2017/06/28

「ここに来る前に死んでいます」(3)

犠牲と希望の証し エミリー・フォアマン(Emily Foreman)

← その(1)      ← その(2)

(続き)

真実はこうです。
世界には、ムスリムの信仰を持っている、と自称するテロリストがいます。
私たちの生活を変えてしまおうとする過激派がいます。
キリストに真に従う者として、私たちはどう反応すべきでしょうか。
彼らを追い出してしまえばよいのでしょうか。
安全を追い求めることと正しいこととは、異なる場合があります。
危険を冒しても、自国よりまず神の国を優先するということが大切ではないでしょうか。
私はアメリカ人であることを誇りに思ってはいますが、それ以上にまず天国の市民としての忠誠を第一にします。
自分自身に死ぬならば、国境を越えて神様に栄光を帰すどんなことにも、私たちの命をささげることができるのです。

私は信仰と恐れのはざまで葛藤し悩んだ時、ステファンが北アフリカに戻る数日前(殺されるわずか1か月前)に集会で語ったメッセージを読み返します。

ジェイムズ・カルバートがフィジーの人食い人種への宣教師として出向いた時、船長は彼を止めようとして言った。
「そんな野蛮な人種の所に行ったら、あなたも一緒に行く人も命を失いますよ」
カルバートはそれに対して、
「ここに来る前に、私たちはすでに死んでいます」と答えた。
今晩、もう一度私たちは自分に問いたいと思います。
あなたは死んでいますか?自分自身に、自分の願いに、そして恐れに。
そしてキリストの内に生かされていますか?

人々があなたの人生を、また私の人生を見た時に、キリストだけを見ることができるように、というのが私の願いです。
自分のものでないかのように、私たちの人生を生きようではありませんか。
この世にあってはまさしく寄留者でありましょう。
この世においては異邦人でありましょう。
私たちの国籍は、天にあるのです。


ステファンはこの言葉のとおりに生き、そのとおりに死にました。
そしてこの言葉のうちに今も生きています。
ステファンを失ったことは忘れられないですし、それは私たちを完全に変えてしまいました。
でも、ステファンが現地から飛び立つ前に死んだことによって、神様に栄光が帰せられ、多くの魂が永遠に変えられたという、その約束を私たちはつかんでいます。
私たちは引き続き、ステファンが死ぬ直前に書いた問いに答え続けなければなりません。
「そのためになら死んでもよい、人生をささげてもよい、行動してもよいと思うものがありますか。」
目的のない人生を歩むのは、死ぬよりも悪いことです。


「ここに来る前に死んでいます」(2)


犠牲と希望の証し エミリー・フォアマン(Emily Foreman)

←その(1)


(続き)                

ところで、驚いたことに、「ステファンは撃たれる直前にムスリムの信仰告白をしていた」といううわさが広がっていることがわかったのです。

初めは何ということを、と思いました。
けれども、やがて、それはステファンの死に直面して葛藤するムスリムの友人たちがいかに多いか、ということの現れだとわかりました。
友人たちは、何とかして自分たちが信じていることをステファンも死ぬ前に受け入れたのだ、と思いたかったのです。
ステファンが地獄に行ったなどとは考えたくなかったのでした。

それがわかって、私は深く慰められました。
そして、イエス・キリストに従うことが神に近づく唯一の道であり、ステファンは肉体を離れて主のみもとにいるほうがよい(2コリント5:8)と信じていたのだ、と話す多くの機会を得ました。

2週間の滞在が終わり、現地を離れる準備をしなければなりませんでした。
でも、こうして現地を「訪問する」だけというのは違和感がありました。
そこは依然として私たちの住む場所のように感じられました。
涙を流しながら、私は主がもう一度心に語ってくださるのを感じました。
「まだ働きは終わっていない。蒔かれた種に水をまくため、私は続けてあなたを用いたいのだ」と。
心の痛みと平安とが同時にやってきました。
苦しみと喜びとがこれほど見事に共存し得るということを、決してその時以上に理解することはできないでしょう。

私はしばしば「この悲劇的な事件で最も犠牲になったあなたたち家族が、どうして戻ってきて住み続けることができるのですか」と尋ねられます。

答えはシンプルです。「夫を殺した人のことは知りません。でも、あなたやこの愛する国に住んでいる人々のことは知っています。
私はその人々を愛していますし、もっと重要なのは、その人々を心の底から愛しておられる神様に私は仕えている、ということです」と私は答えます。

もちろん、事件を忘れることはできません。ステファンの死は心にぽっかり穴をあけました。愛する者を失うのは、体を切断されたようなものです。
いやされ、何とか歩み出すでしょうが、心の穴は埋まることがありません。

心の痛みを覚えます。でも、いやしも体験しています。
同じく静かないやしは、子どもたちの上にも起こっています。
父親がいないのはとても寂しいですが、同時に父親を誇りに思っています。
そして、彼の子どもであることを誇りに感じています。
子どもたち一人ひとりは、それぞれ異なるいやしの過程を通りましたが、神様は誠実なよきお方でした。

私たちは喪失を体験しましたが、豊かなのです。
マルコ10:29-30でイエス様が「わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、 その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます」と言われたように。

私たちには、北アフリカの地で神様が遺産として与えて下さった多くの兄弟姉妹、家族がいます。また、本国アメリカでも神様は遺産というべき人を増やして下さっています。

神様は、私のムスリムの人々への愛を増し加えてくださっています。
北アフリカで長年ムスリムの人たちと生活を共にしてきたので、アメリカでもムスリムの人と友達になることは容易です。
多くの時間を使って、楽しみながら文化的・宗教的違いのあるムスリムの移民や難民の人たちと深い友情を築いています。
その人たちがアメリカの文化や生活様式になじもうと葛藤していることを分かち合う時、私のその人々への重荷は深まります。

かつて本国でホストファミリーとなった時、外国人として米国に来て、言語や全く異なる文化・習慣の中で何とか暮らしていこうとするムスリムの友人に深い共感と憐みを感じました。
もっとも、彼女と私の違いは、私は彼女の母国では両手を挙げて歓迎された経験を持つということでした。
私たちがいろいろな面で違っているとわかりつつ、ほとんどの人は友人になろうとし、文化を教えてくれました。

悲しいことに、米国に来るムスリムの移民の人たちは、そのような扱いを受けていません。
ホスピタリティーの代わりに、アメリカ人たちが自分たちを恐れ疑っているということを多くの人が知ります。

モロッコからの移民である友人ミリアムに、「アメリカ人たちと会話するようにしたら、あなたが平和で親しみやすい人だ、とわかってもらえるのに」と言ったことがあります。
彼女の答えは私を恥じ入らせました。

「アメリカ人は私のような者にここにいてほしくないのよ。
冷たい視線やののしる言葉に私は耐えられるけれど、子どもたちがそういう扱いをされるのを見ると深く傷つくの。
母国の文化では、ホスピタリティーを受けるのはとてもよいことで、もしそうでないならそれは家族全員の恥なのよ。」

ミリアムの家族を思うと、胸がはりさけそうでした。彼女たちは私が知る中で最もやさしく、平和を好み、憐み深くて、神を純粋に愛している人々です。

(続く)







2017/06/20

「ここに来る前に死んでいます」(1)

犠牲と希望の証し   

エミリー・フォアマン
Emily Foreman

早朝、まだ辺りが静かな中、地域のモスク近くの道路に銃声が響きわたりました。
過激派アルカイダにより、若いアメリカ人宣教師ステファン・フォアマンは殺害されました。

キリスト教が禁じられている国に福音を伝える、という働きにエミリー&ステファン・フォアマン夫妻が神から召された時、二人はそれが命がけの犠牲を伴うものだとわかりました。
「ここに来る前にすでに死んだと思っています」と二人はよく話していました。

エミリーと4人の子どもが残されました。~夫を亡くした後も、イスラム教国で福音を伝えなさいという召しと共に。
夫ステファンの死、それは始まりでもなければ終わりでもありませんでした。
彼は無駄に死んだのではありませんでした。
ムスリムの人々への神の愛と夫がすすんで犠牲となったという事実に励まされ、エミリーと子どもたちは北アフリカでの宣教を続け、母国のクリスチャンたちが信仰の目をもってムスリムの人々を見ることができるように働いています。

*   *   *  


現地を訪れた時、夫の死について私たちが受けた最も深い慰めは、現地の友人たちが私たちの必要を考え、言葉をかけてくれたことでした。
友人たちも心を痛めていました。
なぜなら、自分の国の人物が自分の知り合いを虐殺し、知り合いの子どもは父を失い、その妻が未亡人となってしまったのですから。
友人たちは自分自身の感情と心の痛みと闘い、何とかして私たちに寄り添おうとしてくれました。
私も友人たちと共にいたいと切に思いました。

私たち家族は、親しくしていたアミルとジャメイラ夫婦をまず訪問しました。
彼らは駆け寄ってきてくれました。
アミルは家族の一人一人を抱きしめ、特に子どもたちを長い間抱きしめてくれました。
ジャメイラはすすり泣きながら、床に倒れそうなぐらいぎゅっと私に腕を回してくれました。

私たちの滞在中、アミルはステファンが殺された日の夜、雨の降る中でこの出来事をどう受け止めたかを離しました。
「僕の兄弟同様であった人は主の元に行ってしまった。しかし、僕たちは彼の遺産を伝えなければならない」
とステファンは強い口調で言いました。

それからしばらく口をつぐみ、静かな、しかしこれまで見たことのなかった勇気を持って私を見つめました。
「君も知っているように、僕は自分の命だけでなく、妻や子供の命をなくすのがこわかった。でも、今その恐れはない。
ステファンは死ぬほんの数日前に僕のところに来て、この同じ部屋で座っていた。
彼は熱があったが、声にはいつもに増して喜びがあり…」
少し切って彼は続けました。
「僕にこう話した。『アミル、僕はあとどのくらい生きられるかわからない。明日死ぬかもしれない。病気であれ過激派に殺されるのであれ、人生はとても短い。だから、まだ生きて息をしているうちに、神様に従わなければならない。死んでしまったら、もうやり直すことはできないのだから』」と。

その後も私たちは様々な人を訪問しました。
ムスリム・クリスチャンを問わず、どの友人も同じように涙を流しながら、ステファンが生前に語った言葉やしたことを話してくれました。
私はムスリムの友人が表す慰めや共感に、私は何度となく驚きました。

私の電話番号を知らないはずの多くの現地の人から、慰めの電話ももらいました。
「あなたの夫は、偉大な神の人でした」とその人たちは言いました。
「ムスリムの中には、彼に匹敵するほど偉大な人はいません。私たちの国は大切な人を失ったものです」と成功したビジネスマンの一人は私に話しました。

ある政府の役人が会いたいと言って来られました。
お茶を出した後、私を見つめ、彼は目に怒りを浮かべて言いました。
「どうして、あなたたち家族は、夫を殺した人物を赦すことができるのですか?
あれはムスリムではない。死刑に値する奴らなのです。」

私は、彼が私たち一家のために怒りを表してくれたことに感動しました。
そして、私たちはイエス様に従っており、イエス様は敵を愛し迫害する者のために祈るよう教えられたのだ、と話すことができました。
彼は黙って聞いていました。

とにかく、多くの人にはこのことが理解できないようでした。
「でも、どうやって赦すことができるのですか?」
「夫の命を奪った国に、どうして再び帰ってくることができたのですか?」
「赦し」という概念が、彼らには全くなじみのないもののようでした。
人々は純粋に驚き、当惑していました。

でも、ステファンの死はこの人々に深い印象を残したのです。
そして、今日でもまだ、私たち家族が赦しを示したことが人々の口にのぼっているのです。
(続く)


                その(2)→      その(3)→