2013/06/04

働き人に必要な能力?

Kate Motaung

 私は会場に通じる二重の扉を開け、中をのぞいてみました。知っている人が何人かいましたが、ほとんど初めての人ばかりでした。

働きの経験豊かな人ばかりなのに、私はほんのアマチュアでした。参加していたのは牧師夫人か女性の働き人でした。・・・

私は宣教に携わる女性のための週末リトリートに来ていました。でも、本当のところは、自分が来たかったのかどうかもわかりませんでした。

各セッションの後、それぞれがテーマに関して小グループでの分かち合いをしました。話し合う中で、私は自分だけが悩んでいるのではない、と知って驚きました。

「教会で私が何をしているのか、と尋ねられるのがこわいんです。」
「皆が私を批判しているみたいに感じます。だって、私はこの働きには力が不十分なのですから。」

驚いたことに、リトリートの間、こうした言葉があちこちで聞かれました。
私自身もよく似た思いを抱いていましたが、そんなことを考えているのは自分だけだろう、と思っていました。

私は思いました。

「どうして、私たちの多くは自分が不十分だと感じるのだろうか?
どうして、私たちの多くがこの働きをする能力がないと感じるのだろうか?
どうして、私たちの多くは自分の働きについて、他の人から評価されるのを恐れるのだろうか?」

セッションの中で、みことばを通して、この不適格だという思いへの適用が直接的に語られ、心に深くとどまりました。リトリートに参加して、私はいくつかの原則に心を打たれました。

フルタイムの働き人かどうかにかかわらず、私たちに必要な能力は自分ではなく、神ご自身から与えられること、そして、それは私たちの問題ではなく、神ご自身に関することだ、ということを改めて確認し、励まされたのです。


 必要な能力は神からくる

 宣教の働きにおいて陥りがちな思いは、私たちが何か資格や認証を得れば働きが進んでいくのでは、と思うところにあります。
ここから生じる危険は、私たちが自分のしたことについての成功や失敗を気にし始めてしまう、ということです。
宣教の働きに必要な力は神おひとりから与えられるものだ、という事実を受け入れるなら、私たちは働きの成功は自分にかかっている、という思いから解放されるのです。

神おひとりだけが私たちをふさわしく整えてくださいます。自分の自信ではなく神を信頼することを学ぶなら、神だけが栄光をお受けになります。そして、他の人が自分のしていることをどう思っているか心配しなくてすむようになるのです。


私たちの問題ではない

かかわっている働きの成功は、私たちの功績ではなく神がなされることだ、ととらえると随分楽になります。
私たちの多くが、人数で働きの成果を図ってしまいます。
でも、第一コリント1:22-24を見ると、パウロは、証しをしても人々が無関心なのは彼が不十分だからではなく、サタンが人々の目をくらましているのだ、と述べています。

私たちには人々を連れてくることもできなければ、人々の心を変えることもできません。
ただ聖霊だけができるのです。

第二コリント4:7は、「 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです」と言っています。
土の器それ自体には価値がありません。価値があるのは福音そのものであり、私たちや私たちの犠牲は関係ないのです。
神様はいつでも好きな人に働きを任せることができるにもかかわらず、驚くべきことにご自身のご計画を成し遂げるために、私たちを選んでくださったのです。


主をおそれる

パウロは人に対してではなく、全能なる主に対して弁明する責任があると知っていました。
私たちには、友人や教会の役員会や教団の理事会の前に立って弁明する日は来ないでしょう。そうではなく、いつの日かキリストご自身の前に立つ日が来るのです。

宣教の働きに携わる私たち女性は、他人からいつも批判的な目で見られていると感じがちです。
神様は私たちが「十分」やっていると言われたいというプレッシャーを感じていることを理解しておられます。
しかし、十分かどうかは私たちの問題ではなく、働きの能力があるかどうかも私たちの問題ではありません。
それは、神様がご自身の栄光のために私たちを通してどう働かれるかに関することなのです。





身の回りの不用品を整理する!

Eileen Koff, CPO




夏がきました。ゆったりと過ごせる季節です。

・・・が、子どもたちは家の中ではしゃぎ回り、洗濯物は山積みになっています。経済的にも前ほどゆとりがありません。気付かないうちに、顔には新しいしわができています。

イエス様は「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:30)と言われました。

確かにそうです。
イエス様のことばのとおり、夏場は普段の生活のペースを落として、じっくり考えることができます。
 夏休み中の子どもたちと、外出できる時でもあります。

もっとも、家の中の散らかり具合はどうしようもありません。


でも心配しないでください・・・神様はあなたと共におられます。プロのオーガナイザーが実践しているコツをお教えしますから、夏の暮らしをもっと楽しんでくださいね。

まず今日一日のことだけを考えてください。
この先の人生すべてにわたって「いつもきちんと整理しなきゃ」と思わないように。
以下を心にとめてください。




1 計画する。

整理を始める前に計画をたてましょう。まず、何が不要なのか見極めましょう。

家じゅうを見渡して、不用品を整理すべき所をリスト化しましょう。
ベッドの下や薬の引き出しなど、すぐには見渡せないところも含めてください。
必要なら、整理の大変さに応じて「大変」「まあまあ」「容易」にランク分けしてもよいでしょう。
子どもたちにも手伝ってもらって、楽しくやりましょう。


2 モノを定位置にもどす。

「この24時間は、モノを出しっぱなしにせず、元あった位置に戻す」と決めます。

忙しくてそんな暇はない、と思いますか?
行方不明になったモノを探す時間は、モノを元あった位置に戻すよりも常に長くかかるのです。
それぞれのモノに定位置を与えましょう。

神様があなたの生活に与えてくださったものを、持ち物を含めて大事にし、感謝してください。
家族でゲームのようにしながら進めると、家族全員がモノをどこにしまえばよいのかわかります。


3 部屋の一箇所ずつ片付ける。

やることが多すぎる、と感じるでしょうか?どこから手をつけてよいのかわからないのかもしれません。
キッチンタイマーを15分にセットして、部屋の中の一部分に集中して片付けましょう。
毎日これを続ければ、1週間で2時間弱も、片付けのために時間をとることができます。


4 モノを減らす。

「いつか使うかも」ととってあるモノを使うか、冷静に考えてみましょう。
そうしたモノは処分し、同じようなモノをとっておかないようにしましょう。

「いつか」は永遠にやってきません。そのためにとってあるモノは、家の貴重なスペースを占領しているのです。


5 予備は適正な量にする。

予備のモノは、それを最も使う場所で保管しておきましょう。オーガナイザーたちはこれを「使用する場所に置く」システムと呼びます。

たとえば、キッチンのごちゃごちゃの引き出しに電池が入っているのを想像してください。
キッチンの貴重なスペースを電池入れにするのではなく、電池はたとえば玄関ホールのように、家の中央付近にしまっておきましょう。
家の中央にあれば、ペンやクレヨンや紙でごちゃごちゃしている引き出しから探し出すよりも簡単に見つけることができます。


6 ラベルを活用する。

ラベルをつければ、何がどこにあるのか一目瞭然です。頭の中に記憶しなくても大丈夫です。


7 一つずつ家事を完了させる。

洗濯は、衣類をたたみしまったときに完了します。洗濯機のコーススイッチが切れた時ではありません。
それぞれの家事を完了させる習慣を身につけましょう。
未完了の家事はストレスの元になります。顔のしわが増えますよ!


8 買う時はよく考える。

買う前に、本当にそれが必要なのかよく考えましょう。
これからのあなたの生活に継続的に役立つモノか、自問してください。


9 身の回りを整理することは、内面を整理することである。

あなたの暮らす環境は、あなたの内面の心の様子を表しています。
身の回りを整理するにつれて、内面もすっきりと整理されてくるでしょう。
私が家から50ポンドの不用品を処分した時には、実際に体重もいくらか落ちました。


10 不用品は「決心の先延ばし」でしかない。

身の回りをすっきりさせ、整理をすると、今日決意し約束してください。

夏はゆったり生活する季節で、体力を温存し平安の中で静まる時でもあります。
数時間、メールや携帯電話に反応しないことにすると、生活の中でバランスを取り戻すための貴重な時間を確保することができます。
夏場は日が長いので、少し予定を立てておけば、片付けをしてからでもビーチに遊びにいくことができますよ。


 私たちの神は秩序の神です。秩序とは、愛の表れです。夏、秋、冬、春の順番もそうですね。

子どもたちにもすすんで手伝ってもらいましょう。
子どもたちも、大切な生活スキルを学ぶと同時に、親子で共に取り組む楽しい時間を過ごせることでしょう。
終わったら、アイスクリームを食べるとか自転車に乗るとか約束をすれば、家の片付けをやりきった喜びもひとしおですよ!