2018/11/21

借り物の心配 Secondhand Worry






他人の問題を心配していませんか?
  バーブ・ルーズ 



他の人の問題を、あなたはつい心配してしまいますか?

ある日、友人のレアがもう限界だと言って電話をしてきました。
しかし、それは彼女自身の悩みではなく、成人したレアの子どもの問題のためでした。
息子の罰金を彼女が払っており、息子が刑務所に入れられるのではと恐れていたのでした。
レアは、同じく成人した独身の娘が思いがけない妊娠をし、経済的に不安定であることで夜も眠れなくなっていました。
両方の子どもの状況に、レアは感情的にも経済的にもほとほと疲れていました。

子どもたちの問題についてのレアの心配は「借り物の心配(secondhand worry)」として知られています。
他者の煙による受動喫煙のように、借り物の心配をする人は他人の問題を心配しイライラするか、あるいは自分が肉体的・感情的に影響を受けるかしてしまいます。


あなたにはこれらに心当たりがあるでしょうか。
  • 息子が理科の宿題を終わらせないので、落第して次学期に影響が出るのではないかとイライラし困っている。
  • 30歳の妹は自由を満喫しているが、健康保険にも入らず金の無心をしてくるので心配している。

私たちが借り物の心配から解放されないと、どうなるでしょうか。
他人の責任を自分が負うことになります。
さらに悪いことに、その人たちが自ら学ばねばならない人間関係・経済的・霊的な人生の過程を、気づかないうちに奪ってしまうのです。
(回復の原則をご存知ですか。借り物の心配は共依存関係を生じさせ、助長させうるものです。)


ヨシュア記9章には、イスラエル人が約束の地に入ってきたこと、エリコとアイの戦いに勝利したことを、カナンの地に住んでいたギブオンの住民が聞いたという記事があります。
ギブオン人は殺されるのではないかと恐れ、「彼らもまた計略をめぐらし、変装を企て」ました(ヨシュア9:4)。

ギブオン人は使者をヨシュアと族長たちのところに送りました。
自分たちは平和の盟約を結ぶために遠い国から来たのだ、とイスラエル人に言いました。
ヨシュアが旅人を調べると、古びた服装をし古びたぶどう酒の皮袋を持っていました。
族長たちは再度使者を疑い、すぐそばに住んでいるのではないかと尋ねました。
神が、カナンに住む民とは盟約を結んではならないと禁じられていたからです。
しかし、ギブオン人はとても遠くから来たと言って、イスラエル人にうそをつきました。
彼らの話は恐れと心配に満ちた、長く詳細なものでした。


私たちは自分と関係のある人が個人的な責任で悩んでいるとき、その悲しい話を額面どおりに受け取りがちです。
気の毒に思い、助けたくなります。
しかし、話の細かい部分に関心を持ち過ぎると、事実を見失ってしまいます。
これまで出会った失業中の人が、今回の失業は自分のせいではないと長々と話すのを何度となく聞いたのではないでしょうか。
10代の子どもが宿題を忘れた言い訳をし、自分に対する教師の不公平な扱いに長々と文句を言うのを何度も聞いたことがあるのではないでしょうか。


ヨシュアとイスラエルのリーダーたちはギブオンの住民の話をうのみにし、信じたことによって重大なミスをしてしまいました。
ヨシュア記9:14には「そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示をあおがなかった」とあります。

その結果、イスラエルはギブオン人と盟約を結びました。
間もなく、ヨシュアと族長たちはだまされたことに気づきました。
イスラエルの人々はリーダーたちにとても腹を立てました。なぜなら、不従順がどれほどの災いをもたらすかを知っていたからです。
ともかく、恐れと心配からイスラエル人をあざむいた人々を生かしておき、将来まで面倒を見ることになりました。
借り物の心配をすることは短期的にも長期的にも関係者全てが犠牲を払うことになります。


あなたが借り物の心配によって振り回されるかもしれない、4つの兆候

  1. いつも無責任な態度を取る人の行動、経済問題、未熟さのために、あなたがストレスを感じたり、夜眠れなかったりする。
  2. ある人の代わりに言い訳をしたり、金銭を与えたり貸したりしてその人を助けている。
  3. 何かを失ったり将来の機会を逃したりするのではないかと心配なので、ある人が困難や失敗を経験することを恐れている。
  4. その人ががっかりしてあきらめてしまったらどうしようかと心配で、本人の葛藤を見たくない。


借り物の心配から解放されるためにはどうしたらよいでしょうか。

子どもの一人のことで心配していた時、この「借り物の心配」で私の心はいっぱいになりました。
彼女は医者の下した診断に関して葛藤を覚えていました。
それまでにも大きな戦いがあっただけに、私は彼女の今後の人生が順調にいくようにしてやりたかったのです。
しかし、彼女の人生について悩み心配することで私はへとへとになりました。
そこで助けを求めてクリスチャンカウンセラーの元に行きました。
ティムというカウンセラーの唯一の問題は、私を全く慰めてくれなかったことでした。
彼はその代わりに、問題を正そうとして娘の人生に神の役割を果たそううとすることをやめるようにと言いました。
彼は、借り物の心配の解決法だと思える知恵をもって私に挑戦してくれました。
「私たちは、その人たちが神が必要だということに気づくようにしてあげなければなりません。」

ティムの助言に従えるかは、娘が高校3年生の時に試されました。
娘は突然宿題をしなくなり、高校の卒業が危ぶまれたのです。
その時、親である私たちは彼女の未来についての心配をゆだね、彼女に関して神に信頼しなければなりませんでした。
夫と私は一歩引いて、娘と先生のやりとり、そして娘自身の決断を見守りました。

素晴らしい結果になりました!
高校卒業後の進路は変更しなければなりませんでしたが、人生を軌道に乗せるために娘は一生懸命に努力しました。
私たちが一歩引くことで、彼女は神に従って人生を歩むことができました。
4年後、彼女は自分の大好きな仕事をし、いきいきと成長して歩んでいます。

もし、あなたが誰かの人生で神の役割を果たそうとして働きすぎ、本人がひざまずいて神様に呼び求めることを妨げているとしたらどうでしょうか?

あなたが配偶者、子ども、友人たちの人生で神の役割をしている限り、彼らは自分の必要がわからないし、プレッシャーを感じることもないでしょう。
しかし、請求書を未払いのままにし、車が担保にとられるままにするなら、無責任から生じる当然の結果に彼ら自身が向き合い、彼らが自分の愚かな選択に伴う痛みを扱うことになるのです。

落第したり留置所で数日間過ごしたりすることは、愛する人が神様に叫び求め、無責任な人生の歩みをやめる転換点となるかもしれません。
もちろん、その人たちが無責任な行動のせいで苦しむのを見ることは辛いことです。が、そのあやまちから学ばず何度も何度も苦しむことの方がもっと悲劇的です。

さあ、神様が必要だとその人が気づくために、あなたが手放すべき人は誰でしょうか。



Barb Roose:女性どうしがつながること、女性と神様とがつながることに重荷を持つ講演者、執筆者。女性たちがキリストにあって強められ建て上げられ、勝利の人生を送るようになることを願っている。国内外の聖会や集会で女性たちを教え励ますことが喜びである。近著に Winning the Worry Battle:Life Lessons from the Book of Joshua(「心配という戦いに勝つ:ヨシュア記から学ぶ人生のレッスン」、バイブルスタディーも同時発刊)。


Just Between Us 誌 2018秋号より翻訳     


Copyright 2018 Barb Roose. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045

2018/08/08

卒業シーズンの嘆きと恵み Graduation, Grief and Grace

~障がい児を持つ親へ、クリスチャンとしてのアドバイス







ダイアン・キム Diane Dokko Kim








「おめでとう!これからどうするの?」
「大学はどこに行くの?」
「どの会社に就職するの?」
「結婚したら、新婚旅行はどちらへ?」


アメリカでは6月は喜びの季節です。毎年、喜びとうれし涙の卒業と結婚、プロム(訳注:卒業のダンスパーティー)とパーティー、贈り物と正装の年度末があわただしく終わります。

しかし、重い障がいを持つ子どもの親にとっては、この時期は悲しみに襲われる季節でもあります。
もし障がいがなければ、私たちの子どももこうだったかしらと、心がまたうずくのです。

私の息子のような子どもたちにとっては、時と機会は違った流れ方をします。
私の16歳になる息子は自閉症、ADHDなどの障がいを持って生きています。
比べたり羨ましく思ったりしながら、私のような親たちは、普通は親として味わう記念行事の喜びを味わえないことをしばしば嘆きます。子どもの名前が書かれた卒業証書、結婚式に親子で踊るダンス、孫の誕生などです。
毎年6月になると、自分たちが経験することのない行事を耳にし目にしては、私たちが払う隠れた犠牲(機会費用)を考えるのです。

他の人の式典やお祝いに出席する時、あるいは誰かのプロムの写真をソーシャルメディアで見る時にはいつも、私たちは礼儀正しくにっこり微笑みます。
けれども心の中では、静かに悲しみます。
うちの子は違うもの。将来はどうなるのかしら。彼の人生の意味は何かしら、と。

また、この時期は私の信仰がゆらぎ、神観が問われる時です。
毎年、私は自分自身に福音を語って思い出させなければなりません。
神様の国では、この世界の価値観とは異なる基準、つまり神の国の貨幣価値で祝福と達成とがはかられるのだ、と。



罪の贖いに価値をおく

2000年前、天が開け、聖なる全く特別な方の誕生を告げる神の声が聞こえました。
その方は祝典と冠を受けるに最もふさわしい方でした。
神の愛するひとり子、神の喜ぶ子であり、洗礼を受け、若くしての死に従われた方でした。
無名で生まれ、身分の低い大工の子として育ちました。ご自身が結婚することはないと十分に知りつつも婚礼の席では喜びを表し、決して親になることはなくても喜んで子どもたちの病気を癒されました。祭りの祝宴では、決して離れないと約束した直後に自分を見捨てることになる友と、パンを裂いて分けられました。

与えられないものを嘆くかわりに、イエスはご自身に与えられた特別な召し、他の誰にも理解できなかったまさにユニークな重荷を背負うという召しに向かい続けられました。 
救いを与えるために来られたその世によって、裸で、誤解され、卑しめられて死にました。

この世的な成功から見れば、イエスは「失敗した」と見えるかもしれません。それでも、その誕生によって歴史を紀元前と紀元後に分けたような人物はいません。死からよみがえった人物も他にはいません。天に上り神の右の御座に座った方もいません。永遠の救いを全ての人に保証するのもこの方以外にはありません。他に救い主はいないのです。

神の御子はこれらすべてを、学位、キャリア、結婚、家族、優れた友人を持つことなく成し遂げられました。彼の功績はほとんど歓迎されませんでした。評判も、壮麗さも、境遇も伴わないご自身の召しを実行されたのです。



神の願いとは

「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか(ミカ6:8)。」

何が神の望まれる最低限で最上のことか、それはただ神の子どもたちが公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、神と共に歩むことではないか、とあります。社会の価値観にふりまわされず、イエス様はただ神様の目的を達することだけを望まれました。
心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして主を愛されました。そして隣人を自分自身のように愛されました。それだけが神がとられる基準です。
このようにして、イエス様は他に並ぶ者がいない、成功した人生を歩まれました。

対照的に、この世界での成功のバロメーターは学業や仕事の業績、強さ、力、美しさ、繁栄、地位などです。
こうした基準に照らすと、我が子のような障がい児は劣っているとみなされます。不十分で欠けがあるとみなされるのです。


「うちの子はどうなるの?将来は?この子の価値は何かしら?」


本当に愛されている子どもは、自分の価値を何かをすることによってわかってもらう必要はありません。何かを会得したり成し遂げたりする以前に、愛されているから価値があるのです。
我が子が生まれた瞬間から、その子が最も無力で依存的で、何も与えることなく、かえって私たちの持つ力を全て奪う存在であっても、私たちは決して壊れない愛を持って子どもを愛します。
それはただ、我が子だからだという理由で愛するからなのです。

私たちが子どもに注ぐ思いは、神様の犠牲的な愛のあらわれです。
私たちがまだ罪人であったときに、キリストは私たちのために死なれました(ローマ5:8)。キリストは私たちが最も価値のなかったときに、私たちを愛し、大切に思い、犠牲を払ってくださったのです。それはただ、私たちが神の子どもだという理由によるのです。

技能、業績、能力に関係なく、すべての神の子どもは、等しく尊い存在で神にあってそれぞれの目的を持っています。
主がご自身の子どもを「恐ろしいほど奇しく(詩篇139:14)」造られたのですから、神様の評価を疑わないでください。


悲しみが与えてくれるもの 

この人生の変化と移動を祝う驚くべき季節にほとんどの家族は喜びますが、中には悲しむ家族もあります。
典型的な親は子どもたちが家を出て大人になっていくことに喜びと悲しみの入り混じった複雑な思いを抱くのです。

一方で、障がい児を持つ家庭は、我が子が成長し自立する日が決して来ないことを嘆きます。
でも逆に、悲しみの気持ちは期待しなかった贈り物ももたらします。失ったもの、欠けたものを認識することで、私たちの最も大きな栄誉はこの地上で語られるものではないということを強く思わされるのです。

著名なクリスチャンの作家、C.S.ルイスはこう述べました。「もし、われわれの願望がこの世界では満たすことができないことに気づくなら、それはわれわれが別の世界のために造られたからだ、というのが最も妥当な説明である。」

私たちの究極の変化とは、別の場所で栄光に入れられることです。
「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます(ピリピ3:20)。」

その時まで、神の子どもなら誰でも成績や学歴に関係なく、心、いのち、思いを尽くして主を愛することができます。また、隣人を自分自身のように愛することができます。
何を成しとげ行ったかではなく、神の子どもであるがゆえに、能力にかかわらず私たちはかけがえのない存在なのです。
私たちへの神の無条件の愛は成績証明書の点数ではなく、恵みのはかりではかられるのです。

「ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません(Ⅱコリント5:16)。」


英語オリジナル記事は Graduation, Grief and Grace   (https://justbetweenus.org/relationships/parenting-challenges/christian-advice-for-parents-of-children-with-disabilities/)
Copyright 2018 Diane Dokko Kim.  Translated from Graduation, Grief and Grace

2018/06/19

変化をもたらす:インタビュー メルヴァ・ハンダーソン(4)


JBU: 今あなたのように辛い時期を通っている女性に言葉をかけるとしたら。

メルヴァ: 神様が父親であるということを忘れないでください。神様のような父親はおられません。
その信仰が私を支えてくれています。神様は決してあなたを見捨てません。


JBU:  断食は、どのように神様への飢え渇きを深めてくれるのでしょうか。

メルヴァ: 毎週火曜日が私の安息日です。世の中から離れ、家族と過ごすことを最優先する休息の日です。FacebookもSNSも見ません。メールなどにも返信をしません。
なぜなら、私には時に物事が早いペースで押し寄せ、十分に考えることができないからです。
私は賢い選択をしたいと思っています。
成熟し、よく考えて人生を送ることができるようにと願いますので、霊的訓練としてテクノロジーを断つことはぜひとも必要だと思います。

神様は安息され、働きを休む1日をとられました。私たちは神より優れた者ではありません。
ですから、スイッチを切り、心騒がせず、テクノロジーや食物を断つ日が必要です。
それは健康を維持し、心を休ませる素晴らしい方法です。
今日、それは肉体に安静を命じる時であり、特に神様に聞くことができる時です。
神様に聞き、意図的にスイッチを切ることには訓練が必要です。

繰り返しになりますが、テクノロジー、食物、つきあい、何を断つかにかかわらず、それらから距離を置くことで、神様に近づくのです。
私は、神様のところに行くという目的でそれをしています。そうすれば、私は神様の前に自分の人生を保つことができ、この世のそれ以外のものから静まることができます。
私のたましいと、全人的な存在に必要なものを取り戻すことができるのです。


JBU: 女性はこの世界に変化をもたらすため、与えられた賜物をどう用いることができるでしょうか。

メルヴァ: 第一に、みことばを生きることです。そして、神の前に賜物を差し出し、神に絶えず訓練していただき、人々のために用いることができるようにして頂くのです。
賜物を用いようと願い、置かれている場所から始めてください。まずエルサレムで、そしてユダヤとサマリヤで、やがて全世界で。

ある人にとっては、エルサレムとはあなたの子どもかもしれません。神様が呼ばれ召されるところならどこででも始めるのです。
大統領の母親は、まさか自分が未来の大統領を育てているとは夢にも思いません。でも、事実はそうなのです。
あなたが何をしているのかにかかわらず、神様はあなたを国を変えるのに必要な器として整えておられます。あなたの国とは、私の祖母がそうだったように、あなたの足元かもしれません。
どこにいようと、背景がどうであろうと、人種や社会経済的背景がどうであろうと、あなたは人々の人生に触れることのできるものを持っているのだと知ってください。
どこにいるかにかかわらず、変化をもたらすことのできるものをあなたが持っているので、神様はあなたをそこに置かれているのです。


JBU: 今日の女性について気になることはありますか。

メルヴァ: 神様との親しさが欠けていることです。
私たちは絶えずこの世のものと距離を置き、神様を人生の中心にする必要があります。
人生をかけて神様を愛してください。
1ペテロ1:16には「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」
と書かれています。私たちは聖さについて妥協することはできません。

もう一つは分派です。皆の関心が「私は」「私の」にあり、「私たち」に十分関心が払われていないように思います。
私たちは自分より前に他者のことを考えなければなりません。私はそのことを祈ってきました。
祖母が大変賢明に教えてくれたように、私たちは愛し、愛し、愛しぬかねばなりません。
神様の愛のうちを歩むように求められているのです。
それはあなた自身についてではなく、あなたが仕えるよう召されている人々に対してです。


JBU: 私たちへの励ましがあれば、お願いします。

メルヴァ: 自分を信じてください。神様が召してくださったと信じてください。内に聖霊が住んでおられると信じてください。罪赦されたことを信じてください。全て癒されるのだと信じてください。神様が信頼できる方だと信じてください。神様があなたの人生を御手に抱き、あなたが呼び求めるなら答えて下さる方だと信じてください。
神は平安の神です。悪いことが起こらないという意味ではありません。私たちは堕落し傷ついた世に、堕落し傷ついた人々と生きているのですから。
けれども神様は良い方で、何があろうともあなたのことを気にかけていてくださるのです。



変化をもたらす:インタビュー メルヴァ・ハンダーソン(3)


JBU:聖書のことばをそこまで愛するようになられた経緯を教えてください。

メルヴァ: 神学校の学生時代、ヨハネ15:7の「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます」というイエス様の言葉が目にとまりました。
その前の部分では、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です」とあります。ここでは、イエス様のうちにとどまることが語られています。そして、イエス様とそのことばとが同義のものとされています。
もし満たされたいなら、みことばに親しまなければなりません。

また、イエス様はヨハネ14:23で、わたしのところに来るなら、父とわたしはその人のところに来て、その人とともに住むと言われました。
「どうやって?」と思いましたが、それはみことばを通してでなければなりません。
私は父なる神様とともに住みたいですし、子なる神様とともに住みたいです。
ですから、みことばに親しむと決心したのです。
人生の回答を与えるのは、神のことばそのものです。


JBU: どうしたら生涯聖書に親しむ習慣を持てるでしょう。

メルヴァ: 文字通り、訓練です。この社会、テクノロジー、電話、iPadなどは私たちの時間と注意を引こうとします。ですから、神のことばがまず第一である、と優先順位をつける決意をしなければなりません。
私の祖母はいつも「生活の中で神様をまず第一にすると決意しなさい」と言っていました。
ですから、毎日神様を見上げます。たとえ、そうする気にならなかったとしても、です。
それをパウロは1コリント9:27で「私は自分のからだを打ちたたいて服従させます」、別の訳では「自分のからだを打ちつけます」と述べています。
言い換えれば、私は強いて身体を従わせ、すべきことをするのです。それはすべきこと、訓練です。

30年前から、早朝に祈るために起きるようにしています。それも訓練ですね。毎朝、私は起きて、神様と話す準備をします。初めに聖書を読み、そして祈ります。


JBU: 聖書の読み方について教えてください。

メルヴァ: 初めに、31章まである箴言から1章を読みます。
次に、毎朝パウロの祈りを読みます(エペソ1:14-23、3:17-21、コロサイ1:9、ピリピ1:9)。

まずエペソの「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか(見えますように)」で始めます。
それから、エペソ3:18にあるように、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つことができるように、と祈ります。
もし神様の愛が私のうちにあることに気づくなら、何が起ころうとも、何をされても、人々を愛することのできる心が与えられます。

ピリピ書からは、神様の働きができるよう、御霊のくださる賜物を受け取ります。
もし人生で何か起こり、心がざわざわしても、それらのみことばを見上げて助けをいただきます。心がみことばで満たされたら、祈りに移り、答えを求めます。


JBU: 聖書のことばを明確に体験された、特別な経験がおありですか。

メルヴァ: 2年前に祖母が召された時です(90歳でした)。彼女の死ほど私の人生に影響を及ぼした出来事はありません。
彼女がいないという心の穴を埋めるのに、2年かかりました。
私は実の父母に育てられていないので、祖母が私の家族そのものでした。
しばらくの間、自分が自分でないようで、ただ息をしているだけの状態でした。
落胆し、ひどい混乱と恐れと不安がやってきました。
けれども、長年神様がみことばを通して語ってくださったことが自分を支えてくれたのだと信じています。

悲しみに沈んでいたある日、主ご自身が私の父親となる、と明確に語ってくださいました。
詩篇68:5に、神は「みなしごの父」とあります。その言葉が、私を穴から引き上げてくれました。神が私の父となって下さり、私は独りぼっちではないと知ることで私に変化が起こりました。

また、イエス様が私の悲しみを悲しみを背負ってくださることもわかりました。
マタイ5:4「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」という励ましが与えられました。
だから、私は悲しんでよいのだ、と知りました。そのことが私をおおいに支え、神様が私の父となってくださると信じる決意が全てを変えました。  (続く)


変化をもたらす:インタビュー メルヴァ・ハンダーソン(2)

JBU編集部:あなたのおばあさんのことを聞かせてください。

メルヴァ: 私にとっては人生で最も影響力のあった人です。
私は自分に母親がいたら、父親がいたらいいのに、と常に思いながら育ちました。
けれでも、私には常に祖母がいてくれました。
彼女は私のメンターでした。
小学校しか出ていませんでしたが、神との深い交わりをし、教会の柱となっていました。
彼女は自分の人生を私のために注いでくれました。
彼女の家には選択の余地はありません。イエス様だけです。
それで、私は教会と家のどちらも常に神をあがめるところで育ちました。
もし私が土曜日に生まれていたら、日曜日には教会にいたでしょう、と冗談を言うくらいです!

12歳になる前には、もっと神を知りたいという渇きが心に生まれました。
私自身の個人的な信仰を培いたいという思いです。
その頃には、生みの母も信仰を持ち、家に戻ってきていました。そして兄と私を全市規模の大きな集会に連れていってくれました。
私はそれまで、そのような集会について聞いたことがありませんでした。
招きがあったとき、私はイエス様を自分の主として受け入れようと前に出ていきました。


JBU: その後、神様はどのようにあなたを変えられたのですか。

メルヴァ: 人生にはいくつか失敗もありますが、その日以来私は後悔したことはありません。
その後、神様との関係を意識しない日はありませんでした。
罪深いことが普通である大学時代でさえ、そうでした。
盛り場で「神様が悲しまれているわ!」と叫んだので、そこにいた人たちは皆ばつの悪い思いをしたことでしょう。神様が私に望んでおられない場所にいるということがわかりました。どうしたら、バーに変化をもたらすことができるでしょうか。
21歳の時に、私は人生を主と主のご計画にすべて委ねると決心し、主との関係がより深いものになりました。


JBU: あなたが今日の姿であるには、あなたの祖母はどんなことを教えてくれましたか。

メルヴァ: どのように人々を愛するか、ということです。
「人々を愛さなければなりませんよ。あなたに何をしたか、何を言ったかは問題ではないの。ただ愛するのよ」と彼女は言ったものでした。
また、彼女の姿を通して祈りの力を学びました。毎晩彼女の寝室に行くと、彼女はひざまずいて祈っていました。神様を優先順位のトップに置く、すばらしい女性でした。


JBU: 母親や祖母は、子どもたちに信仰面でどのように影響を与えられるでしょうか。

メルヴァ: 自分自身の絶え間ない神との歩みを通してだと思います。
「信仰は教えるより体得する方がよい」と私たちはよく言います。
もし、私たちと神との個人的な関係が子どもたちにとって見えるか経験できる何かでないなら、それを知ることはできないでしょう。
子どもたちが、私が試練を通る時に神だけがそれを乗り越えさせてくださるという歩みを見るなら、それ以上に強い証しはありません。
多くの子どもたちは成長の過程で反対の道へ行こうとしますが、母親や祖母がたえず神と歩み、神の話をするならば、この世にも消し去ることのできない印象を子どもたちに残すのです。


JBU: あなたと祖母の間のようなメンターの関係を、女性たちはどのように築くことができるでしょうか。

メルヴァ: どんな人でも、人生について語り導いてくれる人を必要としています。
今日の次世代の人々にはグーグルがあり、残念なことに、グーグルが時代の知恵になっていくと思っています。
でもそうではありません。
私は自分の人生を通じて、祖母の足元に座り、同じ話を語るのを幾度となく聞きました。
18歳になった時、「おまえは知識では私を越えるかもしれまいが、知恵では決して私を越えることはないよ。私はおまえより長く生きてきて、より多くの経験をしてきたのだから。おまえが行ってみようと思うところに、すでに行ったことがあるのだから」と祖母は言いました。
すべての女性は、自分が行こうとするところに行った人に語ってもらう必要があるのです。(中略)
誰かに近づいて歩もうとするなら、相手は持っている宝をあなたの人生に分けてくれるでしょう。
だから、私は祖母のような神の人、神を知り神と深く歩む人の話が聞きたいと思うのです。
そういう人たちを通して、神様は人生について何かを教えてくださるのです。


JBU: 自分の人生が影響力を持つということを、どのように知りましたか。

メルヴァ: 自分の人生は私自身のものではないということに、気づいたからに過ぎないと思います。
私の人生をゆだねるようにと召されたからです。自分自身がそういう働きに置かれているのですね。
私の祈りは「神様が望まれることを私は望みます。あなたが望まれるところに私は行きます。あなたが望まれることを私は行います」というものです。
信仰生活を通して一貫してそれを祈ってきました。


JBU: 「私では不十分です」とか「私はこの働きにふさわしくありません」などと思われた時がありますか?

メルヴァ: ほとんど毎日そのように感じます。
でも2ペテロ1:3には「主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました」と書かれています。
この聖句を握って、どんな働きも、恵みにより等しく与えられているのだ、と確認しています。
この働きを始めて以来、私はよく神様にこう言います。「私が自分のためにしているのではありません。神様、あなたが私に与えられたのです。理由はわかりませんが、あなたがせよとおっしゃるのです。人に、様々な国に、町に届くこと、本を書くこと、メッセージを語ること、あなたが私にその働きを与えられたのです。ですから、どうぞ知恵を与えて、あなたの栄光のためにさせてください」と。


JBU: 恐れが来たら、どうされますか。

メルヴァ: 恐れを蹴り飛ばし、心を強くして追い出します。神様が開いてくださったドアに一歩進みだします。恐れというのは、怖がっても私たちをとどめる力しか持ちません。恐れは自分にどうにかして忍び寄ろうとするので、日々それを認識する場所が必要です。


JBU: どのようにして打ち勝つのでしょうか。

メルヴァ: 神に頼り、みことばを読み、歩み続けることです。恐れのない人生は歩みですから、聖霊に頼りつつ生きることです。全てを聖霊にゆだねることです。
「主よ、ペテロに命じられたように、あなたが来なさいとおっしゃいました。ですから、おことばに従って前進します」と言うことです。
主はいつもそこにおられます。そして、恐れを乗り越える歩みは、もっと大きな恐れを乗り越える力となります。   (続く)
                               
 

変化をもたらす:インタビュー メルヴァ・ハンダーソン(1)


(LinkedIn より)
メルヴァ・ハンダーソン(Melva Henderson)はイエス様を心から慕い求め、信仰の遺産を受け継いだ女性です。



Shelly Esser








メルヴァ・ハンダーソン(Melva Henderson)はイエス様を常に愛してきたといいます。

いつからイエス様を愛するようになったのですか、と尋ねたら、彼女の美しい茶色の目は輝き始めます。そして祖母サディ・モンローの足元に座って、あふれ出る知恵を一つ一つ受け継いだことを話してくれるでしょう。
自らの霊的な旅(スピリチュアル・ジャーニー)について語る時、メルヴァは祖母のことを「ママ」と愛情をこめて呼び、尊敬をもって話してくれます。

メルヴァの顔が祖母を思い出すだけで輝くので、二人の間に深い愛と結びつきがあったことが感じられます。
メルヴァにとって祖母は最も人生に影響を与えた人物だとすぐわかるのです。

55年以上前、メルヴァと双子の兄は理想的とは言いがたい環境に生まれました。
2人の人生に永遠の影響をもたらすであろう決心をしたのは、祖母でした。
メルヴァに植えられた信仰は年月を経て深まり、いまや世界中の人々を神の国のために働く者へと変える器になっています。

「生まれたとき、母親は双子の兄と私を病院に置き去りにしました。母は10代で、私たちを育てることができなかったので、養子に出そうとしたのです。
ところが主は、私たちを家に連れて帰り、自分の子として育てなさいと、明確に祖母に語られたのです。」

当時メルヴァの祖母自身も、3週間後に出産予定でした。
けれども、疑いなく神様はメルヴァと兄のマーヴィン、そして「おば」にあたるパットとを三つ子のように育てることを望んでおられました。
そして、彼女はその通りにしたのです。

メルヴァは自分が国際的なミニストリーをするようになるとは思ってもみませんでした。
でも、神のことばへの深い渇きが出てきたとき、「自分の生きたいように生きるのではない」という幼い時からの経験が、神が自分をユニークな働きに召しておられるためだとわかりました。
祖母の足元に座って生きた信仰を学び、やがて自分も愛に生き、大胆な語り手・書き手として他の人々も同じ生き方をするよう教えることに導かれたのです。


今日、メルヴァは人々がみことばと訓練によって変革されるための、宣教の働きをしています。
彼女の情熱は周りに広がっていきます。
彼女はウィスコンシン州ミルウォーキーにあるワールド・バイブル・トレーニング・インスティテュートの校長及び設立者として、人々が神様とより深い交わりに入れるように導いています。
その学校では、世界中のクリスチャンリーダーが宣教のための訓練を受けています。
加えて、彼女は結婚して25年になる夫、アーヴィンが牧師をつとめるワールド・アウトリーチ・センター教会を共同牧会しています。

2007年に、彼女は町の貧しい人に食物と衣料を届けるリトル・フィート・オブ・メキシコ及びミルウォーキー・ギブという団体を立ち上げました。
またラジオやテレビのホストでもあります。
さらに、成人した5人の子どもと、4人の孫がいます。

近頃、私たち(JBU)はメルヴァから一人の女性の持つ影響力、そしてイエスと人々への愛をもって生きる彼女の人生の情熱についてインタビューする機会を得ました。(続く)