2017/09/27

漠然とした願い(3)

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神の促しを聞く

実際のところ、私は何をしているのか自分ではわかりません。
ただわかっているのは、神様が私に漠然とした、でも揺るがない願いを与えてくださり、そして私がそれに耳を傾けた、というだけです。
(神様は私たちすべてに、促しによって語ってくださるのです。)
神様は私を助けるために、賜物豊かな人を送ってくださいました。そして私たちは組織作りをしようとしたわけではありません。
ただ、人々を愛し、神様のなさることを見ようとしているのです。

あなたが影響のある分野で、人々をただただ愛することについて何ができると思われますか。
ぜひそれをしてみてください。
あなたの足の先を水の中に入れてみてください。
おそらく、あなたに神様が語っておられるのです。
私は人生をこれで終わりにしたくなかったですし、神様のうながしにもし応答しなかったらどうなっていたかと思います。
そしてまた同時に、神様からの促しと思われる漠然とした願いに応答することには、退職もないのです。

神様があなたが過去にしてきたすべてを用いて次のことをなさる、ということを軽く見ないでください。
私の年齢になる前には、あなたはもう少し知恵を身につけるでしょう。
神様は何も無駄にはされない、偉大な再活用(リサイクル)をなさる方です。
あなたのキャリアであれ辛い経験であれ、神様はすべてを益として用いられます。
あなたは何をしてこられましたか?また何をしてもらってきましたか?
神様がこれから用いることのできることではありませんか?考えてみてください。

さて、あなたは墓標に何を刻んでほしいですか。
私は「彼女はイエスのために何ができるかを知らなかった」と刻んでほしくありません。
退職して悠々自適の生活がだめだ、と言っているわけではありませんので、誤解しないでください。
どうぞ思いきり、旅行や孫との時間を作ってください。
(私の友人たちは、私がそれらがこの上なく好きだ、と口をそろえて言うでしょう。)

けれども、この世界が困難のために叫んでいるのは、イエスが望まれる状態ではないことを少し考えてください。
また、聖書にはそもそも「退職」がないのです(これについては別の記事が書けるでしょう!)
あなたにも、イエスの愛に基づいた願いが起こされますように!


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漠然とした願い(2)

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握りしめず、神の計画を探る

次は、個人指導してくれる人を見つけなければなりません。
人材探しはウィスコンシン州で7月にイチゴを摘むようなものでした(非常にたやすいこと:訳注)。
私が声をかけた人はみな「やります!」と言ってくれました。
すぐに、27人の子どもに対して、10人の常駐の指導者と5人の待機要員が与えられました。
最初の年の9月には、オアシス・プロジェクトにいる子どもたちの68%は学年相当より低い読解力しかありませんでした。
1月までに学年以下の読解力の子どもは20%になりました。
最初の年には1つの学校の27人を指導しましたが、次の年には3つの学校の70人の子どもを、32人の常駐の指導者と10人の待機要員で教えました。
ボランティアの人々の教師在任年数を合わせると、900年にもなりました。

子どもたちは学力的に向上しましたが、もっと大事なことは、子どもたちが指導者から受ける愛に満ちたサポートによって社会的に、また情緒的により自信を得たことです。
喜びや愛、励ましによってできた絆は、祖母と孫との関係に似たものです。
子どもも、指導者も、その顔を見ればわかります。
世代を超えて結びつきが生まれています。

現在は非営利団体として登録しています。これは、働きを拡げるための資金集めが容易になるからです。
また、助言をくれるすばらしい理事会があります。
それに加えて、退職した教師たちが新たな目的と喜びを見出しています。
少ない資源で多くの要求に応えてきた学校の教師たちも、今はより熟練した善意ある助け手に支えられて、目安がつくようになり、目標達成に近づけるようになりました。

でも、それだけではありません・・・。
オアシス・プロジェクトは個人指導の事業を広げるだけではなく、
恵まれない家庭のためのカウンセリングセンターを始めること、
思春期の10代が居場所にできる楽しく安全なティーンセンターを始めること、
そして地域内の選挙権を持てず、困難の中で落胆してしまった人々への情報センターを生み出すことなども願っています。
これまでに、私たちはコミュニティーの中に根ざし、愛と信頼を培ってきました。
志の似た友人同士が共に働き、社会を応援すること、人々を愛することで知られてきました。
良い行動は、良い知らせ、すなわち福音への扉を開きます。
イエスのように、私たちも人々のいるところで人々と会っているのです。
教会や、教会に行っていない人も、みな同じことのために働いています。
「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」(ガラテヤ6:10)。

(続く)

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漠然とした願い(1)




夢は大きく、神様の促しに耳を傾けながら。


Jan Frans


あなたは自分の墓標に、どんな言葉を刻みたいですか?
私は定年退職する前からそれを考えてきました。
引退したクリスチャンの友人たちが、旅行や孫と過ごす完全な自由を楽しんでいるのをフェイスブックで見かけます。
それらをうらやましいことだと思いつつも、「私はそれでよいのか」と自分に問いかけます。

私は、同じ質問を大学2年生でクリスチャンになった時に自分にしました。
無視しようとしましたが、その問いは私の耳に大きく響いてきました。「それでよいのか」。
その日のうちに、私は聞いた福音に応答し、イエスに従う決心をしました。後戻りはしませんでした。

あっという間に43年が経ちました。
私は教師を退職したところでした。
これからどうする?それでよいのでしょうか?

引退した最初の年は、リップ・バン・ウィンクル(W.Irving作『The Sketch Book』の主人公。20年間眠り続けた後で目覚めた)のようにただただ眠り、思春期の11,12歳を長年教えてきた疲れをとりました。
でも、私は変わることのないこの漠然とした願いを持っていました。
在職中、恵まれない家庭の子どもたちは学力的に落ちこぼれることが少なくなく、それは子どもたちの将来を左右する結果になると思われました。
助けを必要とする地域の人たちのために、クリスチャン・地域のリーダー・志のある市民が一緒になって何か始めることができないか、と夢見ていました。
落ちこぼれた子どもたちへサポートと希望を与える方法を生み出して、地域への愛を示したいと願っていました。
「引退した教師たちは個別指導者やメンターとして子どもたちによい影響を与えることができるのではないかしら」と思いました。

世間では、クリスチャンは何かに賛成するよりも何かに反対運動を起こすことで知られているようで、そのことにも悲しみを覚えていました。
私は、人々のいるところに出て行かれ、人々を愛された福音書のイエスの姿をいつも愛してきました。
クリスチャンと、信仰のあるなしにかかわらずよい志を持った人々とが共に行動できるようにしたいと思い続けてきました・・・でもどのようにすればよいかわかりませんでした。


立ち上げる

退職して2年目に、私が住むミルウォーキー地方で非営利団体の活動をする友人と協力することになりました。
私たちは、イエスの愛が驚くべき方法で広がっている非営利の活動現場のいくつかを視察しました。
私が学んだことは、始めは、だれも自分たちが何をしているかわからなかったということでした。だれ一人として!
彼らはみな普通の人々でしたが、勇気をもって冒険することを選びました。
全員が、何かよいことをしただけであり、神様がしていくにつれて必要を与えてくださったのでした。
それで、私は自分の夢を暖め続けました。

引退生活3年目になって、紅海が二つに分かれるとは想像もしないまま、つま先を水の中につけてみることを決心しました。
私は地域監督庁に勤めるクリスチャンのところに行き、両親が経済的困難で個人指導を受けさせるゆとりのない家庭の子どものために個人指導センターを始めたいと話しました。
彼女は地域のトップの一人のところに私を送りました。
その人は、かつてこうした子どもたちに個人指導をする人材をあちこち探し、あきらめかけていたところでした。
私たちは意気投合し、「オアシス・プロジェクト」が誕生しました。
希望と将来が必要な人たちにとってのリフレッシュできるよき場所となってほしかったので、この名前をつけました。 (続く)

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