2010/09/14

二重の生活~笑顔の陰の真実~  

           

              ジェニファー・ピーターソン  



 その晴れた12月の朝は日曜日で、からっとした天気のよい夜明けを迎えました。でも、トイレのドアを閉めた向こうで、私の心は嵐のようでした。吐き気とめまいで倒れるのではないかと思いながら、目の奥からのひどい頭痛を覚えていました。

 「無理だ、ひどいことだ。だれもわかってくれないだろう。がっかりするだろう」

何とか教会に行く準備をしようとしていると、頭の中でその声がこだましました。着替えて化粧をし、ヘアスタイルをととのえると同時に、2人の子供に食事をさせ、顔をふいてやり、服を着せ、礼拝に間に合うように家を出なければなりませんでした。「何を考えていたんだい。気でも狂ったのか。おまえにはできない、できない・・・。」

 何とか床から立ち上がろうとすると、その朝3度目でしたが、吐き気のためにまたしゃがみこみ、心臓が激しく音をたてていました。私は「サタンよ、退け。私がしようとすることを、お前はとどめることができない。主よ、助けてください!」と叫びました。

 夫はいつものように、日の出前にすでに教会に行っていました。子供を連れて教会に時間どおりに行くのは私の責任でした。しかし、これはいつもどおりの日曜の朝ではなかったのです。この日の礼拝で、夫が8年間ユースパスターとして仕えた会衆の前に立ち、私たち夫婦はそこを離れることを告げようとしていました。また同時に、私たちの生活についての辛く、情けない事実について話そうと考えていました。

 私は悪魔がこれをやめさせようと直接攻撃してきているのだということを十分理解していました。正直に言うと、ベッドに戻って布団をかぶって隠れていたいというのは私の思いの一部でもありました。でも、サタンは勝利しませんでした。イエス・キリストはこの12月の朝に勝利をとってくださったのでした。

 私が自分の仮面をはずし、笑顔の影に隠していた真実を明かす時だったのです。私の生活はうつとアルコール依存という危険な悪循環を繰り返していました。

 ごく数人の親しい友人でさえ部分的にしか知りませんでしたが、私は二重の生活をしていました。私の秘密はアルコールとの闘い、心配とうつとの葛藤、時々死んでしまいたいと思うほどの暗い気持ちでした。この日曜に先立つ何週間か、私は浴びるようにお酒を飲み、拘置所で一晩を過ごし、運転免許を取り消されてしまいました。絶望的な状況だったといえるかもしれません。

 頭がはっきりしている少しの時間の中で、神様はこの状況を回復させるための第一歩となるご計画を私に示してくださいました。それは、私が会衆の前で自分の罪を告白しなければならないということでした。夫婦として、私達は教会の家族からのサポートと祈りが必要だと認めなければなりませんでした。夫は若者へのミニストリーをやめ、第一の最も重要な召し、つまり自分の家族への牧会をする必要があったのです。

 私達夫婦は、自分達の生活が全くバランスを欠いており、コントロールできていないということがわかりました。夫については、家族との大切な時間を犠牲にして、若者への宣教に没頭していました。私はだんだんと孤独を感じ、彼に捨てられたような気持ちを慰めるため、アルコールに走りました。学生を牧会するために彼が夜や週末に出かけると、私は自己憐憫と孤独をワインで慰めました。時間がたつにつれ、アルコールが夫に対して感じ初めていた苦い思いや憤りの感情をまひさせてくれるので、それにますます依存していくのがわかりました。「彼にとっては教会が一番、子供や私はその次だわ」というのが私の呪文のようになりました。

 同時に、私は「全てが順調だ」というふりをして日曜の朝や水曜の夜教会に行っていました。聖歌隊で賛美しました。別の時には、青年たちを支えるために手助けをしました。家にいる母親たちのためにスモールグループまで始め、5年間も定期的に続けました。外での生活と家の中での生活のギャップはだんだんと大きくなり、私は内面から引き裂かれるようでした。

 この偽善的な生き方を思うと、罪意識、恥意識、嫌悪感が洪水のように押し寄せてきました。二重の生活をし続けるのは、肉体的にも情緒的にも、そして霊的にも疲れ果てることでした。そこで、人生の困難をアルコールで処理するのを必死にやめようと思いました。自分が罪の中に生きており、アルコールが人生の偶像になっているとわかりました。この罪はイエス様が私と親しい関係を築くための妨げになるとわかっていました。やがて、これは死と滅びへと続くものだとわかっていました。でも、この悪の要塞が自分を誘惑し巻き込むのを許し続けていました(ヤコブ1:14-15)。

 私はこの葛藤の一部を自分のスモールグループにいる何人かの女性に分かち合いました。でも「恐ろしい」詳細についてはいつも伏せていました。私はあまりにも多くの秘密を持っており、それらは精神的な苦痛と中毒という傷をもたらしました。ずっと前にどこかで「あなたは自分の秘密と同じ大きさで病んでいる」というのを読んだことがあります。まさに真実です。私の秘密はもうすぐ明らかにされようとしていました・・・。



私はその朝、自分の身体的・精神的な弱さと格闘しました。神様はこの惨めな有様を終わりにする方法を、少なくとも今の状態を正す方法を備えてくださるとわかっていました。私は12月のその朝、家を出て教会に行きました。サタンは負けそうになっても別の手段を持っていました。闘いを挑まずにやめることはありませんでした。しかし、私は自分の中のある部分で詩篇8:6にあるサタンを私の足の下に置くという約束にしがみついていました。

 私はキリストにあって受け継いだもの、愛する神の子としての油注ぎをしっかり握っていました。私はその会衆の前に立たなければなりませんでした。神様は暗闇の中から私を呼び出してくださっていました。私は光の中にふみこまねばなりませんでした。

 その日曜の朝、私たち夫婦が仕えるよう召された人々の前に、私は心を注ぎだしました。口から言葉が出るときに、私は超自然的なきよめが心の中で起こっているのを感じることができました。開いた傷口のように、痛み、ひりひり燃えるようでしたが、私はさらに深く話し続けました。自分の依存症や、誤った判断のために法律上のトラブルを起こしたことも告白しました。苦み、怒り、うつに陥った霊的な状態も明らかにしました。

 夫はいつも自分がミニストリーの目標を追い求め、家族を犠牲にしていたことを認めました。彼はユースパスターとしての役割を一時的に退き、家族を正しく導きたいと述べました。私達が話し終えると、会堂には重い沈黙が流れました。

 主任牧師が立ち上がり、だれでも私達夫婦の上に手を置いて祈りたい人は前に出てくるようにと言いました。まもなく、人々が私達に手を置いて祈るために前にやってきました。私達夫婦は頭を垂れて座っていましたが、周りで祈りが始まり、多くの手が私達にふれているという重みと暖かさを感じることができました。老若男女を問わず、私達のためにそれぞれが祈りました。後で聞きましたが、誰も自分の座席にいなかったということです。教会にその日いた全員が前に出てきて輪になり、それぞれが手を置いてくれました。私達はその手に触れられ、聖霊の力を受けることができました。



 4年がたちましたが、私はその朝のことを心にとめています。あの経験を通して、私は人々の集まり、告白、回復について重要なことを学びました。第一に、私達は人々の集まりの中で、他の人々と共に生きるように造られているということです。孤独は危険であり、人生から喜びを奪ってしまいます。第二に、告白は人々の集まりの中で必要なものだということです。危険が伴いますし、痛みもありますが、癒しの過程に入るのに必要です(ヤコブ5:16)。

 時には、真実で本物のコミュニティーを生み出すために、ある人の最も深く暗い部分が明らかにされなければならないことがあります。どんな人にもストーリーがあります。最後に、神様は力あるお方で、どんな人生や罪深い状況でも回復させたいと願っておられるということです。私の回復の恵みは、私がいたコミュニティーを大切にし、告白という訓練を実践したときに初めて受け取れました。その時にのみ、私は自分の人生において、真実で持続的な癒しの始まりを手にしたのです。



どのようにして仮面をとりますか?



 この胸を打つ記事を書いた人のことが理解できますか?心の痛みを隠すことをやめたいという思いは、神様が与えてくださるものです。多くの人にとっては、どのように隠していたものを明らかにすればよいのかが課題でしょう。以下に示すいくつかのステップと情報は、その過程を始める助けになるでしょう。



  1. 神様に自分の痛みがどれだけかを言い表してください。あなたの秘密を神様に打ち明けてください。もし声に出して祈るのが難しいなら、書き出してみてください。神様は全てをご存知で、あなたを心から愛しておられます。神様に秘密を打ち明けることは、信頼と礼拝の行為です。このステップをふむことは、自分自身を理解し、他の人に痛みを打ち明けるための助けとなるでしょう。
  2. だれか一人にあなたの痛みと葛藤を打ち明けてください。祈りつつ、誰に打ち明けるのが最も適当かを考えてください。愛があり、共感力があり、秘密を守り、あれこれ指示することのない人が適当です。 もしそのような人がいない場合は、外部に助けを求めることを考えてください。配慮や共感を持って聞いてくれるような他の教会やキリスト教団体がありますか。もしあれば、電話をしてどうすればよいか問い合わせてください。
  3. もし住んでいる地域に助けがない場合、後述の団体に相談してください(アメリカ国内の団体)。

 会衆や教会のリーダーシップの状態により、時には、全ての会衆の前で告白する必要がない場合、むしろ適切でない場合があることを覚えておいてください。まずあなたが最初に打ち明ける人が、最善の方法を考えてくれでしょうから、もし必要があれば、さらに多くの人の前で告するとよいでしょう。不必要になされたり、告白を受け止めることのできない人々の前で「告白」という名でなされたことは、大きなダメージを与えます。

 このプロセスの間、癒しのために神様があなたの前においてくださった方法を受け入れられる心でいてください。専門家のセラピー、医療、休養、そして深い霊的な友情はあなたが自由になるために相互に働き作用しあうのです。



連絡先(アメリカ国内の場合)

American Association of Christian Counselors (AACC) ? www.aacc.net

Open Hearts Ministry ? openhearts.gospelcom.net/

Celebrate Recovery ? www.celebraterecovery.com



by ジェニー・ヘックマン M.S. in Marriage and Family Counseling



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ジェニファー・ピーターソン(Jenifer Peterson)は夫とともにミシガン州ホーランドで学生伝道に携わっている。また、牧会ケアの専門家でもある。結婚16年で、2人の子供がいる。



Copyright 2008 Jenifer Peterson. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045.

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