2016/07/27

きちんとできなくても ~その1~



最も大切なことを優先する






Vicki Courtney





「デボーション」という言葉を見聞きした時、あなたはどのように感じますか。
信仰生活の中で、それほど負担でないものの、私はある程度罪悪感を感じてきました。
それは、どんなに努力しても、クリスチャンの多くの先輩たちが指導してくれるようなデボーションの時をきちんと決めてとることができなかったからです。

私はデボーションの記録をつけようと思って日記帳を何冊も持っていますが、未使用か初めの数ページ使っただけになっています。
聖句を覚えようとして買ったカードや蛍光ペンも未開封のままです。
各種の聖書通読表や週ごとの祈りの表も、ずっとそのままになっています。


「完璧な」デボーションの習慣についてのセミナーに参加するたび、勧められたものをそろえ、目覚まし時計をセットしてきました(なぜなら、「よいクリスチャン」は朝にデボーションを持つのがよい、とされていますから)。
今度こそ、と決意を新たにしてその都度チャレンジするのですが、一週間が過ぎるころには遅れをとり、強い決意も半分くらいになってしまうのでした。

ほどなく、目覚ましは解除され、何も書かれていない日記帳と暗記カードが、これまでの未使用のグッズの数々とともに部屋の棚に並んで収められる、という状態になるのです。
私はいわばデボーションの失敗者でした。
聖書を読むこと、祈ることがきらいなのではありませんが、他のクリスチャンが普通にできるという決まったデボーションのやり方を続けることができなかったのです。


一方、私の夫は整った日々のデボーションを続けるという点では見本のような人物です。
(冗談ですが)もし「デボーション」を辞書で引くなら、聖書を抱え、黄色の蛍光ペンを手に持ち、神様のご人格について書かれた古いプリント(神に喜ばれる者となるため、月ごとにそれぞれのご人格について学ぶための資料)を持って微笑んでいる夫が出てくるでしょう。
夫はそのような人です。
もし私がデボーションの失敗者なら、夫はデボーションに成功しすぎた人といえるでしょう。

夫と私は性質がずいぶん異なります。
夫はなんでもきちんとしたい性格ですが、私はそうでもありません。
長年の間、私はデボーションのやり方を守れないことで劣等感を感じてきました。
さらに、私は神の御座に近づこうとする時、神様が腕時計の文字盤を指でたたきながら、頭を横にふっている姿を想像していたのです。
「おお、またあなたですか(深いため息)。もう時間なのに。
洗濯機が故障したり携帯電話が鳴ったりしても、これが電車の時刻だと思って、乗り遅れないように10分で対処できるか、試してみましょう。」

もし神様を、義務を課す恐い方だと考え、私達の心よりも行いを重視される方だとおもうなら、
神様に会うことは関係を持つというよりも、ただ規則を守ることのようになってしまいます。

しかし、デボーションのやり方に失敗したと思うのをやめ、神様がある決まったやり方しか受け付けないという思い込みを捨てた時、罪悪感からではなく、純粋に心から神様をしたい求める思いがやってきました。
ある人に適した方法が、他の人にも適しているとは限りません。
私にはOne-Year Bible(新旧約、詩篇、箴言が1日ごとに分かれていて、365日で聖書全体を通読できるもの)が一番合っています。
もし1日(かそれ以上)読み忘れても、前の日に戻って読むことができますし、時にはそれを飛ばして当日の箇所を読みます。
また、聖書のソフトウェアを購入してコンピューターに入れ、時間の許すときにはその日の聖書箇所とは別に、先の箇所を読むこともあります。
ある聖句や箇所の意味をよく理解するために、ギリシャ語やへブル語の原語の意味や主要な概念を調べたり、いくつかの注解書にあたったりしようとも思います。
手元の聖書は3,4日開かないで、ある1節に1,2時間心を集中して調べる夜もあります。
それは私に、より深い洞察を与えてくれます。


(その2に続く)


Just Between Us 誌 2016 夏号より翻訳   Original title: "Quiet-Time Flunkie"  
Copyright 2016 Vicki Courtney. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 


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