人生の季節をよく生きること
聞き手 Ann M. Cook
私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。
家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。
たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。
JBU 誌のアーカイブ記事の中に、2002 年夏号(この記事の21年前)「バランスのとれた人生」というインタビューがありました。
このテーマは、当時と同じく今日の女性にも当てはまります。
JBU誌 のスタッフである メアリー(Mary Perso)、スーザン(Suzan Braun)、シェリー(Shelly Esser) が、人生のさまざまな時期を通じてどのようにバランスをとり続けているか、以下に最新のディスカッションをお楽しみください。
JBU: あなたにとって「バランス」とは何でしょう。あなたの人生ではどんな感じですか?
メアリー: 秩序の感覚だと思います。
バランスがとれているとは、必ずしも忙しさがないというわけではなく、深い所に平安があることです。
バランスの取り方は人生の時期によって異なります。
イエスの人生、特に公生涯は、私たちがバランスと考える生活にはまったく当てはまりません。イエスは父の声を聞き、それに従うと決意していました。彼は過激でした!
スーザン: バランスが取れるのは私にとって不可能だと感じることが多いです。
他の人の生き方を見ると、よく「本当にうまくやっているなあ...私には絶対に無理だ」と思います。
私は比較の罠に陥らないよう気を付ける必要があります。なぜなら、他の人は私よりもずっとうまくやっていると思う傾向があるからです。
シェリー: バランスを取ろうとして、間違ったことに集中しすぎてしまうことがよくあります。
クリスチャン生活にあたって、神が私たちに望まれることを個人的に求めることが大切なのですが、それに対して、この社会は手っ取り早く簡単にできる方法を求めるように私たちを訓練してきました。
バランスそのものを求めることによってではなく、私たちの人生に対する神のみこころを求めることによって、よいバランスを見出せると思います。
マタイ6:33は、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられます」と述べています。
私たちに必要な「これらのもの」とは、まず神を求めるときに与えられます。そしてそれには何をすべきかも含まれます。
人生を通して、神が私に焦点を合わせるように願われることは絶えず変化してきました。
昨年私が焦点を合わせたことは、今日私がしていることとは異なります。
だからこそ、私たちの人生に対する神のみこころを日々求めることがとても重要なのです。
伝道者の書 3:1 は、「すべての事に時がある」ということを思い出させてくれます。
人生のある時点でうまくいくことが、別の時期にはうまくいかないこともあります。
JBU: 奉仕、家族、その他の要求のバランスを取る上で、何を学びましたか?
メアリー: 母親であり祖母であることは大きな喜びです。どちらも崇高な使命です。
夫と私は、宣教に献身していると感じており、常にお互いを尊重しようとしています。
夫は、私が神の召しを行えるように、多くのことを諦めました。
一方、夫が教会の役員になるよう頼まれたとき、私は多くのことを手放し、彼が神から召されたことに集中できるようにしました。
もっともこれらはよく考えねばならないことです。なぜなら、ついつい献身「しすぎて」しまうからです。
今は子育てが終わり、新たな人生の時期を迎えています。
私は Just Between Us編集部でフルタイムの責任を持ち、夫はこれまで以上に地域活動に携わることができます。
息子たちはそれぞれ素敵な家庭を持ちました。高齢の両親の世話をする時期も過ぎました。私たちの健康は守られています。
どれだけ続くかわかりませんが、私たちは人生のこの時期を心から楽しんでいます!
スーザン: 夫と私は分担しながらやっています。
私たちはどちらも離婚した家庭で育ったので、家族を優先することは常に重要でした。
子供を育て、祖父母となり、年老いた両親の面倒を見る中で、私たちはしばしば「完璧ではない」と互いに言い聞かせなければなりませんでした。
さまざまな方向に気持ちが向くことが多いので、現実的な期待にとどめるのを助けてくれます。
もう70歳間近なので、仕事、ミニストリー、家族への役割がさらに重くなっています。
5人の孫と共にいるのは、へとへとになる位素晴らしいことです。
彼らの人生に影響を与える機会を大切にしています。
「私が年老いて白髪になっても、私の神よ、私を捨てないでください。あなたの力を次の世代に、あなたの大いなるみわざを来るべきすべての者に告げるまで」(詩篇71:18)。
シェリー: 一度にすべてを手に入れることはできません。神がある活動を延期するようにと望まれていることに気づかず、ある時期にすべてを詰め込もうとすると問題が発生します。
延期しても私たちがそれらのことを二度とできないというわけではなく、それが今はできないという意味です。
この真理は、私の 2 番目の娘が幼稚園に通っていたときに、心に深く覚えました。
私は、やりがいのある奉仕を断るのに苦労していました。でもイエスと言い続けたら、娘たちにとって神が望まれるすべてをこなせません。
車で家に帰り、また母親としての義務的な日常を果たしているように思えたとき、娘が言いました。「ママ、どうやってクリスチャンになるの?」
その夜、彼女は寝る用意をしているとき、イエスを心に受け入れました。
神は、私が探していた「すべて」をその瞬間に示されました。
人生の別の時期にすることを急いでしていたら、娘との永遠の瞬間を逃していたでしょう。
毎日、神のみこころを求めることが全てです。
JBU: 家族のバランスを保つために、どんなことを実践してきましたか?
メアリー: 子どもたちがまだ家にいた頃は、十分ではありませんが彼らを巻き込んでいました。
外で働くということは、私がすべてをこなすことができないということでした。
そこで、息子たちは交代で洗濯物を仕分け、やがて自分で洗濯をすることを学びました。
また、夕食を作るのを交代で手伝ってくれました。(今では、二人の息子は料理上手です。)
家事当番表を作るのも役立ちました。
子どもたちを家族の責任に巻き込むことは、負担を減らすだけでなく、子どもたちの成長と成熟のためにも重要です。
スーザン: 子どもたちには好きなことを何でもしなさいと言っていますが、やりたいことをすべてできるわけではありません。
ノーと言うのは大変ですが、誰にとっても必要なことです。
祖母がかつて「1 つのことにイエスと言うなら、他のことにノーと言うのだ」と言っていました。私は子どもたちによくそのことを言います。
シェリー: 4 人の娘が生まれるたび、その時はできない活動を神の前に手放しました。
子ども1 人のときと、2 人以上のときではできることが違いました。
新生児がいる 1 年間は、なるべく外の活動を控えました。
といっても、子どもの成長期もずっと、私はミニストリーを続けてきました。
できる奉仕の量は常に変化していましたが。
家族の用事が多いと、配偶者をないがしろにしがちです。
敵は、子育ての忙しさに乗じて夫婦関係を弱めようとしてきます。
特に子どもが生まれてからは、夫と少なくとも年に 1 回は 2 人きりで過ごす週末を持つようにしました。
また、子どもが小さく経済も限られていたときは、家具の修理を始めました。
子どもが寝た後、地下室に行って家具を修理しました。
どの夫婦も、一緒に楽しめることを見つける必要があります。
JBU: バランスが崩れていることに気づくのはいつですか。どう修正しますか。
メアリー: バランスが崩れているのは家にいるとわかります。イライラしたり、神経質になったり、いらいらしたりします。そうしたら、何がバランスを崩しているのかを突き止めなければなりません。
子どもたちが小さかったときは、みんなで協力して 15 分間、1階の部屋を掃除し整頓するだけで本当に助かりました。今も同じです。
今は、成人した子どもたち夫婦、孫など、みんなが家に集まり、混乱で圧倒されそうになったとき、協力して家事ををすることで同じ効果が得られます。
家族の予定がいっぱいになってストレスがたまったら、予定をキャンセルします。
スーザン: 家族の当たりがきつくなったとき、バランスを崩しているのがわかります。
家族は私の安全な避け所であり、最もはけ口になりえます!
私は独りになるようにもしています。
また、普段は習慣となっている仕事や責任が、重すぎると感じることがあります。
この 2 つが起こり始めたら、自分に優しくし、助けを求める必要があることを認め、主とともに賛美と礼拝の時間をとるようにしています。
この習慣は、心の緊急事態を静めるのに役立ちます。
JBU: 単なる忙しさでなく、バランスを保つにはどうすればいいでしょうか?
メアリー: 今までに受けた最高のアドバイスは、イエスがすべてをやり終えずに死なれたことに気づかせてくれた、牧師からのものでした。
癒されずに残された人々、貧しいままだった人々、イエスを知らないまま残された人々がいました。
イエスが、多くのやり残しがあったにもかかわらず、自分の仕事は終わったと言われるのならば、私たちも同じようにできます。
それは私にとっての転機であり、決して忘れないでしょう。
忙しすぎるサインの 1 つは、忙しさに伴う不毛感です。
喜びがなくなり、むなしい気持ちになることがあります。
主との交わりの感覚が失われ、他の人との関係がぎすぎすすることがよくありました。
年をとってよかったことの1 つは、神が私に与えてくださった賜物がわかることです。もう「ノー」と言うのに苦労しなくなりました!
スーザン: 年齢を重ね、経験を積むにつれて、常にすべての人を幸せにしておくことはできないと気づきました。
人を喜ばせようとする私は、自分の決断や選択が家族を含め他の人をがっかりさせることがあっても、物事を手放すことを学ばなければなりませんでした。
シェリー: ミリー・ディーナート(Millie Dienert)はかつてこう言いました。
「聖霊に導かれていない活動は、ただの多忙に過ぎません。」
忙しさには細心の注意を払わなければなりません。
忙しさは、人生を喜んだり最も重要なことをしたりする妨げになるからです。
私は常に自分のすることを主の前に持っていき評価するようにしています。そうして、主に導いいただきます。
主は私に何が運べて、何を運べないかをご存知です。
JBU: 重荷を下ろして休息するにはどうすればいいでしょうか?
メアリー: 何が喜びを与えてくれるのか、何が自分を元気にしてくれるのかを知ることが重要です。
子どもたちが小さい頃、彼らの感情のタンクを満タンにしておくことが大切だという話を聞いたことがあります。
これは子どもだけでなく、すべての人にとって大切です!
自分が疲れ果てていたら、他の人に与えることはできません。
リフレッシュし、元気を取り戻す時間が必要です。
マタイ11:28-30 を黙想し、降ろすべき重荷を列挙するとよいでしょう。
それらは私たちが背負うべき重荷ではないことを思い出させてくれます。
イエスは、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いと言われました。
スーザン: 時折リフレッシュが必要だと感じます。どこにも行けないときは、今通っていることを主に継続的に話すようにしています。
聖書や慰めの詩篇を読むこともあります。
多くの場合、その後数時間、数日間は、環境は少しも変わっていなくても、神様が私に平安を与えてくださることに驚きます。
不安を神様に話すだけで、安らぎとリラックスへと導く平安が得られます。
シェリー:平安というのは、心配ごとをキリストに委ねるときに得られます(1ぺテロ5:7)。
神様のおかげで、4つの大きなプロジェクトの締切が同時に迫っていても平安でいられますし、電話が鳴り、子供たちが泣き叫ぶ中でも、ある種の静けさを楽しむことができます。
心配事が迫ってくると感じるたびに、それを神様にお返しするようにしています。
ある日は、ずっと心配事が続くかもしれません。
でも、定期的にみことばに頼り、力を得、正直に祈る時間を過ごして神様に心を向け続けると、平安ががやってきます。
もちろん、身体の休息も必要です。
ストレス解消に自転車に乗ったり、賛美歌を聴いたり、ジャーナリングをしたりと、楽しんで心身を休められる短い「休憩」を生活の中に取り入れるようにしています。
JBU: 2002 年の夏以来、バランスについて何を学びましたか?
メアリー: 年を取ることには多くの利点があります。
主と共に長年歩んできました。これまでの歩みがこれからの歩みより長かったので、本当に重要なことに焦点を合わせることになります。
より積極的になり、悪循環に陥らないようになりました。
スーザン: 子どもが育ち祖父母になったら、人生はもっとリラックスできるだろうと以前は信じていました。
そうではありませんでした。
どの季節も忙しいものですが、満足感を得るための鍵の 1 つは、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリストイエスの日までにそれを完成させてくださいます」(ピリピ 1:6) です。
神は今でも私の人生に目的を持っておられ、神をペースメーカーとして信頼し続ける限り、これからの日々や年月を笑顔で迎えることができます!
シェリー: バランスを取るためにセルフケアを含めるのはよいことです。
娘たちが結婚し、母親になり、年を重ねる歩みを見ていると、私が気づかなかったことに気づいています。
彼女たちは、楽しみや休憩、ネイルサロンへの旅行さえ、うまく取り入れています。私がそんな時間があるとは思ってもいなかった、あるいはしてよいとも思っていなかったことです。
慢性疾患を患う子どもと夫や他の家族の世話をしながら、定期的に自分の世話をしないで何十年も生きてきたため、私は何年も消耗し、とうとう燃え尽き、喜びを失い、再び自分を取り戻すための助けを必要としていました。
(イエスとカウンセラーの両方を必要としても大丈夫です!)
私の回復は、セルフケアをすることを神が望んでおられると理解したことに始まりました。
私たちは空っぽのまま、人生のすべてをケアすることはできません。
セルフケアをすることは聖書にも書かれています。
神は安息日という休息日を創造し、私たちが週のリズムの一部として元気を取り戻せるようにされました。
イエスはそれに従われました。
よく山に退き、エネルギーを補給し、神とつながりました。
セルフケアは、生活のあらゆる部分を適切に管理することです。
なぜなら、神から与えられた目的を果たすためには、絶えずエネルギーを補給する必要があるからです。
私は毎週、友人に電話をかけたり、森の中を散歩したり、聖書の学び以外の良い本を読んだりするなど、なにか楽しいことをするようにしています。
セルフケアは、神に栄光を帰す、よりバランスのとれた生活につながるのです。
女性として、私たちは自分のニーズよりも他の人のニーズを優先するようにできています。
自分のために時間を取るのは霊的ではないと考え、罪悪感を感じることがよくあります。
しかし、神が私たちに与えてくださった目的を生きるのであれば、自分をケアすることは贅沢ではなく、必要不可欠なことです。
バランスは私たち一人一人にとって異なりますが、神は私たちが人生のあらゆる時期を祝福のうちに過ごすことを望んでおられます。