2013/12/17

嫉妬を感謝に変える その4


「あんな家に住めたら・・・!」


                                   Shalrla Fritz
                              

 
 
3.感謝することを実践する。

髪の毛がオレンジに変色するような家(その1参照)で葛藤を覚えていた時には、向こうの通りの豪奢な家をうらやんでいたので、決して幸せを見つけることはできませんでした。

しかし、現実として、あのような家は私には与えられていなかったのです。
私に与えられていたのは、いくつかのユニークな特徴を持つ、古い家でした。

私は開かずの窓や、じめじめした地下室に直面することを学びました。
そして、屋根のある家に住めることを神様に感謝することを実行しました。
この家のよいところを考えるようにしました。
暖かくて清潔で、私たちの家族が住めるだけの広さがありました。
広い庭があり、通りをはさんで子どもたちが喜んで遊べる公園がありました。


自分の思い通りにいかない時に感謝する、というのは、必ずしも易しいことではありません。
けれども、詩篇50篇23節には「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう」とあります。

時には、感謝を述べることが難しく、犠牲を伴うことのように感じるかもしれません。
しかし、そうした時に、私は神様の備えとタイミングに信頼することを示し、救い主をたたえているのです。

今は別の家に住んでいますが、それでも時には不足を覚えます。
今でも、足りないものを思って幸せを感じられないことがありません。

でもすでに与えられていることに感謝を表していく時に、私は備え主をほめたたえ、神様と人生において与え続けられている恵みに心を向ける準備をしているのです。

神様が私が心から満足するものを与えてくださると信頼できるように祈っています。
私の羊飼いなる主が、私の目を開いて自分の人生に与えられた祝福を知り、葛藤に勝利することができるようにと願っています。


嫉妬がやってきた時には、再び戦います。キリストの満たしに満足して、不満に打ち勝ちます。
私の家や夫、子ども、働きについて、周りの女性たちの状況と比べないようにしています。
自分に与えられている祝福を数え、感謝をささげる時に満足がやってきます。

そして、豪華な家であろうと髪の毛が変色するような家であろうと、どこに住んでもキリストにある幸せと満足を見出すことができるのです。
 
 


嫉妬を感謝に変える その3


「あんな家に住めたら・・・!」


                                   Shalrla Fritz
                              

2.比較をしない。
 「ねたみとは、自分自身の祝福を数えるのではなく、他人の祝福を数えることである」と聞いたことがありますか?
通りの向こうにある家の立派な外観や、広く開きそうなすてきな窓を見、そして各階にあるであろう広いバスルームのことを想像したとき、私の幸せはしぼんでしまいました。
ねたみとは、自分自身が与えられている感謝なことに目をとめるのではなく、隣人が持っている物に注目するときに起こってきます。
パウロはガラテヤ人に宛てて、
「おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう(ガラテヤ6:4)」と書き送っています。
自分がすでに与えられているものに感謝することはできても、自分の状況を他人を比較してもなお幸せでいる、というのは難しいものです。
なぜなら、自分よりも良いものを持ち、恵まれた状況におかれている人は必ずいるものだからです。
そして、ねたみを起こす時に、私の喜びは破壊されてしまうのです。
(その4 に続く)
  


嫉妬を感謝に変える その2

         「あんな家に住めたら・・・!」


                                   Shalrla Fritz
                              

 
パウロは嫉妬について、次のように教えています。
 
 
1.神が必要のすべてであることを忘れない。
 
 
ピリピ4章で、パウロは続けてこのように述べています。
 
「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
 
満足するための第一の秘訣は、キリストのうちにそれを見出すことだと、私は発見しました。つまり、私の必要をすべて満たしてくださる真実な神様に信頼する、ということです。
 
神様がいらっしゃるなら十分だ、ということを私は忘れないようにしなければなりませんでした。
広く開く窓よりも救い主を、広いバスルームよりも神に近くあることを、からっとした地下室よりも神様を求めることを学ぶにつれて、私はだんだんと満足を覚えるようになりました。
 
もちろん、今でも葛藤を覚えることはあります。
この地上では、神様を求めることよりも、多くの財産や大きな家の方が実際的な求めのように思えます。
けれども、私の羊飼いなる方に本当の満たしを見出し、必要を備えてくださる神様の知恵に信頼するとき、私は満足を得ることができるのです。
 
 
(その3 に続く)