2025/02/11

バランスのとれた人生とは Balancing Act 


JBU誌の編集スタッフが語る、
人生の季節をよく生きること

聞き手 Ann M. Cook


私たちは皆、バランスを取るのがなかなかうまくいきません。
家族の世話、ミニストリー、介護、奉仕は、私たちが抱えるほんの一例です。
たいてい、これらをすべて同時にこなさねばなりません。
JBU 誌のアーカイブ記事の中に、2002 年夏号(この記事の21年前)「バランスのとれた人生」というインタビューがありました。
このテーマは、当時と同じく今日の女性にも当てはまります。
JBU誌 のスタッフである メアリー(Mary Perso)、スーザン(Suzan Braun)、シェリー(Shelly Esser) が、人生のさまざまな時期を通じてどのようにバランスをとり続けているか、以下に最新のディスカッションをお楽しみください。


JBU: あなたにとって「バランス」とは何でしょう。あなたの人生ではどんな感じですか?

メアリー: 秩序の感覚だと思います。
バランスがとれているとは、必ずしも忙しさがないというわけではなく、深い所に平安があることです。
バランスの取り方は人生の時期によって異なります。
イエスの人生、特に公生涯は、私たちがバランスと考える生活にはまったく当てはまりません。イエスは父の声を聞き、それに従うと決意していました。彼は過激でした!

スーザン: バランスが取れるのは私にとって不可能だと感じることが多いです。
他の人の生き方を見ると、よく「本当にうまくやっているなあ...私には絶対に無理だ」と思います。
私は比較の罠に陥らないよう気を付ける必要があります。なぜなら、他の人は私よりもずっとうまくやっていると思う傾向があるからです。

シェリー: バランスを取ろうとして、間違ったことに集中しすぎてしまうことがよくあります。
クリスチャン生活にあたって、神が私たちに望まれることを個人的に求めることが大切なのですが、それに対して、この社会は手っ取り早く簡単にできる方法を求めるように私たちを訓練してきました。
バランスそのものを求めることによってではなく、私たちの人生に対する神のみこころを求めることによって、よいバランスを見出せると思います。

マタイ6:33は、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられます」と述べています。
私たちに必要な「これらのもの」とは、まず神を求めるときに与えられます。そしてそれには何をすべきかも含まれます。

人生を通して、神が私に焦点を合わせるように願われることは絶えず変化してきました。
昨年私が焦点を合わせたことは、今日私がしていることとは異なります。
だからこそ、私たちの人生に対する神のみこころを日々求めることがとても重要なのです。
伝道者の書 3:1 は、「すべての事に時がある」ということを思い出させてくれます。
人生のある時点でうまくいくことが、別の時期にはうまくいかないこともあります。


JBU: 奉仕、家族、その他の要求のバランスを取る上で、何を学びましたか?

メアリー: 母親であり祖母であることは大きな喜びです。どちらも崇高な使命です。
夫と私は、宣教に献身していると感じており、常にお互いを尊重しようとしています。
夫は、私が神の召しを行えるように、多くのことを諦めました。
一方、夫が教会の役員になるよう頼まれたとき、私は多くのことを手放し、彼が神から召されたことに集中できるようにしました。
もっともこれらはよく考えねばならないことです。なぜなら、ついつい献身「しすぎて」しまうからです。

今は子育てが終わり、新たな人生の時期を迎えています。
私は Just Between Us編集部でフルタイムの責任を持ち、夫はこれまで以上に地域活動に携わることができます。
息子たちはそれぞれ素敵な家庭を持ちました。高齢の両親の世話をする時期も過ぎました。私たちの健康は守られています。
どれだけ続くかわかりませんが、私たちは人生のこの時期を心から楽しんでいます!

スーザン: 夫と私は分担しながらやっています。
私たちはどちらも離婚した家庭で育ったので、家族を優先することは常に重要でした。
子供を育て、祖父母となり、年老いた両親の面倒を見る中で、私たちはしばしば「完璧ではない」と互いに言い聞かせなければなりませんでした。
さまざまな方向に気持ちが向くことが多いので、現実的な期待にとどめるのを助けてくれます。

もう70歳間近なので、仕事、ミニストリー、家族への役割がさらに重くなっています。
5人の孫と共にいるのは、へとへとになる位素晴らしいことです。
彼らの人生に影響を与える機会を大切にしています。
「私が年老いて白髪になっても、私の神よ、私を捨てないでください。あなたの力を次の世代に、あなたの大いなるみわざを来るべきすべての者に告げるまで」(詩篇71:18)。


シェリー: 一度にすべてを手に入れることはできません。神がある活動を延期するようにと望まれていることに気づかず、ある時期にすべてを詰め込もうとすると問題が発生します。
延期しても私たちがそれらのことを二度とできないというわけではなく、それが今はできないという意味です。
この真理は、私の 2 番目の娘が幼稚園に通っていたときに、心に深く覚えました。

私は、やりがいのある奉仕を断るのに苦労していました。でもイエスと言い続けたら、娘たちにとって神が望まれるすべてをこなせません。
車で家に帰り、また母親としての義務的な日常を果たしているように思えたとき、娘が言いました。「ママ、どうやってクリスチャンになるの?」
その夜、彼女は寝る用意をしているとき、イエスを心に受け入れました。
神は、私が探していた「すべて」をその瞬間に示されました。
人生の別の時期にすることを急いでしていたら、娘との永遠の瞬間を逃していたでしょう。
毎日、神のみこころを求めることが全てです。


JBU: 家族のバランスを保つために、どんなことを実践してきましたか?

メアリー: 子どもたちがまだ家にいた頃は、十分ではありませんが彼らを巻き込んでいました。
外で働くということは、私がすべてをこなすことができないということでした。
そこで、息子たちは交代で洗濯物を仕分け、やがて自分で洗濯をすることを学びました。
また、夕食を作るのを交代で手伝ってくれました。(今では、二人の息子は料理上手です。)
家事当番表を作るのも役立ちました。
子どもたちを家族の責任に巻き込むことは、負担を減らすだけでなく、子どもたちの成長と成熟のためにも重要です。

スーザン: 子どもたちには好きなことを何でもしなさいと言っていますが、やりたいことをすべてできるわけではありません。
ノーと言うのは大変ですが、誰にとっても必要なことです。
祖母がかつて「1 つのことにイエスと言うなら、他のことにノーと言うのだ」と言っていました。私は子どもたちによくそのことを言います。

シェリー: 4 人の娘が生まれるたび、その時はできない活動を神の前に手放しました。
子ども1 人のときと、2 人以上のときではできることが違いました。
新生児がいる 1 年間は、なるべく外の活動を控えました。
といっても、子どもの成長期もずっと、私はミニストリーを続けてきました。
できる奉仕の量は常に変化していましたが。

家族の用事が多いと、配偶者をないがしろにしがちです。
敵は、子育ての忙しさに乗じて夫婦関係を弱めようとしてきます。
特に子どもが生まれてからは、夫と少なくとも年に 1 回は 2 人きりで過ごす週末を持つようにしました。
また、子どもが小さく経済も限られていたときは、家具の修理を始めました。
子どもが寝た後、地下室に行って家具を修理しました。
どの夫婦も、一緒に楽しめることを見つける必要があります。


JBU: バランスが崩れていることに気づくのはいつですか。どう修正しますか。

メアリー: バランスが崩れているのは家にいるとわかります。イライラしたり、神経質になったり、いらいらしたりします。そうしたら、何がバランスを崩しているのかを突き止めなければなりません。

子どもたちが小さかったときは、みんなで協力して 15 分間、1階の部屋を掃除し整頓するだけで本当に助かりました。今も同じです。
今は、成人した子どもたち夫婦、孫など、みんなが家に集まり、混乱で圧倒されそうになったとき、協力して家事ををすることで同じ効果が得られます。
家族の予定がいっぱいになってストレスがたまったら、予定をキャンセルします。

スーザン: 家族の当たりがきつくなったとき、バランスを崩しているのがわかります。
家族は私の安全な避け所であり、最もはけ口になりえます!
私は独りになるようにもしています。
また、普段は習慣となっている仕事や責任が、重すぎると感じることがあります。
この 2 つが起こり始めたら、自分に優しくし、助けを求める必要があることを認め、主とともに賛美と礼拝の時間をとるようにしています。
この習慣は、心の緊急事態を静めるのに役立ちます。


JBU: 単なる忙しさでなく、バランスを保つにはどうすればいいでしょうか?

メアリー: 今までに受けた最高のアドバイスは、イエスがすべてをやり終えずに死なれたことに気づかせてくれた、牧師からのものでした。
癒されずに残された人々、貧しいままだった人々、イエスを知らないまま残された人々がいました。
イエスが、多くのやり残しがあったにもかかわらず、自分の仕事は終わったと言われるのならば、私たちも同じようにできます。
それは私にとっての転機であり、決して忘れないでしょう。

忙しすぎるサインの 1 つは、忙しさに伴う不毛感です。
喜びがなくなり、むなしい気持ちになることがあります。
主との交わりの感覚が失われ、他の人との関係がぎすぎすすることがよくありました。
年をとってよかったことの1 つは、神が私に与えてくださった賜物がわかることです。もう「ノー」と言うのに苦労しなくなりました!

スーザン: 年齢を重ね、経験を積むにつれて、常にすべての人を幸せにしておくことはできないと気づきました。
人を喜ばせようとする私は、自分の決断や選択が家族を含め他の人をがっかりさせることがあっても、物事を手放すことを学ばなければなりませんでした。

シェリー: ミリー・ディーナート(Millie Dienert)はかつてこう言いました。
「聖霊に導かれていない活動は、ただの多忙に過ぎません。」
忙しさには細心の注意を払わなければなりません。
忙しさは、人生を喜んだり最も重要なことをしたりする妨げになるからです。
私は常に自分のすることを主の前に持っていき評価するようにしています。そうして、主に導いいただきます。
主は私に何が運べて、何を運べないかをご存知です。


JBU: 重荷を下ろして休息するにはどうすればいいでしょうか?

メアリー: 何が喜びを与えてくれるのか、何が自分を元気にしてくれるのかを知ることが重要です。
子どもたちが小さい頃、彼らの感情のタンクを満タンにしておくことが大切だという話を聞いたことがあります。
これは子どもだけでなく、すべての人にとって大切です!
自分が疲れ果てていたら、他の人に与えることはできません。
リフレッシュし、元気を取り戻す時間が必要です。
マタイ11:28-30 を黙想し、降ろすべき重荷を列挙するとよいでしょう。
それらは私たちが背負うべき重荷ではないことを思い出させてくれます。
イエスは、わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いと言われました。

スーザン: 時折リフレッシュが必要だと感じます。どこにも行けないときは、今通っていることを主に継続的に話すようにしています。
聖書や慰めの詩篇を読むこともあります。
多くの場合、その後数時間、数日間は、環境は少しも変わっていなくても、神様が私に平安を与えてくださることに驚きます。
不安を神様に話すだけで、安らぎとリラックスへと導く平安が得られます。

シェリー:平安というのは、心配ごとをキリストに委ねるときに得られます(1ぺテロ5:7)。
神様のおかげで、4つの大きなプロジェクトの締切が同時に迫っていても平安でいられますし、電話が鳴り、子供たちが泣き叫ぶ中でも、ある種の静けさを楽しむことができます。
心配事が迫ってくると感じるたびに、それを神様にお返しするようにしています。
ある日は、ずっと心配事が続くかもしれません。
でも、定期的にみことばに頼り、力を得、正直に祈る時間を過ごして神様に心を向け続けると、平安ががやってきます。
もちろん、身体の休息も必要です。
ストレス解消に自転車に乗ったり、賛美歌を聴いたり、ジャーナリングをしたりと、楽しんで心身を休められる短い「休憩」を生活の中に取り入れるようにしています。


JBU: 2002 年の夏以来、バランスについて何を学びましたか?

メアリー: 年を取ることには多くの利点があります。
主と共に長年歩んできました。これまでの歩みがこれからの歩みより長かったので、本当に重要なことに焦点を合わせることになります。
より積極的になり、悪循環に陥らないようになりました。

スーザン: 子どもが育ち祖父母になったら、人生はもっとリラックスできるだろうと以前は信じていました。
そうではありませんでした。
どの季節も忙しいものですが、満足感を得るための鍵の 1 つは、「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリストイエスの日までにそれを完成させてくださいます」(ピリピ 1:6) です。

神は今でも私の人生に目的を持っておられ、神をペースメーカーとして信頼し続ける限り、これからの日々や年月を笑顔で迎えることができます!

シェリー: バランスを取るためにセルフケアを含めるのはよいことです。
娘たちが結婚し、母親になり、年を重ねる歩みを見ていると、私が気づかなかったことに気づいています。
彼女たちは、楽しみや休憩、ネイルサロンへの旅行さえ、うまく取り入れています。私がそんな時間があるとは思ってもいなかった、あるいはしてよいとも思っていなかったことです。
慢性疾患を患う子どもと夫や他の家族の世話をしながら、定期的に自分の世話をしないで何十年も生きてきたため、私は何年も消耗し、とうとう燃え尽き、喜びを失い、再び自分を取り戻すための助けを必要としていました。
(イエスとカウンセラーの両方を必要としても大丈夫です!)

私の回復は、セルフケアをすることを神が望んでおられると理解したことに始まりました。
私たちは空っぽのまま、人生のすべてをケアすることはできません。

セルフケアをすることは聖書にも書かれています。
神は安息日という休息日を創造し、私たちが週のリズムの一部として元気を取り戻せるようにされました。
イエスはそれに従われました。
よく山に退き、エネルギーを補給し、神とつながりました。
セルフケアは、生活のあらゆる部分を適切に管理することです。
なぜなら、神から与えられた目的を果たすためには、絶えずエネルギーを補給する必要があるからです。
私は毎週、友人に電話をかけたり、森の中を散歩したり、聖書の学び以外の良い本を読んだりするなど、なにか楽しいことをするようにしています。
セルフケアは、神に栄光を帰す、よりバランスのとれた生活につながるのです。

女性として、私たちは自分のニーズよりも他の人のニーズを優先するようにできています。
自分のために時間を取るのは霊的ではないと考え、罪悪感を感じることがよくあります。
しかし、神が私たちに与えてくださった目的を生きるのであれば、自分をケアすることは贅沢ではなく、必要不可欠なことです。
バランスは私たち一人一人にとって異なりますが、神は私たちが人生のあらゆる時期を祝福のうちに過ごすことを望んでおられます。

2025/02/08

意図的な休息、その恵み


人生を回復し、新たな力を得、魂を整える。


Catriona Futter



「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
 
イエス様はこう言われました。私たちの多くにとって、とても馴染み深いことばです。
しかし、もう少し詳しく知りたいと思うことがあります。
「イエス様、それは一体どういう意味ですか?私には効かないんです。疲れ果てています。」

私は精神的、感情的なエネルギーがいる人生の時期にいます。
2人の娘はどちらも遊学中です。
ここ数年は、娘たちが卒業試験を通過し、アートポートフォリオや大学の願書をまとめ、課題と共に家を出るのを手伝うのに忙しくしていました。
私はこれらの変化がよいことだと十分理解しており、感謝しています。

しかし同時に、自分が疲れ果てていることも知っています!
睡眠は休息をもたらすと知っていますが、なかなか心が落ち着かないときは、寝るのが難しいことがあります。
またぐっすり眠れたとしても、それで心、魂、精神を回復させることはできません。

私は、疲れの感じ方がいろいろあるのと同じように、休息の形もいろいろあるということに気づきました。

サンドラ・ダルトン・スミス博士は、7 つの異なる休息の型を提唱した医師です。
彼女の著書「聖なる休息(Sacred Rest)」を読み、彼女の Web サイトを紹介してもらって、これまでの人生で得られなかった多くの疑問の答えを解き明かす鍵を手に入れたような気がしました。


7種類の休息

私たちはしばしば、「休息」を身体的な休息や長めの睡眠を取ることととらえがちです。
しかし、この狭い「休息」の概念は、的外れなことがあります。
それは私たちの身体、心、魂の疲れに対する万能の解決策ではありません。

7 種類の休息の多様な概念を理解することで、疲れた魂に自由と希望がもたらされ、意識的な休息に満ちた生活を送ることができるようになります。


ダルトン・スミスによって定義された7種類の休息(www.dradaltonsmith.com/resources) は、以下の通りです。

1 肉体的な休息。

これは、よく知られている休息です。
身体を休めるということは、体を回復のためにリラックスさせ、緊張を和らげ、睡眠の質を高めることです。
私たちの体は驚くべきものです。
当たり前のように捉えがちですが、身体を休めるということは、断片化された私たちの体を、積極的で前向きな方法で再統合するように意図的に用いることです。

私は、自分の体が何を欲しているかに注意を払う習慣がありませんでした。
しかし、すぐれたピラティスのインストラクターが、体の緊張している部位を意識し呼吸や姿勢を変えることを、ストレッチによって意識的に行うよう指導してくれました。
まだまだ練習中ですが、とてもよいことです。


2 精神的な休息。

私たちの脳は、To-do リスト、細心の注意が必要な仕事、考えすぎる習慣、自己批判、終わりのない計画などで、常に負荷がかかりすぎています。
この精神的なノイズが私たちを疲れさせ、集中力を低下させます。

精神的な休息とは、その雑音を止め、心にかかり過ぎた負荷を取り除くことです。
特に画面を見る作業では定期的に短い休憩を取ることと、一日の終わりに頭の中にあることを紙に書き出すことが役に立ちます。

沈黙も、休息のための素晴らしい方法です。数分間座って、神様のことだけを集中して考え、完全に沈黙してみてください。どれほど難しいかがわかるでしょう!
これは、精神的な休息のための一例にすぎませんが、効果的な方法です。
呼吸と身体と聖書を結びつけて聖書の一節を黙想し、静まりへと導く「呼吸の祈り」を実践しましょう。
これは私にとって非常に役に立ちました。


3 五感の休息。

これは、意図的に感覚への入力を止めるものです。
電子機器の電源を切り、音楽を止め、雑音をシャットアウトし、会話をやめます。
現代社会にあふれる視覚への刺激から目を休めます。

これは、自分に必要であると気づいていなかった休息です。
静けさの中で美しいものを見ることがいかに大切なことかを発見しています。
それまでは五感が過敏で、緊張して常に警戒中の状態でした。
毎日数分間、静かに座って窓の外の木を眺めたり、川沿いを散歩して鳥のさえずりを聞いたりすることが、意識的な訓練になりました。
単純なことですが、雑音をシャットアウトすることが鍵でした。


4 創造的な休息。

この休息は、美しく感動的で、魂を解放してくれるものに触れることで得られます。
最も長時間いる環境を考えてみてください。
味気なく、機能優先、画面だらけの職場や、雑然とした家庭環境では、私たちがインスピレーションを得ることは難しいでしょう。
私たちには美しいものが必要です。
素晴らしい音楽、華やかなテキスタイル、香りのよいキャンドル、感動的な芸術作品などです。

人は素晴らしく恐れ多い、創造主である神の似姿で作られています。
だから創造的なことに注意を払うのは当然です。
自分を甘やかしているのではとも思えるので、この休息は取りにくいと思います。
しかし、美しさや創造性は、どのようなものであれ内側に反応を与え、畏敬の念を再び呼び覚まします。
これは、視点を創造主ご自身と、必要のすべてを満たしてくださる主の、その栄光の豊かさ (エペソ3:16) に向けさせてくれます。
驚き、畏敬の念を持つことができるなら何でもしてください。
それは創造的な休息をもたらします。


5 霊的な休息。

自分よりも大きな存在とつながると、目的、意味、帰属意識が生まれます。
神は、私が視点を変えるのを、ここでも優しく助けてくださいました。

私は、愛する人たちや周囲の世界の必要をすべて持っていくことはやめませんが、律法的に神との時間を持つことはしていません。
しかし、この時期に、主の翼の下に身を避け、神の前にただ座っているだけで十分だということを神様は教えてくださいました (詩篇 91篇)。
私は何か言う必要も尋ねる必要もなく、何かを読んだり書いたりする必要もありません。
神はただ、静まるように私を招いておられます。
それが、今のところ、私が必要としている霊的な休息です。


6 感情の休息。

いつも周囲の全ての人を喜ばせようとしていますか?
失望したり、拒絶されたり、批判されたりするのを恐れて、自分の本当の気持ちを表現できないと感じていますか?
おそらくあなたは、皆から頼りにされる人なのでしょう。

感情の休息とは、批判されることなく自分の気持ちを十分かつ誠実に表現できる安全な場所にいることです。
これはもう一つの大きな視点の変化でした。
私は生来がむしゃらに取り組むタイプで、力いっぱい取り組み、強くて独立心があり、計画的に進める人間です。
私にとって感情の休息とは、自分にも欠けたところがあり、自分の能力に限界があることを学ぶことです。
夫に自分が必要としていることを伝えること、もっとノーと言うこと、そして自分や親しい友人に正直にありのままを伝えることを学んでいます。
この自己開示は私にとってだけでなく、周囲にも励ましになっています。


7 社会的な休息。

自分らしくいるためには、積極的な支えとなり、力を与えてくれる人たちが周りに必要です。
競争したり、強く見せたりする必要のない人たちです。
一緒にいると消耗する人、否定的な人、有害な人とは、接する時間を制限する必要があります。
人間関係で与える側になることが多い場合には、社会的な休息が必要です。
私たちが充足していなければ、与え続けることはできません。

周りの人々に疲れ果ててしまったら、いくら眠っても、傷つき疲れた心と魂は回復しません。
周りの人たちと交流を持つのが間違っているわけではありません。友人を消耗させてしまった経験は誰でもあるでしょう。
しかし、疲れの原因が人間関係だとわかれば、生涯にわたり励まし力を与えてくれる前向きな友人を積極的に探せます。


あなたはいかがですか?

7 種類の休息について知ることは、身体、精神、心、霊に不足している活動を意図的に計画し、回復させるための有効な枠組みを与えてくれます。

週の初めに、7 つの領域すべてで自分がどう感じているか、簡単に確認してみましょう。
創造的、感覚的、社会的に休息が必要だと気づいたかもしれません。
その必要を満たすための時間がいつとれるかを探します。
近所の公園や美術館で、親しい友と散歩に出かけたり、一日の初めに 10 分間静かな場所落ち着いて座り、聖書の一節を黙想したりしてください。

7 つの領域すべてにおいて、休息のニーズを満たすものは何か、立ち止まり理解する時間を取ってください。
そうすれば、いくつかの方法が適用できるでしょう。
イエス様からのすてきな招きを受け取りましょう。
あなたの体、精神、感覚、創造力、感情、心、霊をもって、イエス様が備えてくださるすべてを受け取ってください。

 

2024/04/03

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(5)



5 ふりかえり、 再評価し、 選ぶ。

主とともに歩みながら、目標を設定し、毎日のよい習慣を実践してください。
途中で立ち止まり、熟考し、再評価し、選択することです。
Intentional living は、大陸横断紀行によく似ています。
走行中に車を停め、燃料を補給する必要があります。
一度ではなく、何度も車を止め、ガソリンを入れ、軽食をとり、足を伸ばす必要があります。
目標に向かう際も、同じことをする必要があります。

自分に問いかけてみてください...

・これは神様が私の人生に望んでおられることだろうか?

・設定した目標に対する進捗状況はどうか?

・これまでに何を達成できたのでしょうか?

・これまでで最も学びのあった瞬間は何だっただろうか?

・今日目標を設定するなら、もう一度この目標を選ぶだろうか?

しばらくふり返り祈った後、目標をこのまま続けるか、必要に応じて修正するかを決めてください。
そして、意図的な人生を送ることは完璧を求めるものではないことを忘れないでください。
それは、自分の人生のすべてを自信をもって選択し、神があなたに召しておられる目的に踏み出すことです。


最後に

意図的に生き始めると、いくつかのことに気づくでしょう...

・あなたは神のことばを切望する女性になるでしょう。

・あなたは自分の人生の可能性と目標を持ち、それによって満足を感じ、その過程で神の栄光をあらわすでしょう。

・あなたは、目的を持って毎日を生きます。もう惰性で過ごしたり、やり過ごしたりする必要はありません。

・あなたは感情面で賢く、自己認識できるようになります。

・あなたは自分の人生のすべてを、たとえ不完全に見える部分であっても、自信を持って選択できるようになります。

あなたは自分の信念を貫き、その信念を尊重する人生を目指しますか?
それが意図的に生きるということです!


*hellosensible.com (2022.10)からの転載

Intentional Living:神の計画を意図的に生きる(4)


4 意図的に考える。

ロジャー・バークマン博士はこう言いました。
「人生の現実は、自分の認識が、正しいか間違っているかによって、他のすべての行動に影響を与えるということです。
自分の認識について適切な視点が得られると、他の多くのことが当てはまることに驚くかもしれません。」

あなたの考えは強力です。
あなたが世界をどのように認識するかは、あなたが現在考えていることによって決まります。
「それが現状だ」とか「これがすべてだ」といった一見悪気のない考えでも、それがあなたを制限し、あなたの人生に対する神の目的に足を踏み入れることを妨げるのです。

考え方について聖書は何と語るでしょう。
3 つの聖句はそれを端的に述べています。

1 ローマ12:2「この世と調子を合わせてはいけまsねn。むしろ心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
 
2 箴言4:23「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」
この節は感情、意思、知性について広く述べています。

3 ピリピ4:8「最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。」


神は私たちが世界についてどのように考え、世界と関わるべきかについて多くのことを語っておられます。
私たちは神の言葉に耳を傾け、自分の考えが何であるかを認識し、それに基づいてどのように行動するか、あるいは行動しないかを認識する必要があります。

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Intentional Living :神の計画を意図的に生きる(3)




3 日々の行動を調整する。

目標を作成したら、その目標を達成するために必要な毎月、毎週、毎日の単位の行動に落とし込んでいきます。
たとえば、強くて健康になりたいのであれば、体重を10 ポンド減らす、ジムの会員権を購入する、より健康的な食事をするなど、幅広い目標を立てることができます。
そこから、大まかな目標を週ごとの目標に分割する必要があります。
たとえば、週に1ポンドを減量する、週に4回ウェイトリフティングをする、といったように。

そして、さらに一歩進んで、週ごとの目標を毎日のタスクに分割します。
たとえば、1 日あたり 4 カップの野菜を食べ、アップル・ウォッチのすべての輪を達成すると、強くて健康になるという誓約を達成できることがほぼ確実になります。
日常的なタスクを積み重ねると、時の経過とともに望ましい結果をもたらします。

Living intentionallyによって、長期的なビジョンやコミットメントへの意識が低くなりそうな時にも、前に進むことができます。
意図的に生きることは、神があなたに望んでいる未来に向かって努力することだということを知っておいてください。
毎日完璧であることが重要ではありません。
約束をし、目標を設定し、意図的な人生を追求しながら、自分自身が浮き沈みしつつも進み続けるのを見ることです。
「私は正しい方向に進んでいる」という気持ちを常に持って生きていれば、人生の旅のあらゆる部分、良い時も悪い時も、もっと喜んで受け入れられるようになるでしょう。


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Intentional Living: 神の計画を意図的に生きる(2)


自分の目的を見つける

自己啓発の本、ポッドキャスト、学び、セミナーに関する私の経験はすべて、根底にある 1 つの質問を示しているように思えました。それは「あなたの人生は何のためにあるのですか?」でした。

Intentional Living について話すとき、ほとんどの専門家はその問題に正面から取り組んではいませんでした。
代わりに、彼らは次のような戦略を示してくれました...

・どうすれば態度を変え、より良い決断を下せるか。
・どうすれば、幸せを見つけて後悔を少なくして生きられるか。
・どうすれば「自分のなぜかを見つけ」られるか。

こうした考えを探求すること自体は間違ってはいませんが、私にとっては、まず自分の人生における神の目的を特定し、それを人生へのアプローチに反映させる方が理にかなっています。
(結局のところ、Intentional Living の定義そのものは、目的を持って生きることなのです。)

しかし、自分の明確な目的を見つけることは、ユニコーン(想像上の動物)を捕らえようとするのに似ていることも理解しています。
人生の新たな段階ごとに、まるでまだわからないかのように、この問いに直面するようです。

でも、あなたが意図的に、神の計画に沿って生き始めると、あなたの人生の目的が明確になると私は信じています。


意図的に生きる方法

1 神とその働きを知る。

あなたは神とともに自分の人生をデザインしているので、神のご性質、約束、ご計画を知る必要があります。
神は私たちとの親密な関係を望んでおられ、それはみことばを通して行われます。
神の御言葉を読み、祈り、礼拝し、信者の集まりに参加するという日々の習慣を通して、私たちは宇宙の創造主を個人的、経験的なレベルで知り始めます。


2 自分の意図を設定する(目標設定)。

次のステップは、いくつかの目標を設定することです。
それは私たちを根本的な質問に立ち返らせます:あなたの人生は何のためにありますか?

何を達成したいですか? 社会にどのように貢献しますか? 短い人生を、どう最大限に活用しますか?

聖書は、目標設定に関して非常にバランスのとれたアプローチをとっています。
箴言 6章6節から11節では、怠けたり計画を怠ったりすることに対して警告されています。
箴言 21章5節では、賢明に計画を立てることの重要性が強調されています。
歴代誌第二 15 章 7 節では、私たちの働きには報いがあるから、勇気を出し、力を落とさないようにと励ましています。

しかし、ヤコブ 4章13-16節に次のように書かれていることを見てください。

「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。
あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です・
あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいはあのことをしよう」と言うべきです。

神から離れて計画を立てることへの警告に気づきましたか?
聖書の中でこのテーマが見られるのはここだけではありません。
箴言 16:3、箴言 16:9、および箴言 19:21 はすべて、
私たちは計画を立てることはできるが、最終的に私たちの歩みを確立するのは主である、
という共通のメッセージを持っています。
したがって、目標を設定するときは、それはあなただけの問題ではないことを忘れないでください。

デビッド G. ベナー博士は、著書『自分らしくあることの贈り物 (The Gift of Being Yourself)』の中で次のように述べています。
「神の召しという感覚から離れて生きるとは、自分がどうなりたいか、何をしたいかについて、自分自身の選択だけに基づいて人生を生きることになってしまいます。
召しは自由と充実感をもたらします。なぜなら、召しは私たちを自分自身よりも大きなものに向けさせるからです。」

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Intentional Living :神の計画を意図的に生きる(1)



Katy Boykin


人生が自分のために起こっているのではなく、自分に対立するように、うまくいかないと感じたことはありますか?
自己満足が忍び込むと、無力感を感じたり、圧倒されたり、人生のさまざまな面で立ち往生したりする可能性があることを私はよく知っています。
では、人生がうまくいかないと感じたとき、どうやってバランスを見つけるのでしょうか?
答えは、神が計画された方法で意図的に生きることを実践することです。

意図的に生きる方法を教えてくれる専門家はたくさんいますが、ほとんどは霊性を無視した世界観に基づいています。
しかし、私は、神の文脈から離れては、私たちの存在は意味をなさないと主張したいと思います。

コロサイ1:16は次のように述べています。
「なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、
王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子に会って造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。」

したがって、それを念頭に置いて、意図的にライブを行う方法について聖書が何と述べているかを見てみましょう。


Intentional Livingとは?

Intentional Living とは、意図的に生きること、または目的や計画を持って意図的に生きることを意味します。
それは、自分が信じていることに立ち、その信念を尊重する人生を歩むことです。
自動操縦で惰性で進むのではなく、自分の人生のリーダーシップをとることです。
それには、自分は被害者であり、人生は自分の状況の寄せ集めであるという考えを手放すことが必要です。
私のお気に入りの定義は、「Intentional Living (意図的に生きる) とは、自分自身と世界に最大限の貢献をするために、自分の人生を宇宙の創造主(神)と共同で行うことである」です。

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2024/01/08

新年にあたって


~ふり返りをし、新たな年に備える~


Shelly Esser 
(Just Between Us エグゼクティブ・エディター) 


古い年に別れを告げ、新しい年を迎えたばかりだなんて、信じられません。

これを「終わったことを忘れる良い機会だ」と、両手を広げて新年を迎える人もいます。 
反対に、人生の決定的な瞬間や思い出の忘れがたい年になったので、1年を終えるのは悲しいという人もいます。 
赤ちゃんや孫が生まれた、新しい仕事に就いた、やっとリタイアした、夢のような休暇を過ごした、新しい人が私たちの人生にやって来たなど、振り返るととても大切に思うことがあった人もいます。

新しい年を迎える前にふり返り、過ぎ去ったばかりの年を思い返す機会を意図的に作るのは、きっと良いことです。 
何を残しておきたいのか、何を手放す必要があるのか?と。

「ふりかえり」とは、簡単に言うと「深く、または注意深く考える」ことを意味します。 
そして、意図的に祈りをもってそうすることを付け加えたいと思います。 
この 1 年間について神に話し、あなたがどこまで成長したか、神についてどのような新しいことを発見したかを教えてほしいと願い求めてください。 
また、さらに成長が必要な分野を教えてくださるようにも神に求めてください。
 
「…あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」(ピリピ1:6)

「ふりかえり」は、神の真実をたどり、見逃したかもしれないことに気付くのに役立ちます。 
それは、手放すべきものと新年に持ち込むべきものを見分けるのに役立ちます。 
おそらく、私たちの誰もが、両方を持っていることでしょう。

「新年の決意、抱負」という言葉がいかにネガティブな印象を与えることが多いか、考えたことはありますか?
何らかの理由で、過去 1 年間のすべてがうまくいかず、だから変わらねばならないと暗示しているように思うからです。 

昨年は確かに良くないこともあったけれど、素晴らしいこともたくさんあったと、ほとんどの人が言うと思います。 
もしかしたら、初めてグループで声を出して祈ったかもしれません。
あるいは、神との時間を定期的に過ごすようになったかもしれません。 
神は「進みなさい。 あなたが心を開き、信仰に歩む姿勢を見るのが大好きだったよ。」と言われるでしょう。
あるいは、定期的に自分をいたわり、必要な楽しみを味わう時間をスケジュールに組み込んだかもしれません。 
それらは、神があなたの人生でそれらを成長させ続けることができるように、新年にもそのまま続けるのがよいですね。

一方、新年に持ち込みたくないものもきっとあるでしょう。
それは、過ぎた年に適切に埋葬する必要があるかもしれません。 
たとえば、習慣化した悪い態度など神が介入し改善されるべきあるもの、解決する必要のある人間関係の対立、手放すべき苦いものなどです。
長い間神のみことばを無視してきたので、それを受け入れたくないかもしれません。 
でも、あなたは、1年後にふり返ってこう言えるように変わりたいと思っているでしょう。
 
「私の小さな信仰の一歩を踏み出した結果、神が何をしてくださったかを見てください」と。

今後数週間、主とデートをする時間を取り、過ぎた1年をふり返ってみてはいかがでしょうか。

1. 記録する

霊的に最も成長したのはどこですか? 
どのような機会を逃しましたか?
あなたの人生と神との関係を変えた、予想外の出来事は何でしたか? 
あなたの優先事項は何でしたか? 
何が足りませんでしたか? 
新しい年に何を変えたいですか?


2. 神に感謝する

昨年、神はあなたの人生に多くのことをされました。 
どこで主に近づきましたか? 
どのようにしてさらにイエスに似た者となりましたか? 
どのような新しい霊的鍛錬を実践しましたか? 

昨年、どんなことが起ころうとも、神があなたを導いてくださったことに感謝してください。

新年にひきずりたくないことは確かにあります。
そのため、それらの領域に取り組み、過去に手放すのを神が助けてくださるように、勇気をくださいと、私は祈っています。 
私たちには、新たな出発の神、過去の間違いや失敗によって私たちを断罪しない主がおられるということにとても感謝しています。
主のあわれみは朝ごとに新しいのです(哀歌3:23)。 
神は常に私たちが人生をやり直し、新たに取り組むのを助けようとしておられます。

お気に入りのひざ掛けと、お好みのホットドリンクを手に取り、静かな場所にゆったりと座って、この 1 年間、神が人生においてしてくださったことすべてを思い返しましょう。 
何を持ち続け、何を変えるべきかを神に尋ねてください。
そうすれば、神があなたのために計画された素晴らしいことを、あなたの人生でなさり続けることができます。 
神の真実は偉大です!

(元記事:
https://justbetweenus.org/everyday-life/faith-for-the-new-year/are-you-ready-to-start-the-new-year/?mc_cid=a86098965a&mc_eid=09e07c882f)

Copyright 2024, Shelly Esser. Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。 女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、 そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です! 英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。 記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利の活動です。 英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2023/03/27

スチュアート・ブリスコー師の生涯を覚えて


女性を励まし続けた素晴らしい人物、
スチュアート
シェリー・エッサー


私たちJust Between Usにとっては、スチュアート・ブリスコーがいなくなって心に大きな穴が空いたようです。
このミニストリーの創始者ジル・ブリスコーの夫だっただけでなく、スチュアートは私たち自身、このミニストリーにとっても家族の一部のようでした。
実際、私たち女性のミニストリーの中で、彼は唯一の男性でした!
30年以上にわたって、彼は私たち編集部と世界中の女性たちを絶えず励まし、応援してくれました。

かつてスチュアートは「牧師、夫、父として、私は誰の賜物も土に埋めてしまいたくない。特に女性の賜物は」と言いました。
「真実を繰り返すが、私は女性が賜物を用いる自由を否定しないようにと注意している。
それだけでなく、私が出会う女性たちには、神の召しと賜物に従って歩めるよう、全力で励まさねばならないと感じている。
男性としての私の人生の大部分は、賜物のある女性のケアをし、育て、励まし、成長を助けるために用いなければならない。
なぜなら、やがて申し開きをしなければならないのは彼女たちだけでなく、私も彼女たちの賜物について説明を求められるであろうからだ。
私は賜物を埋めたというのでなく、励まし続けたと申し開きをしたいのだ。
賜物は決して無駄にすることができないのだ。」

妻のジルが、働き人の妻たちによい情報を提供したいと最初に思い描いた時、スチュアートは全面的に賛成し、ジルが書く賜物を用いるのを一番に応援しました。
当初から彼は女性たちー妻ジル、娘ジュディー、JBUミニストリーチームのスタッフやボランティアもーの賜物を尊重し励ましました。
私たちが神の御国の働きには大切だと感じさせてくれ、私たちはそれに向かうことができました。

彼が時おり編集部に姿を見せ、いつも働きがどのようかと尋ね耳を傾けてくれたのをとても懐かしく思います。そして、ウィンクしながら、次に自分が何を書けばよいのか尋ねてくれた姿も。
彼がJBU誌に書いてくれた記事を数えてみたら、66もありました(ウェブサイトのみの投稿を除く)。
91歳で召される年まで、彼は書き続けてくれました。
以前スチュアートに、読者にとって難解な信仰や文化のトピックについて、神学的な見解を書いてくれないかと頼んだことがありました。
彼は即決し、「締切はいつだい?」と言いました。

私は編集部で、ああでもない、こうでもない、と執筆や編集についておしゃべりするのが大好きでした。
彼の知恵、霊的深さ、誠実さ、聖書理解と伝え方の技術は、何十年にもわたって力強く神に用いられ、私たち皆に恵みを与えてくれました。
それだけでなく、彼はみことばやイエス・キリストご自身を私たちに指し示す以外のこともしてくれました。
いつも、彼と会う時にも彼の記事にも素晴らしい英国ユーモアがあふれており、私たちはそのユーモアが大好きで心待ちにしていました。吹き出すような冗談や愉快な話の思い出が残っています。
私たちは皆、親しみをこめて彼のことをスチュアートと呼びました。彼との楽しい時間が大好きでした。
彼のユニークで茶目っ気のある少年のようなやり方で、私たちも同じようにするのを助けてくれました。


彼の人生のモットーは「僕はどんなひどい困難にもあわない」でした。そして、その通りでした。
私たちがこの働きで難しい時期にあった時、彼の前向きなものの見方に助けられました。
恐れて落胆している子どもを励ます父親のように、彼の牧者としての存在は、神様がこの小さな働きと私たち自身をを持ち運んでくださるのだという励ましでした。
彼は正しかったのです。
彼の楽天主義はいつも私たちを励ましました。それだけでなく、彼が私たちを大切にし信頼してくれたことも私たちにとっては励ましでした。
私たちは表に出ない経験、取るに足りないものである経験を、幾度となくしてきました。
しかしスチュアートは私たちを見ていてくれたのでした。

スチュアートが女性、私たちを人生への贈り物と考えてくれたことに感謝します。
彼は情熱と誠実さをもって女性を励まそうとしてくれ、私たちはその受け手となってきました。
彼が編集部を去るときにはいつも、私たちの賜物と召しが受け入れられていると感じました。
スチュアートならではの素晴らしいやり方で、彼は私たちが神の国の働きを続けられるように励ましてくれました。
彼は、この働きに大きな助けを与え続けてくれました。

ありがとうスチュアート。
あなたは私たちの賜物を埋めておかず、常にそれを喜び励ましてくれました。
そして、あなたが愛し、話し言葉・書き言葉の両方を持って深く仕えたイエス様に目を向けるようにしてくれました。
これからも、あなたの遺してくれたものは、私たち皆のうちに実を結ぶでしょう。


スチュワート語録:

「結婚生活の秘訣は'ABC’、すなわち『誓いを土台にした調整(Adjustments Based on Commitment)』ですね。」
(2018年春号)
「この世界は混乱していますが、それがすべてではありません。神が働いておられ、神のご計画が果たされていくのです。私たちは一人がひとつずつ、神のなさっていることに参加するよう召されています。」(2016年秋号)

「人生で変化を通り成長する度に、多くの素晴らしい経験とそれほどでもない経験を通るでしょう。
しかし覚えておくべきは『静まりそれを背負うこと』です。
なぜか?それは、あなたが支配しているのではなく、あなたはやってくることのすべてをコントロールすることができないからです。
でも、神にはできます。そして、神は約束された通り、それらを支配してくださるのです!」
(2019年秋号)

「生まれた時のことを覚えていますか?恐らく答えは『いいえ』でしょう。
今生きているから、ああ生まれていたんだなとわかるのです。
同じように、もしキリストがあなたのうちに生まれているなら、彼の人生があなたの人生に反映するようになります。次第にはっきりとしてきます。
あなたが通る経験の中で、イエス・キリストにさらに似た者となっていくはずです。」
(2013 年冬号)

ほっこりしよう!~心のヒュッゲ~



あなたの心はヒュッゲですか。ほっこりしていますか。

Sandy Mayle


毎年、私は冬が待ち遠しいです。
それは、エリー湖(アメリカ北部の五大湖の一つ)で氷釣りをするためではありません。
湖が凍り、その影響でこの地域が時々大雪になるのが楽しみなのでもありません。
極寒のエリー湖に飛び込む毎年の行事(ブルブル、説明するだけでも寒い)のためでも、あるいは氷点下のプレスクアイルでの慈善ゴルフのためでも、もちろんありません。

そうではなくて、長く暗い夜に、暖かい小さな家にこもって、薪ストーブをあかあかと燃やし、アップルシナモンの香りのするキャンドルをともし、柔らかいひざかけにくるまって、時にホットチョコレートを用意するのが楽しみなのです。

オランダっぽいかもしれません。それはちょうどヒュッゲの光景だからです。

ヒュッゲ(元の発音はヒュッガhoo-gah)はオランダ語です。
英語ではぴったりする訳語がありませんが(日本語もですね、訳者)、マイク・ヴァイキングという人が著書「ヒュッゲ365日『シンプルな幸せ』のつくり方 」 で説明を試みています。

「ヒュッゲとは...心が整っている状態を言い...ヒュッゲは空気感や体験に関することばで...愛する人々と共にいることです。家庭にいるという安らぎ。世の荒波から守られていて、私たちが鎧を脱ぎ捨てることができる安心感です。」

オランダの人々は世界一幸福な国民として長くランクインしてきました。
彼らはヒュッゲを生活のあらゆる面で取り入れています。
長く暗くて寒い冬の土地柄で、一面のキャンドルや暖かいストール、ふかふかの靴下、柔らかいひざかけ、ホットコーヒー、ケーキ、チョコレートを、仲良しや家族と共に楽しむことで、ヒュッゲを実践しています。
生活をシンプルにし、小さな幸せを喜ぶこともです。

ルイーザ・トムゼン・ブライツは「ヒュッゲの本(The Book of Hygge: The Danish Art of Contentment, Comfort, and Connection)」の著者であり、ヒュッゲを「現実の生活の中心に聖所を据える実際的な方法」だと考えています。

聖所を据える
オランダの人々は、実際にしばしば文字通りの小さな聖所を据えます。
それは個人的なヒュッゲの場所(Hoogah-crow)あるいは「心を整える居場所」で、ふかふかした毛布(もちろんそばにキャンドルも)、そして理想的には暖かい飲み物とお気に入りの本または自然の景色が見える場所のことです。
それを読んで、自分はそうしたヒュッゲの場所があるだろうかと考え、そしてすでに一つあるとわかりました。
それは私の書斎の肘掛け椅子、柔らかいひざかけとサイドテーブルのある場所です。テーブルには聖書や本、ペン、カード、明かりと紅茶の保温ポットをおいています。

霊的なヒュッゲを経験する
毎朝、聖書と心を神の前に開き、私は霊的なヒュッゲを経験しています。
それはきれいな靴下やぱちぱちと燃える暖炉やコーヒーにも勝るものです。
大好きな人々と共にいるのにも勝ります。
そして理想的な夜の、一時的な満足よりずっと勝っています。
私は父のそばにいる暖かさに包まれ、父なる神の輝くことばを読み、父の霊の甘い飲み物をのみ、父なる神との長い会話を楽しみます。

しかし、そんな快適な毎朝の父との居場所を越える、さらに優れたヒュッゲの場所があります。
私の霊は毎日24時間、神ご自身のうちにヒュッゲの状態にあります。神様は私の「現実の生活の中心にある聖所」です。

外側には暗闇があふれているかもしれません。
嵐が吹き荒れているかもしれません。
争いが起こるかもしれません。
子供たちが反抗するかもしれません。
健康が脅かされるかもしれません。
しかし、そうした嵐が外側で激しくなればなるほど、内面は神の元でより深く憩うことができるのです。

避け所と力を見いだす
神が私の本当のヒュッゲの場所です。魂がシェルターに守られます。
神は、私の「避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け(詩篇46:1)」です。
神は、私の「避け所の岩であり、いつでもそこに入って休むことができます(詳訳 詩編71:3)」。
昼夜いつでも、何が周囲で起こっても、内面は神の所に実を避け、世のすべての重荷を彼の上におき、臨在に包まれ安らぐことを知るのです。

親密さを見いだす
神が私のヒュッゲの場所であり、私は神との親密さを楽しみます。
神こそが文字通り私を囲み満たしてくださるのです。
「だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています(1ヨハネ4:15)」。
私の内面は優しい真理の光に照らされており、聖霊の炎に暖められており、すぐそばにおられる神に抱かれています。
私が心を神に注ぎ出すと、神は私にみこころを小さな声で語ってくださいます。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださったーーーそれを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました(1コリント2:9-10)」。

神のわざを覚える
神が私のヒュッゲの場所です。
私は「主の数々の恵みを見極め(詩篇107:43)」、神は私を知っていてくださいます。
「神よ、あなたの私への御思いはなんと尊いことでしょう。それは数えることができません(NLT訳、詩篇139:17)」!
神と私はお互いの存在を深く喜んでいるとわかります。
私は彼のうちにいることを喜び、神は私を喜んでおおっていてくださいます。
私だけでなく、神に身を寄せる人はみな同じです。
「どうか あなたに身を避ける者がみな喜び とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり 御名を愛する者たちが あなたを誇りますように。主よ まことにあなたは 正しい者を祝福し 大盾のように いつくしみでおおってくださいます(詩篇5:11-12)」。

そして、私の霊的なヒュッゲの最高の場所は、そこから決して外に出る必要がないのです!
時々恐れて、私は逃げ出してしまいます。
迷いや不注意から、あるいはわがままからそうします。
それでも、神は忍耐強く、私を彼のところに呼び戻してくださいます。
心のまことの家にまた帰り、休むことができるのは、なんと言う幸いでしょうか。

あなたには避け所、聖所が必要でしょうか。
魂のヒュッゲの場所が必要でしょうか。
柔らかくて暖かい、快適で安全な場所が必要でしょうか。

もしまだそんな場所がないと思うなら、神様に罪の赦しを願い始めてください。
イエス様はすでに十字架で代価を支払ってくださったのですから。
あなた自身とあなたの人生を、神にまったくささげてください。

もしすでにそうされているにもかかわらず、人生の現在の季節が冷たく暗いなら、
改めて神の前に降伏し従順になってください。
神があなたの心の本当の家、明かり、炎、慰め、魂の友であると告白してください。
そうするなら、神様は両腕を広げてあなたをご自身の元に迎えてくださいます。

そして、神こそがあなたのヒュッゲの場所となります。


*Sandy Mayle:フリーランスライター。教会では音楽、祈り、女性のミニストリーにも仕える。夫のデイブと共にペンシルバニア州エリー在住。


Sandy Mayle, Copyright 2023 . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

 Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。 女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、 そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です! 英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。 記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利の活動です。 
 英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2023/01/03

感謝の心を育てる、シンプルな方法

Ginger Harrington

日々、以下の中から一つを選んで試してみては:

  • 祈りながら、難しい状況がきても心が準備できているようにする
  • 一日の初めと終わりに、感謝することにする
  • 否定的なことを言うのをやめて、かわりに感謝することを選びとる
  • 「~すべき」と言うかわりに「~したい」と言う
  • 自分自身と他人とがともに不完全、不十分な者だと認め、神に信頼する
  • 結論を急がない。最悪を想像しない
  • 神から受けたゆるしと恵みを他の人にも与える
  • 自分がしてほしいように他の人にする
  • 人生への過度な期待を手放す
  • できていないことよりも、できていることを見つける
  • 自分に批判的な人との間に境界線(バウンダリー)をひく
  • 感謝を思い出させてくれる聖書箇所を暗記する
  • 「感謝」という聖なる習慣を身につけられるよう、聖霊の助けに信頼する
(著書 "Holy in the Moment" より)



Ginger Harrington, Copyright 2023. 
Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 

2022/09/19

握っているものを手放す


~降伏するとき、自由を見いだす~

 ジル・ブリスコー



ここ数年のパンデミックで、読者の誰もが喪失体験をしたことでしょう。
私は英国在住の家族を失いましたが、ある喪失はそのように見えるものではないでしょう。

ここ数ヵ月をふりかえると、教会で集まれなかったことや旅行できなかったことも喪失体験でした。
隔離の必要も、共に行うという慣れ親しんだやり方を手放さねばならないということでした。
でも、助けはーー聖書にあると知っています!

長年私は毎日聖書を読むように訓練されてきました。
私をキリストに導いてくれた友人のジェニーが、「聖書を読んで眠気が来てから、枕に頭を乗せるのよ」というのがいまだに聞こえます。
私はベッド脇のテーブルに聖書を置いて、一日の最初と最後に聖書を手にとることにしてきました。
最近、インド人の友人が「聖書を読む前には、スマホを手にとらない」という決心をしました。まあ、私はベッド脇にスマホを置いていないので、聖書を一番に手にすることができるのですが。

導きや助けが必要な時には、みことばが自分の魂に語りかけるまで聖書を読むようにと教えられました。
例えば、英国からアメリカに移住することは、私たちの人生にとって最大の変化の一つでした。
夫は「家具を全部売ろう。そして他の物も全て」と言いました。
「教会のリーダーたちが、向こうで住む所を備えてくれているから大丈夫さ。」

初めは簡単に思えましたーー全てをただ売るだけなら。でもそうではありませんでした。ある物を処分するのは簡単でしたが、すべてがそうではありませんでした。
結婚式にもらったプレゼント、特別に大事にしていた思い出の品、子供のおもちゃや人形。
私たちは一人あたり2つのスーツケースの携行が許されており、一つは衣類、もう一つには所持品を入れました。
自分でも恐ろしくなりましたが、私の手はすでに処分しようとしたり譲ってしまったりした物をしっかりと握りしめていたのです。
「主よ、私の手を開かせてください。握りしめないように助けてください」と祈りました。

神様は、私がそうできるよう助けてくださいました。そしてそれ以降も変わらず。神様はピリピ2:5~11から語ってくださいました。


キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。

キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、 

ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、 
人間と同じようになられました。
 人としての姿をもって現れ、

自らを低くして、死にまで、 
それも十字架の死にまで従われました。 

それゆえ神は、この方を高く上げて、 
すべての名にまさる名を与えられました。
 
それは、イエスの名によって、
天にあるもの、地にあるもの、 
地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、 

すべての舌が
「イエス・キリストは主です」と告白して、
 父なる神に栄光を帰するためです。

イエス様は私たちが想像できるだけのものを手放し、この世にこられ、私たちの代わりに十字架にかかってくださいました。
イエス様がそうされたことを心から喜び、彼が私に全てを与えてくださったのだから私は彼の元に全てを置きたいのです。


ーーーーーーーーーーー
ジル・ブリスコーは英国リヴァプール生まれ。60年以上夫婦で歩んできた(訳者注:夫のスチュアートは2022年主の御元に召される)。Just Between Usの創設者であり、ウィスコンシン州南東部に在住。


Jill Briscoe, Copyright 2022 . Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045 


 Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine の日本語版サイトです。 女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、 そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です! 英語版では季刊誌が発行されています。
日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。 記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利の活動です。 
英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2022/06/30

「余白」をつくる

健康的なバウンダリー(境界線)を引くには


Chrissy  Callahan





「ノー」と言うのは、どうしてこれほど難しいのでしょう。
私は困っている人を見ると助けたくて、ついやり過ぎてしまいがちです。
でもいつも「イエス」とばかり言うと、動機は素晴らしくても逆の結果を生んでしまいます。

女性として、私たちは時間やエネルギーの使い方にバウンダリー(境界線)を引くのに葛藤を覚えます。
いつも人々から頼りにされているなら、何も考えず「イエス」と答えているかもしれません。
時には自分が「ノー」と言ってもよいということさえ、意識していないかもしれません。

しかし幸いなことに、私たちは健康的な「余白」を作ることを学べるのです。
始め方は以下の通りです:


・断るべきことを断ることで、私たちはすべきことをよりよく行うことができる。

すべてをこなしたいと思う(時にはそうしないといけないというプレッシャーを感じる)反面、現実にはすべてに「イエス」というと燃え尽きる危険性があります。
そして、燃え尽きを経験すると、失敗したような思いになり、余計に敗北感を味わいます。
もともと現実的でないことに、なぜ自分をうち叩いて向かわせ、失敗してしまうのでしょうか。

もちろん、自分の責任を放棄しろと言っているわけではありません。
必要なことがありますし、神様はそれをする力を与えてくださいます。
しかし、しばしば私たちは自分が負わなくてよいことまで負ってしまうのです。

使徒6章の教訓が私は好きです。ここにひとつの実例があります。
ギリシア語を使うユダヤ人のやもめたちが、毎日の食事の配給でなおざりにされているという苦情が出ました。
十二弟子は看過できない問題だと気づきました。
けれども、彼らの返答に注目してください。

「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します(使徒6:2b~4、強調筆者)」。

未亡人たちに食事を配給するのは必要な価値ある仕事でしたか。もちろん。
けれども、十二弟子がすべき仕事でしたか。いいえ。
それをしたら、弟子たちは神様が彼らにしてほしいと思われた仕事ができなくなったでしょう。
そして、福音を効果的に人々に届けることができなくなったでしょう。

必要かつよい事柄に「ノー」というのは難しいですね。
でも、弟子たちが「余白」をつくると決断したことによって、隠された宝に気づくことができたのです。


・「ノー」と言うなら、他の人が「イエス」と言う機会を与える。

十二弟子自身がやもめたちへの食事配給をしなかったことで、他の人がその仕事に「イエス」という機会が与えられました。
これにより、いくつか素晴らしいことが生じました。

1. 弟子たちは、押し寄せる全ての良いことをこなすことと、神が特に彼らにしてほしいと思われることをすることとの違いを知りました。

2.やもめたちへの食事配給のために選ばれた7人は、新しい奉仕への機会が与えられました。

私の好きな聖書箇所の一つは第一コリント12章です。
パウロがキリストのからだの各部分がどれほど大切かを語っています。
「もし、からだ全体が目であったとしたら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。(1コリント12:17~18)」

このように質問してみてはどうでしょう。
もしすべてが一人(あるいは限られた人だけ)で行われたら、からだの強みや多様性はどこにあるでしょうか。
もしすべてを私たち自身でやってしまったら、共同体として成長する機会はどこにあるでしょうか。

やもめたちに食事を届けるという責任は、弟子たちにとってもちろん真剣に取り組む課題でした。
ですから、誰か他人に託して終わり、とはしませんでした。
そして、その責任を不平をもらした人に託すこともしませんでした。
それどころか、力と神の知恵と誠実さをもってその必要に適切に対応するため、7人の信頼できる人たちにその役割を託したのでした。

選ばれた7人の一人ステパノは、後に信仰ゆえに尋問され、石打ちにされました。
この結果がどんな違いを生んだか想像してみてください。
弟子たちは全部を自らこなそうとして働きを限定し狭めてしまうこともできましたが、
そうではなく、自分に与えられた召しにとどまりました。やもめたちは信仰ゆえに死も恐れず、しっかり勇敢に立った人物によって必要が満たされたのでした。


・「ノー」と言うことを学ぶと、他者のバウンダリー(境界線)を尊重し励ますことができる。

あなたの周りに、同じように「余白」をつくろうとしている人がいますか。
共に歩むなら、その旅はさらに楽しく、互いに恵みと励ましを与え合うものとなります。

奇妙なことに、私たちは他者から「ノー」と言われると、それが良い理由からであっても拒絶されたように感じたり、フラストレーションを覚えたりします。
けれども、健康的なバウンダリーを実践することで、私たちは他の人たちが持つ健康的なバウンダリーを尊重し励ますことも学ぶのです。

共同体として強められよく成長するには、私たちがお互いを必要とするというのは美しい事実です。
自分自身を訓練することはできますが、時には状況により頼む必要もあります。
理想的なのは、共に成長していくことですが。
そうすれば互いにアカウンタビリティーが果たせますし、そして自分自身ですべてやってしまうよりも共同体がより深く根を張り成長することができるでしょう。

おそらく、あなたはこの新しい1年に起こるすばらしい計画を持っているでしょう。でもそれは絡まったスパゲッティーのようにごちゃごちゃしていると思えるかもしれません。
健康的なバウンダリーをつくり過ごすために必要なのは、その一歩を踏み出すことだけです。
完璧ではないかもしれませんが、それでよいのです。
徐々にふさわしいバウンダリーがつくれるようになります。

私たちの訓練は自分に対してだけにとどまりません。
共に学ぶように召されているのですから、その知恵を続く人にも伝えてください。
すでに自分の生活の中に「余白」をつくることを身に付けたありのままの女性たちこそ、私に同じようにすることを教えてくれた人でした。
彼女たちは完璧にそれをしていたわけではありませんでしたが、たえず成長しており、難しさについても喜んで正直であろうとしました。

何を選びとるか、より意識的に判断することを学ぶにつれて、キリストのからだ全体は、それぞれの部分が召されていることについてより集中できるようになります。
そして私たちがともによく生きられるようにさせてくれます。

今日、どんな「余白」をつくりますか?



2021/10/05

同時多発テロで息子を失って

~ トッド・ビーマーの母、この20年を振り返る

Greg Asimakoupoulos


2001年9月11日以前、「911」といえば緊急電話番号でした。けれども、世界貿易センタービルにハイジャックされた2機が突っ込んでからは、その3桁の数字は意味が全く異なってしまいました。

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20年前(2021年8月現在)に、9・11は全く違う意味になりました。そして、9・11の出来事に関連して、決して忘れられない悲劇として覚えられる語も生まれました。「ツイン・タワー」「グラウンド・ゼロ」「ユナイテッド・93便」、そして「レッツ・ロール!」。

「レッツ・ロール(Let's  Roll)!」とは、ユナイテッド93便に乗っていた33歳のクリスチャン、トッド・ビーマーが言った言葉でした。ビジネスマンだった彼は、他の乗客と共に、コックピットのテロリストに向かって行動を起こしたのでした。

93便は首都に向かうためにニューアーク空港を離陸した後、テロリストによってパイロットが殺害され、操縦が乗っ取られ、本来の目的地から外れて飛行しました。

トッドと乗客たちの勇気ある行動によって、テロリストの攻撃の狙いは外れました。93便はペンシルベニア州シャンクスビル郊外の農場に墜落し、乗客乗員全員が死亡しました。

トッドの母ペギーはメリーランド州ポトマックの一主婦でした。

雑用で車に乗っていたとき、ラジオで世界貿易センタービルとペンタゴンへのテロのニュースを耳にしました。もう用事はどうでもよくなりました。家に戻る途中、4機目がペンシルベニアの田舎で墜落したことを知りました。

「まさかトッドがそのうちの1機にのっているとは思いませんでした」ペギーは回顧します。「だって、私の知る限り、息子夫婦は会社から与えられたイタリア休暇を楽しんでいるはずだったからです。」


トッドは予定の前日妻のリサとともに帰宅し、テロ当日はカリフォルニアに移動することにしていました。それを母親には連絡していませんでした。テロの後リサからの電話を受けて、ペギーはそのことを知りました。9月11日の出来事は個人的にも、また永遠にも彼女の人生を変えました。

息子が93便に搭乗し死亡したと正式に連絡があった後のことです。ペギーは息子トッドが最期の時に信仰を働かせた様子を知りました。それは彼女と夫のディビッドが彼に見本を示してきた信仰でした。

トッドは43人の乗客と共に死に向かっていた時、妻に電話をしようとしました。ところが繋がらず、電話オペレーターと話しました。彼女が後にその会話と彼の言葉をリサに知らせてくれたのでした。

トッドはオペレーターに主の祈りを祈ってほしいと言ったそうです。彼と妻リサは、聖書研究の小さなグループでちょうど主の祈りを学んでいるところでした。

キリストが模範を示されたその祈りは、トッドにとって初めてではありませんでした。母親の膝で、トッドは聖なる神が愛の父なる方であることを学び、日々の必要や赦しを祈っていたのでした。

筆者はこの20年間、チャプレンとしてビーマー一家と親しくしてきました。インタビューを通して、若い夫・父・そして信仰者だった人物の遺産が、母からの愛に根ざしていたとわかるでしょう。

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トッドの死から20年間、あなたの信仰の歩みには何か変化がありましたか。

ペギー:神様をさらに近く感じるようになり、神様に信頼できることをより感謝するようになりました。

私たちも多くのアメリカ人が感じたように、息子の生き様に励まされました。息子は正しいことを正しい時にする、という見本を残してくれました。デイビッドも私も自分の信仰や、キリストにある希望について励ましを分かち合う機会を多く頂きました。


読者に向けて、国のためにどう祈ればよいと思われますか。

ペギー:9・11から何年も過ぎるに連れ、思い起こす機会がだんだん少なくなっています。月日の経過と社会の変化でそうなるのでしょう。忘れ去られてしまうのかしら、と少し心配になります。夫も私も、この国が神様のご計画に反する国とならないでほしいと願っています。米国は眠った状態でした。9・11で揺り起こされました。しかしまた眠っているようにも感じるのです。神様が私たちを居眠りから覚めさせてくださいと祈る必要があります。

国として、私たちは文化だけでなく神も遠ざけたがっています。選挙で選ばれた人たちが、行動も法制定も神様の真理に従ってできるようにと、私たちは毎朝祈ります。また、神様とみことばにもっと信頼し、神の真理を人生の道しるべとできるようにとも祈ります。


あなた方ご夫婦は、トッドの足跡が風化しないように何かなさっていますか。

ペギー:トッドは、家のそばにあったミッションスクールのウィートン・クリスチャン・グラマースクール、ウィートン・アカデミーに通いました。毎年、母校のウィートン・アカデミーではトッド・ビーマー・ゴルフトーナメントを開催して学校の資金集めをしています。現在私たちは離れたオハイオ州に住んでいますが、夫はよく参加します。

保護者会にも多くの友人がおり、トーナメントの折には会って近況を分かち合います。

もちろん、トッド自身の子どもたちとも思い出の数々を話しますよ。


トッドの奥さんのリサとお子さんたちはどうされていますか。

ペギー:皆元気にしています。リサは母親として立派に子どもたちを育てました。

リサとトッドはウィートン大学で出会いました。学校の方針が彼らの信仰に根ざした価値観を育み、結婚に導いてくれました。素晴らしいキリスト教主義の学校には、孫たちの教育でもお世話になりました。3人の孫は両親と同じようにウィートン大学に進みました。

祖母だからほめるわけではありませんが、孫とリサはとてもよい人物です。彼女たちがいてくれることでとても祝福されています。


20年目の節目の年、9月11日をどのように過ごされますか。

ペギー:これまでの9月11日は家族で過ごし、メディアや大きなイベントへの参加は控えてきました。今年は例外です。私たち夫婦はシアトルに行き、息子の名にちなんだ校名がつけられた公立の学校で話をします。そのトッド・ビーマー高校での講演後はワシントン州カシミアに移動し、20周年の式典に出席します。夫デイビッドはそこでも講演します。


トッドの人生と信仰で、特に記憶に残してほしいことは何ですか。

ペギー:トッドは信仰の人、神に信頼した人、そして正しいことをいつもベストを尽くして行う人でした。ほとんどは日常の小さなことでしたが、家族や友人にとっては大切なことでした。いつも最後まであきらめませんでした。多くの人の記憶に残る、あの人生最後の日にも、祈って正しい、大切な行動をしました。

トッドの好きだった聖書のことばの一つはミカ6章8節、「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか」でした。


もし、人生で最悪の出来事に直面している人がいるなら、その人への希望と励ましの言葉がありますか。

ペギー:神が考えてくださっていると信じて、と言いたいです。神が与えた自由意志を濫用して、人間は完全な被造物から堕落してしまいました。この世界に罪が入ったため、時には良い人に悪いことが起こります。私にとっての最悪な日の9・11とその後、私は日々力と慰めが与えられるようにと祈りました。

イザヤ書26章3節の祝福は本当です。

「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」

どんなに困難な状況に直面しても、真実なる神様を見続けてください。神様はあなたのことを心配し、日々助けを与えて下さる方です。


グレッグ(Greg Asimakoupoulos):シアトル郊外の退職者クリスチャングループ、カバナント・リビング Covenant Living at the Shoresのフルタイムチャプレン。「恵みに憩うSheltering in Grace」「不確実な時代の希望Hopeful Insights for Uncertain Times」などの著書12冊がある。妻ウェンディとワシントン州マーサーアイランド在住。

Copyright 2021  Greg Asimakoupoulos, She Lost Her Only Son on 9/11.  Translated from Just Between Us, 777 S. Barker Road, Brookfield, WI 53045



Just Between Us Japan は、アメリカの Just Between Us Magazine 日本語版サイトです。女性の働き人、伝道者の妻、教会の女性リーダーたち、そして人間関係や宣教、生活の課題に関心のあるあなたのための情報です!
英語版では季刊誌が発行されています。日本語ウェブサイトは、Just Between Us の情報を英語だけでなく日本語でも提供し、日本の宣教にかかわる女性を励ますため、2007年7月に発足しました。記事の翻訳を中心に、有益な情報を発信していくことを目的にした非営利のミニストリーです。英語版ウェブサイト:https://justbetweenus.org/

2021/07/25

このような時のため!

 


ジル・ブリスコー  Jill Briscoe 




Just Between Us誌 2021夏号より



夫のスチュアートは90歳、私は86歳になりました。私たち夫婦は長年、教会や宣教のために世界中を旅する恵みに預かりました。

現在はコロナ禍の中にありますが、それでも出かけ、旅を続けています…違った方法で。テクノロジーを通して、家にいながら旅をして、近くや遠くの方々に届くことができています。

このような時のために、神様はご自身に仕え大宣教命令に向かうための方法を私たちにくださっていたのです。


ところで、外出を制限された中でどのように近所や人々に救い主イエス・キリストの愛を届けることができるでしょうか。

神様は、私たちに他の人々を愛するように命じておられます。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(Ⅰヨハネ4:19)。

他の人を愛しイエス様を指し示す最善の方法の一つは、祈ることだと知っています。だって、私たちは皆、どこにいてもひざまずくことができるのですから。

昨年(2020年)の4月、私たちは皆、世界のどこにいてもひざまずくことができる、という事実を実感しました。それは、イギリスにいる義弟からの電話を取った時でした。彼は悲しい知らせがあると言いました。私のただ一人の姉、大好きな姉がコロナウイルスに感染したと話しました。

ショックでした。姉は80代、当時はパンデミックが始まったところで、私がアメリカから姉のところに駆け付ける方法はありませんでした。姉に再び会うことも、会って別れを言うこともできないと思うと、私の心は張り裂けそうでした。絶望し、落胆していた時でした。そうだ、私は祈りによって遠くからでも姉のすぐそばにいることができるのだ、ということを思い出しました。


主は祈った時の会話を思い出させてくださいました。主は「あなたの会話の題名は何ですか」と私に問われました。

「あ、そうですね」と私は答えました。「『ひざまずけば、どこにでも行ける』という題です。」

「ジル、そうだよ」という静かな小さい声を私は聞きました。主は言われました。「では行きなさい。そして覚えておきなさい。あなたはいつでも、どこに行ってもひざまずくことができるのだ」と。


それで、私はそうすることにしました。父なる神様の御手にゆだね、彼女を励まし地上の人生の終わりに近づく時に神様の愛で包んでくださいと祈ることによって、私は姉を愛することができました。人々のために祈ることは神様の愛を示す特別な方法です。


第1コリント13章で、愛について使徒パウロが描写し定義しています。愛の一つの特徴は「すべてを耐える」(Ⅰコリ13:7)ことです。「耐える」とは、コートや上着のようなものです。着る人を包み、覆い、温める、大きな暖かいコートのことです。

愛はちょうど大きな天の毛布のようなものです。私たちの疲れ傷ついた世界が投げ出した、愛を必要とする人を包む毛布です。

私は姉を祈りという愛の毛布で包むことで愛を表すことができました。

姉が召されたのはそれから約1か月後でした。毎日私は電話で愛する姉と話しました。そして毎回、「すぐまた会いましょう、お姉ちゃん、すぐまた会いましょう」と言いました。ええ、本当にすぐまた会えるのです。

皆さん、覚えていてください。私たちはひざまずいて祈ることで、どこにでも行けるのですよ。

愛をこめて、ジル

2021/07/23

女性 タビタに学ぶ

 



シェリル M. スミス  Cheryl M. Smith 


Just Between Us誌 2021夏号より


タビタの記事はごく短くまとめられていて、読み飛ばしてしまいそうです。

使徒の働き9:36-42では、タビタという女性について書かれています。彼女はヤッファ(ヨッパ)の町で、貧しい人や未亡人を助けていました。彼女の親切とあわれみの心で人々はおおいに助けられていました。

悲しいことに、彼女は病気になり死んでしまいました。彼女が息を引き取ったとき、未亡人や貧しい人々は涙ながらにペテロの元に集まって来て、タビタが心をこめて繕い縫ってくれた服を見せました。タビタは未亡人に尊敬を持って接し、神の福音そのものの生き方を示しました。彼女がいなければ、どうなってしまうでしょうか。

ペテロは皆に部屋から出るように言いました。そしてひざまずいて祈りました。するとタビタは生き返ったのです。この奇蹟がとても素晴らしかったので、ヤッファの町ではリバイバルが起こりました。この記事から何を学ぶことができるでしょうか。


・タビタはイエス様の弟子であった。

使徒の働き9:36を見ると、タビタはイエスの弟子だと記録されています。原語のギリシア語では、「弟子」の女性形です。これは新約聖書でここにだけ使われています。

タビタは真の弟子でした。タビタに会ったら、イエス・キリストへの信仰に貫かれた人物だとわかったでしょう。彼女の態度、生き方、言葉にはそれが表れていました。また、彼女は自分の宣教のフィールドがヤッフォの貧しい人々や未亡人であることを自覚していました。


・タビタは人生を100パーセント生きた。

夫を亡くした人たちは、タビタの生きた社会では多く見られました。初代教会には、だれにも養ってもらえずにいた女性たちを助けるという責任がありました。タビタの働きはベビーシット(子守り)、心の痛みに耳を傾けること、服を縫うことでした。彼女は自分の人生をそうした必要を最も持つ人たちの日常に注ぎました。

豊かな人生を生きるとは、自分自身をささげることだとタビタは知っていました。


・タビタは賢く投資した。

タビタは、自分が神ほど多くのものを与えられないことを知っていました。イエス様は「わたしの弟子だからとうことで、この小さい者たちの一人に一杯の冷たい水でも飲ませる人は、決して報いを失うことがありません」(マタイ10:41-42)とおっしゃいました。

上着を繕ったり継ぎ布を当てたりすることが、神の国にどんな意味があるのでしょう。こんな些細なことに何か意味があるでしょうか。

もちろん、あります。誰のためになっているのかあなたは知らないかもしれませんが、神様は知っておられます。こうした小さくも気前のよい働きは、傷ついた世界で神の恵みの香りとなるのです。

私たちの中でペテロのようになる人は多くありません。おそらく、奇蹟的に病人をいやしたり死人を生き返らせたりすることはないかもしれません。しかし、ささやかな恵みを表す働きも、同じように価値があり力があるのです。裁縫をしたり食事を作ったり、ハガキを送ったり、励ましの電話1本をかけたりすることでも、あなたはイエス様の弟子であり、目的のある人生を送っており、神の国のために投資しているのです。

タビタは私たち全てが見習うべき、美しい姿を残してくれています。

2021/05/25

バイブル・スタディー「若葉の季節」 

** 今回はJBU誌の中から聖書の学びの翻訳をお届けします。**



15分のバイブル・スタディー「若葉の季節」 

Dorie Etrheim 

Just Between Us誌 2021年春号

 

詩篇92:13「彼らはの家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。」

 

春は芽吹きの季節です。みずみずしい緑の新芽が枯れた木に現れ、花が咲きます。砂漠でも、野草が咲き色とりどりの花が見られます。春は冬の後に力強く現れます。

私の住んでいるところでは冬は寒くて辛い季節でした。冬が早く過ぎ去るようにとよく思いました。あなたは「早く過ぎ去るように」と感じた人生の季節がありますか。落胆し、混乱し、孤独だった季節がありますか。どんな状況にあっても、私たちが野草のように新芽を出すにはどうしたらよいのでしょうか。

 

詩篇1:13「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」

 

詩篇92:1215「正しい者はなつめ椰子の木のように萌え出で レバノンの杉のように育ちます。彼らはの家に植えられ 私たちの神の大庭で花を咲かせます。彼らは年老いてもなお実を実らせ 青々と生い茂ります。こうして告げます。『は正しい方。わが岩。主には偽りがありません。』」

 

エレミヤ17:58はこう言われる。『人間に信頼する者はのろわれよ。肉なる者を自分の腕とし、心がから離れている者は。そのような者は荒れ地の灌木。幸せが訪れても出会うことはなく、焼けついた荒野、住む者のいない塩地に住む。に信頼する者に祝福があるように。その人はを頼みとする。その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来て暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。』」

 

l  祝福を受ける正しい人は、どのように描写されていますか。

 

 

l  聖句の中で、心にとまった部分はどこですか。

 

 

l  人に信頼する人と神に信頼する人を比較してみましょう(エレ17:58)。

 

 

 

自分のことを、まるで荒れ果てた土地に生えた低木のようだと感じたことがありますか。私はあります。辛かった時期を思い出すと、自分と周囲の人に頼って生きていました。恐れ、心配、不安、自己満足という土壌に根ざしていました。決してそこから栄養を得ることはできませんでした。霊的にしぼんで弱っていると感じました。あなたは、自分の根がどんなところに生えていると思いますか。

 

さらに深く・・・

主の家に植えられるなら、私たちは川のほとりに植わった木のように強く成長します。その根は生ける水に深く根ざし、恐れも心配もなく、いつもみずみずしく葉を茂らせます。

 

エペソ3:1421「神のご計画の深さと広さを思う時、私はひざをかがめて、天上と地上の家族の父である方に祈ります。どうか、父なる神が、その栄光に満ちた無限の富の中から、御霊を通して人を内面から強くする力を、あなたがたに与えてくださいますように。こうしてキリストが、信じるあなたがたの心に住んでくださいますように。 そして、神の愛がどれほど広く、どれほど高く、どれほど深いかを理解することができますように。さらに、あなたがたがキリストの無限の愛を知って、キリストの愛といのちに満たされますように。どうか、私たちの祈り、願い、考え、望みをはるかに超えたすばらしいことを、その偉大な力でなされる神に、栄光がありますように。どうか、キリスト・イエスによって、教会に救いの計画をもたらしてくださった神に、栄光が永遠にありますように。アーメン。」

 

コロサイ2:67 「すでにキリストの救いを信じたあなたがたは、日常の問題についてもキリストに信頼し、キリストと共に生きなさい。キリストに根を深く下ろし、そこから養分を吸収しなさい。主にあって成長し続け、真理に立って、強くたくましくありなさい。すべてに感謝し、喜びにあふれて生活しなさい。」

 

l  パウロは私たちの根についてどう言っていますか。

 

  

青々と茂る木のように、深く根を張るにはどうしたらよいでしょうか。それは、信頼することから始まります。心から、主に信頼しましょう。主の変わらない愛に信頼しましょう。約束に信頼しましょう。神の愛に頼り、力と平安を頂きましょう。まず神を求めましょう。今日、どんな事柄で神に信頼できるでしょうか。

 神のことばを黙想することで栄養を得ましょう。「黙想する」とは、継続的に神のことばを声に出したり、考えたり、生活に適用したりするという意味があります。みことばを自分自身や友人に語り、祈りで主に述べましょう。あなたは昼夜何を考えていますか。恐れでしょうか、それとも信仰でしょうか。平安でしょうか、それとも問題でしょうか。

 日々神の愛を受け取りましょう。少し時間を取って、気がかりなことをイエスの足元に置きましょう。イエスに近づき、その御腕に憩い、あなたへの変わらない愛を受け取りましょう。イエス様はあなたの心のどの場所におられますか。

 

l  あなたが主に「しっかりつかまる」方法を一つ挙げてみましょう。

 

 

l  記録のために: 今日イエス様と過ごす時間を見つけましょう。エペソ3:1421を書き写し、「主にあってたくましく」なりましょう。この聖句を昼も夜も黙想してみましょう。あなたの若葉の季節です!


2020/05/11

孤独な日々は神様に近づく時


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リサ・エリオット(Lisa Elliott)


皆さん、お変わりありませんか…ソーシャルディスタンス(社会的距離)はうまく保てていますか?
孤独を感じていませんか?

オンラインなどで私が連絡をとった人たちからは、悲喜こもごもの声があがっています。
ある人は、何年も手付かずになっていたことをようやくできる、と喜んでいます。
一方で、ある人は何をしていいか全くわからないと言っています。
必死に計画やできることを見つけようとしている人もいれば、休息の時だと歓迎する人もいます。
できる限りのあらゆるSNSを利用しようとする人もいれば、独りで静まる時を持つ人もいます。

私自身は、この一連の経験を通して、10年余り前のことを思い出しています。
18歳だった息子のベンが白血病と闘っていた時、私は自主的に隔離された生活をしていました。
彼の免疫力が下がっているとのことで、私は外界との接触を制限しました。
これまでの生活は一変しました。
社会的なつながりはタブーでした。
ブッフェやサラダバーの食事は避けるべきという制限が課されました。
病院で息子のベッドのそばに付き添う時は、入室前に消毒をし、マスク、手袋、ガウンを身に着けました。
自宅まわりは、ばい菌が繁殖しないようできる限りすべてを清潔に保ったことは言うまでもありません。
玄関には、訪問するすべての人が使えるよう消毒液さえ設置しました。
「普通の」生活は突然なくなり、家族と私は「新しい普通」に入りました。
最悪の事態に備えるため、最善の希望を持つことを学びました。

共通点があるなあ、と思われますか?
コロナウイルスの感染防止のために過ごす最近の日々と似ているのです。
あなたは以下のような経験をしているでしょうか。
   
  • 命を脅かし、健康を脅かし、思考に影響を及ぼし、活動を調整させ、関係を断つものに対しすでに知っていると考えて、実際に見ていない状況を何とかしようとしている。
  • 全然いつも通りではないとわかりながらも、落ち着いていつものように仕事をしようとしている。
  • 内心は不確実、無知、不安と恐れがわきあがっていても、外見は平静にしている。
  • 目に見える限界とだんだん増えていく制限があっても、なるべく自由に過ごそうとしている。 
  • 自分の世界の何かがおかしくなってしまったという感覚を覚えつつ、先行きが見えずぼうっとした虚無感の中で日々過ごしている。
  • 本当はほとんど何もコントロールできないと知りつつも、コントロールできるかのようにふるまっている。
  • 本当に目的があるのかな、と思いながら、目的をもって生活することを選んでいる。
  • 書き物をするペンを鉛筆に持ち替え、手にはいつも消しゴムを持っている。
  • 目まぐるしく変わる生活に絶えず順応しようとしている。
昨今は、ヤコブ書のことばを実感することでしょう:
「『今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう』と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。あなたがたはむしろ、『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです」(ヤコブ4:13~15)。

もし、この想像もしなかった不安と混乱の時が、私たちが目を覚まして本当に大切なことに心を向けるように、と神様が意図されたものだとしたらどうでしょうか。
おそらく、神様はこの歴史上特異な時期を用いて、私たちがこれまで思い込んでいた生活を再調整させてくださっているのかもしれません。
もしかすると、このパンデミックは「私たちが自分自身に頼らず、神に頼る者となるため」(第二コリント1:9)なのかもしれません。
現在の社会的孤独は、私たちがもっと深い次元で神様とつながる特別な機会として与えられていると言いうるのかもしれません。

一つ、確かに言えることは、先行きの見えないこの状況にあって、私たちは離れていても決してひとりぼっちではないということです。
神様は決して私たちを離れたり捨てたりすることはないと約束しておられます(申命記31:6、ヘブル13:5)。
私たちが神様につながり錨を下ろしているなら、神のことばは私たちの不安定な日々にも揺るがない希望を与えてくれるのです。

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)。

2019/10/29

夫に腹が立った時の対処法

   


Pam Farrel


世界中のどこに行っても、結婚生活には同じような悩みがあります。
例えば、共通する話題の一つに「相手の最も好きだった所が、最もイライラする所になった」があります。
それはコインの裏表のようです。
コインをひっくり返して「そうだ、この人を好きになったのはここだった」と思い出す必要がありますね。

夫のビルはコーヒーが大好きです。
しかし、同時にとても困った癖があります-飲んだ後、マグカップをシンクに持ってこないということです。
ガレージ、車内、クローゼット、庭の小道、玄関やポーチ、書斎、階段、洗面所…、思いつく限りのあらゆる所で飲んだ後のマグカップが放置されています。
旅に行くごとにマグカップを買い集めておいてよかったです。全てのカップに出番があるのですから!

マグカップを片付けてくれないのをどうしたらよいでしょうか。
私自身はあまりコーヒーを飲まないので、余計に気になります(もっとも、コーヒーを飲むと私は動悸が激しくなります。ビルだけが私の心拍数を早くするものであってほしいいですね!)。
ビルによれば、私は神様によってカフェインを取ったのと同じ状態にされているそうで、私の動きに合わせるためにはコーヒー3杯が必要だというのです。
ともかく、彼はコーヒーを飲まねばならないのですね!

たとえ腹立たしい所があっても、夫を愛し共に生活するためのアドバイスは以下の通りです。

違いを感謝する
コーヒーはもはやビルの一部です。
引っ越しの準備をしていたある日のことです。最後の洗い物をしていて、私はそれが全てコーヒーマグであることに気付きました。なんと47個もの!
「イエス様、どうしてこんなにすてきで信仰深く有能な人が、カップをシンクにもってくることができないのでしょう?」と腹立たしく思いました。
マグカップの問題が夫婦喧嘩のベースにあることがわかっていましたから、どうにかして解決したいと思いました。
でも、何を言ってもビルには改善の兆しが見られませんでした。
それで、ひょっとして私の側から歩み寄らねばならないのかもしれないと思い、祈りました。
すると、神様は私の心にささやいて答えてくださいました。
「なぜビルはコーヒーが大好きなのだろうか」
「主よ、ビルは働き者なのです。だからカフェインが必要なのです」
と私は心で答えました。

神様は再びささやかれました。
「よく働く男性と結婚したのは、恵みではないのか」
今度は、私は心から「はい!」と答えました。

以来、置きっぱなしのマグを見かけるたび、私はビルのために祈ることにしました。
やがて祝福も合わせて祈ることにし、コーヒーマグを見るたびに彼の祝福を覚えて祈り始めました。

コーヒーマグを見ながら「愛は多くの罪をおおう(1ペテロ4:8)」の原則を当てはめて祈りました。
(もちろんコーヒー自体は罪ではありませんが、ビルがカップをシンクまで持ってこようとしないことは彼の欠点だと言えます…少なくとも私にとっては。)
今日まで、私は長年汚れたコーヒーマグを片付けています。
そのたびにカフェインが必要な程ビルは働き者であること、彼が素晴らしい働きをし、私を含む多くの人々に祝福をもたらしていることを思い出しています。


違いを祝う
ビルの50歳の誕生日に、私たちはコーヒー畑に行きました。
ビルは豆を選びローストしてもらって、自分だけのブレンドを作りました。
畑を訪れ、豆を選び、絶妙にローストし、ラベルを選ぶのに午後の半日まるまるかかりました。
でも、彼が座り、特製コーヒー(Farrel家のマウンテン・サンダー・ウィーンローストコーヒー)の香りをかぐのを見て、よい外出だったと確信しました。
そのコーヒーを一口味わい、カフェインが入ったこともありますが、彼の顔はとても嬉しそうに輝きました。
その顔を見て私まで嬉しくなったのです。

違いを組み合わせる
私は、特製のコーヒーブレンドの豆を切らさないよう気を付けています。
特製のコーヒーを飲むたび、ビルは私への愛情を新たにしてくれるのですーちょうど、私が空のマグを思いがけない所で見つけた時のように。

マグを見つけるたびビルの為に祈るというのは、いまや私の生活のリズムになっています。
夫の腹立たしい所があったら祈りに変えましょう。お祝いに変えましょう。あるいは、彼を驚かせるデートに変えましょう!

2019/08/17

神の目から見たリーダーシップ

      
「caregiver」の画像検索結果     Melva L. Henderson

2015年12月15日に祖母が召されました。
葬儀では、牧師や教会の人たちによって祖母の主に仕えた足跡が語られました。
1時間近くも、祖母がいかに人々に仕えることに打ち込んだかが話されました。
祖母は仕える人でした。
私が生まれた日から、彼女は私のために仕えてくれました。
私の家族、いとこ、おば、おじなど、親戚だけでも60人近くの人々のためにも彼女は仕えました。
論争や仲たがいが起こった時にも祖母は誠実でした。

ある日、どうして仕え続けることができるのかを尋ねると、祖母は「イエス様が私をここに置かれたのだから、私自身にはここでの奉仕をやめる権利はないのよ」と答えました。
イエスは「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイ20:26)と言われました。
肩書はありませんでしたが、祖母はリーダーでした。

「あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着く人ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています」(ルカ22:26-27)。

普通に考えれば、イエス様がおっしゃったことはばかげていると思えます。
偉くなりたいなら、一番下の者にならなければならない?
自分を無にして、どうやって偉くなれるのだろうか?
でも、イエス様はご自身の謙遜さを身をもって示してくださいました。
ピリピ2:6-7には、イエス様が神としてのあり方を捨てられないとは考えずに、ご自分を空しくして、しもべの姿をとってくださったと書かれています。

この世は、リーダーになりたい人であふれています。
人々はなんとかして前に出たい、上に立ちたいと奮闘していますが、イエス様の望まれることは明らかです。
もし上に立ちたいなら、下に行きなさい、と。
イエス様はリーダーシップよりもサーバントシップ(仕えること)について多く離されました。
私たちが他の人々に仕えること、支えることで忙しいなら、その過程で私たちはリーダーになっているのです。

「仕える」の元のギリシヤ語は"diakonos”で、「伴う、牧する、他の人の願いを実現する」という意味です。
これが仕えることであり、同時にリーダーの最も基本的な定義です。
リーダーとは自分の利益を求めず他の人の利益を求める人です。

イエス・キリストは歴史上最も偉大なリーダーですが、それは彼が最も偉大なしもべだったからです。
マルコ10:45では、イエス様は「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです」と言われました。
この奉仕と犠牲により、私たちは今こうして生かされています。

私の経験から言うと、前に立ちたいと思わずにただ他者を助けたいと願う人たちを、神様はしばしば前に立つようにされます。
神の目には、真のリーダーシップは承認を得ることでも称賛を受けることでもありません。
他の人々に仕えることなのです。
残念なことに、多くの人たちは承認や賞賛を得るほどには真のリーダーシップに関して関心を示しません。

レイチェルという宣教師の話を思い出します。
彼女は宣教地で素晴らしい奇蹟を目にし、彼女自身も神様によって多くの人の癒しと解放のために用いられました。
しかし本国に戻ってからは看護助手として働きました。
仕事の中には、便器をきれいにするというものもありました。
便器を掃除しながら、ある日彼女は主に祈り叫びました。
「あなたは私を世界中で用いられました。奇蹟や人々が救われ癒されるのを見てきました。それなのに、私のその後はこれですか?便器の掃除なのですか?」

主は彼女に語られました。
「レイチェル、これらの便器を私のために掃除してほしい。プライドを捨てて、この便器を使っている人たちに謙遜に仕えてくれないか。この仕事を、私のためにしてほしいのだ。」
レイチェルは泣きながらひざまずき、悔い改めました。
そして祈りながら便器を掃除するようになりました。
すると、その便器を使っていた人たちに一人、また一人と奇蹟が起こりました。
まさにしもべの心を持つことによる力でした。
彼女が自分自身から他の人々へと焦点を移し態度を変えたことで、神様が祝福したいと思われる人への癒しのために用いられたのです。

リーダーになることや前に立つことに一番の関心を持つよりは、偉大なしもべの心と思いを持つ者であるようにと願ってください。
純粋で謙遜な心で仕えることができるようになればなるほど、神様の目にあなたはリーダーとして映ります。
そしてあなたを用いて神様が他の人をますます祝福することができるのです。


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