2022/09/19

握っているものを手放す


~降伏するとき、自由を見いだす~

 ジル・ブリスコー



ここ数年のパンデミックで、読者の誰もが喪失体験をしたことでしょう。
私は英国在住の家族を失いましたが、ある喪失はそのように見えるものではないでしょう。

ここ数ヵ月をふりかえると、教会で集まれなかったことや旅行できなかったことも喪失体験でした。
隔離の必要も、共に行うという慣れ親しんだやり方を手放さねばならないということでした。
でも、助けはーー聖書にあると知っています!

長年私は毎日聖書を読むように訓練されてきました。
私をキリストに導いてくれた友人のジェニーが、「聖書を読んで眠気が来てから、枕に頭を乗せるのよ」というのがいまだに聞こえます。
私はベッド脇のテーブルに聖書を置いて、一日の最初と最後に聖書を手にとることにしてきました。
最近、インド人の友人が「聖書を読む前には、スマホを手にとらない」という決心をしました。まあ、私はベッド脇にスマホを置いていないので、聖書を一番に手にすることができるのですが。

導きや助けが必要な時には、みことばが自分の魂に語りかけるまで聖書を読むようにと教えられました。
例えば、英国からアメリカに移住することは、私たちの人生にとって最大の変化の一つでした。
夫は「家具を全部売ろう。そして他の物も全て」と言いました。
「教会のリーダーたちが、向こうで住む所を備えてくれているから大丈夫さ。」

初めは簡単に思えましたーー全てをただ売るだけなら。でもそうではありませんでした。ある物を処分するのは簡単でしたが、すべてがそうではありませんでした。
結婚式にもらったプレゼント、特別に大事にしていた思い出の品、子供のおもちゃや人形。
私たちは一人あたり2つのスーツケースの携行が許されており、一つは衣類、もう一つには所持品を入れました。
自分でも恐ろしくなりましたが、私の手はすでに処分しようとしたり譲ってしまったりした物をしっかりと握りしめていたのです。
「主よ、私の手を開かせてください。握りしめないように助けてください」と祈りました。

神様は、私がそうできるよう助けてくださいました。そしてそれ以降も変わらず。神様はピリピ2:5~11から語ってくださいました。


キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。

キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、 

ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 
人間と同じようになられました。
 人としての姿をもって現れ、

自らを低くして、死にまで、 
それも十字架の死にまで従われました。 

それゆえ神は、この方を高く上げて、 
すべての名にまさる名を与えられました。
 
それは、イエスの名によって、
天にあるもの、地にあるもの、 
地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、 

すべての舌が
「イエス・キリストは主です」と告白して、
 父なる神に栄光を帰するためです。

イエス様は私たちが想像できるだけのものを手放し、この世にこられ、私たちの代わりに十字架にかかってくださいました。
イエス様がそうされたことを心から喜び、彼が私に全てを与えてくださったのだから私は彼の元に全てを置きたいのです。


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ジル・ブリスコーは英国リヴァプール生まれ。60年以上夫婦で歩んできた(訳者注:夫のスチュアートは2022年主の御元に召される)。Just Between Usの創設者であり、ウィスコンシン州南東部に在住。


Jill Briscoe, Copyright 2022 . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 


 Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。 女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、 そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です! 英語版では季刊誌が発行されています。
日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。 記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利の活動です。 
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2022/06/30

「余白」をつくる

健康的なバウンダリー(境界線)を引くには


Chrissy  Callahan





「ノー」と言うのは、どうしてこれほど難しいのでしょう。
私は困っている人を見ると助けたくて、ついやり過ぎてしまいがちです。
でもいつも「イエス」とばかり言うと、動機は素晴らしくても逆の結果を生んでしまいます。

女性として、私たちは時間やエネルギーの使い方にバウンダリー(境界線)を引くのに葛藤を覚えます。
いつも人々から頼りにされているなら、何も考えず「イエス」と答えているかもしれません。
時には自分が「ノー」と言ってもよいということさえ、意識していないかもしれません。

しかし幸いなことに、私たちは健康的な「余白」を作ることを学べるのです。
始め方は以下の通りです:


・断るべきことを断ることで、私たちはすべきことをよりよく行うことができる。

すべてをこなしたいと思う(時にはそうしないといけないというプレッシャーを感じる)反面、現実にはすべてに「イエス」というと燃え尽きる危険性があります。
そして、燃え尽きを経験すると、失敗したような思いになり、余計に敗北感を味わいます。
もともと現実的でないことに、なぜ自分をうち叩いて向かわせ、失敗してしまうのでしょうか。

もちろん、自分の責任を放棄しろと言っているわけではありません。
必要なことがありますし、神様はそれをする力を与えてくださいます。
しかし、しばしば私たちは自分が負わなくてよいことまで負ってしまうのです。

使徒6章の教訓が私は好きです。ここにひとつの実例があります。
ギリシア語を使うユダヤ人のやもめたちが、毎日の食事の配給でなおざりにされているという苦情が出ました。
十二弟子は看過できない問題だと気づきました。
けれども、彼らの返答に注目してください。

「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します(使徒6:2b~4、強調筆者)」。

未亡人たちに食事を配給するのは必要な価値ある仕事でしたか。もちろん。
けれども、十二弟子がすべき仕事でしたか。いいえ。
それをしたら、弟子たちは神様が彼らにしてほしいと思われた仕事ができなくなったでしょう。
そして、福音を効果的に人々に届けることができなくなったでしょう。

必要かつよい事柄に「ノー」というのは難しいですね。
でも、弟子たちが「余白」をつくると決断したことによって、隠された宝に気づくことができたのです。


・「ノー」と言うなら、他の人が「イエス」と言う機会を与える。

十二弟子自身がやもめたちへの食事配給をしなかったことで、他の人がその仕事に「イエス」という機会が与えられました。
これにより、いくつか素晴らしいことが生じました。

1. 弟子たちは、押し寄せる全ての良いことをこなすことと、神が特に彼らにしてほしいと思われることをすることとの違いを知りました。

2.やもめたちへの食事配給のために選ばれた7人は、新しい奉仕への機会が与えられました。

私の好きな聖書箇所の一つは第一コリント12章です。
パウロがキリストのからだの各部分がどれほど大切かを語っています。
「もし、からだ全体が目であったとしたら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。(1コリント12:17~18)」

このように質問してみてはどうでしょう。
もしすべてが一人(あるいは限られた人だけ)で行われたら、からだの強みや多様性はどこにあるでしょうか。
もしすべてを私たち自身でやってしまったら、共同体として成長する機会はどこにあるでしょうか。

やもめたちに食事を届けるという責任は、弟子たちにとってもちろん真剣に取り組む課題でした。
ですから、誰か他人に託して終わり、とはしませんでした。
そして、その責任を不平をもらした人に託すこともしませんでした。
それどころか、力と神の知恵と誠実さをもってその必要に適切に対応するため、7人の信頼できる人たちにその役割を託したのでした。

選ばれた7人の一人ステパノは、後に信仰ゆえに尋問され、石打ちにされました。
この結果がどんな違いを生んだか想像してみてください。
弟子たちは全部を自らこなそうとして働きを限定し狭めてしまうこともできましたが、
そうではなく、自分に与えられた召しにとどまりました。やもめたちは信仰ゆえに死も恐れず、しっかり勇敢に立った人物によって必要が満たされたのでした。


・「ノー」と言うことを学ぶと、他者のバウンダリー(境界線)を尊重し励ますことができる。

あなたの周りに、同じように「余白」をつくろうとしている人がいますか。
共に歩むなら、その旅はさらに楽しく、互いに恵みと励ましを与え合うものとなります。

奇妙なことに、私たちは他者から「ノー」と言われると、それが良い理由からであっても拒絶されたように感じたり、フラストレーションを覚えたりします。
けれども、健康的なバウンダリーを実践することで、私たちは他の人たちが持つ健康的なバウンダリーを尊重し励ますことも学ぶのです。

共同体として強められよく成長するには、私たちがお互いを必要とするというのは美しい事実です。
自分自身を訓練することはできますが、時には状況により頼む必要もあります。
理想的なのは、共に成長していくことですが。
そうすれば互いにアカウンタビリティーが果たせますし、そして自分自身ですべてやってしまうよりも共同体がより深く根を張り成長することができるでしょう。

おそらく、あなたはこの新しい1年に起こるすばらしい計画を持っているでしょう。でもそれは絡まったスパゲッティーのようにごちゃごちゃしていると思えるかもしれません。
健康的なバウンダリーをつくり過ごすために必要なのは、その一歩を踏み出すことだけです。
完璧ではないかもしれませんが、それでよいのです。
徐々にふさわしいバウンダリーがつくれるようになります。

私たちの訓練は自分に対してだけにとどまりません。
共に学ぶように召されているのですから、その知恵を続く人にも伝えてください。
すでに自分の生活の中に「余白」をつくることを身に付けたありのままの女性たちこそ、私に同じようにすることを教えてくれた人でした。
彼女たちは完璧にそれをしていたわけではありませんでしたが、たえず成長しており、難しさについても喜んで正直であろうとしました。

何を選びとるか、より意識的に判断することを学ぶにつれて、キリストのからだ全体は、それぞれの部分が召されていることについてより集中できるようになります。
そして私たちがともによく生きられるようにさせてくれます。

今日、どんな「余白」をつくりますか?



2021/10/05

同時多発テロで息子を失って

~ トッド・ビーマーの母、この20年を振り返る

Greg Asimakoupoulos


2001年9月11日以前、「911」といえば緊急電話番号でした。けれども、世界貿易センタービルにハイジャックされた2機が突っ込んでからは、その3桁の数字は意味が全く異なってしまいました。

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20年前(2021年8月現在)に、9・11は全く違う意味になりました。そして、9・11の出来事に関連して、決して忘れられない悲劇として覚えられる語も生まれました。「ツイン・タワー」「グラウンド・ゼロ」「ユナイテッド・93便」、そして「レッツ・ロール!」。

「レッツ・ロール(Let's  Roll)!」とは、ユナイテッド93便に乗っていた33歳のクリスチャン、トッド・ビーマーが言った言葉でした。ビジネスマンだった彼は、他の乗客と共に、コックピットのテロリストに向かって行動を起こしたのでした。

93便は首都に向かうためにニューアーク空港を離陸した後、テロリストによってパイロットが殺害され、操縦が乗っ取られ、本来の目的地から外れて飛行しました。

トッドと乗客たちの勇気ある行動によって、テロリストの攻撃の狙いは外れました。93便はペンシルベニア州シャンクスビル郊外の農場に墜落し、乗客乗員全員が死亡しました。

トッドの母ペギーはメリーランド州ポトマックの一主婦でした。

雑用で車に乗っていたとき、ラジオで世界貿易センタービルとペンタゴンへのテロのニュースを耳にしました。もう用事はどうでもよくなりました。家に戻る途中、4機目がペンシルベニアの田舎で墜落したことを知りました。

「まさかトッドがそのうちの1機にのっているとは思いませんでした」ペギーは回顧します。「だって、私の知る限り、息子夫婦は会社から与えられたイタリア休暇を楽しんでいるはずだったからです。」


トッドは予定の前日妻のリサとともに帰宅し、テロ当日はカリフォルニアに移動することにしていました。それを母親には連絡していませんでした。テロの後リサからの電話を受けて、ペギーはそのことを知りました。9月11日の出来事は個人的にも、また永遠にも彼女の人生を変えました。

息子が93便に搭乗し死亡したと正式に連絡があった後のことです。ペギーは息子トッドが最期の時に信仰を働かせた様子を知りました。それは彼女と夫のディビッドが彼に見本を示してきた信仰でした。

トッドは43人の乗客と共に死に向かっていた時、妻に電話をしようとしました。ところが繋がらず、電話オペレーターと話しました。彼女が後にその会話と彼の言葉をリサに知らせてくれたのでした。

トッドはオペレーターに主の祈りを祈ってほしいと言ったそうです。彼と妻リサは、聖書研究の小さなグループでちょうど主の祈りを学んでいるところでした。

キリストが模範を示されたその祈りは、トッドにとって初めてではありませんでした。母親の膝で、トッドは聖なる神が愛の父なる方であることを学び、日々の必要や赦しを祈っていたのでした。

筆者はこの20年間、チャプレンとしてビーマー一家と親しくしてきました。インタビューを通して、若い夫・父・そして信仰者だった人物の遺産が、母からの愛に根ざしていたとわかるでしょう。

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トッドの死から20年間、あなたの信仰の歩みには何か変化がありましたか。

ペギー:神様をさらに近く感じるようになり、神様に信頼できることをより感謝するようになりました。

私たちも多くのアメリカ人が感じたように、息子の生き様に励まされました。息子は正しいことを正しい時にする、という見本を残してくれました。デイビッドも私も自分の信仰や、キリストにある希望について励ましを分かち合う機会を多く頂きました。


読者に向けて、国のためにどう祈ればよいと思われますか。

ペギー:9・11から何年も過ぎるに連れ、思い起こす機会がだんだん少なくなっています。月日の経過と社会の変化でそうなるのでしょう。忘れ去られてしまうのかしら、と少し心配になります。夫も私も、この国が神様のご計画に反する国とならないでほしいと願っています。米国は眠った状態でした。9・11で揺り起こされました。しかしまた眠っているようにも感じるのです。神様が私たちを居眠りから覚めさせてくださいと祈る必要があります。

国として、私たちは文化だけでなく神も遠ざけたがっています。選挙で選ばれた人たちが、行動も法制定も神様の真理に従ってできるようにと、私たちは毎朝祈ります。また、神様とみことばにもっと信頼し、神の真理を人生の道しるべとできるようにとも祈ります。


あなた方ご夫婦は、トッドの足跡が風化しないように何かなさっていますか。

ペギー:トッドは、家のそばにあったミッションスクールのウィートン・クリスチャン・グラマースクール、ウィートン・アカデミーに通いました。毎年、母校のウィートン・アカデミーではトッド・ビーマー・ゴルフトーナメントを開催して学校の資金集めをしています。現在私たちは離れたオハイオ州に住んでいますが、夫はよく参加します。

保護者会にも多くの友人がおり、トーナメントの折には会って近況を分かち合います。

もちろん、トッド自身の子どもたちとも思い出の数々を話しますよ。


トッドの奥さんのリサとお子さんたちはどうされていますか。

ペギー:皆元気にしています。リサは母親として立派に子どもたちを育てました。

リサとトッドはウィートン大学で出会いました。学校の方針が彼らの信仰に根ざした価値観を育み、結婚に導いてくれました。素晴らしいキリスト教主義の学校には、孫たちの教育でもお世話になりました。3人の孫は両親と同じようにウィートン大学に進みました。

祖母だからほめるわけではありませんが、孫とリサはとてもよい人物です。彼女たちがいてくれることでとても祝福されています。


20年目の節目の年、9月11日をどのように過ごされますか。

ペギー:これまでの9月11日は家族で過ごし、メディアや大きなイベントへの参加は控えてきました。今年は例外です。私たち夫婦はシアトルに行き、息子の名にちなんだ校名がつけられた公立の学校で話をします。そのトッド・ビーマー高校での講演後はワシントン州カシミアに移動し、20周年の式典に出席します。夫デイビッドはそこでも講演します。


トッドの人生と信仰で、特に記憶に残してほしいことは何ですか。

ペギー:トッドは信仰の人、神に信頼した人、そして正しいことをいつもベストを尽くして行う人でした。ほとんどは日常の小さなことでしたが、家族や友人にとっては大切なことでした。いつも最後まであきらめませんでした。多くの人の記憶に残る、あの人生最後の日にも、祈って正しい、大切な行動をしました。

トッドの好きだった聖書のことばの一つはミカ6章8節、「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか」でした。


もし、人生で最悪の出来事に直面している人がいるなら、その人への希望と励ましの言葉がありますか。

ペギー:神が考えてくださっていると信じて、と言いたいです。神が与えた自由意志を濫用して、人間は完全な被造物から堕落してしまいました。この世界に罪が入ったため、時には良い人に悪いことが起こります。私にとっての最悪な日の9・11とその後、私は日々力と慰めが与えられるようにと祈りました。

イザヤ書26章3節の祝福は本当です。

「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」

どんなに困難な状況に直面しても、真実なる神様を見続けてください。神様はあなたのことを心配し、日々助けを与えて下さる方です。


グレッグ(Greg Asimakoupoulos):シアトル郊外の退職者クリスチャングループ、カバナント・リビング Covenant Living at the Shoresのフルタイムチャプレン。「恵みに憩うSheltering in Grace」「不確実な時代の希望Hopeful Insights for Uncertain Times」などの著書12冊がある。妻ウェンディとワシントン州マーサーアイランド在住。

Copyright 2021  Greg Asimakoupoulos, She Lost Her Only Son on 9/11.  Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045



Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です!
英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利のミニストリーです。英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2021/07/25

このような時のため!

 


ジル・ブリスコー  Jill Briscoe 




Just Between Us誌 2021夏号より



夫のスチュアートは90歳、私は86歳になりました。私たち夫婦は長年、教会や宣教のために世界中を旅する恵みに預かりました。

現在はコロナ禍の中にありますが、それでも出かけ、旅を続けています…違った方法で。テクノロジーを通して、家にいながら旅をして、近くや遠くの方々に届くことができています。

このような時のために、神様はご自身に仕え大宣教命令に向かうための方法を私たちにくださっていたのです。


ところで、外出を制限された中でどのように近所や人々に救い主イエス・キリストの愛を届けることができるでしょうか。

神様は、私たちに他の人々を愛するように命じておられます。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(Ⅰヨハネ4:19)。

他の人を愛しイエス様を指し示す最善の方法の一つは、祈ることだと知っています。だって、私たちは皆、どこにいてもひざまずくことができるのですから。

昨年(2020年)の4月、私たちは皆、世界のどこにいてもひざまずくことができる、という事実を実感しました。それは、イギリスにいる義弟からの電話を取った時でした。彼は悲しい知らせがあると言いました。私のただ一人の姉、大好きな姉がコロナウイルスに感染したと話しました。

ショックでした。姉は80代、当時はパンデミックが始まったところで、私がアメリカから姉のところに駆け付ける方法はありませんでした。姉に再び会うことも、会って別れを言うこともできないと思うと、私の心は張り裂けそうでした。絶望し、落胆していた時でした。そうだ、私は祈りによって遠くからでも姉のすぐそばにいることができるのだ、ということを思い出しました。


主は祈った時の会話を思い出させてくださいました。主は「あなたの会話の題名は何ですか」と私に問われました。

「あ、そうですね」と私は答えました。「『ひざまずけば、どこにでも行ける』という題です。」

「ジル、そうだよ」という静かな小さい声を私は聞きました。主は言われました。「では行きなさい。そして覚えておきなさい。あなたはいつでも、どこに行ってもひざまずくことができるのだ」と。


それで、私はそうすることにしました。父なる神様の御手にゆだね、彼女を励まし地上の人生の終わりに近づく時に神様の愛で包んでくださいと祈ることによって、私は姉を愛することができました。人々のために祈ることは神様の愛を示す特別な方法です。


第1コリント13章で、愛について使徒パウロが描写し定義しています。愛の一つの特徴は「すべてを耐える」(Ⅰコリ13:7)ことです。「耐える」とは、コートや上着のようなものです。着る人を包み、覆い、温める、大きな暖かいコートのことです。

愛はちょうど大きな天の毛布のようなものです。私たちの疲れ傷ついた世界が投げ出した、愛を必要とする人を包む毛布です。

私は姉を祈りという愛の毛布で包むことで愛を表すことができました。

姉が召されたのはそれから約1か月後でした。毎日私は電話で愛する姉と話しました。そして毎回、「すぐまた会いましょう、お姉ちゃん、すぐまた会いましょう」と言いました。ええ、本当にすぐまた会えるのです。

皆さん、覚えていてください。私たちはひざまずいて祈ることで、どこにでも行けるのですよ。

愛をこめて、ジル

2021/07/23

女性 タビタに学ぶ

 



シェリル M. スミス  Cheryl M. Smith 


Just Between Us誌 2021夏号より


タビタの記事はごく短くまとめられていて、読み飛ばしてしまいそうです。

使徒の働き9:36-42では、タビタという女性について書かれています。彼女はヤッファ(ヨッパ)の町で、貧しい人や未亡人を助けていました。彼女の親切とあわれみの心で人々はおおいに助けられていました。

悲しいことに、彼女は病気になり死んでしまいました。彼女が息を引き取ったとき、未亡人や貧しい人々は涙ながらにペテロの元に集まって来て、タビタが心をこめて繕い縫ってくれた服を見せました。タビタは未亡人に尊敬を持って接し、神の福音そのものの生き方を示しました。彼女がいなければ、どうなってしまうでしょうか。

ペテロは皆に部屋から出るように言いました。そしてひざまずいて祈りました。するとタビタは生き返ったのです。この奇蹟がとても素晴らしかったので、ヤッファの町ではリバイバルが起こりました。この記事から何を学ぶことができるでしょうか。


・タビタはイエス様の弟子であった。

使徒の働き9:36を見ると、タビタはイエスの弟子だと記録されています。原語のギリシア語では、「弟子」の女性形です。これは新約聖書でここにだけ使われています。

タビタは真の弟子でした。タビタに会ったら、イエス・キリストへの信仰に貫かれた人物だとわかったでしょう。彼女の態度、生き方、言葉にはそれが表れていました。また、彼女は自分の宣教のフィールドがヤッフォの貧しい人々や未亡人であることを自覚していました。


・タビタは人生を100パーセント生きた。

夫を亡くした人たちは、タビタの生きた社会では多く見られました。初代教会には、だれにも養ってもらえずにいた女性たちを助けるという責任がありました。タビタの働きはベビーシット(子守り)、心の痛みに耳を傾けること、服を縫うことでした。彼女は自分の人生をそうした必要を最も持つ人たちの日常に注ぎました。

豊かな人生を生きるとは、自分自身をささげることだとタビタは知っていました。


・タビタは賢く投資した。

タビタは、自分が神ほど多くのものを与えられないことを知っていました。イエス様は「わたしの弟子だからとうことで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」(マタイ10:41-42)とおっしゃいました。

上着を繕ったり継ぎ布を当てたりすることが、神の国にどんな意味があるのでしょう。こんな些細なことに何か意味があるでしょうか。

もちろん、あります。誰のためになっているのかあなたは知らないかもしれませんが、神様は知っておられます。こうした小さくも気前のよい働きは、傷ついた世界で神の恵みの香りとなるのです。

私たちの中でペテロのようになる人は多くありません。おそらく、奇蹟的に病人をいやしたり死人を生き返らせたりすることはないかもしれません。しかし、ささやかな恵みを表す働きも、同じように価値があり力があるのです。裁縫をしたり食事を作ったり、ハガキを送ったり、励ましの電話1本をかけたりすることでも、あなたはイエス様の弟子であり、目的のある人生を送っており、神の国のために投資しているのです。

タビタは私たち全てが見習うべき、美しい姿を残してくれています。

2021/05/25

バイブル・スタディー「若葉の季節」 

** 今回はJBU誌の中から聖書の学びの翻訳をお届けします。**



15分のバイブル・スタディー「若葉の季節」 

Dorie Etrheim 

Just Between Us誌 2021年春号

 

詩篇92:13「彼らは主の家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。」

 

春は芽吹きの季節です。みずみずしい緑の新芽が枯れた木に現れ、花が咲きます。砂漠でも、野草が咲き色とりどりの花が見られます。春は冬の後に力強く現れます。

私の住んでいるところでは冬は寒くて辛い季節でした。冬が早く過ぎ去るようにとよく思いました。あなたは「早く過ぎ去るように」と感じた人生の季節がありますか。落胆し、混乱し、孤独だった季節がありますか。どんな状況にあっても、私たちが野草のように新芽を出すにはどうしたらよいのでしょうか。

 

詩篇1:1-3「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」

 

詩篇92:12-15「正しい者はなつめ椰子の木のように萌え出で レバノンの杉のように育ちます。彼らは主の家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。彼らは年老いてもなお実を実らせ 青々と生い茂ります。こうして告げます。『主は正しい方。わが岩。主には偽りがありません。』」

 

エレミヤ17:5-8「主はこう言われる。『人間に信頼する者はのろわれよ。肉なる者を自分の腕とし、心が主から離れている者は。そのような者は荒れ地の灌木。幸せが訪れても出会うことはなく、焼けついた荒野、住む者のいない塩地に住む。主に信頼する者に祝福があるように。その人は主を頼みとする。その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来て主暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。』」

 

l  祝福を受ける正しい人は、どのように描写されていますか。

 

 

l  聖句の中で、心にとまった部分はどこですか。

 

 

l  人に信頼する人と神に信頼する人を比較してみましょう(エレ17:5-8)。

 

 

 

自分のことを、まるで荒れ果てた土地に生えた低木のようだと感じたことがありますか。私はあります。辛かった時期を思い出すと、自分と周囲の人に頼って生きていました。恐れ、心配、不安、自己満足という土壌に根ざしていました。決してそこから栄養を得ることはできませんでした。霊的にしぼんで弱っていると感じました。あなたは、自分の根がどんなところに生えていると思いますか。

 

さらに深く・・・

主の家に植えられるなら、私たちは川のほとりに植わった木のように強く成長します。その根は生ける水に深く根ざし、恐れも心配もなく、いつもみずみずしく葉を茂らせます。

 

エペソ3:14-21「神のご計画の深さと広さを思う時、私はひざをかがめて、天上と地上の家族の父である方に祈ります。どうか、父なる神が、その栄光に満ちた無限の富の中から、御霊を通して人を内面から強くする力を、あなたがたに与えてくださいますように。こうしてキリストが、信じるあなたがたの心に住んでくださいますように。 そして、神の愛がどれほど広く、どれほど高く、どれほど深いかを理解することができますように。さらに、あなたがたがキリストの無限の愛を知って、キリストの愛といのちに満たされますように。どうか、私たちの祈り、願い、考え、望みをはるかに超えたすばらしいことを、その偉大な力でなされる神に、栄光がありますように。どうか、キリスト・イエスによって、教会に救いの計画をもたらしてくださった神に、栄光が永遠にありますように。アーメン。」

 

コロサイ2:6-7 「すでにキリストの救いを信じたあなたがたは、日常の問題についてもキリストに信頼し、キリストと共に生きなさい。キリストに根を深く下ろし、そこから養分を吸収しなさい。主にあって成長し続け、真理に立って、強くたくましくありなさい。すべてに感謝し、喜びにあふれて生活しなさい。」

 

l  パウロは私たちの根についてどう言っていますか。

 

  

青々と茂る木のように、深く根を張るにはどうしたらよいでしょうか。それは、信頼することから始まります。心から、主に信頼しましょう。主の変わらない愛に信頼しましょう。約束に信頼しましょう。神の愛に頼り、力と平安を頂きましょう。まず神を求めましょう。今日、どんな事柄で神に信頼できるでしょうか。

 神のことばを黙想することで栄養を得ましょう。「黙想する」とは、継続的に神のことばを声に出したり、考えたり、生活に適用したりするという意味があります。みことばを自分自身や友人に語り、祈りで主に述べましょう。あなたは昼夜何を考えていますか。恐れでしょうか、それとも信仰でしょうか。平安でしょうか、それとも問題でしょうか。

 日々神の愛を受け取りましょう。少し時間を取って、気がかりなことをイエスの足元に置きましょう。イエスに近づき、その御腕に憩い、あなたへの変わらない愛を受け取りましょう。イエス様はあなたの心のどの場所におられますか。

 

l  あなたが主に「しっかりつかまる」方法を一つ挙げてみましょう。

 

 

l  記録のために: 今日イエス様と過ごす時間を見つけましょう。エペソ3:14-21を書き写し、「主にあってたくましく」なりましょう。この聖句を昼も夜も黙想してみましょう。あなたの若葉の季節です!


2020/05/11

孤独な日々は神様に近づく時


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リサ・エリオット(Lisa Elliott)


皆さん、お変わりありませんか…ソーシャルディスタンス(社会的距離)はうまく保てていますか?
孤独を感じていませんか?

オンラインなどで私が連絡をとった人たちからは、悲喜こもごもの声があがっています。
ある人は、何年も手付かずになっていたことをようやくできる、と喜んでいます。
一方で、ある人は何をしていいか全くわからないと言っています。
必死に計画やできることを見つけようとしている人もいれば、休息の時だと歓迎する人もいます。
できる限りのあらゆるSNSを利用しようとする人もいれば、独りで静まる時を持つ人もいます。

私自身は、この一連の経験を通して、10年余り前のことを思い出しています。
18歳だった息子のベンが白血病と闘っていた時、私は自主的に隔離された生活をしていました。
彼の免疫力が下がっているとのことで、私は外界との接触を制限しました。
これまでの生活は一変しました。
社会的なつながりはタブーでした。
ブッフェやサラダバーの食事は避けるべきという制限が課されました。
病院で息子のベッドのそばに付き添う時は、入室前に消毒をし、マスク、手袋、ガウンを身に着けました。
自宅まわりは、ばい菌が繁殖しないようできる限りすべてを清潔に保ったことは言うまでもありません。
玄関には、訪問するすべての人が使えるよう消毒液さえ設置しました。
「普通の」生活は突然なくなり、家族と私は「新しい普通」に入りました。
最悪の事態に備えるため、最善の希望を持つことを学びました。

共通点があるなあ、と思われますか?
コロナウイルスの感染防止のために過ごす最近の日々と似ているのです。
あなたは以下のような経験をしているでしょうか。
   
  • 命を脅かし、健康を脅かし、思考に影響を及ぼし、活動を調整させ、関係を断つものに対しすでに知っていると考えて、実際に見ていない状況を何とかしようとしている。
  • 全然いつも通りではないとわかりながらも、落ち着いていつものように仕事をしようとしている。
  • 内心は不確実、無知、不安と恐れがわきあがっていても、外見は平静にしている。
  • 目に見える限界とだんだん増えていく制限があっても、なるべく自由に過ごそうとしている。 
  • 自分の世界の何かがおかしくなってしまったという感覚を覚えつつ、先行きが見えずぼうっとした虚無感の中で日々過ごしている。
  • 本当はほとんど何もコントロールできないと知りつつも、コントロールできるかのようにふるまっている。
  • 本当に目的があるのかな、と思いながら、目的をもって生活することを選んでいる。
  • 書き物をするペンを鉛筆に持ち替え、手にはいつも消しゴムを持っている。
  • 目まぐるしく変わる生活に絶えず順応しようとしている。
昨今は、ヤコブ書のことばを実感することでしょう:
「『今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう』と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです」(ヤコブ4:13~15)。

もし、この想像もしなかった不安と混乱の時が、私たちが目を覚まして本当に大切なことに心を向けるように、と神様が意図されたものだとしたらどうでしょうか。
おそらく、神様はこの歴史上特異な時期を用いて、私たちがこれまで思い込んでいた生活を再調整させてくださっているのかもしれません。
もしかすると、このパンデミックは「私たちが自分自身に頼らず、神に頼る者となるため」(第二コリント1:9)なのかもしれません。
現在の社会的孤独は、私たちがもっと深い次元で神様とつながる特別な機会として与えられていると言いうるのかもしれません。

一つ、確かに言えることは、先行きの見えないこの状況にあって、私たちは離れていても決してひとりぼっちではないということです。
神様は決して私たちを離れたり捨てたりすることはないと約束しておられます(申命記31:6、ヘブル13:5)。
私たちが神様につながり錨を下ろしているなら、神のことばは私たちの不安定な日々にも揺るがない希望を与えてくれるのです。

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)。

バランスのとれた人生とは Balancing Act 

JBU誌の編集スタッフが語る、 人生の季節をよく生きること 聞き手 Ann M. Cook 私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。 家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。 たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。 JB...