2010/09/14

プロでなくてもカウンセリングできる!

Counseling when you池e NOT a counselor             キャシー・C・ミラー                                
バーバラが自分のことを打ち明けてくれたとき、初めはどうすることもできないように思えました。私は普通の信徒にすぎないのに、彼女を助けることなどできるかしら?でも、話しているうちに神様が私に知恵を下さって、バーバラは問題の解決へのヒントを得ることができました。

プロのカウンセラーでない場合、問題を持った人を助けるのは難しいように思えます。けれども、共感する心と技術があれば、それは可能です。私は講演で話すことが多いのですが、様々な機会に女性たちのカウンセリングをするのは心からの喜びです。私自身は訓練を受けたプロのカウンセラーではありません。にもかかわらず、そうした場で神様が上からの洞察力や導きを与えてくださることに驚いています。もっとも、今だに不安を覚える分野でもあります。ではどうすれば熟練することができるでしょうか。


何よりも、してはいけないことを覚えておくことです。ヨブ記を見ると、よくないカウンセラーの例がいくつか出てきます。事実、ヨブは友人たちを「煩わしい慰め手」 (ヨブ 16:2)と呼んでいます。以下の点をふまえておけば、まずいやり方を避けることができるでしょう。


避けたいこと

ヨブの友人たちは、正しい人が苦難にあうことはない、だからヨブは何か罪を犯したに違いない、と考えました。エリファズは「さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか(ヨブ 4:7)」と言います。また、この「カウンセラー」たちは、共感しないまま模範的な答えを述べるということにも気がつくでしょう。エリファズは「私の見るところでは、不幸を耕し、害毒を蒔く者が、それを刈り取るのだ(4:8)」と言っています。

私はカウンセリングで同じ失敗をしてしまいました。初対面の女性が、最近流産した、と話してくれたのです。どう言ってよいかわからず、私は「でも、主はきっとまた別の赤ちゃんをくださるわ」と答えてしまったのです。後になって、よく理解もしないで一方的に言ってしまったと思いました。私は彼女の悲しみに寄り添いつつケアをするという、せっかくの機会を失ってしまったのです。

ヨブの友人たちの言葉を読む時、彼らが何の質問もしていないことに気づかれたかもしれませんね。もし彼らが本当にヨブの気持ちを知ろうとしたなら、ヨブは神様を非常に愛する人だとわかったかもしれません。私達ができる最善の質問は、「この問題を通して、あなたは神様のことをどのように感じていますか」というものです。相手が抱いているかもしれない、神への誤った見方に気づいてもらうことができれば、真理の発見を助けることができます。

ヨブ記8章では、ヨブの友人たちが彼の罪を断定しています。読者の中には、まるでビルダデのように、悲しい気持ちや疑いにまるで耳を貸さない人を知っている方もおられるでしょう。ビルダデは、神様への信仰に疑いを持つべきではない、という今日の一部のクリスチャンにそっくりです。実際には、イエス様は「信じます。不信仰な私をお助けください(マコ9:24)」と叫んだ父親のことを喜んでくださいました。神様は正直さを喜ばれます。神様は私達のどんな感情も思いもわかってくださいます。「相談者」は自分の気持ちや疑いを言葉に出してよいのです。

またヨブ11:13-19には、別の「よくない」姿勢が出てきます。それは「もし、あなたが・・・したら」と、あなたが何かする以外、他人では助けることはできないと言ってしまうことです。これは、迅速な解決法を示すように見えるかもしれません。が、実際には感情面の痛みには迅速な解決などめったにないということが明らかになるだけです。

話は続き、ビルダデは「いつ、あなたがたはその話にけりをつけるのか。まず悟れ。それから私たちは語り合おう。なぜ、私たちは獣のようにみなされるのか。なぜ、あなたがたの目には汚れて見えるのか(18:2-3)」と言います。彼が本当に言いたいのは、「反論をしないで、僕たちの言っていることを全部受け入れろ。それがお前にとって最善なのだ」ということです。けれども、人に向かってすべきことを全て言うとしたら、まるで自分が神様のようではありませんか。私達は、無神経で思慮のないカウンセラーにならないよう気をつけたいものです。

エリフという男性はずっとヨブと友人たちの会話を聞いていました。彼は黙っていましたが、ついに我慢できず、自分の考えを言いました。「私は私で自分の言い分を言い返し、私の意見を述べてみよう。私にはことばがあふれており、一つの霊が私を圧迫している(32:17-18)」と。もしエリフがそのまま黙っていたら、彼は最も賢い人たりえたでしょう。傷ついた人々は、多くの場合、自分の言葉をよく聴いてくれる、口数の少ないカウンセラーを必要としています。話しながら、その人自身が神の語りかけを聞くことができるからです。


その他の不適切な対応

ショックを受ける:「あなたがしたこと(言ったこと)は信じられないわ!」

できないことを期待する:「どうして今まで解決できなかったの?」

できない約束をする: 「私はいつでもあなたのためにここにいるわ。」

真実でないことを断言する。 少し前、ガンを患った友人に対して、私はこの失敗をしてしまいました。彼女は「私が死ぬことは神様の御心だと思わない?」と尋ねました。私は「いいえ、そうではないと信じるわ」と答えましたが、それは間違いでした。彼女が天に召された時、私は神様の思いでないことを言ってしまったと思いました。



望ましいこと

では、今度は望ましい対応のいくつかを見てみましょう。


・傷ついた人が、傷の背後にある原因を発見できるようにする。

人はしばしば自分の痛みについて、明らかになっている現在の原因に注目します。けれども時には、その原因が過去にあることがあります。私はかつて、夫に対して非常な怒りを持った女性と話しました。その怒りは夫が娘の発表会に行こうとしないという理由によるものでした。

彼女に自分の子供の頃のことを尋ねてみたところ、彼女は他のことと共に「私の父は、一度も私の楽器演奏会に来てくれませんでした」と言いました。彼女はこの経験と今の怒りとに関係があると気づきました。そして、自分が父親を赦していないから、夫の対応に過剰反応していたのだと理解しました。涙を流しながら、彼女は父親も夫も赦したいと言いました。

・相手の感情を言い表してあげる(ロマ12:15)。

例えば「あなたの話し方から、とても傷ついていると感じるわ」とか、「そのことで怒っているのではないかしら」などです。その人の成長やいやしとなる、実現可能なことを示してください(ピリ1:6)。簡単に答えが出るとか、すぐ乗り越えられるなどとは断言しないでください。いやしや成長にはたいていしばらく時間がかかりますが、その葛藤を通ることで人は神のもとにさらに近づくのです。

私が話す中で最も重要な聖書的概念の一つは、「1パーセントの原則」です。100パーセントのゴールは実現不可能であり、敗北感を生みます。だから、100パーセントを目指すよりは成長のための小さなステップをふむ方がよい、と私は相談者に言います。もし成長のためにアドバイスをするなら、小さいステップにしてください。

・実際的な方法で助ける。 (ロマ 12:13)

助けを必要とする人のために、必要な助けを得られる人を見つけるか、そこへ行くよう示してあげてください。でも多くの場合、相談者はそうするだけの力がないことがあります。彼女の代わりに連絡を取ってあげることが、うまくいくかどうかの分かれ目になるかもしれません。

・共に祈る。 (ピリ1:4)

多くの場合、例えばこのように祈ると効果的でしょう。「天のお父様、スージーはとても落胆していて、今は絶望的だと感じています・・・。」その人の痛みを神の御前に出すことは、その人を慰め支持することになります。

・言葉が多すぎるよりは、言葉が少なすぎる方がよい。 (ヤコ1:19)

難しいかもしれませんが、時には沈黙が多くの言葉よりも励ましになることがあります。ある女性が大きな罪を犯したことを話してくれた時、私は黙って聴いていました。後日、私がじっと聴いていたので励まされ、葛藤から抜け出す力を得た、と彼女が話してくれました。私はふさわしい言葉が見つからなかったので失敗したと思っていましたが、神様は彼女が必要なものをご存知だったのです。

・有効である場合を除いて、他の人の状況と比べない。(ガラ6:4)

何か参考になる場合は別として、同じ問題で苦しんでいる人のことを話しても、何の助けにもなりません。それどころか、自分と他の人たちの中で誰が最も大変か、比較したくなってしまうかもしれません。

・その人にとっての助けとは何かを見出す。(ガラ6:2,5)

その人にとっての真の助けとは何でしょうか。憶測するより実際に尋ねてみてください。尋ねられることで、彼女にもなすべき方向が見えてきます。また、すべきことを指示されるだけの時よりも、その人自身がより明確に考えることができます。

・みことばに基づく適切な対応

聖書には、肯定的で信仰的なカウンセリングの対応が出てきます。例えば、

・アポロをカウンセリングしたアクラとプリスキラ:公の場ではなく、アポロを家に招いて個人的に話をした (使18:26)。

・ラザロが死んだときのマリヤとマルタへのイエスの姿勢:姉妹たちの悲しみを無視せず、優しく真理を教えた(ヨハ11)。

・ナオミへのルツの姿勢:ナオミ自身の言葉から、深く落胆していたとわかります。ルツは彼女を支え、決して「そのように思ってはだめ、ただ神に信頼しなさい」とは言いませんでした(ルツ1)。

・ナタンは、ダビデの姦淫を単刀直入にとがめるのではなく、ダビデが感情を移入できるような話を用いてその罪を指摘しました(Ⅱサム12)。



以上のことで、あなたは共感力のある、カウンセリングの適任者になれると私は信じています。そして、「弱った手と衰えたひざとを、まっすぐに(ヘブ12:12)」してあげることでしょう。



キャシー・C・ミラーは女性の集会で講師として用いられており、「聖書の女性(Women of the Bible: Smart Guide to the Bible, Thomas Nelson)」を含む49冊の著書がある。彼女のウェブサイトは www.KathyCollardMiller.com 、ブログは www.KathyCollardMiller.blogspot.com。

Copyright 2009 Kathy Collard Miller.Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045.

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