たちが持つ健康的なバウンダリーを尊重し励ますことも学ぶのです。

共同体として強められよく成長するには、私たちがお互いを必要とするというのは美しい事実です。
自分自身を訓練することはできますが、時には状況により頼む必要もあります。
理想的なのは、共に成長していくことですが。
そうすれば互いにアカウンタビリティーが果たせますし、そして自分自身ですべてやってしまうよりも共同体がより深く根を張り成長することができるでしょう。

おそらく、あなたはこの新しい1年に起こるすばらしい計画を持っているでしょう。でもそれは絡まったスパゲッティーのようにごちゃごちゃしていると思えるかもしれません。
健康的なバウンダリーをつくり過ごすために必要なのは、その一歩を踏み出すことだけです。
完璧ではないかもしれませんが、それでよいのです。
徐々にふさわしいバウンダリーがつくれるようになります。

私たちの訓練は自分に対してだけにとどまりません。
共に学ぶように召されているのですから、その知恵を続く人にも伝えてください。
すでに自分の生活の中に「余白」をつくることを身に付けたありのままの女性たちこそ、私に同じようにすることを教えてくれた人でした。
彼女たちは完璧にそれをしていたわけではありませんでしたが、たえず成長しており、難しさについても喜んで正直であろうとしました。

何を選びとるか、より意識的に判断することを学ぶにつれて、キリストのからだ全体は、それぞれの部分が召されていることについてより集中できるようになります。
そして私たちがともによく生きられるようにさせてくれます。

今日、どんな「余白」をつくりますか?



バランスのとれた人生とは Balancing Act 

JBU誌の編集スタッフが語る、 人生の季節をよく生きること 聞き手 Ann M. Cook 私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。 家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。 たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。 JB...