2010/09/14

試練を乗り越えて生きる

ウーマン・インタビュー

   ~キム・ニューラン
              文:コンスタンス・B・フィンク               


 7250人の女性が集うティーパーティーを運営するとはどういうものか、想像してみてください。それをキム・ニューラン(Kim Newlen)はやり遂げたのです!

 2005年5月、彼女のミニストリーは世界最大のティーパーティーとして、ギネスブックに掲載されました。彼女がその認定を受けたとき、会場から大きな拍手がわき、彼女が乳がんとの戦いの中にあるとは思えませんでした。ごく短いショートヘアーにピンクの帽子をかぶっていること以外、彼女が病気だとわかるものはありませんでした。髪はほとんど抜け、乳房を失い、体は化学治療で弱っていましたが、彼女の陽気なほほえみ、あたたかい心、あふれるエネルギーはそれ以上に力があり、何千人もの女性の心を打ちました。

 キムの生き方は、女性をキリストのもとに招き、人生の危機から脱出する力を与え、人々の人生を変えています。彼女のミニストリーはガンの診断やギネス記録の何年も前に始まりました。

 12年前に出産に伴い教師を退職し、忠実な信仰生活を送ってはいましたが、彼女は寂しさと孤独に襲われたのです。「私がこれだけつらいなら、主を知らない女性たちはどれほどかしら?」と彼女は思いました。そこで、伝道のためのアイデアをあれこれ考えたのです。継続できるもので、準備にお金がかからず簡単なものでなければ、負担が大きすぎる。どの人も忘れることがないように、同じ場所と時間で続ける。こうしたことを念頭に、彼女は毎月第一月曜の夜に自宅を開放し、わかりやすいテーマを選んでお茶とケーキ、みことば、プログラムの時を持つことにしました。

 彼女はこの伝道を「スウィート・マンデイ(Sweet Monday)」と名づけました。12年前に最初のティーパーティーが持たれてから、この働きは全米434箇所、さらに世界16ヶ国に広がりました。彼女の自宅では30~70人の女性が参加し、毎月新しい人々が加えられています。

 スウィート・マンデイの3つの原則はSimple(シンプル)、Sweet(あたたかい、甘い)、Salty(塩気がある)です。Simple(シンプル)とは、「神の国をまず第一に求める」ということ、Sweet(あたたかい、甘い)とは「みことば私の口には蜂蜜より甘い」ということ、Salty(塩気がある)とは「私達は地の塩である」ということです。

 スウィート・マンデイは祈り会や聖書研究会とは異なり、イエス・キリストを紹介する入口となるものです。キムは「Sweet Monday: Women’s Socials on a Shoestring Tied to a Generous God(スウィート・マンデイ:豊かに与えてくださる神と結ばれるための女性の社交術)」という本を書いています。スウィート・マンデイを開催する人たちは、この本を用いれば、それぞれの集まりを時代を超えた聖書的な原則に基づいたユニークで効果的な伝道の場とすることができるのです。

 この伝道の集まりは午後7時30分に始まり、9時きっかりに終わります。8時にコーヒーとケーキを食べ終えると、キムはベルを鳴らしてプログラムをスタートさせます。まず5分間のみことばの時がもたれます。彼女はその中ではっきりと福音を語り、もしキリストについて疑問があれば質問できるよう、彼女の電話番号を伝えます。

 それから参加者たちは楽しく、役に立つようなプログラムに入ります。たとえば、“Man-I-Cured Those Nails(マニキュアに関するもの),” “Sweat Monday(汗をかくようなこと),” “How Do You Spell Simplify”など。ときにはある技術を持った人が参加していれば、その人がその技術を見せることがあります。それ以外の時には、参加者がプログラムに参加します。たとえば、 “A Beauty Full Evening”(美しさでいっぱいの夜)(訳注:Beautiful(美しい)とBeauty Fullをかけた)はキムが個人的に大好きなプログラムですが、女性たちが美しくなるための秘訣をお互いに公開しあいます。みことばの時には、キムは霊的な美しさへ変えられることや、イエス様が罪を取り除き人生をきよめて下さることを語ります。

 スウィート・マンデイは女性たちが輝くことのできる場を提供しています。たとえば、キムと同じ教会のある女性はケーキ・デコレーションが上手らしいということがわかりました。彼女は教会ではもっとも目立たない女性の一人で、キムも彼女のことをよく知りませんでした。しかし、キムはフットボール型のケーキをどのように作るか、パーティーに来て見せてくれないかと彼女にたのみました。彼女はキムの家の居間で実に活躍しました。時おり、キムは教会に来たことのない女性にもデモンストレーションをしてほしいと頼みます。そうすれば彼女はみことばの時間に福音を聞くことができるのです。

 調査によれば、福音的な伝道集会は数ある女性への宣教の中でもっとも効果が低いものだということです。なぜなら、伝道の鍵は人間関係だからです。スウィート・マンデイの働きは「女性をキリストのもとへ、1度にひとつの暖かい招待をする」ものです。キムは18歳から80歳の女性を迎えています。年齢を重ねた女性にとっては若い女性の相談を受ける機会があり、みなが互いにリラックスした雰囲気の中で励まされます。ほかにも独身女性、高齢女性、夫を天に送った女性、中学生を対象にしたスウィート・マンデイまであります。

 3年前にガンの診断を受けるまでも、多くの女性がキムの生き方を見、神に信頼する彼女の姿にならいました。ガンは大きな試練でした。JBU編集部では彼女にインタビューし、彼女がどのようにミニストリーを運営しているか、深刻な病の中でどのようにキリストと深い関係を保ってきたかを聞きました。



JBU: ご主人とご家族のことを聞かせてください。



キム: 1980年に、私はキャンパス・クルセードのスタッフとしてバージニア大学で働くよう導かれました。夫のマークは、大学生のクリスチャン・アスリートたちの交わりを勧める働きで、州の主事をしていました。学生のための祈り会で出会ったのが最初でした。彼はまさしく私の「輝くよろいをつけた騎士」であり、スーツをきちんときて、城のように広い建物でプロポーズしてくれました。結婚して22年になります。ケイリ(Kali)という15歳になるすてきな娘が与えられています。

 私はたくさんの子どもを生み、おそろいの服を着せたいとそれはそれはよく夢見たものですが、実際には何年もの間不妊に悩みました。ケイリは本当に祝福です。私は彼女のことを「特別なケイちゃん(Special K)」と呼んでいるんですよ。

 マークは私が自分自身のことを見つめるのを誰よりも助けてくれる人として神様が用いておられます。スウィート・マンデイを初めて1年がたったとき、マークは「もし君の考えを文章にしてくれたら、他の女性もそれぞれの自宅で同じようなことができるよう、50部のコピーを作ってあげるよ」と言いました。主に従順でありたいという気持ちで、そして夫に従うという思いで、私は書きました。

 その後、マークは「キム、君が女性たちの前で話すのが見えるよ」と言いました。私は主に、「私のような小さなものがそんなことをするなんてありえません。けれども、あなたが私にせよと言われることならば、その道をあなたが開いてください」と祈りました。6ヶ月後、女性の集会で話をしてほしいという依頼の電話を受け取りました。心臓が飛び出すくらい驚きました。これは主からのものであると感じ、行くべきなのだとわかりました。書いた本を50部持って、私は「王女様と深い穴」と名づけている自分の証をしました。私は王女のように育ちましたが、やがて深い穴に落ちてしまいました。私の結婚生活の1年目はそれは大変なものでした、という証です。私は4冊の本をそこに置いて帰宅しました。

 リッチモンドで最大のチェーンストア傘下のUkrop’sから、もっと多くの本を置いてくれませんかと声がかかりました。すぐに11以上の店舗に本が置かれました。1ヵ月後、近くの郡に住む女性から「私も近所の人とこの集まりを持っていいですか」という電話がありました。涙がほおを流れました。私はスウィート・マンデイが神様によって大きな働きとして用いられることをその時知りました。



JBU: なぜ結婚されてからの数年間、大変だったのですか。



キム: 私の期待が大きかったのです。結婚がどうあるべきかということについての多くの信仰書を私は読んでいました。フルタイムで主に仕える働き人が結婚生活で問題を抱えるとは、夢にも思いませんでした。私は幼くしてキリストを心に受け入れましたが、結婚するまでは、主の前に罪深さや欠けたところがあると気づいていませんでした。私は本当に自己中心的で身勝手でした。よろいをつけた騎士に、自分を守ってもらいたかったのです。

 しかし、私は失望と内面の葛藤を覚え、さらに試練にも直面しました。夫は思いがけない背中の手術のため2ヶ月間ベッドで寝たきりになり、仕事は誠実さを守るという理由だけのゆえに退職しました。私達の車は盗まれ、キッチンの屋根は陥没しました。ほかにもいろいろありました。これらの試練のたびに私は平静を失いました。なぜなら、私は「もし正しいことをしていたら、ずっと幸せに過ごせるだろう」という偽りを信じていたからです。代わって神は、試練を通して私を神により近づくものにし、また私に将来のための力を与えてくださったのです。これらの試練は私がガンになった時の備えとなりました。このガンもこの先起こることの準備なのだと思います。



JBU: 自分はミニストリーをする資格がないのではと思われたことがありますか?



キム: 毎日です!7000人以上の女性のティーパーティーは別としても、私はどんな規模であっても人前で話したいと思ったことはありませんでした。ジル・ブリスコー先生のキリストへの情熱と英国訛りがすてきだったので、私はティーパーティーに招きました。けれども、彼女は海外に行っていました。そこで神様は私に話すようにと言われたのでした。心は平静を失い、私はひざを震わせながら、私達の名前がいのちの書に記されることは、世界記録のギネスブックに載るよりも重要だということを話しました。

 私は他の人にキリストを示すとき、いつも弱さを覚えますが、みことばはむなしく帰ってこないということを信じています。その夜私はベッドにもぐり、もし恐れと自分にはできないという思いでやめていたら、神様が私達のコミュニティーに何かすばらしいことをなさろうとするのを押しとどめていただろうということを感じました。



JBU: どのように疑いや恐れを乗り越えたのですか?



キム: 結婚生活に困難を覚えた数年間は、私にとっては神様を求めた最初の時でした。私は毎日詩篇を読みながら叫びました。神様は他のだれにもできないやり方で私を励ましてくださいました。私は状況よりも神様について知っていることに焦点を合わせるということを学びました。

 ガンの診断を受けるまでに、主とみことばに思いを向けることが自然にできていたのです。眠れない夜には、主を知ることによる内面の平安を得て休息しました。神様は信頼でき、頼りになる方で、困難や失望の中でも私を見ていてくださる方です。私は女性たちが主を知るようになることにとても重荷を持っています。なぜなら、もし神様を知らなければ、深刻な問題にぶつかった時どこに助けを求めたらよいのでしょう?



JBU: 医師からマンモグラム(乳房X線写真)の異常について連絡を受けたときのことを話していただけますか。



キム: ショックを受けました。自覚症状がなかったですし、危険因子もありませんでした。まず心に浮かんだのは、「主よ、あなたは私の体に何かがあるのを全てご存知でした」ということでした。次に、「主よ、あなたを知らないで今もっと悪い知らせを聞いている女性たちはどうしているのでしょうか」ということでした。



JBU: ガンの治療中、最も辛かったのはいつでしたか。



キム: 2度あります。一度目は、髪がごっそりと抜けてしまったときでした。頭を剃ってもらって泣きました。もう一度は、乳房切除の手術で麻酔からさめた時で、乳房を再建してもらえなかったと分かったときでした。医師が化学療法と放射線治療を継続することにしたので、乳房が再建されなかったのでした。ショックでした。初めて鏡を見たとき、なぜガンは闘いだと言われるのかがわかりました。私はまるで戦争から帰ってきた人のようでした。最近になって、私は10時間かけてすばらしい乳房再建手術を受けました。再建しないで過ごしたのは3年間にも及びました。



JBU: 神様を疑ったり、もう限界だと思ったりしますか?



キム: いいえ、でもそれはただ神様を知っているゆえにだと思います。神様のご人格と、私や家族への神様の愛を知っているからです。神様がよい状況の中におられるのと同じく、辛い状況の中にもおられることを知っているからです。

 ガンとの闘いを通して、私は神様を新たなレベルで知ることができるようになりました。女性たちに、イエス様が最も偉大な慰め主だと知ってほしいと思います。どんな問題があっても神様と共に直面するなら、いかなる種類の痛みの中にも希望、助け、喜びがあります。自分の髪、そしてまつげ、まゆげ、体じゅうのあらゆる毛が抜けてしまうなら、私は外出できるくらいの姿になるまではきっと頭を隠したくなるだろうと思っていました。しかし、実際にはそのように思わなかったのです。私はピンクのバンダナをし、つけまつげのつけ方を研究し、未来に向かってほほえんだのです。



JBU: 辛い日々の間、どのように神様や他の人々との関係を保ちましたか?



キム: ガンは私をペースダウンさせるどころか、スピードアップさせました。医師や看護師を含め、他の人々とかかわる機会が飛躍的に増えました。ガンと診断されて、私は人生がいかに短いかを実感しました。ですから、神様が私と出会わせてくださった貴重な人々に喜んで接し、感謝し、仕えています。私が弱ってしまうと思った時に、神様は私の心を女性たちと神様に向けて花開かせてくださいました。主イエス様と共に旅路を歩んできたので、私は今はよりいっそう彼を愛しています。彼こそ私の岩であり、私は彼にしっかりとしがみついています。



JBU: 病気の間、ミニストリーの働きをやめる必要があると感じたことがありましたか。また、それをどのようにして知りましたか。



キム: はい、化学療法や放射線治療、その他の薬の副作用が出たときです。医師が、治療期間にはそれぞれ数日間トラックに衝突したときのように感じるかもしれないと注意してくれていました。それで、大好きなピンクのパジャマを着て嵐が過ぎるのを待ちました。



JBU: あなたが病気になったことは、家族や結婚生活にどう影響を与えましたか?



キム: 家族の忙しいスケジュールに加えて医師の診察や治療の日程が入ることは、時には大変です。私がいろんなことをお祝いしたがるので、マークは家計が破綻すると言いたいかもしれません。けれどもガンになって最も強調したいのは、当時12歳だった娘のケイリのことです。手術を受ける前、私はケイリに「あなたに一つの仕事を頼むわ。それは心配しない、ということよ。」と言いました。私達の秘密の合言葉として「仕事はどう?」と尋ねることにするわ、と彼女に言いました。

 数週間後、私達は3人で旅行しました。日程の都合で、ケイリは別のフライトを使わなければなりませんでした。私は空港で心配になり、自分のガンよりも娘が別のフライトになることの方が、神様に信頼するには難しいのだと話しました。娘は私の方を向いて「ママ、ママにも一つの仕事があるわよ」といいました。娘は真実を体験し、私にも同じように返してくれたのです。



JBU: 現在は、心配しないという「一つの仕事」をどのようにされていますか。



キム: 心配し始めるくらいなら、代わりに神様が私に望んでおられることをするでしょう。それは神様や他の人々との関係を深いものにするということです。私は自分が持っていないものよりも持っているものに目をとめるようにしています。悩んだりあきらめたりすることもできますが、思い煩いは主に委ねています。それで私は思い煩いに使っていたエネルギーを宣教のために使えているのです。他の人々に焦点を合わせることで、私の重荷は軽くなります。



JBU: ガンと診断されてから、あなたのミニストリーはどのように変化しましたか?



キム: ミニストリーにはそれほど変化はありませんが、私自身が変化しました。頭髪を失うに伴い、キリストを分かち合うのにより大胆になりました。身体があまり強くなくなったので、ただ神様だけが5つのカップケーキと2個のキャンディーを増やし(訳注:「5つのパンと2匹の魚」にかけている)、1年間でスウィート・マンデイを倍増させることがおできになったのです。



JBU: ガンの友達がいるとしたら、どのようなアドバイスをしますか?あるいは何を言わないようにしますか?



キム: 尋ねられない限りアドバイスはしないようにしていますが、ハグをしたり、食べ物やカード、本、新しく出たリップスティックをあげたりします。今「Beauty Tips for The Bald & The Breastless(頭髪と乳房を失った人のためのビューティー・アイデア)」という本を執筆しています。自分が感じるよりもすてきに見えるための具体的なアイデアの数々です。

 励ましということでは、その人にイエス様を紹介します。ある牧師がHOPE(希望)の頭文字を使うのを聞きました。「Happy Optimism of Promises Expected.(期待できる約束に基づく楽観主義)」というのです。私達の希望は状況でも感情でも医師の診断でもなく、キリストにあるのです。言わないようにしていることですか?ガン患者に向かって「何を食べているのですか」とか「人生で告白していない罪があるのではありませんか」とは決して尋ねません。



JBU: あなたのミニストリーは今後どうなっていくのでしょうか?



キム: 私は死ぬまで自宅でスウィート・マンデイを開くと思います!スケジュールが許す限り、講演の奉仕依頼も受けます。最近スウィート・マンデイの手引き書の4冊目を書き終え、ラジオ番組スウィート・マンデイ・ミニッツ(Sweet Monday Minutes)も60本の収録を終えました。私が伝道するとき分かち合っているのと同じことを語っています。訓練のためのビデオやセミナーもしています。私の願いは、私の死後もスウィート・マンデイが長く続いていくことです。

 この前のスウィート・マンデイで、一人の女の子が来てこう言いました。「私、来週の月曜日からスウィート・マンデイを始めるんです。近所に200枚のチラシをまきました」と。畑はまさに「ピンク」に色づいて収穫を待っているのです。



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●スウィート・マンデイを始めたい、あるいは自分の地域で持たれている集まりについて詳しく知るには: www.sweetmonday.org (ラジオ番組へのリンク: “The Sweet Monday Minute”),

メール sweetmondaymail@yahoo.com または 電話804.754.4333(アメリカ)).



●おすすめの資料:

・Praying Through Cancer: Set Your Heart Free From Fear(ガンの中で祈る:恐れからの解放) Susan Sorensen and Laura Geist

~静思のための本で、キムも執筆者の一人。



・www.LookBetterThanYouFeel.com

~キム発案の術後用キャミソールの新しい販促サイト。患者たちが診察室でもう服を脱ぎ着しなくてもよい作りになっている。フェミニンでデニムジャケットやブラウスと合わせるとすてき。キャミソールは商標登録・特許取得済。



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コンスタンス・B・フィンク(Constance B. Fink):牧師夫人であり、事務員、フリーのライターでもある。 ニュージャージーの都市部にある教会の牧師家庭の子どもとして育ち、心理学の学位を得た後ムーディー・バイブル・インスティテュートの女性舎監となる。現在はアルカンサスにある教会で夫のデイブと共に奉仕している。



Copyright 2007 Constance B. Fink. Tranlted from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045.

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