2010/09/14

来客を歓迎する家 


       ジル・ブリスコー        


 宣教にたずさわるつもりなら、自宅はもはや自分だけのものでないことを受け入れなければなりません。自宅は主のものなのです。

 もし主に仕える生活の中、プライバシーがないと悩む人がいるなら、私は心からその悩みを理解できます。なぜなら私は英国で生まれ、その国の女性がもつプライバシー感覚を持っていたのですから!

 私達の家が主のものであるなら、イエス様はご自身が招きたいと思われるどんな人でも招く権利をお持ちです。ところがイエス様には、ときに変わった友人がいるのです。まず、イエス様が友とされるのは、私達が夕食に招待したいと思うようなタイプの人ばかりだとは限りません。さらに、子どもたちとは一緒にいさせたくないと思うような人々がいました。

 しかし、イエス様は地上におられたとき、あらゆるタイプの人々を受け入れられたということがわかります。彼は汚れた人に会い、身体が変形した人をいやし、死体に触れることに忙しくしておられたのでした。ツァラアトの人たちにさえ接してくださったのです。ユダヤ人であるペテロは霊的、社会的に非常なショックを受けました。イエス様は彼に対して難易度の高いレッスンをされたのでした。

 「ペテロ、もしあなたが私の弟子なら、この世界を受け入れなければなりません。きよいとかきよくないとかにかかわらず、あなたはこれらの人たちを愛することを学ばねばならないよ。なぜなら、私が彼らを造ったからだ。そして彼らのために死ぬからだ。私についてくるとはそういうことなんだよ。」とイエス様は言われました。



ホスピタリティー(もてなし)

 聖書では、もてなすことは賜物ではなく命令です。それは、旅人が歓迎されていると感じられるように家を整え、人々がやって来たいと思うようにするということです。

 マルコ1:29では、シモンのしゅうとめが高熱で苦しんでいることをイエス様が耳にして、ヤコブとヨハネを伴って神殿からシモンとアンデレの家に向かわれるときのことが書かれています。おそらくペテロの妻はこのときイエス様と初めて会ったのでしょう。イエス様がしゅうとめにふれられると、熱がひき、彼女は給仕を始めたのでした。その夜、さまざまな病気をかかえた人や悪霊につかれた人たちがペテロの家にやってきました。実に「町中の者が戸口に集まって来た」(マルコ1:33)のです。私は「町中の者が戸口に集まって来た」というところにアンダーラインをひいてあります。

 同じようなことが起こっていると感じたことがありますか?宣教に携わり始めてまもなく、このような思いをいだくのではないでしょうか。「どうして私の家の戸口なの?」と。けれどもあなたが自分の仕事をしているなら、イエス様が家の中にいると知ったこの世の人たちは、あなたの家のドアまで列をなして突進してくるのです。



マルコの福音書を見ると、つづいて中風の人が4人の友にかつがれて、屋根をはがした穴からイエス様のところにつり下ろされた箇所があります(マルコ2:4)。彼らが知っていたのは、イエス様がその家におられるということだけでしたが、友のために何とかしようと決心したのでした。

 同じように、傷ついて救いを必要としているこの世は、キリストがおられると気づくと、あなた自身や持ち物があなたのものであることなど無視してしまうことがしょっちゅうなのです。ペテロの妻は、自分の家が群集でいっぱいになってしまってどうしていたのだろうかと思うことがあります。私が確信を持って言えるのは、彼女がもてなしの賜物を持っていたかどうかは問題ではなかったということです。彼女がどのような性格であったかということもまた問題ではなかったのです。この世の人々が戸口に来たなら、自動的にもてなすことになるからです。やかんでお湯を沸かすことでしょう。もし家にパンしかなかったなら、トーストを作ることでしょう。



役立つことの意味(The Meaning of Availability)



 私達がアメリカにやってきて約1年がたったあるクリスマスのこと、夫のスチュアートが礼服を着、ネクタイをして部屋に入ってきたので、「何があるの」と尋ねました。

「結婚式なんだ」彼は答えました。

「なんですって?クリスマスの日に?」私はびっくりして言いました。

「すまない、話すのを忘れていたんだ。それから・・・式はここでやるんだ。」

 なんですって!私はあれこれ聞き返すこともできました。「どうして?」と怒ることもできました。けれどもやっとのことで言葉を飲み込み、かわりに「何時からなの?」と聞きました。すると彼は「30分後だ」と言ったのです!

 クリスマスの日ですから、私はディナーを作っている最中で、床にはラッピングされたり開けられたばかりだったりのプレゼントがいっぱいでした。もちろんクリスマスで家族と過ごすゆったりとした日ですから、私は自分の髪型や着るものにはかまっていませんでした。しかしその時は怒っている時間さえありませんでした!私は子ども達を集め、半時間のうちになんとか掃除をすませました。スチュアートも文字通り「エプロンをして」手伝いました。大変な思いをしたことはいったん忘れて、私達は結婚式を行おうとしていました。

 スチュアートが言うには、カップルの両親は式に来ないだろうということでした。若い二人にとっては辛い時でした。そこで私達はできるだけのことをしたのです。式の最中に、ドアをノックする音がしました。片方の両親が涙を流しながら立っていたのです。彼らは、やはり結婚式に行くべきだと決心してきたのでした。しかしそこには両親がすでに2組おり、さらにもう1組が10分後に到着したのでした!彼らはお互いに殺し合いをしそうなくらいでしたが、自分の息子や娘にとってできる限り幸せな結婚式をさせてやりたいと思ったのでした。

 こうしたことは時々あります。だからそうした状況になるとすぐ、「これは悪夢かしら?とても信じられないわ」と思いますが、「でも、こんなことは一度きりでしょう」と考えるのです。神様はしばしば私達を驚かせますが、それを乗り切るための鍵はこうした考え方にあるのです。



うまく処理することを学ぶ(Learning to Cope)



 青年宣教の働きをしていたとき、私にとって非常によい模範になってくれたリーダーの妻がいました。彼女はジョアンといいましたが、私はずっと彼女の後についていき、重要な質問をしようとしていました。彼女はパン棚からダイニングルームへ移動しながら「私に一緒について来て!その間に質問してちょうだい」と言っただけでした。

誰かが私に質問したいとき、その人についてきてもらえばよいのであって、自分がしている仕事の手をとめなくてもよいのだということを、私は彼女から学びました。

 ジョアンが何度もA点とB点の間で止まるのを見ていて「ジョアン、彼らにあとで来るようにと言えばよいだけじゃないの」と言うと、彼女は「ジル、もし多くの人々があなたを必要としている時は、『この人が私の思いの中心にくる人だ』と一人一人の人に対して思い、立ち止まるべきなの。彼らは主が祝福された妨害者だということを私は学んだの」と言いました。それ以来、私は彼女のやり方に倣うようにしました。

 親切で必要に応じ、かつ柔軟であってください。サンフランシスコにある耐震住宅のようであってください。それらは岩の上に建てられているものの、全ての継ぎ目には可動性があるのです。だから激しい揺れがやってきても倒壊せず、しっかりと建ち続けるのです。あなたのスケジュールと周囲の人々の必要との間で感じる葛藤は、この先人生の終わりまで日常茶飯事となるのですから。



 もう一つの話をしましょう。子どもたちが大学生だったとき、私は家族みんなでイースターに2日間の休みをとるため、3ヶ月間働きました。あと2週間ほどでその貴重な休みだというとき、私は宣教師の友人から一通の手紙を受け取りました。開封したとき、悪い予感がしました。その手紙にはこうありました。

 親愛なるジルとスチュアートへ。
 あなたがたの素敵な家へのご招待を感謝します。それで遠慮なくお願いをしますね。私の娘は今アメリカにもどって大学に通っているのだけど、イースターに行くところがないの。それで、娘をあなたの家にいさせてくださるようにと、私からお願いします。先に「ありがとう」と言わせてね。

 主よ、あんまりです!私は心で叫びました。これまでの経験から、きっと女の子が一人でくるわけではないとわかっていました(事実、6人にもなったのです!)。家族水入らずで過ごせるはずの休みがもはやなくなってしまったことに、私の悲しみといったら、まるで死んだ人を悼むようでした。

 私は神様と交渉をしました。神様、神様、彼女を夏休み中預かるわ。それでいいですか。あるいは、来学期にまる2週間あずかります。しまいには破れかぶれに「彼女を養女としてうちで育てますから」と言い換えました。もちろん神様からの答えは何もありませんでした。しばらくして私は手紙をベッドにおき、その前にひざまずいて祈りました。「主よ、私は家族で過ごすために多くの努力をしました。そして、普段はいつも他の子どもたちと共にいることもあなたはご存知です。だからこれはあんまりだと思います。」天からは何の応答もありません。私はやっとのことで「主よ、じゃあ、あなたの言うとおりにします。でも、私が来客を歓迎したくないと思っていることを、彼女たちが気づかないようにしてください」と祈りました。あまり霊的ではないとわかってはいましたが、それが私にできる最善のことでした。私の心は依然として重いままでした。

 宣教における重要な原則は、「彼女たちが来るのがとても楽しみ!休みを取り去ってくださって、主よ、感謝します」と言えるようになるまで待っていてはいけない、ということです。私が知る限り、そのような境地に至ることはありません。ただ自分ができることとできないこととを、神様に申し上げるということだけなのです。神様は私達がこうあるべき、という姿ではなく、私達のありのままを受け入れてくださるのです。我が家にやってきた女の子たちは、私の本心に気づくことがありませんでした。私を除く全員はすばらしいイースターを過ごしたのでした。

 何年も後に、私は娘と共同で本を書きました。娘のジュディーに「あなたはこれとこれを書いて。そうしたら、私は私の視点から同じことをどう思うか書くことにするわ」と言いました。ある箇所で、私達は来客について書きました。

 驚いたことに、娘はそのイースターのことを書いたのです。私は娘が当時さまざまな問題に直面していたことを知りませんでした。けれども、イースターの休日に我が家に滞在してほしくなかった女の子たちの一人が、私が気づかなかった娘の問題に気づいたのです。この女の子は娘を人のいない部屋に連れていき、娘と共に座り、この問題を取り扱ったのでした。

 私達は知らないうちに主の御使いをもてなしていたのでした。その日、私はジュディーとキッチンのテーブルで涙を流しました。私は娘に、そのイースターに味わった葛藤を分かち合いました。

 それから神様に祈りました。ジュディは「主よ、その来客が私を助けてくれなければどうなったかわかりませんでした。あなたのみわざに感謝します」と祈りました。



 おわかりのように、あなたは主に仕えている身かもしれませんが、神様は決してあなた自身やあなたの家族への配慮を忘れてしまわれる方ではありません。私達は自分が献身して他者に仕えていると考えていますが、主は二重の計画を持っておられるのです。神様は私達が人々に仕え、神の似姿に変えられていってほしいと望んでおられます。さらに、神様は私達の奉仕やおかれている状況を用いて私達をいやし、ケアし、成長させてくださいます。そしてそれは多くの場合、私達が助けている、その人々を通してなのです!

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ジル・ブリスコー(Jill Briscoe)はJust Between Us誌のエグゼクティブ・エディター。ワールド・リリーフやクリスチャニティ・トゥディの理事もつとめる。世界各国の集会でもしばしば奉仕している。ジルと夫のスチュアートには3人の子どもと13人の孫がいる。



Copyright 2007 Jill Briscoe. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045.

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