信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし(4)
Tammy Kill
・・・それはこのような歌でした。
信仰を抱き
希望を抱き
大丈夫という約束を信じていれば
十分でした
しかし それが感じられないとき
それが見えないとき
どうしますか
それでも信仰に立ち続けます・・・
その日、奇跡というしかありませんでしたが、手術は実施されませんでした。
看護師によれば、手術は延期になり、医師がもう一度傷口を消毒して来週に備えるとのことでした。
治療の日々からリハビリの期間に入ると、フェイスは車椅子で我が家に帰宅することができました。
それから徐々に歩行器を使うようになり、クリスマスにはほんの少し足をひきずる程度にまで回復しました。
傷あとは依然としてはっきり残っていましたが、回復も奇跡的なほど明らかでした。
ヘルブ11章1節には、「ですから、信仰は望んでいることがらの実体であり、目に見えないものの証拠です(KJV)」とあります。
信仰は実質を伴うものであり、私たちが希望を持てる理由です。
困難がないことが希望なのではなく、神様の恵みによって困難を通ることができることなのです。
私は逃れようのない、本当に暗いトンネルを通らねばなりませんでしたが、その最後には明かりがありました。
喜び、平安、勝利、そして信仰がトンネルの出口にありました。
今は、この人生において真に超自然的な経験をするには、それ以外の道がないとわかります。
私たちが魂の底から痛むような経験を通らない限り、超自然的な事柄を見ることはできません。
神様は、痛む我が子を見ることの悲しみを、知りすぎるほど知っておられます。
その時も、今も、神様はここにいて、私たちを忍耐強く待っていてくださいます。
神様は娘を家に戻してくださっただけではなく、私たち家族の心に信仰をもう一度与えてくださいました。そのことが、娘の回復にもまさることでした。
タミー・キルはオハイオ州リマの聖リタ医療センターの正規看護師で、7年間ホスピススタッフとして勤務している。所属する教会では短期聖書学校の講師を務め、女性ミニストリーに関する講義をし、執筆や賛美の奉仕にも携わる。夫婦には8人の子供が与えられている。
JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
2012/11/16
2012/11/09
信仰を取り戻すまで ~その3
信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし(3)
Tammy Kill
12回目の手術当日、私は一人で娘フェイスのベッド脇に座っていました。
まだ感染がおさまっていないのに、担当医が足の移植手術をするという決定をしたので、心配でたまりませんでした。
緊急事態が数日続きましたが、この時私は事故以来初めて神様に嘆願しました。
その時、私は気付きました。・・・「神様、私はひどく怒っています。」
祈ることも、聖書を読むことも、神様に対してどう感じているのか考える時間さえもありませんでした。
というよりは、祈りたくなるたびに、今は時間がないから、と言い訳をしていたのでした。
私はその時神様に向かって言いました。
「主よ、あなたと私だけが、私の気持ちを知っています。
私の娘は痛み苦しみ、打ちひしがれてここにいます。
身体も心も、絶え間なく痛んでいます。
それなのに、私にはなすすべがないのです。
神様、どうか今日の手術が行われないようにしてください。」
すると、なぜ祈れないでいたかがわかったのです。
事故の起こる前の水曜日に、私は夢を見ました。
子どもの一人が命に危険の及ぶようなひどいけがをした夢でした。
・・・そして、この事故が起こったのです。
神様は警告しておられたのだろうか?
それとも、サタンからのものだったのだろうか?
私にはわかりませんでした。
ただ言えることは、もし神様からの夢なのだったら、私の父であり、友であり、奇跡をなさる方で、私が望みをおき、祈りをささげる唯一のお方であるはずの神様が、
どうして事故が起こることを知りながらそのままにしておかれたのだろうか、ということでした。
そんな神様を、私は再び信頼し愛することができるのでしょうか。
私は疑いの思いでいっぱいになり、娘に信仰を示すこともできずにいました。
ところが、病室の静けさの中で、神様は私が怒っていることをご存じで、そのことを良しとしてくださっていることがわかりました・・・。
1つの歌が私の心にあふれてきました・・・
(続く)
JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
女性のあかし(3)
Tammy Kill
12回目の手術当日、私は一人で娘フェイスのベッド脇に座っていました。
まだ感染がおさまっていないのに、担当医が足の移植手術をするという決定をしたので、心配でたまりませんでした。
緊急事態が数日続きましたが、この時私は事故以来初めて神様に嘆願しました。
その時、私は気付きました。・・・「神様、私はひどく怒っています。」
祈ることも、聖書を読むことも、神様に対してどう感じているのか考える時間さえもありませんでした。
というよりは、祈りたくなるたびに、今は時間がないから、と言い訳をしていたのでした。
私はその時神様に向かって言いました。
「主よ、あなたと私だけが、私の気持ちを知っています。
私の娘は痛み苦しみ、打ちひしがれてここにいます。
身体も心も、絶え間なく痛んでいます。
それなのに、私にはなすすべがないのです。
神様、どうか今日の手術が行われないようにしてください。」
すると、なぜ祈れないでいたかがわかったのです。
事故の起こる前の水曜日に、私は夢を見ました。
子どもの一人が命に危険の及ぶようなひどいけがをした夢でした。
・・・そして、この事故が起こったのです。
神様は警告しておられたのだろうか?
それとも、サタンからのものだったのだろうか?
私にはわかりませんでした。
ただ言えることは、もし神様からの夢なのだったら、私の父であり、友であり、奇跡をなさる方で、私が望みをおき、祈りをささげる唯一のお方であるはずの神様が、
どうして事故が起こることを知りながらそのままにしておかれたのだろうか、ということでした。
そんな神様を、私は再び信頼し愛することができるのでしょうか。
私は疑いの思いでいっぱいになり、娘に信仰を示すこともできずにいました。
ところが、病室の静けさの中で、神様は私が怒っていることをご存じで、そのことを良しとしてくださっていることがわかりました・・・。
1つの歌が私の心にあふれてきました・・・
(続く)
JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
2012/11/06
信仰を取り戻すまで ~その2
信仰を疑うほどの悲劇を通った
女性のあかし(2)
Tammy Kill
その日、それからどのようだったかを表現することはできません。
家まで飛んで帰ると、私はそこで恐ろしい光景を目にしました。
幼い娘の押しつぶされた体を、庭で夫はひざまずいて覆うようにしていました。
「フェイス!・・・ゲリー!」
娘は両足を切断されていました。左足は大部分で、そけい部のあたりまでもでした。
辺りは血の海でした。
夫はその日、何度も何度も、「人殺しだ・・・」と言っていました。
続く数時間は娘の足だけでなく、娘の命を救うための闘いでした。
娘を失うかもしれないということに加え、夫は娘が自分の過失のすべてを知り、感じていることの重大さと絶望感に耐えなければならなかたのです。
娘フェイスは救命ヘリコプターでコロンブスにある子ども病院に搬送されました。そしてその夜、救命措置と切断された足を縫合する手術が行われました。
娘が再び歩けるようになるか、だれも保証はできませんでした。
ただ、娘の状態に心を向けるのみでした。
どうやって、こんな出来事を乗り越えられるだろうか?
夫のゲリーはひどくショックを受けていました。
後日聞いたところだと、フェイスが父親の運転の後ろをついてきたところに、夫が芝刈り機をバックさせたということでした。
夫はフェイスが庭の反対側で安全に遊んでいるのを少し前に確認していました。
ところがエンジンをかけて動かしたとき、娘がそこにいたのです。
まったくの事故でだれの責任でもありませんでした。でも、同時に耐えがたい出来事でした。
フェイスは大腿部と足とを接合するため、12回の手術を受けなければなりませんでした。
娘が小さな身体で痛みと落胆に耐えているのを、私は見守りました。
4歳の子どもがこれほど落ち込むのを、今まで見たことがありませんでした。
「ママ、いつ私はまた歩けるようになるの?」
娘が尋ねるたび、私は
「もうすぐね。」
と答えるしかありませんでした。
本当は、私には答えられませんでした。
この期間、忍耐できました、と言えたらよいのですが。
いつも証ししていた神の奇跡が起こったと言えたらよいのですが。
せめて、神様が娘の命を救おうと、初めから計画してくださっていたのだ、とでも言えたらよかったのですが・・・。
けれでも現実には、私には今後神様を信じられるかわかりませんでした。信じたいと思うかすら、わからなかったのです。
私は自分をなんとか取り繕おうとしました。
けれども、フェイスにほんの少し回復の兆しがみられたのに、逆に私の心は沈み、どんどんとわからなくなっていったのです。
フェイスは回復までにそれは多くの過程を通らねばなりませんでした。6週目には、足の傷口の周りに水ぶくれができてしまいました。
私は最悪の事態を想像しましたが、その恐れは現実でした。ブドウ球菌に感染してしまったのです。
(続く)
JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
女性のあかし(2)
Tammy Kill
その日、それからどのようだったかを表現することはできません。
家まで飛んで帰ると、私はそこで恐ろしい光景を目にしました。
幼い娘の押しつぶされた体を、庭で夫はひざまずいて覆うようにしていました。
「フェイス!・・・ゲリー!」
娘は両足を切断されていました。左足は大部分で、そけい部のあたりまでもでした。
辺りは血の海でした。
夫はその日、何度も何度も、「人殺しだ・・・」と言っていました。
続く数時間は娘の足だけでなく、娘の命を救うための闘いでした。
娘を失うかもしれないということに加え、夫は娘が自分の過失のすべてを知り、感じていることの重大さと絶望感に耐えなければならなかたのです。
娘フェイスは救命ヘリコプターでコロンブスにある子ども病院に搬送されました。そしてその夜、救命措置と切断された足を縫合する手術が行われました。
娘が再び歩けるようになるか、だれも保証はできませんでした。
ただ、娘の状態に心を向けるのみでした。
どうやって、こんな出来事を乗り越えられるだろうか?
夫のゲリーはひどくショックを受けていました。
後日聞いたところだと、フェイスが父親の運転の後ろをついてきたところに、夫が芝刈り機をバックさせたということでした。
夫はフェイスが庭の反対側で安全に遊んでいるのを少し前に確認していました。
ところがエンジンをかけて動かしたとき、娘がそこにいたのです。
まったくの事故でだれの責任でもありませんでした。でも、同時に耐えがたい出来事でした。
フェイスは大腿部と足とを接合するため、12回の手術を受けなければなりませんでした。
娘が小さな身体で痛みと落胆に耐えているのを、私は見守りました。
4歳の子どもがこれほど落ち込むのを、今まで見たことがありませんでした。
「ママ、いつ私はまた歩けるようになるの?」
娘が尋ねるたび、私は
「もうすぐね。」
と答えるしかありませんでした。
本当は、私には答えられませんでした。
この期間、忍耐できました、と言えたらよいのですが。
いつも証ししていた神の奇跡が起こったと言えたらよいのですが。
せめて、神様が娘の命を救おうと、初めから計画してくださっていたのだ、とでも言えたらよかったのですが・・・。
けれでも現実には、私には今後神様を信じられるかわかりませんでした。信じたいと思うかすら、わからなかったのです。
私は自分をなんとか取り繕おうとしました。
けれども、フェイスにほんの少し回復の兆しがみられたのに、逆に私の心は沈み、どんどんとわからなくなっていったのです。
フェイスは回復までにそれは多くの過程を通らねばなりませんでした。6週目には、足の傷口の周りに水ぶくれができてしまいました。
私は最悪の事態を想像しましたが、その恐れは現実でした。ブドウ球菌に感染してしまったのです。
(続く)
JBU2012秋号より
Copyright 2012 Tammy Kill. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045
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