~神のことばを再び読みたくなる秘訣
Sandy Mayle
←その(1) ←その(2)
(続き)
私は、前の月に選んだ聖句を用いても祈り続けます。
なぜなら、たとえば自分の舌の用い方について教えられたことや、イエス様が人々と関わっていかれた例といった、示されたことを忘れたくないからです。
1年の終わりには、各月に学んだ聖句や祈りのポイントを記した小さなカード集が完成していることを期待します。
そうすれば、この年に学んだ事柄の「選り抜きバージョン」を常に持ち歩くことができるでしょう。
もしみことばに対する新たな愛がほしいと祈るなら、神様のあなたに対する答えは私とは全く違うかもしれません。
神様はあなたの必要と、あなたに対するご自身の計画に特別の道に導かれるでしょう。
一番大切で心にとめるべきことは、神様がみことばを開く時に私たちに喜びを与え、聖霊が導かれて、神の子どもたちがみことばから隠された宝を探し出し、かけがえのない富んだ鉱脈を見出すことです。
神様は私たちに必要なものをそこに備え、私たちを導きたいと願っておられます。
また、神様は、私たちがただじっと自分のポケットに宝を入れたままでいてほしくないのだと確信します。
神様は私たちを通して働きたいとも願っておられ、新たに見出した富を他の人々と分かち合ってほしいと思っておられます。
神が語られる中には個人的な必要や益になる「秘密」もいくつかあるでしょうが、多くは与えられた交わりや贈り物や宣教のわざを通して流し出していくべきものです。
驚くことに、流し出していく時に、私たちはさらに豊かさが増すのです。
聖霊の導きに従い、神のことばに信頼して飛び込むのはなんと素晴らしいことでしょうか。
新たな情熱は強くなったり弱くなったりします。
私自身も確信のある聖句を与えられなかったり、何を聞く必要があるのかわからなかったりします。
ですから、先に書いた3つの祈りを絶えず祈り、神様にみことばへの情熱をくださるよう求めます。
みことばへの情熱は神が与えてくださるもので、私はそれを大切にし育てていきたいのです。
みこころなら、もう二度と聖書に飽きることがありませんように。
2017/12/22
聖書を読むのはつまらない?!(2)
~神のことばを再び読みたくなる秘訣
Sandy Mayle
←その(1)
(続き)
当初は、じっくりと、12の月ごとの主題をリストアップし、年間計画をたてたいと思いました。
しかし、神様は違う方法で進めるようにと願っておられるようでした。
次月の聖書研究をどうするかは、神様がご自身のタイミングで与えてくださるように感じ、そうしました。
時々、月の終わりが近づくのに、次は何をするのかまだわからないこともありましたが、聖霊様がいつも適切な時に私を導いてくださいました。
現在まで、それはわくわくする信仰の旅路となっています。
昨年(2017年)の月ごとの主題をいくつか挙げましょう。
一つの箇所から次の参照箇所に移り、これらのトピックについて聖書がなんと言っているかを見出し、注解書や聖霊に導かれて選んだ信仰書を読み、明らかになった真理が私の霊を癒し整えてくださるようにと祈り、心を新しくし、生活が変えられるのは、まるで宝探しをしているようです。
聖書箇所を読み、聖霊様が明らかにされることをジャーナリング(記録)していると、しばしば主題を貫くいくつかの大切な聖句に至ります。
それらの聖句がその月の私にとっての中心箇所となります。
私が一日を通してどう祈り、思いをどこに集中すればよいのかを示してくれます。
月の終わりまでに、私はその月の初めとは違った人物になっています。
(続く)
Sandy Mayle
←その(1)
(続き)
当初は、じっくりと、12の月ごとの主題をリストアップし、年間計画をたてたいと思いました。
しかし、神様は違う方法で進めるようにと願っておられるようでした。
次月の聖書研究をどうするかは、神様がご自身のタイミングで与えてくださるように感じ、そうしました。
時々、月の終わりが近づくのに、次は何をするのかまだわからないこともありましたが、聖霊様がいつも適切な時に私を導いてくださいました。
現在まで、それはわくわくする信仰の旅路となっています。
昨年(2017年)の月ごとの主題をいくつか挙げましょう。
・1月:舌(ことば)について(私には限度が必要)。主に箴言からの学びで、日々祈りに用いることのできる大切な節が与えられました。
・2月:何かをやりすぎることについて(私の人生でずっと問題である)。ガラテヤ書と、「Go Small(少しずつ進もう)」(Graig Gross, Adam Palmer共著)という本から学びました。
・3月:主にある年齢の重ね方(私は老いていませんが、やがて老いていきます)。聖書の登場人物、バルジライ、カレブ、シメオン、アンナについて学びました。また詩篇の中のいくつかの節とビリー・グラハムの「Nearing Home(天国に近づいて)」という本も読みました。先輩の信仰者から得たものは、長いリストになるほどたくさんあります。
・4月:人々と関わることについて(私は人付き合いがよくありませんが、神様は私の努力が必要だと知っておられます)。マルコの福音書から、イエス様が3年の公生涯で人と関わっておられることを学びました。私が身に付けるべき勇気とあわれみの表し方を見ました。
・5月:私のうちにおられる神様について(なんとすばらしい事実でしょうか)。これを書きながら、イエス様が文字通り私たちのうちにおられることがどれほど素晴らしいかと驚いています。同時に私自身がさらに「神ご自身の満ち満ちたさまにまで、満たされますように」(エペ3:19)とチャレンジを受けます。
一つの箇所から次の参照箇所に移り、これらのトピックについて聖書がなんと言っているかを見出し、注解書や聖霊に導かれて選んだ信仰書を読み、明らかになった真理が私の霊を癒し整えてくださるようにと祈り、心を新しくし、生活が変えられるのは、まるで宝探しをしているようです。
聖書箇所を読み、聖霊様が明らかにされることをジャーナリング(記録)していると、しばしば主題を貫くいくつかの大切な聖句に至ります。
それらの聖句がその月の私にとっての中心箇所となります。
私が一日を通してどう祈り、思いをどこに集中すればよいのかを示してくれます。
月の終わりまでに、私はその月の初めとは違った人物になっています。
(続く)
聖書を読むのはつまらない?!(1)
~神のことばを再び読みたくなる秘訣Sandy Mayle
文字が読めるようになって以来、私は聖書を読んできました。
様々な訳(英欽定訳、新英欽定訳、新世界訳、リビングバイブル、ニュー・リビング訳、メッセージバイブル、等々)を用いてきました。
幾度となく聖句を読み、多くの書を掘り下げて学び、聖書の人物について研究し、主題別の学びをし、様々なことに関して聖書がどう言っているのかを学ぶクラスにも出席してきました。
さて、自慢ではなく、恥ずかしいことを告白します。
時々、私は聖書に飽きてしまうのでした。
みことばは絶対だと信じ、また私に語られていることは必要なことだと知っている一方で、もし聖書を新鮮な視点で読み、新しくわくわくする事柄を何か見出し、みことばがいきいきする方法を再び見つけられたらいいのに、と思ってきました。
私はそういう思いで近年葛藤を覚え、何ヶ月もすごしました。
毎日1節を取り上げて読んでいく、通年のデボーションの本を使っていました。
それもよかったのですが、年があけてしばらくすると、聖書そのものをもっと深く愛せるようになりたいという思いが強くなり、聖書そのものをもう一度読んで味わい、学ぼうとしました。
それもよかったのですが、年があけてしばらくすると、聖書そのものをもっと深く愛せるようになりたいという思いが強くなり、聖書そのものをもう一度読んで味わい、学ぼうとしました。
確かに、神様は私にみことばを愛するよう願っておられるのです!
私は自分のマンネリと神様への願いを告白し、短い祈りを書きました。
「どうか、あなたのことばに対して目が開かれますように」と。
すると、聖霊様は詩篇119篇を読むよう導いてくださいました。
この詩篇こそ、神のことばを愛し、176節にわたって詩人がそのことを告白した詩です!
詩人は私が望んでいるような、みことばへの情熱と渇きを持っていました。
そこで、私は3つの聖句を祈りの項目に加えて、毎日祈り始めました。
これらの言葉が真の思いとなるよう、私は繰り返し求めました。
一晩では何も起こりませんでした。
しばらく経って、新年が近づいた時、あるアイデアが明確になりました。
2017年は毎月、さまざまな聖書の書、人物、トピックから聖書の学びをする、と。
そして、主がみことばから語って下さったこと、教えてくださったこととを記していくようにとも導かれました。
注解書などの参考書も読み、主が言われることは何でも行動に移し、学び、変わり、12の違った方法で2017年は成長しようと思いました。
聖書研究を新たな視点と方法でするという思いに伴って、みことばに対する新しい愛と探求したいという興味がわいてきました。
聖書をどのように読むか、と読む意欲とは、まさに祈ってきたことへの答えでした。
では、その聖書研究プランは、どのようなものだったかというと・・・
(続く)
その(2)→ その(3)→
私は自分のマンネリと神様への願いを告白し、短い祈りを書きました。
「どうか、あなたのことばに対して目が開かれますように」と。
すると、聖霊様は詩篇119篇を読むよう導いてくださいました。
この詩篇こそ、神のことばを愛し、176節にわたって詩人がそのことを告白した詩です!
詩人は私が望んでいるような、みことばへの情熱と渇きを持っていました。
そこで、私は3つの聖句を祈りの項目に加えて、毎日祈り始めました。
1.「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください」(詩篇119:18)。
2.「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました」(エレ15:16)。
3.「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」(詩篇119:97)。
これらの言葉が真の思いとなるよう、私は繰り返し求めました。
一晩では何も起こりませんでした。
しばらく経って、新年が近づいた時、あるアイデアが明確になりました。
2017年は毎月、さまざまな聖書の書、人物、トピックから聖書の学びをする、と。
そして、主がみことばから語って下さったこと、教えてくださったこととを記していくようにとも導かれました。
注解書などの参考書も読み、主が言われることは何でも行動に移し、学び、変わり、12の違った方法で2017年は成長しようと思いました。
聖書研究を新たな視点と方法でするという思いに伴って、みことばに対する新しい愛と探求したいという興味がわいてきました。
聖書をどのように読むか、と読む意欲とは、まさに祈ってきたことへの答えでした。
では、その聖書研究プランは、どのようなものだったかというと・・・
(続く)
その(2)→ その(3)→
2017/09/27
漠然とした願い(2)
←その(1)
握りしめず、神の計画を探る
次は、個人指導してくれる人を見つけなければなりません。
人材探しはウィスコンシン州で7月にイチゴを摘むようなものでした(非常にたやすいこと:訳注)。
私が声をかけた人はみな「やります!」と言ってくれました。
すぐに、27人の子どもに対して、10人の常駐の指導者と5人の待機要員が与えられました。
最初の年の9月には、オアシス・プロジェクトにいる子どもたちの68%は学年相当より低い読解力しかありませんでした。
1月までに学年以下の読解力の子どもは20%になりました。
最初の年には1つの学校の27人を指導しましたが、次の年には3つの学校の70人の子どもを、32人の常駐の指導者と10人の待機要員で教えました。
ボランティアの人々の教師在任年数を合わせると、900年にもなりました。
子どもたちは学力的に向上しましたが、もっと大事なことは、子どもたちが指導者から受ける愛に満ちたサポートによって社会的に、また情緒的により自信を得たことです。
喜びや愛、励ましによってできた絆は、祖母と孫との関係に似たものです。
子どもも、指導者も、その顔を見ればわかります。
世代を超えて結びつきが生まれています。
現在は非営利団体として登録しています。これは、働きを拡げるための資金集めが容易になるからです。
また、助言をくれるすばらしい理事会があります。
それに加えて、退職した教師たちが新たな目的と喜びを見出しています。
少ない資源で多くの要求に応えてきた学校の教師たちも、今はより熟練した善意ある助け手に支えられて、目安がつくようになり、目標達成に近づけるようになりました。
でも、それだけではありません・・・。
オアシス・プロジェクトは個人指導の事業を広げるだけではなく、
恵まれない家庭のためのカウンセリングセンターを始めること、
思春期の10代が居場所にできる楽しく安全なティーンセンターを始めること、
そして地域内の選挙権を持てず、困難の中で落胆してしまった人々への情報センターを生み出すことなども願っています。
これまでに、私たちはコミュニティーの中に根ざし、愛と信頼を培ってきました。
志の似た友人同士が共に働き、社会を応援すること、人々を愛することで知られてきました。
良い行動は、良い知らせ、すなわち福音への扉を開きます。
イエスのように、私たちも人々のいるところで人々と会っているのです。
教会や、教会に行っていない人も、みな同じことのために働いています。
「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」(ガラテヤ6:10)。
(続く)
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握りしめず、神の計画を探る
次は、個人指導してくれる人を見つけなければなりません。
人材探しはウィスコンシン州で7月にイチゴを摘むようなものでした(非常にたやすいこと:訳注)。
私が声をかけた人はみな「やります!」と言ってくれました。
すぐに、27人の子どもに対して、10人の常駐の指導者と5人の待機要員が与えられました。
最初の年の9月には、オアシス・プロジェクトにいる子どもたちの68%は学年相当より低い読解力しかありませんでした。
1月までに学年以下の読解力の子どもは20%になりました。
最初の年には1つの学校の27人を指導しましたが、次の年には3つの学校の70人の子どもを、32人の常駐の指導者と10人の待機要員で教えました。
ボランティアの人々の教師在任年数を合わせると、900年にもなりました。
子どもたちは学力的に向上しましたが、もっと大事なことは、子どもたちが指導者から受ける愛に満ちたサポートによって社会的に、また情緒的により自信を得たことです。
喜びや愛、励ましによってできた絆は、祖母と孫との関係に似たものです。
子どもも、指導者も、その顔を見ればわかります。
世代を超えて結びつきが生まれています。
現在は非営利団体として登録しています。これは、働きを拡げるための資金集めが容易になるからです。
また、助言をくれるすばらしい理事会があります。
それに加えて、退職した教師たちが新たな目的と喜びを見出しています。
少ない資源で多くの要求に応えてきた学校の教師たちも、今はより熟練した善意ある助け手に支えられて、目安がつくようになり、目標達成に近づけるようになりました。
でも、それだけではありません・・・。
オアシス・プロジェクトは個人指導の事業を広げるだけではなく、
恵まれない家庭のためのカウンセリングセンターを始めること、
思春期の10代が居場所にできる楽しく安全なティーンセンターを始めること、
そして地域内の選挙権を持てず、困難の中で落胆してしまった人々への情報センターを生み出すことなども願っています。
これまでに、私たちはコミュニティーの中に根ざし、愛と信頼を培ってきました。
志の似た友人同士が共に働き、社会を応援すること、人々を愛することで知られてきました。
良い行動は、良い知らせ、すなわち福音への扉を開きます。
イエスのように、私たちも人々のいるところで人々と会っているのです。
教会や、教会に行っていない人も、みな同じことのために働いています。
「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」(ガラテヤ6:10)。
(続く)
←その(1) その(3)→
漠然とした願い(3)
←その(1) ←その(2)
神の促しを聞く
実際のところ、私は何をしているのか自分ではわかりません。
ただわかっているのは、神様が私に漠然とした、でも揺るがない願いを与えてくださり、そして私がそれに耳を傾けた、というだけです。
(神様は私たちすべてに、促しによって語ってくださるのです。)
神様は私を助けるために、賜物豊かな人を送ってくださいました。そして私たちは組織作りをしようとしたわけではありません。
ただ、人々を愛し、神様のなさることを見ようとしているのです。
あなたが影響のある分野で、人々をただただ愛することについて何ができると思われますか。
ぜひそれをしてみてください。
あなたの足の先を水の中に入れてみてください。
おそらく、あなたに神様が語っておられるのです。
私は人生をこれで終わりにしたくなかったですし、神様のうながしにもし応答しなかったらどうなっていたかと思います。
そしてまた同時に、神様からの促しと思われる漠然とした願いに応答することには、退職もないのです。
神様があなたが過去にしてきたすべてを用いて次のことをなさる、ということを軽く見ないでください。
私の年齢になる前には、あなたはもう少し知恵を身につけるでしょう。
神様は何も無駄にはされない、偉大な再活用(リサイクル)をなさる方です。
あなたのキャリアであれ辛い経験であれ、神様はすべてを益として用いられます。
あなたは何をしてこられましたか?また何をしてもらってきましたか?
神様がこれから用いることのできることではありませんか?考えてみてください。
さて、あなたは墓標に何を刻んでほしいですか。
私は「彼女はイエスのために何ができるかを知らなかった」と刻んでほしくありません。
退職して悠々自適の生活がだめだ、と言っているわけではありませんので、誤解しないでください。
どうぞ思いきり、旅行や孫との時間を作ってください。
(私の友人たちは、私がそれらがこの上なく好きだ、と口をそろえて言うでしょう。)
けれども、この世界が困難のために叫んでいるのは、イエスが望まれる状態ではないことを少し考えてください。
また、聖書にはそもそも「退職」がないのです(これについては別の記事が書けるでしょう!)
あなたにも、イエスの愛に基づいた願いが起こされますように!
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神の促しを聞く
実際のところ、私は何をしているのか自分ではわかりません。
ただわかっているのは、神様が私に漠然とした、でも揺るがない願いを与えてくださり、そして私がそれに耳を傾けた、というだけです。
(神様は私たちすべてに、促しによって語ってくださるのです。)
神様は私を助けるために、賜物豊かな人を送ってくださいました。そして私たちは組織作りをしようとしたわけではありません。
ただ、人々を愛し、神様のなさることを見ようとしているのです。
あなたが影響のある分野で、人々をただただ愛することについて何ができると思われますか。
ぜひそれをしてみてください。
あなたの足の先を水の中に入れてみてください。
おそらく、あなたに神様が語っておられるのです。
私は人生をこれで終わりにしたくなかったですし、神様のうながしにもし応答しなかったらどうなっていたかと思います。
そしてまた同時に、神様からの促しと思われる漠然とした願いに応答することには、退職もないのです。
神様があなたが過去にしてきたすべてを用いて次のことをなさる、ということを軽く見ないでください。
私の年齢になる前には、あなたはもう少し知恵を身につけるでしょう。
神様は何も無駄にはされない、偉大な再活用(リサイクル)をなさる方です。
あなたのキャリアであれ辛い経験であれ、神様はすべてを益として用いられます。
あなたは何をしてこられましたか?また何をしてもらってきましたか?
神様がこれから用いることのできることではありませんか?考えてみてください。
さて、あなたは墓標に何を刻んでほしいですか。
私は「彼女はイエスのために何ができるかを知らなかった」と刻んでほしくありません。
退職して悠々自適の生活がだめだ、と言っているわけではありませんので、誤解しないでください。
どうぞ思いきり、旅行や孫との時間を作ってください。
(私の友人たちは、私がそれらがこの上なく好きだ、と口をそろえて言うでしょう。)
けれども、この世界が困難のために叫んでいるのは、イエスが望まれる状態ではないことを少し考えてください。
また、聖書にはそもそも「退職」がないのです(これについては別の記事が書けるでしょう!)
あなたにも、イエスの愛に基づいた願いが起こされますように!
←その(1) ←その(2)
漠然とした願い(1)
夢は大きく、神様の促しに耳を傾けながら。
Jan Frans
あなたは自分の墓標に、どんな言葉を刻みたいですか?
私は定年退職する前からそれを考えてきました。
引退したクリスチャンの友人たちが、旅行や孫と過ごす完全な自由を楽しんでいるのをフェイスブックで見かけます。
それらをうらやましいことだと思いつつも、「私はそれでよいのか」と自分に問いかけます。
私は、同じ質問を大学2年生でクリスチャンになった時に自分にしました。
無視しようとしましたが、その問いは私の耳に大きく響いてきました。「それでよいのか」。
その日のうちに、私は聞いた福音に応答し、イエスに従う決心をしました。後戻りはしませんでした。
あっという間に43年が経ちました。
私は教師を退職したところでした。
これからどうする?それでよいのでしょうか?
引退した最初の年は、リップ・バン・ウィンクル(W.Irving作『The Sketch Book』の主人公。20年間眠り続けた後で目覚めた)のようにただただ眠り、思春期の11,12歳を長年教えてきた疲れをとりました。
でも、私は変わることのないこの漠然とした願いを持っていました。
在職中、恵まれない家庭の子どもたちは学力的に落ちこぼれることが少なくなく、それは子どもたちの将来を左右する結果になると思われました。
助けを必要とする地域の人たちのために、クリスチャン・地域のリーダー・志のある市民が一緒になって何か始めることができないか、と夢見ていました。
落ちこぼれた子どもたちへサポートと希望を与える方法を生み出して、地域への愛を示したいと願っていました。
「引退した教師たちは個別指導者やメンターとして子どもたちによい影響を与えることができるのではないかしら」と思いました。
世間では、クリスチャンは何かに賛成するよりも何かに反対運動を起こすことで知られているようで、そのことにも悲しみを覚えていました。
私は、人々のいるところに出て行かれ、人々を愛された福音書のイエスの姿をいつも愛してきました。
クリスチャンと、信仰のあるなしにかかわらずよい志を持った人々とが共に行動できるようにしたいと思い続けてきました・・・でもどのようにすればよいかわかりませんでした。
立ち上げる
退職して2年目に、私が住むミルウォーキー地方で非営利団体の活動をする友人と協力することになりました。
私たちは、イエスの愛が驚くべき方法で広がっている非営利の活動現場のいくつかを視察しました。
私が学んだことは、始めは、だれも自分たちが何をしているかわからなかったということでした。だれ一人として!
彼らはみな普通の人々でしたが、勇気をもって冒険することを選びました。
全員が、何かよいことをしただけであり、神様がしていくにつれて必要を与えてくださったのでした。
それで、私は自分の夢を暖め続けました。
引退生活3年目になって、紅海が二つに分かれるとは想像もしないまま、つま先を水の中につけてみることを決心しました。
私は地域監督庁に勤めるクリスチャンのところに行き、両親が経済的困難で個人指導を受けさせるゆとりのない家庭の子どものために個人指導センターを始めたいと話しました。
彼女は地域のトップの一人のところに私を送りました。
その人は、かつてこうした子どもたちに個人指導をする人材をあちこち探し、あきらめかけていたところでした。
私たちは意気投合し、「オアシス・プロジェクト」が誕生しました。
希望と将来が必要な人たちにとってのリフレッシュできるよき場所となってほしかったので、この名前をつけました。 (続く)
その(2)→ その(3)→
2017/06/28
「ここに来る前に死んでいます」(3)
犠牲と希望の証し エミリー・フォアマン(Emily Foreman)
← その(1) ← その(2)
(続き)
真実はこうです。
世界には、ムスリムの信仰を持っている、と自称するテロリストがいます。
私たちの生活を変えてしまおうとする過激派がいます。
キリストに真に従う者として、私たちはどう反応すべきでしょうか。
彼らを追い出してしまえばよいのでしょうか。
安全を追い求めることと正しいこととは、異なる場合があります。
危険を冒しても、自国よりまず神の国を優先するということが大切ではないでしょうか。
私はアメリカ人であることを誇りに思ってはいますが、それ以上にまず天国の市民としての忠誠を第一にします。
自分自身に死ぬならば、国境を越えて神様に栄光を帰すどんなことにも、私たちの命をささげることができるのです。
私は信仰と恐れのはざまで葛藤し悩んだ時、ステファンが北アフリカに戻る数日前(殺されるわずか1か月前)に集会で語ったメッセージを読み返します。
ステファンはこの言葉のとおりに生き、そのとおりに死にました。
そしてこの言葉のうちに今も生きています。
ステファンを失ったことは忘れられないですし、それは私たちを完全に変えてしまいました。
でも、ステファンが現地から飛び立つ前に死んだことによって、神様に栄光が帰せられ、多くの魂が永遠に変えられたという、その約束を私たちはつかんでいます。
私たちは引き続き、ステファンが死ぬ直前に書いた問いに答え続けなければなりません。
「そのためになら死んでもよい、人生をささげてもよい、行動してもよいと思うものがありますか。」
目的のない人生を歩むのは、死ぬよりも悪いことです。
← その(1) ← その(2)
(続き)
真実はこうです。
世界には、ムスリムの信仰を持っている、と自称するテロリストがいます。
私たちの生活を変えてしまおうとする過激派がいます。
キリストに真に従う者として、私たちはどう反応すべきでしょうか。
彼らを追い出してしまえばよいのでしょうか。
安全を追い求めることと正しいこととは、異なる場合があります。
危険を冒しても、自国よりまず神の国を優先するということが大切ではないでしょうか。
私はアメリカ人であることを誇りに思ってはいますが、それ以上にまず天国の市民としての忠誠を第一にします。
自分自身に死ぬならば、国境を越えて神様に栄光を帰すどんなことにも、私たちの命をささげることができるのです。
私は信仰と恐れのはざまで葛藤し悩んだ時、ステファンが北アフリカに戻る数日前(殺されるわずか1か月前)に集会で語ったメッセージを読み返します。
ジェイムズ・カルバートがフィジーの人食い人種への宣教師として出向いた時、船長は彼を止めようとして言った。
「そんな野蛮な人種の所に行ったら、あなたも一緒に行く人も命を失いますよ」
カルバートはそれに対して、
「ここに来る前に、私たちはすでに死んでいます」と答えた。
今晩、もう一度私たちは自分に問いたいと思います。
あなたは死んでいますか?自分自身に、自分の願いに、そして恐れに。
そしてキリストの内に生かされていますか?
人々があなたの人生を、また私の人生を見た時に、キリストだけを見ることができるように、というのが私の願いです。
自分のものでないかのように、私たちの人生を生きようではありませんか。
この世にあってはまさしく寄留者でありましょう。
この世においては異邦人でありましょう。
私たちの国籍は、天にあるのです。
ステファンはこの言葉のとおりに生き、そのとおりに死にました。
そしてこの言葉のうちに今も生きています。
ステファンを失ったことは忘れられないですし、それは私たちを完全に変えてしまいました。
でも、ステファンが現地から飛び立つ前に死んだことによって、神様に栄光が帰せられ、多くの魂が永遠に変えられたという、その約束を私たちはつかんでいます。
私たちは引き続き、ステファンが死ぬ直前に書いた問いに答え続けなければなりません。
「そのためになら死んでもよい、人生をささげてもよい、行動してもよいと思うものがありますか。」
目的のない人生を歩むのは、死ぬよりも悪いことです。
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