2025/02/11

バランスのとれた人生とは Balancing Act 


JBU誌の編集スタッフが語る、
人生の季節をよく生きること

聞き手 Ann M. Cook


私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。
家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。
たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。
JBU 誌のアーカイブ記事の中に、2002 年夏号(この記事の21年前)「バランスのとれた人生」というインタビューがありました。
このテーマは、当時と同じく今日の女性にも当てはまります。
JBU誌 のスタッフである メアリー(Mary Perso)、スーザン(Suzan Braun)、シェリー(Shelly Esser) が、人生のさまざまな時期を通じてどのようにバランスをとり続けているか、以下に最新のディスカッションをお楽しみください。


JBU: あなたにとって「バランス」とは何でしょう。あなたの人生ではどんな感じですか?

メアリー: 秩序の感覚だと思います。
バランスがとれているとは、必ずしも忙しさがないというわけではなく、深い所に平安があることです。
バランスの取り方は人生の時期によって異なります。
イエスの人生、特に公生涯は、私たちがバランスと考える生活にはまったく当てはまりません。イエスは父の声を聞き、それに従うと決意していました。彼は過激でした!

スーザン: バランスが取れるのは私にとって不可能だと感じることが多いです。
他の人の生き方を見ると、よく「本当にうまくやっているなあ...私には絶対に無理だ」と思います。
私は比較の罠に陥らないよう気を付ける必要があります。なぜなら、他の人は私よりもずっとうまくやっていると思う傾向があるからです。

シェリー: バランスを取ろうとして、間違ったことに集中しすぎてしまうことがよくあります。
クリスチャン生活にあたって、神が私たちに望まれることを個人的に求めることが大切なのですが、それに対して、この社会は手っ取り早く簡単にできる方法を求めるように私たちを訓練してきました。
バランスそのものを求めることによってではなく、私たちの人生に対する神のみこころを求めることによって、よいバランスを見出せると思います。

マタイ6:33は、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられます」と述べています。
私たちに必要な「これらのもの」とは、まず神を求めるときに与えられます。そしてそれには何をすべきかも含まれます。

人生を通して、神が私に焦点を合わせるように願われることは絶えず変化してきました。
昨年私が焦点を合わせたことは、今日私がしていることとは異なります。
だからこそ、私たちの人生に対する神のみこころを日々求めることがとても重要なのです。
伝道者の書 3:1 は、「すべての事に時がある」ということを思い出させてくれます。
人生のある時点でうまくいくことが、別の時期にはうまくいかないこともあります。


JBU: 奉仕、家族、その他の要求のバランスを取る上で、何を学びましたか?

メアリー: 母親であり祖母であることは大きな喜びです。どちらも崇高な使命です。
夫と私は、宣教に献身していると感じており、常にお互いを尊重しようとしています。
夫は、私が神の召しを行えるように、多くのことを諦めました。
一方、夫が教会の役員になるよう頼まれたとき、私は多くのことを手放し、彼が神から召されたことに集中できるようにしました。
もっともこれらはよく考えねばならないことです。なぜなら、ついつい献身「しすぎて」しまうからです。

今は子育てが終わり、新たな人生の時期を迎えています。
私は Just Between Us編集部でフルタイムの責任を持ち、夫はこれまで以上に地域活動に携わることができます。
息子たちはそれぞれ素敵な家庭を持ちました。高齢の両親の世話をする時期も過ぎました。私たちの健康は守られています。
どれだけ続くかわかりませんが、私たちは人生のこの時期を心から楽しんでいます!

スーザン: 夫と私は分担しながらやっています。
私たちはどちらも離婚した家庭で育ったので、家族を優先することは常に重要でした。
子供を育て、祖父母となり、年老いた両親の面倒を見る中で、私たちはしばしば「完璧ではない」と互いに言い聞かせなければなりませんでした。
さまざまな方向に気持ちが向くことが多いので、現実的な期待にとどめるのを助けてくれます。

もう70歳間近なので、仕事、ミニストリー、家族への役割がさらに重くなっています。
5人の孫と共にいるのは、へとへとになる位素晴らしいことです。
彼らの人生に影響を与える機会を大切にしています。
「私が年老いて白髪になっても、私の神よ、私を捨てないでください。あなたの力を次の世代に、あなたの大いなるみわざを来るべきすべての者に告げるまで」(詩篇71:18)。


シェリー: 一度にすべてを手に入れることはできません。神がある活動を延期するようにと望まれていることに気づかず、ある時期にすべてを詰め込もうとすると問題が発生します。
延期しても私たちがそれらのことを二度とできないというわけではなく、それが今はできないという意味です。
この真理は、私の 2 番目の娘が幼稚園に通っていたときに、心に深く覚えました。

私は、やりがいのある奉仕を断るのに苦労していました。でもイエスと言い続けたら、娘たちにとって神が望まれるすべてをこなせません。
車で家に帰り、また母親としての義務的な日常を果たしているように思えたとき、娘が言いました。「ママ、どうやってクリスチャンになるの?」
その夜、彼女は寝る用意をしているとき、イエスを心に受け入れました。
神は、私が探していた「すべて」をその瞬間に示されました。
人生の別の時期にすることを急いでしていたら、娘との永遠の瞬間を逃していたでしょう。
毎日、神のみこころを求めることが全てです。


JBU: 家族のバランスを保つために、どんなことを実践してきましたか?

メアリー: 子どもたちがまだ家にいた頃は、十分ではありませんが彼らを巻き込んでいました。
外で働くということは、私がすべてをこなすことができないということでした。
そこで、息子たちは交代で洗濯物を仕分け、やがて自分で洗濯をすることを学びました。
また、夕食を作るのを交代で手伝ってくれました。(今では、二人の息子は料理上手です。)
家事当番表を作るのも役立ちました。
子どもたちを家族の責任に巻き込むことは、負担を減らすだけでなく、子どもたちの成長と成熟のためにも重要です。

スーザン: 子どもたちには好きなことを何でもしなさいと言っていますが、やりたいことをすべてできるわけではありません。
ノーと言うのは大変ですが、誰にとっても必要なことです。
祖母がかつて「1 つのことにイエスと言うなら、他のことにノーと言うのだ」と言っていました。私は子どもたちによくそのことを言います。

シェリー: 4 人の娘が生まれるたび、その時はできない活動を神の前に手放しました。
子ども1 人のときと、2 人以上のときではできることが違いました。
新生児がいる 1 年間は、なるべく外の活動を控えました。
といっても、子どもの成長期もずっと、私はミニストリーを続けてきました。
できる奉仕の量は常に変化していましたが。

家族の用事が多いと、配偶者をないがしろにしがちです。
敵は、子育ての忙しさに乗じて夫婦関係を弱めようとしてきます。
特に子どもが生まれてからは、夫と少なくとも年に 1 回は 2 人きりで過ごす週末を持つようにしました。
また、子どもが小さく経済も限られていたときは、家具の修理を始めました。
子どもが寝た後、地下室に行って家具を修理しました。
どの夫婦も、一緒に楽しめることを見つける必要があります。


JBU: バランスが崩れていることに気づくのはいつですか。どう修正しますか。

メアリー: バランスが崩れているのは家にいるとわかります。イライラしたり、神経質になったり、いらいらしたりします。そうしたら、何がバランスを崩しているのかを突き止めなければなりません。

子どもたちが小さかったときは、みんなで協力して 15 分間、1階の部屋を掃除し整頓するだけで本当に助かりました。今も同じです。
今は、成人した子どもたち夫婦、孫など、みんなが家に集まり、混乱で圧倒されそうになったとき、協力して家事ををすることで同じ効果が得られます。
家族の予定がいっぱいになってストレスがたまったら、予定をキャンセルします。

スーザン: 家族の当たりがきつくなったとき、バランスを崩しているのがわかります。
家族は私の安全な避け所であり、最もはけ口になりえます!
私は独りになるようにもしています。
また、普段は習慣となっている仕事や責任が、重すぎると感じることがあります。
この 2 つが起こり始めたら、自分に優しくし、助けを求める必要があることを認め、主とともに賛美と礼拝の時間をとるようにしています。
この習慣は、心の緊急事態を静めるのに役立ちます。


JBU: 単なる忙しさでなく、バランスを保つにはどうすればいいでしょうか?

メアリー: 今までに受けた最高のアドバイスは、イエスがすべてをやり終えずに死なれたことに気づかせてくれた、牧師からのものでした。
癒されずに残された人々、貧しいままだった人々、イエスを知らないまま残された人々がいました。
イエスが、多くのやり残しがあったにもかかわらず、自分の仕事は終わったと言われるのならば、私たちも同じようにできます。
それは私にとっての転機であり、決して忘れないでしょう。

忙しすぎるサインの 1 つは、忙しさに伴う不毛感です。
喜びがなくなり、むなしい気持ちになることがあります。
主との交わりの感覚が失われ、他の人との関係がぎすぎすすることがよくありました。
年をとってよかったことの1 つは、神が私に与えてくださった賜物がわかることです。もう「ノー」と言うのに苦労しなくなりました!

スーザン: 年齢を重ね、経験を積むにつれて、常にすべての人を幸せにしておくことはできないと気づきました。
人を喜ばせようとする私は、自分の決断や選択が家族を含め他の人をがっかりさせることがあっても、物事を手放すことを学ばなければなりませんでした。

シェリー: ミリー・ディーナート(Millie Dienert)はかつてこう言いました。
「聖霊に導かれていない活動は、ただの多忙に過ぎません。」
忙しさには細心の注意を払わなければなりません。
忙しさは、人生を喜んだり最も重要なことをしたりする妨げになるからです。
私は常に自分のすることを主の前に持っていき評価するようにしています。そうして、主に導いいただきます。
主は私に何が運べて、何を運べないかをご存知です。


JBU: 重荷を下ろして休息するにはどうすればいいでしょうか?

メアリー: 何が喜びを与えてくれるのか、何が自分を元気にしてくれるのかを知ることが重要です。
子どもたちが小さい頃、彼らの感情のタンクを満タンにしておくことが大切だという話を聞いたことがあります。
これは子どもだけでなく、すべての人にとって大切です!
自分が疲れ果てていたら、他の人に与えることはできません。
リフレッシュし、元気を取り戻す時間が必要です。
マタイ11:28-30 を黙想し、降ろすべき重荷を列挙するとよいでしょう。
それらは私たちが背負うべき重荷ではないことを思い出させてくれます。
イエスは、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いと言われました。

スーザン: 時折リフレッシュが必要だと感じます。どこにも行けないときは、今通っていることを主に継続的に話すようにしています。
聖書や慰めの詩篇を読むこともあります。
多くの場合、その後数時間、数日間は、環境は少しも変わっていなくても、神様が私に平安を与えてくださることに驚きます。
不安を神様に話すだけで、安らぎとリラックスへと導く平安が得られます。

シェリー:平安というのは、心配ごとをキリストに委ねるときに得られます(1ぺテロ5:7)。
神様のおかげで、4つの大きなプロジェクトの締切が同時に迫っていても平安でいられますし、電話が鳴り、子供たちが泣き叫ぶ中でも、ある種の静けさを楽しむことができます。
心配事が迫ってくると感じるたびに、それを神様にお返しするようにしています。
ある日は、ずっと心配事が続くかもしれません。
でも、定期的にみことばに頼り、力を得、正直に祈る時間を過ごして神様に心を向け続けると、平安ががやってきます。
もちろん、身体の休息も必要です。
ストレス解消に自転車に乗ったり、賛美歌を聴いたり、ジャーナリングをしたりと、楽しんで心身を休められる短い「休憩」を生活の中に取り入れるようにしています。


JBU: 2002 年の夏以来、バランスについて何を学びましたか?

メアリー: 年を取ることには多くの利点があります。
主と共に長年歩んできました。これまでの歩みがこれからの歩みより長かったので、本当に重要なことに焦点を合わせることになります。
より積極的になり、悪循環に陥らないようになりました。

スーザン: 子どもが育ち祖父母になったら、人生はもっとリラックスできるだろうと以前は信じていました。
そうではありませんでした。
どの季節も忙しいものですが、満足感を得るための鍵の 1 つは、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリストイエスの日までにそれを完成させてくださいます」(ピリピ 1:6) です。

神は今でも私の人生に目的を持っておられ、神をペースメーカーとして信頼し続ける限り、これからの日々や年月を笑顔で迎えることができます!

シェリー: バランスを取るためにセルフケアを含めるのはよいことです。
娘たちが結婚し、母親になり、年を重ねる歩みを見ていると、私が気づかなかったことに気づいています。
彼女たちは、楽しみや休憩、ネイルサロンへの旅行さえ、うまく取り入れています。私がそんな時間があるとは思ってもいなかった、あるいはしてよいとも思っていなかったことです。
慢性疾患を患う子どもと夫や他の家族の世話をしながら、定期的に自分の世話をしないで何十年も生きてきたため、私は何年も消耗し、とうとう燃え尽き、喜びを失い、再び自分を取り戻すための助けを必要としていました。
(イエスとカウンセラーの両方を必要としても大丈夫です!)

私の回復は、セルフケアをすることを神が望んでおられると理解したことに始まりました。
私たちは空っぽのまま、人生のすべてをケアすることはできません。

セルフケアをすることは聖書にも書かれています。
神は安息日という休息日を創造し、私たちが週のリズムの一部として元気を取り戻せるようにされました。
イエスはそれに従われました。
よく山に退き、エネルギーを補給し、神とつながりました。
セルフケアは、生活のあらゆる部分を適切に管理することです。
なぜなら、神から与えられた目的を果たすためには、絶えずエネルギーを補給する必要があるからです。
私は毎週、友人に電話をかけたり、森の中を散歩したり、聖書の学び以外の良い本を読んだりするなど、なにか楽しいことをするようにしています。
セルフケアは、神に栄光を帰す、よりバランスのとれた生活につながるのです。

女性として、私たちは自分のニーズよりも他の人のニーズを優先するようにできています。
自分のために時間を取るのは霊的ではないと考え、罪悪感を感じることがよくあります。
しかし、神が私たちに与えてくださった目的を生きるのであれば、自分をケアすることは贅沢ではなく、必要不可欠なことです。
バランスは私たち一人一人にとって異なりますが、神は私たちが人生のあらゆる時期を祝福のうちに過ごすことを望んでおられます。

2025/02/08

意図的な休息、その恵み


人生を回復し、新たな力を得、魂を整える。


Catriona Futter



「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
 
イエス様はこう言われました。私たちの多くにとって、とても馴染み深いことばです。
しかし、もう少し詳しく知りたいと思うことがあります。
「イエス様、それは一体どういう意味ですか?私には効かないんです。疲れ果てています。」

私は精神的、感情的なエネルギーがいる人生の時期にいます。
2人の娘はどちらも遊学中です。
ここ数年は、娘たちが卒業試験を通過し、アートポートフォリオや大学の願書をまとめ、課題と共に家を出るのを手伝うのに忙しくしていました。
私はこれらの変化がよいことだと十分理解しており、感謝しています。

しかし同時に、自分が疲れ果てていることも知っています!
睡眠は休息をもたらすと知っていますが、なかなか心が落ち着かないときは、寝るのが難しいことがあります。
またぐっすり眠れたとしても、それで心、魂、精神を回復させることはできません。

私は、疲れの感じ方がいろいろあるのと同じように、休息の形もいろいろあるということに気づきました。

サンドラ・ダルトン・スミス博士は、7 つの異なる休息の型を提唱した医師です。
彼女の著書「聖なる休息(Sacred Rest)」を読み、彼女の Web サイトを紹介してもらって、これまでの人生で得られなかった多くの疑問の答えを解き明かす鍵を手に入れたような気がしました。


7種類の休息

私たちはしばしば、「休息」を身体的な休息や長めの睡眠を取ることととらえがちです。
しかし、この狭い「休息」の概念は、的外れなことがあります。
それは私たちの身体、心、魂の疲れに対する万能の解決策ではありません。

7 種類の休息の多様な概念を理解することで、疲れた魂に自由と希望がもたらされ、意識的な休息に満ちた生活を送ることができるようになります。


ダルトン・スミスによって定義された7種類の休息(www.dradaltonsmith.com/resources) は、以下の通りです。

1 肉体的な休息。

これは、よく知られている休息です。
身体を休めるということは、体を回復のためにリラックスさせ、緊張を和らげ、睡眠の質を高めることです。
私たちの体は驚くべきものです。
当たり前のように捉えがちですが、身体を休めるということは、断片化された私たちの体を、積極的で前向きな方法で再統合するように意図的に用いることです。

私は、自分の体が何を欲しているかに注意を払う習慣がありませんでした。
しかし、すぐれたピラティスのインストラクターが、体の緊張している部位を意識し呼吸や姿勢を変えることを、ストレッチによって意識的に行うよう指導してくれました。
まだまだ練習中ですが、とてもよいことです。


2 精神的な休息。

私たちの脳は、To-do リスト、細心の注意が必要な仕事、考えすぎる習慣、自己批判、終わりのない計画などで、常に負荷がかかりすぎています。
この精神的なノイズが私たちを疲れさせ、集中力を低下させます。

精神的な休息とは、その雑音を止め、心にかかり過ぎた負荷を取り除くことです。
特に画面を見る作業では定期的に短い休憩を取ることと、一日の終わりに頭の中にあることを紙に書き出すことが役に立ちます。

沈黙も、休息のための素晴らしい方法です。数分間座って、神様のことだけを集中して考え、完全に沈黙してみてください。どれほど難しいかがわかるでしょう!
これは、精神的な休息のための一例にすぎませんが、効果的な方法です。
呼吸と身体と聖書を結びつけて聖書の一節を黙想し、静まりへと導く「呼吸の祈り」を実践しましょう。
これは私にとって非常に役に立ちました。


3 五感の休息。

これは、意図的に感覚への入力を止めるものです。
電子機器の電源を切り、音楽を止め、雑音をシャットアウトし、会話をやめます。
現代社会にあふれる視覚への刺激から目を休めます。

これは、自分に必要であると気づいていなかった休息です。
静けさの中で美しいものを見ることがいかに大切なことかを発見しています。
それまでは五感が過敏で、緊張して常に警戒中の状態でした。
毎日数分間、静かに座って窓の外の木を眺めたり、川沿いを散歩して鳥のさえずりを聞いたりすることが、意識的な訓練になりました。
単純なことですが、雑音をシャットアウトすることが鍵でした。


4 創造的な休息。

この休息は、美しく感動的で、魂を解放してくれるものに触れることで得られます。
最も長時間いる環境を考えてみてください。
味気なく、機能優先、画面だらけの職場や、雑然とした家庭環境では、私たちがインスピレーションを得ることは難しいでしょう。
私たちには美しいものが必要です。
素晴らしい音楽、華やかなテキスタイル、香りのよいキャンドル、感動的な芸術作品などです。

人は素晴らしく恐れ多い、創造主である神の似姿で作られています。
だから創造的なことに注意を払うのは当然です。
自分を甘やかしているのではとも思えるので、この休息は取りにくいと思います。
しかし、美しさや創造性は、どのようなものであれ内側に反応を与え、畏敬の念を再び呼び覚まします。
これは、視点を創造主ご自身と、必要のすべてを満たしてくださる主の、その栄光の豊かさ (エペソ3:16) に向けさせてくれます。
驚き、畏敬の念を持つことができるなら何でもしてください。
それは創造的な休息をもたらします。


5 霊的な休息。

自分よりも大きな存在とつながると、目的、意味、帰属意識が生まれます。
神は、私が視点を変えるのを、ここでも優しく助けてくださいました。

私は、愛する人たちや周囲の世界の必要をすべて持っていくことはやめませんが、律法的に神との時間を持つことはしていません。
しかし、この時期に、主の翼の下に身を避け、神の前にただ座っているだけで十分だということを神様は教えてくださいました (詩篇 91篇)。
私は何か言う必要も尋ねる必要もなく、何かを読んだり書いたりする必要もありません。
神はただ、静まるように私を招いておられます。
それが、今のところ、私が必要としている霊的な休息です。


6 感情の休息。

いつも周囲の全ての人を喜ばせようとしていますか?
失望したり、拒絶されたり、批判されたりするのを恐れて、自分の本当の気持ちを表現できないと感じていますか?
おそらくあなたは、皆から頼りにされる人なのでしょう。

感情の休息とは、批判されることなく自分の気持ちを十分かつ誠実に表現できる安全な場所にいることです。
これはもう一つの大きな視点の変化でした。
私は生来がむしゃらに取り組むタイプで、力いっぱい取り組み、強くて独立心があり、計画的に進める人間です。
私にとって感情の休息とは、自分にも欠けたところがあり、自分の能力に限界があることを学ぶことです。
夫に自分が必要としていることを伝えること、もっとノーと言うこと、そして自分や親しい友人に正直にありのままを伝えることを学んでいます。
この自己開示は私にとってだけでなく、周囲にも励ましになっています。


7 社会的な休息。

自分らしくいるためには、積極的な支えとなり、力を与えてくれる人たちが周りに必要です。
競争したり、強く見せたりする必要のない人たちです。
一緒にいると消耗する人、否定的な人、有害な人とは、接する時間を制限する必要があります。
人間関係で与える側になることが多い場合には、社会的な休息が必要です。
私たちが充足していなければ、与え続けることはできません。

周りの人々に疲れ果ててしまったら、いくら眠っても、傷つき疲れた心と魂は回復しません。
周りの人たちと交流を持つのが間違っているわけではありません。友人を消耗させてしまった経験は誰でもあるでしょう。
しかし、疲れの原因が人間関係だとわかれば、生涯にわたり励まし力を与えてくれる前向きな友人を積極的に探せます。


あなたはいかがですか?

7 種類の休息について知ることは、身体、精神、心、霊に不足している活動を意図的に計画し、回復させるための有効な枠組みを与えてくれます。

週の初めに、7 つの領域すべてで自分がどう感じているか、簡単に確認してみましょう。
創造的、感覚的、社会的に休息が必要だと気づいたかもしれません。
その必要を満たすための時間がいつとれるかを探します。
近所の公園や美術館で、親しい友と散歩に出かけたり、一日の初めに 10 分間静かな場所落ち着いて座り、聖書の一節を黙想したりしてください。

7 つの領域すべてにおいて、休息のニーズを満たすものは何か、立ち止まり理解する時間を取ってください。
そうすれば、いくつかの方法が適用できるでしょう。
イエス様からのすてきな招きを受け取りましょう。
あなたの体、精神、感覚、創造力、感情、心、霊をもって、イエス様が備えてくださるすべてを受け取ってください。

 

2024/04/03

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(5)



5 ふりかえり、 再評価し、 選ぶ。

主とともに歩みながら、目標を設定し、毎日のよい習慣を実践してください。
途中で立ち止まり、熟考し、再評価し、選択することです。
Intentional living は、大陸横断紀行によく似ています。
走行中に車を停め、燃料を補給する必要があります。
一度ではなく、何度も車を止め、ガソリンを入れ、軽食をとり、足を伸ばす必要があります。
目標に向かう際も、同じことをする必要があります。

自分に問いかけてみてください...

・これは神様が私の人生に望んでおられることだろうか?

・設定した目標に対する進捗状況はどうか?

・これまでに何を達成できたのでしょうか?

・これまでで最も学びのあった瞬間は何だっただろうか?

・今日目標を設定するなら、もう一度この目標を選ぶだろうか?

しばらくふり返り祈った後、目標をこのまま続けるか、必要に応じて修正するかを決めてください。
そして、意図的な人生を送ることは完璧を求めるものではないことを忘れないでください。
それは、自分の人生のすべてを自信をもって選択し、神があなたに召しておられる目的に踏み出すことです。


最後に

意図的に生き始めると、いくつかのことに気づくでしょう...

・あなたは神のことばを切望する女性になるでしょう。

・あなたは自分の人生の可能性と目標を持ち、それによって満足を感じ、その過程で神の栄光をあらわすでしょう。

・あなたは、目的を持って毎日を生きます。もう惰性で過ごしたり、やり過ごしたりする必要はありません。

・あなたは感情面で賢く、自己認識できるようになります。

・あなたは自分の人生のすべてを、たとえ不完全に見える部分であっても、自信を持って選択できるようになります。

あなたは自分の信念を貫き、その信念を尊重する人生を目指しますか?
それが意図的に生きるということです!


*hellosensible.com (2022.10)からの転載

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(4)


4 意図的に考える。

ロジャー・バークマン博士はこう言いました。
「人生の現実は、自分の認識が、正しいか間違っているかによって、他のすべての行動に影響を与えるということです。
自分の認識について適切な視点が得られると、他の多くのことが当てはまることに驚くかもしれません。」

あなたの考えは強力です。
あなたが世界をどのように認識するかは、あなたが現在考えていることによって決まります。
「それが現状だ」とか「これがすべてだ」といった一見悪気のない考えでも、それがあなたを制限し、あなたの人生に対する神の目的に足を踏み入れることを妨げるのです。

考え方について聖書は何と語るでしょう。
3 つの聖句はそれを端的に述べています。

1 ローマ12:2「この世と調子を合わせてはいけまsねn。むしろ心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
 
2 箴言4:23「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」
この節は感情、意思、知性について広く述べています。

3 ピリピ4:8「最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。」


神は私たちが世界についてどのように考え、世界と関わるべきかについて多くのことを語っておられます。
私たちは神の言葉に耳を傾け、自分の考えが何であるかを認識し、それに基づいてどのように行動するか、あるいは行動しないかを認識する必要があります。

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Intentional Living :神の計画を意図的に生きる(3)




3 日々の行動を調整する。

目標を作成したら、その目標を達成するために必要な毎月、毎週、毎日の単位の行動に落とし込んでいきます。
たとえば、強くて健康になりたいのであれば、体重を10 ポンド減らす、ジムの会員権を購入する、より健康的な食事をするなど、幅広い目標を立てることができます。
そこから、大まかな目標を週ごとの目標に分割する必要があります。
たとえば、週に1ポンドを減量する、週に4回ウェイトリフティングをする、といったように。

そして、さらに一歩進んで、週ごとの目標を毎日のタスクに分割します。
たとえば、1 日あたり 4 カップの野菜を食べ、アップル・ウォッチのすべての輪を達成すると、強くて健康になるという誓約を達成できることがほぼ確実になります。
日常的なタスクを積み重ねると、時の経過とともに望ましい結果をもたらします。

Living intentionallyによって、長期的なビジョンやコミットメントへの意識が低くなりそうな時にも、前に進むことができます。
意図的に生きることは、神があなたに望んでいる未来に向かって努力することだということを知っておいてください。
毎日完璧であることが重要ではありません。
約束をし、目標を設定し、意図的な人生を追求しながら、自分自身が浮き沈みしつつも進み続けるのを見ることです。
「私は正しい方向に進んでいる」という気持ちを常に持って生きていれば、人生の旅のあらゆる部分、良い時も悪い時も、もっと喜んで受け入れられるようになるでしょう。


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Intentional Living: 神の計画を意図的に生きる(2)


自分の目的を見つける

自己啓発の本、ポッドキャスト、学び、セミナーに関する私の経験はすべて、根底にある 1 つの質問を示しているように思えました。それは「あなたの人生は何のためにあるのですか?」でした。

Intentional Living について話すとき、ほとんどの専門家はその問題に正面から取り組んではいませんでした。
代わりに、彼らは次のような戦略を示してくれました...

・どうすれば態度を変え、より良い決断を下せるか。
・どうすれば、幸せを見つけて後悔を少なくして生きられるか。
・どうすれば「自分のなぜかを見つけ」られるか。

こうした考えを探求すること自体は間違ってはいませんが、私にとっては、まず自分の人生における神の目的を特定し、それを人生へのアプローチに反映させる方が理にかなっています。
(結局のところ、Intentional Living の定義そのものは、目的を持って生きることなのです。)

しかし、自分の明確な目的を見つけることは、ユニコーン(想像上の動物)を捕らえようとするのに似ていることも理解しています。
人生の新たな段階ごとに、まるでまだわからないかのように、この問いに直面するようです。

でも、あなたが意図的に、神の計画に沿って生き始めると、あなたの人生の目的が明確になると私は信じています。


意図的に生きる方法

1 神とその働きを知る。

あなたは神とともに自分の人生をデザインしているので、神のご性質、約束、ご計画を知る必要があります。
神は私たちとの親密な関係を望んでおられ、それはみことばを通して行われます。
神の御言葉を読み、祈り、礼拝し、信者の集まりに参加するという日々の習慣を通して、私たちは宇宙の創造主を個人的、経験的なレベルで知り始めます。


2 自分の意図を設定する(目標設定)。

次のステップは、いくつかの目標を設定することです。
それは私たちを根本的な質問に立ち返らせます:あなたの人生は何のためにありますか?

何を達成したいですか? 社会にどのように貢献しますか? 短い人生を、どう最大限に活用しますか?

聖書は、目標設定に関して非常にバランスのとれたアプローチをとっています。
箴言 6章6節から11節では、怠けたり計画を怠ったりすることに対して警告されています。
箴言 21章5節では、賢明に計画を立てることの重要性が強調されています。
歴代誌第二 15 章 7 節では、私たちの働きには報いがあるから、勇気を出し、力を落とさないようにと励ましています。

しかし、ヤコブ 4章13-16節に次のように書かれていることを見てください。

「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。
あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です・
あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいはあのことをしよう」と言うべきです。

神から離れて計画を立てることへの警告に気づきましたか?
聖書の中でこのテーマが見られるのはここだけではありません。
箴言 16:3、箴言 16:9、および箴言 19:21 はすべて、
私たちは計画を立てることはできるが、最終的に私たちの歩みを確立するのは主である、
という共通のメッセージを持っています。
したがって、目標を設定するときは、それはあなただけの問題ではないことを忘れないでください。

デビッド G. ベナー博士は、著書『自分らしくあることの贈り物 (The Gift of Being Yourself)』の中で次のように述べています。
「神の召しという感覚から離れて生きるとは、自分がどうなりたいか、何をしたいかについて、自分自身の選択だけに基づいて人生を生きることになってしまいます。
召しは自由と充実感をもたらします。なぜなら、召しは私たちを自分自身よりも大きなものに向けさせるからです。」

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Intentional Living :神の計画を意図的に生きる(1)



Katy Boykin


人生が自分のために起こっているのではなく、自分に対立するように、うまくいかないと感じたことはありますか?
自己満足が忍び込むと、無力感を感じたり、圧倒されたり、人生のさまざまな面で立ち往生したりする可能性があることを私はよく知っています。
では、人生がうまくいかないと感じたとき、どうやってバランスを見つけるのでしょうか?
答えは、神が計画された方法で意図的に生きることを実践することです。

意図的に生きる方法を教えてくれる専門家はたくさんいますが、ほとんどは霊性を無視した世界観に基づいています。
しかし、私は、神の文脈から離れては、私たちの存在は意味をなさないと主張したいと思います。

コロサイ1:16は次のように述べています。
「なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、
王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子に会って造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。」

したがって、それを念頭に置いて、意図的にライブを行う方法について聖書が何と述べているかを見てみましょう。


Intentional Livingとは?

Intentional Living とは、意図的に生きること、または目的や計画を持って意図的に生きることを意味します。
それは、自分が信じていることに立ち、その信念を尊重する人生を歩むことです。
自動操縦で惰性で進むのではなく、自分の人生のリーダーシップをとることです。
それには、自分は被害者であり、人生は自分の状況の寄せ集めであるという考えを手放すことが必要です。
私のお気に入りの定義は、「Intentional Living (意図的に生きる) とは、自分自身と世界に最大限の貢献をするために、自分の人生を宇宙の創造主(神)と共同で行うことである」です。

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バランスのとれた人生とは Balancing Act 

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