信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし
Tammy Kill
2011年5月22日。この日を境に、私たちの生活は永遠に同じではなくなりました。痛みと絶望の中で、信仰が試されることとなりました。
過去に経験したどんな悲劇、死、試みよりも、この試練は私が信仰を持ち続けるにはあまりにも過酷なものだといえるでしょう。
この日が絶望の淵から信仰を再びとり戻すまでの旅路の始まりとなったのです。
普通、日曜日は休息の日だと考えられていますね。でも10人家族の我が家にとって、日曜日とはたいがい意見がぶつかり、着替え、身だしなみを整え、教会に大急ぎで行く、戦争のような日なのです。
教会では礼拝メッセージに集中しようとしますが、双子(フェイスとジョイ、4歳)とやんちゃの末っ子(ゲリー、2歳)を連れて何度も託児室とお手洗いとを往復するはめになります。
日曜日は休息の日ではなく、むしろ試される日のようです。残念ながら忍耐と根気をもち続けられないことがよくあります。
さて、その日曜日は子どもたちと私だけが一緒におり、結婚18年になる夫のゲリー(子どもと同名)は仕事で不在でした。夫はオハイオ州のリマという私たちの町で17年間、葬儀の仕事をしてきました。
葬儀の仕事ですから、日曜日にも仕事に出ないといけないことがありました。
私自身はホスピスで看護師をしており、週末は休みでした。
(葬儀業者、ホスピス、そして私たちの姓はKill・・・人の死に関連するものばかり、何という取り合わせでしょうか!)
ともかくその日帰宅してからは、末っ子のゲリーが昼寝をする横で少し休むことができました。まるでその後の眠れない日々に備えて、神様が機会をくださったかのようでした。
5時ごろ夫が帰宅したので、私はしてほしいことのリストを渡しました。そこには芝刈りも含まれていました。
その後、私は夏季聖書講座の準備をするため、教会に向かおうとしました。
神様が私の心にビジョンを与えてくださったことに、わくわくしていました。
道路に出ようとすると、フェイスが家から出てきて、「ママ、行かないで!」と言いました。
ガレージでは夫が古い緑の芝刈り機のタイヤに空気を入れていました。彼は私が家を出る時と同じ、疲れた顔をしていました。
私の心は再び、ミニストリーと家族との狭間で葛藤しました。正しいのはどれなのか、いつも知ることは困難なのです。
教会に向かいながら、心が痛みました。それでも教会に着き、若者たちのグループが到着するのに備えて準備をしました。
数分して電話がありました。
その電話がすべてを止めることになりました。
突然、上の娘のホープの叫び声が耳に入りました。
「ママ、フェイスが芝刈り機にひかれたの!」
その言葉を聞いて、頭が真っ白になりました。自分が何を聞いているのかわからないほどでした。
(続く)
JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
2012/10/26
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