Lisa E. Nelson
断食には大きな力がある
断食はシンプルな行為ですが、易しいことではありません。断食はクリスチャンを整える、霊的訓練の一つです。聖霊に満たされ、イエスの似姿に近づくために私たちは断食をします。
訓練とは神様が私たちを造り変え、成熟・勝利・キリストにある自由をもたらすために用いられる霊的な手段です。訓練そのものが私たちを変えたり豊かな人生をもたらしたりするのではなく、神様ご自身がそうしてくださるのです。祈りと断食(その他の訓練も)は信仰の歩みに必要な手段です。
断食とは何か
まず、断食といえないのは、全てあるいは特定の食物を、ある一定の期間食べないことです。単なる「食べないこと」は「ダイエット」か、悪く言えば「飢餓」です。それは断食ではありません。断食とは心の底から神様を知り求めたいという願いです。断食はもっと神様と親密になりたいので、100%良いものをあえてやめることなのです。それは物理的な行為を通しての霊的な訓練です。
聖書に見る伝統的な断食は24時間食事を取らず、飲み物だけで過ごすことです。夕方から始まり次の日の夕方まで行われるものでした。テレビ、インターネット、買い物などを断つという方法もあります。もし食物を断つことが合わないのなら、それらもよい方法でしょう。
真に聖書的な断食とは一心に神を尋ね求める内面的な訓練であり、常に謙遜が必要とされます。自我を人生の王座から蹴落とし、神様が王、支配者となられることを選びとるのです。1食、2食、24時間、飲み物だけ、特定の食物だけ、週ごと、月ごと、年ごと、の断食が可能でしょう。きまりだからではなく、神様への心の叫びから断食します。神様は私たちそれぞれに合ったやり方を導いてくださいます。
断食と祈り
断食というと、通常「食べないこと」を思い浮かべます。でも実際には、祈りのない断食はありえません。単なる「食べないこと」が断食ではありません。断食は神様に全力で集中するために食事やある食べ物をとらないことです。食べ物を慎むことではなく、祈りのうちに神様と時間を過ごすことこそ、断食の目的です。
断食する理由はさまざまです。今日から、24時間またはそれ以上の断食をあなたの生活に取り入れられないでしょうか。断食をする5つの理由を考えてみましょう。
1.個人の霊的成長と自分の要塞に勝利するため
霊的成長が目指すのは霊的な成熟です。霊的に成熟するために、私たちは聖霊に満たされ、自らを無にする必要があります。そして自分を無にするとは、へりくだる別の方法です。ですから断食のために謙遜が必要なだけではなく、断食は謙遜を教えてくれるのです。
空腹にもかかわらず断食を続けるなら、神様に従うことができるのだという確信が与えられます。私たちの生活よりも神様を愛していることを自分に示すのです。従順を選ぶがゆえに食べないのです。
断食が終わっても、従順の学びは続きます。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです(マルコ8:34-35)」というイエス様の言葉が何を意味するかを、私たちは理解します。
神様は断食の訓練を通して、私が気づかないうちに作っていた要塞から自由にしてくださいました。
それは礼拝メッセージを聞いていた時に始まりました。説教者が、キャンパス・クルセード・フォー・クライストのビル・ブライト博士のことを語り始めました。博士は主の促しにより、200万人のクリスチャンが国のために40日間断食するよう祈れと導かれました。それを聞いた瞬間、私もその200
万人の一人だということがわかったのでした。
自分の意思ではなく、そうするように促されたのです。心の中で聖霊が40日間断食するよう、まさに私に語られていることを感じました。
2年間にわたって私は母国とリバイバルのためにとりなしの祈りをしました。車で通りかかった全ての教会のために祈りました。それは持続的な祈りへの重荷でした。ブライト博士による国へのとりなしの断食の呼びかけを聞いたとき、私の頭の中で電球が灯ったようでした。
私は自分が母国のために断食して祈ったのだ、と思っていました。確かにそうでした。しかし、神様はその40日間を私自身の変革のためにも用いられました。食事をささげると共に、私は聖書と信仰書だけを読むようにと導かれました。ある日グルメ雑誌に目がとまりました。とても読みたくなりました。手を伸ばしてそれを取ろうとした時、心の中のチェックリストが働きました。
「祈ったか・・・イエス。聖書を読んだか・・・イエス。教えられたことを記録したか・・・イエス。・・・ならば好きなことをしてもよい。」と。
ところで40日間の断食中、私が本当に求めたことは何だったでしょうか。神様に近づくこと?アメリカのリバイバル?残念ながら違いました。食べ物のことを考えたくなりました。でもそれは、空腹だからではありませんでした。そうではなく、食べ物が恋しかったのです。食べ物が大好きだったのです。私は食べ物を神様の位置に置いていました。食べ物が私の慰めでした。食べ物が私の喜びでした。食べ物が私の偶像でした。
衝撃でした。偶像崇拝?唯一の神様以外を礼拝しているなんて?私が?でもそれが現実でした。
イエス様は「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします(ヨハネ8:32)」と言われました。私はようやくこの聖句の意味がわかりました。もっと運動し、よい食生活を送らなければと思っていましたが、主が私の本当の状態に目を開かせてくださるまでは、私の体重が霊的な事柄だとは思っていませんでした。
霊的な問題には霊的な解決があります。霊的な罪の問題、要塞、偶像崇拝は意志の力では決して乗り越えることができません。それらは神様に服従する時、神様が勝利してくださるのです。神様は断食という訓練を通して真実を私に教えてくださり、私を要塞から自由にしてくださったのです。
2.とりなしと願いのため
断食するのは神様のみこころをはっきり知るため、とりなしのため、あるいは霊的な戦いに対する力を得るためだと思うかもしれません。でも、実際には神様の栄光ある豊かさにより、内住される聖霊を通して神様は私たちに力を与えてくださり、キリストが信仰により私たちの内に住んでくださるようになるのです。キリストの愛がどれほど広く、長く、深いものであるかがわかり始めます。
もし他の人の救いのためや、神様から離れた人が立ち返るため、結婚の申込のために断食しているなら、祈りが聞かれるだけでなく、あなたが永遠を求めるよう変わっていることに驚くかもしれません。
聖書には、とりなしの力を求めて断食する記事がよく出てきます。
エステルは王に嘆願する前、侍女とシュシャンに住む全てのユダヤ人に3日間の断食を命じ、ついにユダヤ人の解放をかち取りました(エステル3-9章)。全国、全都市が断食ととりなしにより祝福を受けました。
もしあなたが祈りへの重荷を持続的に持っているなら、神様に断食の祈りをも含めることができるか尋ねてみる時かもしれません。救われていない家族のために断食し祈ってください。わがままな放蕩息子のために断食し祈ってください。破綻している結婚のために断食し祈ってください。重大な決断をしようとしている子どもたちのために断食し祈ってください。そして、神様の答えと時にゆだねましょう。
3.霊的戦いのため
私たちは戦いの中にいます。いつも霊的な戦いの中にいるのです。「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります(ヤコブ4:7)」を知っている人は多いでしょう。でもその聖句が「神に従いなさい。そして」で始まっていることを知っている人はどのくらいいるでしょうか。もし戦いのただ中で悪魔の攻撃を受けているなら、断食をして神様の前にへりくだり、神に従いましょう。そうすれば、悪魔に立ち向かって勝利を得ることができます。
神様に服従すると同時に、霊的な戦いにおける私たちには「御霊の与える剣である、神のことば(エペソ6:17)」という武器があります。断食の間、みことばを用いて祈り、みことばを黙想し、暗記し、声に出して宣言すれば、それが私たちの持つ何よりも強力な武器となります。
4.断食に召されているから
聖書でイエス様が断食を命じておられる箇所はありません。イエス様に従うために必要なのは信仰だけです。しかし、訓練は信仰を養うのに有益であり、聖徒たちが信仰に基づく人生を歩むのを助けます。
もしあなたが24時間以上の断食に召されているなら、霊的な権威で覆ってくれる人々に祈りの要請をしてこの召しを確認してください。もしそれが神様のみこころなら、神様は必ずあなたのために道を開いてくださいます。断食は自分自身が全くへりくだることです。この大事なステップを無視しないようにしましょう。
5.危機に陥っており、断食を求めるため
2001年の4月は私にとって大変な時でした。2歳の息子は手術を受ける予定で、4歳の娘は広い範囲の歯の治療を受けていました。私は女性の週末リトリートで奉仕をする準備がありましたし、夫は海外出張中でした。さらに、転居準備としてヤードセールで持ち物を処分しなければなりませんでした。これら全てが4週間のうちに起ったのです。どれから祈ってよいのかわからないくらいでした。
そこで24時間の断食をし、神様に背負っている全てのことについて断食し祈ることができるか尋ねました。そして断食により、平安と確信をもって祈れるようになりました。全ての祈りが答えられました。私にはその「試練の月」と呼んでいる時期を乗り切るための断食にあたり、力と集中力が必要でした。その大変な時期に、神様がどれほど真実に一つ一つの必要について語ってくださったかを、私は決して忘れません。特別な祈りの課題があったからでしたが、その断食によって私は信仰が強められ、大胆に祈ることができるようになりました。神様に全ての栄光をお返しします。
聖書には通常24時間の断食が出てきます(例えば毎年の長い断食よりも)が、その理由は断食が定期的な訓練あるいは習慣として実践するのに最もよいものだからだと思います。私たちが絶えずへりくだって神様を求めるなら、神様は見つけられ、私たちは変えられます。信仰が成熟し、内面から変えられるのです。
(著書「女性のための断食の手引き」より)